73.呼び出し
積もった雪を払う浚いの風にシアンは大きくひとつ身震いした。
精霊の加護を得ているのでそう寒くはないが、視覚的に反射行動をした。ティオと並走して飛んでいたリムがすかさず肩に飛び乗って柔軟な体を丸くしてシアンの首を温める。その背筋を撫でるとへの字口を横に長く伸ばす。
温かさ、規則正しく脈打つ体の柔らかさ、この世界で生きていることを感じる。
幾度か見舞ったディーノのことを想わずにはいられなかった。
島で順調に栽培されている薬草のお陰で食い止めているが、いつ悪化して小鼻が落ちるか誰にもわからない。ディーノだけでなく、今も魔族の国では発症した種族病に倒れ、亡くなる者もいるだろう。
シアンはまず各地の商人たちを頼った。情報を価値あるものだと考える商人たちならば、何か知らないかと思ったのだ。結果ははかばかしくなく、落胆するシアンに彼らは学者や医者を紹介してくれたが、そちらからも手掛かりを得ることはできなかった。
異類審問官から逃れて移動してきた異能保持者たちはすぐ隣のインカンデラで病が広まったことから、故郷でも猛威を振るった流行り病のことを想起して不安が広がった。追い立てられ、受け入れられた先、すぐ傍の土地でばたばたと倒れていくのだ。
募る不安定さはやがて暴動に結びつき、そうなれば鎮圧せざるを得ない魔族の国と深い溝が出来るのではないかと懸念された。
ここまでくると、他属性の神殿を頼った方が良いのではという向きもあった。
しかし、貴光教と他属性神殿の全面対決になるのは上手くない。逃げ道は残しておきたい。貴光教の中にも純粋に光を求めている人はいる。
「だって、光はあんなに輝かしいのだもの。憧れる人がたくさんいても不思議ではないものね」
「ピィ?」
ティオが振り向いて不思議そうに首を傾げるのに、シアンはつらつら考えていたことが口をついて出て来たことを知る。飛翔しながら首だけ柔軟に真後ろに向けてくるティオの背を撫でる。
魔族の種族病の治癒方法を探して各地を飛び回る最中、噂を耳にした。
貴光教が流行り病で死んだ患者の遺体を、インカンデラや魔族の商人が構える他国の店舗に放り込んだ。その後、魔族の種族病が流行ったことと関連するかどうかは不明だが、魔族がばたばたと斃れたことを知った際、面憎い魔族にようやっと一矢報いることができたと留飲を下げたという。
人の死に心を痛めるのではなく、自分たちが躍起になって行ったことが達成叶ったと満足感を味わったのだ。
そこには何の想像力もなく、また、自分たちさえ良ければ良いという偏狭な考え方があった。
自分たちが流行り病で苦しんでいるのにあいつらは平気だったのだから、同じように苦しめばいい、いやむしろ流行り病を流行らせたのは魔族で、その報いを受けたのだと言い出す者すらいた。
魔族はなぜそこまで貴光教に忌避されるのか。
一説には光と対極にある闇を信奉しているからと言われている。
また、魔力が高く、それだけに強力な力を持つ種族で、もしその魔力にものをいわせて向かってこられたら太刀打ちできないから、何かにつけ難癖をつけて力を削ごうとしたとも言われていた。何しろ、魔族は力が薄まってきているとはいえ、その古に、人の身から神にまでなった者を輩出した一族である。
貴光教の関係者は見聞きしたことについて、自分たちに都合よく記憶を改ざんした。なぜなら自分が正しいからだ。
「間違ったことをしていないだろう? うん?」
「よ! 俺流!」
自分は常に正しく、それが格好良いスタイルなのだと信じて疑わなかった。
他人の痛みに鈍感な者は往々にして自分の痛みには敏感だった。
自身の甘えを周囲に忖度するように強要する。しなければ、不機嫌になる。
他者が幸せだと気に障る。それが嫌いな人間ならなおさらだった。
例えば、とある異端審問官の妄想で魔族は近親相姦をしたと決めつけた。魔族の何が悪なのか。それは近親相姦をするおぞましさだという。美しい外見で睦み合うのだという。
妄想以外の何物でもなく、考える分には勝手にやっておけば良いが、そのおぞましいという独断を押し付けてむごたらしい拷問をする。
異類審問官は異能を持つ者に対して違和感を感知すると言われている。その違和感は偏見ではないだろうか。意思疎通する間もなく襲って来る対象ならいざ知らず、害のない者を異能があるから、自分とは違うからと言って攻撃する。
同じく異能を持つプレイヤーは異類審問から逃れられた。彼らは死してなお戻って来られるという強烈な異能を持つ。なのに、自分たちは見逃されて他の異能保持者は捕らえられて拷問をされるという間尺が合わないことにどうにも据わりの悪い気持ちになる。その程度の感想で済んでいるのは、所詮、この世界はゲームの中の世界だという認識しかなかったからである。
AIが作り上げた世界で、それぞれが個性や知能を持つAIが、その意思に反して強制的に存在を排除される。確かに自分がどういう存在かを自覚していないが、それでも、人として生きている者たちが同じ種族によって屠られていった。
冒険者ギルドは貴光教に物申した。少なくとも大陸の冒険者ギルドは知性ある多種族との交流がある。それを力によって排除するのはいかがなものかと苦情を申し入れた。
貴光教は奸智に長けた悪だくみをする異能保持者のみを処刑すると返した。冒険者ギルドの言を受け入れたように見せかけたものの、その実、悪だくみをしているかどうかの確認をするために連行され、自白を強要されるのだから、同じことだ。
そんな冒険者ギルドを通して翼の冒険者に貴光教から連絡が入った。
曰く、魔族の種族病の薬に関しての情報やイレーヌ親子のことについての情報があるというものだった。
それは各国の主要都市の冒険者ギルドに伝言されたらしく、シアンが立ち寄った国の冒険者ギルドのマスターが苦虫を嚙み潰したような表情で告げた。自分たちの最低限の要求とも言える人道的希望は受け入れた風に見せかけて退けて置いて、一介の冒険者に向けて伝言させるのだ。容易に使い立てできるとどこまでも見下している。
聞いた瞬間、シアンは眉を顰めた。
イレーヌ親子のことを何故知っているのかという不快感と嫌な予感、そして、魔族の種族病の薬に関しての情報は嘘だろうと即座に思った。でも、ほんの微かにだが、手掛かりになることを知っているのかもしれないという希望が脳裏をよぎった。拷問を受けて神に縋る者と同じように、自分ではどうにもならないことを懸命に行う中、絶望がひたひたと押し寄せ、何かに縋りたい気持ちになっていたのだ。
無論、九尾は反対した。
「うん、でも、他に方法がないんだ。怖いんだよ、きゅうちゃん。知らないうちとはいえ、フィンレイさんが亡くなっていた。ディーノさんまでも会えなくなるかもしれない……。ううん、会えない事態になったとしても、どこかで彼らしく暮らしてくれているのならそれでいいんだ。そうして欲しいんだよ」
シアンの疲弊した様子を見て、とにかく一度島に戻ってゆっくり休養を取ってから考えようと言うのに従い、帰島した。
ログインログアウトを行った後、料理や音楽といった普段通りのことをしても、心から楽しむことは出来なかった。
シアンは幻獣たちに向き直った。これは自分のわがままだから、協力してくれとは言えない。でも、自分は一度貴光教の総本山に行ってみようと思うと告げた。
『ぼくも行く』
『ぼくも』
シアンの騎獣を自認するティオが言うとリムが続く。
こんな時に我もと続きそうな一角獣が口を噤んでいる。思慮深げな眼差しでただ見つめて来た。代わりにカランが提案する。
『九尾も連れて行った方が良いのではないかにゃ』
「ううん、さっきも言ったように、これは僕のわがままだからね。付いてきてくれるという者だけで行こうと思う」
強制はしないと言うシアンに九尾が両前足を胸の前で組み、ため息を吐いて首を左右に振る。
『そういう時は付いてきてって言うものですよ。第一、シアンちゃんたちだけで行かせたら、怪しいお誘いにもほいほいと付いて行きそうじゃないですか』
前科があるシアンは思わず苦笑する。偽翼の冒険者が現れた時分のことだ。
『精霊たちにはまだ頼らないのでしょう?』
「うん……。この先どうなるか分からないけれどね」
それにしたって、タイムリミットが迫って来るのをひしひしと感じる。助けを求められる方だとて手遅れになってから言われてもどうしようもないのだ。
『連中が何を考えているか、言って直接聞いてみるのも良いでしょう』
九尾としてはどうせ話が通じない人間たちなのだから、できるだけ離れている方が良いと考える。しかし、取り巻く事情やシアンの心情がそれを許さないのであればそう思うしかない。要は切り替えだ。どうしてもしなければならないのなら、その中で最善を手にしようとすれば良い。
「きゅうちゃん、付いてきてくれる?」
『もちろん。翼はなくとも翼の冒険者にはきゅうちゃんが必要ですからなっ』
「ふふ、ありがとう」
自信満々な九尾の言葉にシアンは翼の冒険者と称され様々に活動してきたこれまでが思い起こされ、不意に涙が零れそうになり、笑って胡麻化した。この時ばかりは九尾の冗談口をティオも咎めだてしなかった。
そして、彼らはハルメトヤに向かって出立した。
希望は打ち砕かれるどころか、予想だにしなかった事態を知ることとなる。




