64.不死者の避難3
『良し。じゃあ、ちゃっちゃと済ませて、行くか』
元勇者は立ち上がると、他の骸骨たちの方へ歩み寄り、片腕を真っすぐ地面と水平に伸ばした。
人差し指を残した他の指を軽く握る。人差し指の先、拳一つ分の間を開けて、ふう、と空間が歪み、見る間に黒い球体が現れる。それは渦を巻き、小さな台風のようにも見えた。指を開き、ガッ、とそれを掴む。骨に押しつぶされた闇色の何かは辺りに霧散する。
すると、骨をぶつけ合い、軋ませてアンデッドたちが集まって来る。
靄のように漂う者も元勇者の前に集う。
『者ども、聞けよ! この広々した安寧の地に、敵が迫りつつある!』
凛とした声が響く。
『敵、なのかなあ』
『貴光教からは敵対視されていますからねえ。他の者に理解させるには手っ取り早いんじゃないですか?』
麒麟が小首を傾げ、九尾が後ろ脚立ちし、両前足を組む。
リムは何が始まるのかと興味津々の態である。ティオは悠然とシアンの脇に佇み、わんわん三兄弟は固唾を飲んで事の成り行きを見守った。
『だが、案ずるな! こちらに坐す方々が新しい住処を用意して下さった! 希望者には浄化の炎の導きで冥府への道も示される! まずは炎に耐えてあるべきところへ戻らんと言う者は前へ出よ!』
堂々たる物言いだ。
元勇者の言葉につられて、幾体かが前へ出て来た。冥府の国へ送って貰うことを選んだのだ。
元勇者は一つ頷き、シアンを振り返る。
「きゅうちゃん、お願いできる?」
『お任せあれ!』
こんな時でもマイペースな九尾はフォーエバーポーズを取った。
どこからともなく、するすると青く輝く炎が滑り出て来て、アンデッドたちを押し包む。
巨大化せずとも浄化の炎を扱えるようになったのだな、とシアンは内心感心する。九尾もまた島に逗留することによって、力を蓄えているのだ。
残りのアンデッドはまだこの世に留まりたいということだった。
それはこの世の理に反するかどうか、シアンには判別がつかなかった。
予想通り、自分の骨を体に打ち付けて音楽をしていたあの小さなアンデッドも浄化を希望しなかった。勇者の呼び声に集まって来たアンデッドの中にいたのをいち早く見つけたリムが飛んで行き、キュアと鳴くのに反応していた。
わんわん三兄弟は決然としたまなざしで、自分たちが力を取り戻した暁には、必ず、彼らを黄泉路へ送ってやるのだと言った。
その言葉を信じて待とうと思う。それまで、彼らを島で保護することにした。あの魔晶石が豊富な洞窟ならば、魔力に溢れ、すぐに回復するだろう。
リムの隠ぺいを用いての移動は、全行程をシアンが付き合うことは出来なかった。現実世界に戻らねばならない。
『ほう、シアンはそんな制約が付きまとうのか。こちらのことは任せておけ。心おきなく異世界へ戻ると良い』
事情を話したところ、元勇者は力強く請け合ってくれた。
ミシェレは仕える者を呼び捨てにし、仕えられるシアンは敬称をつけて呼んだ。特にそこにこだわりはなく、尊敬し合う気持ちに何ら障害とはならなかった。それは他者がシアンの足りない部分を補おうとする気持ちに似ていた。
シアンはティオに送って貰って直近の転移陣を踏んで島へ戻った。
次の日にログインした後、一行はまだ島に到着していなかったので、ティオと転移陣を踏んでアンデッドの足取りを追う。リムと九尾、麒麟とわんわん三兄弟が付き添う中、特に問題なく進んでいるようで安堵する。
本来、アンデッドたちは日の中は水の中にいるような抵抗を感じるものらしい。動きが鈍くなり、徐々に力を失い、動けなくなる。
『深遠が手伝ってくれているんだよね!』
「ありがとう、深遠」
『者ども! 闇の君の温かいご恩情に応えるべく、励め! 独りも脱落することなく踏破せしめようぞ!』
先頭に立つ勇者が片腕を振り上げると、アンデッドたちが地を揺るがさんばかりに吼える。
何故か、リムまでも片前脚をぴっと高く掲げている。それを見たわんわん三兄弟も短い尾を高く伸ばして遠吠えする。
九尾が両前脚を組んで二度三度頷く。麒麟はおろおろとアンデッドや幻獣たちを見比べて蹄で虚空を掻いた。麒麟の心配を他所に、彼らはどれほど騒いでも他者に気づかれることはなかった。
一行は意気盛んに旅路を進んだ。破竹の勢いであった。
「ティオ、何度も往復させて申し訳ないんだけれど」
『構わないよ。シアンを乗せて飛ぶのはぼくだもの』
大したことはないと受けてくれるティオの言葉に甘えて、そうやってシアンは幾度か島とアンデッドの元とを往復した。
セバスチャンから指示を受けていた港町にたどり着き、そこから乗船する。
用意してくれた魔族の船乗りが操る船で海を渡った。
元勇者は旅路を非常に楽しんでいる様子だった。船の上ではあちこち物珍し気に見回り、それが好奇心旺盛さを発揮するリムと重なって見えて思わず笑ってしまった。
元勇者は元気いっぱいだったが、島へ到着したアンデッドたちは流石に消耗していた。
早速案内した魔力溢れる洞窟を気に入った様子で、ほっと安堵の息を吐いていた。
せめてもの慰めにと音楽を奏でた。シアンの音楽に反応するのだから、ちょうど良いだろうと考えた。
すると、出迎え洞窟まで同行した幻獣たちも合奏し始めた。
元勇者はわんわん三兄弟を始めとする幻獣たちが音楽を奏でるのに驚いていた。
他のアンデッドたちは元勇者ほど人間のような素振りを見せはしないが、幻獣たちが下手なりに楽しそうに演奏するのに、どことなしか羨ましそうな様子さえ見せた。
特にリムと出会った当初に体の骨を打ち鳴らして合奏したちびアンデッドが顕著だった。
死を迎えた存在でも、音楽を楽しむことができるのだ。
そこで、わんわん三兄弟がユエと樹の精霊に願い出て、希望者に楽器を作ってくれないかと願い出た。
そういうことなら、とシアンも風の精霊に依頼する。シアンもまた、小さなアンデッドが音楽を楽しめるのなら、協力したい。
魔力溢れる洞窟内では動力はあるが、それを使用するには相当な技術と知識が必要とされる。何より、アンデッドたちは骨か靄なのだ。幻獣が楽器を演奏するのも相当なものだが、骸骨が管楽器を演奏するなど、構造上あり得ないことだ。
しかし、シアンはこの世界に来て、数々の常識を打ち破られていた。
いつかは、アンデッド音楽隊と合奏することができるかもしれない。
そう考えると楽しかった。
シアンたちの奏でる音楽はアンデッドを引き付けると言った。その音楽を共にできる。なんて不思議な縁、奇妙な出来事だろう。
この世界はそんな綾で織りなされている。
アンデッドたちにも楽器が行き渡った。手にした楽器を矯めつ眇めつし、宝物のように扱う。わんわん三兄弟が率先して使い方を教えた。
幻獣たちもまた洞窟に赴いて一緒に練習した。
シアンも合奏に参加した。
楽しかった。
下手だけれどそれもよかった。できないことが少しずつできるようになってくる。一緒にああでもないこうでもないと試行錯誤する。
種の境界を越え、人ではなくなった者たちともこうして音楽を分かち合える。
それが不思議で、でも心地よかった。
洞窟は音の反響が調和がとれる形に変形した。岩が姿を変えた。
とんでもないことだ。
しかし、シアンたちは何度もそんな事象に出会ってきた。
例えば、シアンと出会ったばかりのころのティオが挨拶の意を含ませ魔力を籠めて大地を叩いたことに、精霊たちが答え、大地の精霊の加護を受けたように。
そうして、彼らは奇跡を起こす。
そのめぐり合せ、事の繋がりが起こす妙味に、シアンは摩訶不思議な心地になるのだった。




