2.国境越え2 ~一度は言ってみたい言葉1~
山脈越えに当たり、長時間飛ぶことのできない九尾を、シアンはティオに背に乗せてほしいと頼んだ。
ティオ本人は諾の返事をしたものの、九尾がしり込みして遠慮している風だった。
「もしかして、きゅうちゃん、高い所は苦手?」
そうだったらどうしようか、と試案していたところ、否と返ってきた。
『ティオは高位の存在ですからねえ。まあ、本人が乗せてくれるというのだから、乗せてもらいましょうかねえ』
「ティオは高位の存在なの? でも、きゅうちゃんも天狐になったんでしょう?」
『そうなんですが、ティオは大地の精霊王の加護を得たグリフォンですよ。そこいらの神どころか、上位神でさえ超越していますよ』
つまり、この世で上から数えたらすぐに名が挙がる上位の存在だ。
「え?! 神様よりも上なの? それに、神様にも序列があるの?」
『神の序列に関しては、明確にあるものとあやふやなものと入れ替わるものがありますね』
「いろいろなんだねえ」
九尾自身も天帝宮という幻獣が多く住まう場所にいた。流石にこの世の神といった人知れぬ存在に詳しい。
『そうですね。この世界は属性というものがあるので、上位神は属性ごとにいますよ』
「風の神とか大地の神とか?」
『そうです。人間に加護を渡すのは神の役目ですね。下位の精霊もたまに幻獣や動物などに加護を渡す、というか力を与えることがあります』
九尾の説明に耳を傾けるうち、はたと気づく。
「あれ、じゃあ、リムも高位存在なの?」
『何をいまさら。ドラゴン自体が高位存在である上、光の精霊王と闇の精霊王の加護を持つなんて、絶後のことですよ』
言われてみれば、と首肯する。そして、はたとなる。
「きゅうちゃんも聖獣だし、僕、皆に気安く接しすぎているのかな?」
『いやいやいや、シアンちゃん自身もとんでもない存在ですからね。なんていったって、精霊王四柱の加護を持っているんですよ?』
むしろ九尾が最も気を使わねばならない立場である。
「それにしても、ティオもリムも神様よりも高位の存在になっちゃったのか……」
あまりのことすぎて理解が追い付かない。そして、当人も神よりも力のある存在となっているが、考えが及んでいない。そのことを正確に捉えていた九尾は面白いからそっとしておこう、と密かに決める。
『そうですよ。神々よりも上の存在です。あ、ちなみに、上位神とはいえ、その加護を受けたからといって、下位神と同等の存在になれるかといえば、全くそんなことはありません。程度によりけりではありますが、人間社会で有利な能力を得られるとかそんな感じの力を付与されるくらいです。これは精霊の加護にも言えます』
九尾が容赦なく追い打ちをかける。
「う、うん。でも、僕としては今までと同じように接するよ」
『それがいいでしょうね。彼らもそう望んでいるでしょうし』
「自由な翼団は先見の明があったんだね」
ふと、リムが精霊の加護を受ける幻獣ならば手下になると言い出したアダレードで出会った者たちを想起する。シアンの役に立たせよう、とリムが手下を欲したのだ。実際、世事に長けている彼らに色々調べてもらっている。
『幻獣のしもべ団でしたっけ。リムは一見してどんな幻獣かわからないのに、いきなりしもべになったんでしょう? 確かにそうですね。ティオなら一目でグリフォンの中でも上位だと分かるでしょうが』
「そうなの? そういえば、出会った頃よりも少し大きくなったというか、引き締まったというか、そう、精悍さが増した気がするよ」
『はい。他のグリフォンと比べても体型も翼も毛並みも立派ですよ』
ティオは野生動物にも関わらず、その毛並みは柔らかく手触りが良い。日向ぼっこをしているティオに抱き着くのはひそかな楽しみだ。
「ティオ、前は超えることができなかった山を越えられたり、大地の魔法が使えるようになったりとか、色々成長しているみたいだよ」
『リムも器用だし、猛スピードで色々覚えていっていますよ』
「うん、でも、あんまり変なことは教えないでね? 素直に覚えちゃうから」
『はーい。あ、きゅうちゃん、旅に出る準備をしてきますね!』
そそくさと姿を消したが、一応返事はしていたので、良しとした。
九尾からしてみれば、精霊王は正しく出会うこともない、世界の根源、この世界がこの世界であるために有る存在だ。
ティオの背から降り、セーフティエリアを見て回る九尾に、その風の精霊が玲瓏な声を届けてくる。
『天帝宮はシアンに監視をつけるの』
一国から目をつけられ、冒険者ギルドに国に売られたシアンを心配してのことだろう。半ば確認、半ば疑問といったニュアンスの言葉に九尾は否と応えを返す。
『いえいえ、ちゃんと上位神からの通達を守るようですよ。ただ、きゅうちゃんを呼び出してあれこれ聞いて来るだけです』
四属性の上位神から各所に特定の人間や幻獣に余計な手出しをするなという連絡が入っていた。その特定の、というのがどの存在のことを指しているのか、明白にされていなかったので、戸惑い、とにかく、個別の存在に影響を色濃く残すことは避けようという向きになっている。そして、天帝宮もその各所の一つだ。
一部の存在には明確に上位の存在の「動くな」、という意思は伝わっただろう。強い魔力を持つ種族にもかかわらず、万事ひっそりと暮らす魔族が動き出したことで、貴光教も探りを入れるために活発になろうとしていた頃合いだ。魔族の動向は貴光教が考えるようなことではなく、単にそわそわしているだけなのを知っている九尾としてはやや座りの悪い心持ちにならざるを得ない。そんなに大層なことが起こっているのではないのですよ、と言ってやりたい気分になる。
『天帝宮はどこまで知っているのか?』
今度は明確な問いだった。
『何も』
『何も?』
九尾の言葉に風の精霊が小首を傾げる。
人間じみた動作に、この短期間で矜持高い人外に、よくもこれほどまでに影響を及ぼせる、と九尾は半ば感心する。少年特有のまろやかな線を持つ外見とは裏腹に、理知的な雰囲気を漂わせる絶妙なバランスを保つ姿に、圧倒的で冷涼な力を感じる。こんな存在と対峙して、シアンはよく平気でいられるものだ。生まれて間もなくて道理に疎いリムはまだしも、ティオは大地の精霊以外には及び腰だ。その程度で済んでいるのは、同等の力を有する精霊の加護を持つ高位幻獣だからだ。
『そうです。あ、スタンピードからトリスを守るために頑張ったこととか、ワイバーンをグリフォンが退治したとかは報告しておきました。あとは、このきゅうちゃんのすばらしさをいかに人間社会に知らしめるかで苦労しているかをちょこっと話しています』
前足を持ち上げて二本の指でほんのわずかの隙間を作る。
中空に浮いた風の精霊が美しい瞳をまっすぐに九尾に向ける。
『君は天帝宮に所属しているのでは?』
『半ばは』
『でも、報告は半分もしていない』
『報告を義務付けられていません。聞かれたことにはちゃんと答えていますよ。あそこの者たちはいつも迂遠なことしか聞かないんです。遠回しな言い方が好きなんですよね』
つまり、遠回しな言い回しを逆手に取って煙に巻いているということか。
少し離れたところに座るシアンが九尾を呼ぶ。大地の精霊から貰った果物を分けてくれるのだと言う。
大地の精霊はティオの羽ばたきを助けてもいた。
光の精霊は周囲の気温と日射の調整を、闇の精霊は気力の安定と第三者の意識を逸らして隠ぺいを、目の前の風の精霊は気圧と向かい風の調節を行っている。素晴らしい好環境だ。
そして、シアンたちだけでなく、九尾もそれらの恩恵を受けている。
その存在の有無さえ不明であった精霊王たちが、嬉々としてシアンたちに助力し、よりよい環境を整え、さらにもっと助けてやりたいとあれこれしている。
『きゅうちゃんはシアンちゃんに悪さはしませんよ』
したら、身の破滅だ。したいとも思わない。九尾はあの自分には何の力もないと思っている異界人を気に入っているのだ。なんだかんだ言って自分に付き合ってくれるし、彼が大事にしている幻獣をからかうのは楽しい。やりすぎると怖い兄に睨まれるので加減が重要だ。フラッシュも楽しそうだし、実に良い同居人たちだ。
『そうであるなら、いい』
短く言い、風の精霊は姿を消した。
あっさり信じられて、拍子抜けする。
真実、九尾は天帝宮にシアンたちのことを伝えるつもりはなかった。
『適当に知りたそうなことだけを告げておきますよ』
かの場所にそれほど思い入れはないが、仲間たちが住んでいる。時折様子を見に行く所になりつつある。
九尾が帰る場所は人間の街にあるのだから。
アダレードは乾季と雨季を持つ一年を通して温暖で過ごしやすい国だ。
トリスやアラステア周辺、そしてその国自体が住みやすかった。だからこそ、VRMMOゲーム製作会社も始まりの街、国として設定したのだろう。もしかすると、始まりの街を設定するからこそ、住みやすい国だったのかもしれない。
野外のセーフティエリアで野宿しても平均な温暖な気候、ところどころ設置された井戸水、多少の毒草はあったが、そこは異能者として頑健であり、ステータス異常も初期段階の薬草の類で治すことができた。
そのアダレードを離れた今、寒さの厳しさ、塩まじりの水、多岐に渡る種の毒草、すべてがサバイバル能力を要求された。知識の入手先やスキルなどの補助システムは用意されていたが、まさしく異世界を生き抜く色んなものを要求された。まさかの異世界サバイバル旅行はだが、シアンにとってはそう難易度は高くなかった。
周囲に優れた存在が多くいたからだ。
ゼナイドは冬は雪に閉ざされる国で、春先とはいえ、最低気温は氷点下まで下がることもあり、やはり寒い。シアンは寒さを感じないが、厚着をしている風は装っておかなければならない。
この世界へやって来て、初めての国境越えだ。
国境を超えて初めて街へ入る際には入国許可書が金銭と引き換えに発行されるが、この際、身分証明書が必要となる。これは国か冒険者ギルドや商人ギルドといった何らかの国際的な機関によってその人間の身元を証明するものだ。冒険者であれば、一定の評価を得ていれば取得することができる。
シアンはトリスの冒険者ギルド長からこの身分証明書を受け取っており、各地の冒険者ギルドへも便宜を図るよう連絡をしてもらっている。それまでの冒険者ギルドへの貢献や、トリス周辺の農地や牧畜地をスタンピードから守ったことに加え、迷惑料も含まれている。
この世界では旅をするのは徒歩か馬や駄馬などの動物に乗るか、馬車などの乗り物に乗るかだ。
移動には他に、トリスなどのような大きな街の神殿に設置された移動魔法陣である転移陣と呼ばれる代物がある。設えられた紋章陣で瞬時に移動することができるが、それだけに膨大な魔力と金銭を要求される。
この転移陣は使いたい転移陣のある神殿へ行き、登録する必要がある。魔力を登録し、認証をしないと転移陣は反応しないのだ。つまり、一度は転移陣を用いずに、その場所まで行く必要がある。
小国であれば、国都に一か所ある程度であるものの、ゼナイドは大国だ。玄関口である街コラの神殿に転移陣はあるという。
まずはそのコラを目指す。
ティオは大地の精霊の加護を得てから飛躍的に飛翔速度が上がり、一日で山脈越えを果たした。
九尾はティオを高位の存在として腰が引けているわりに、その背に乗りながら、『運転手さん、前の車を追ってください!』などと訳の分からないことを言っていた。もちろん、ティオは何の反応をも見せなかった。
「きゅうちゃん、どうしたの?」
『いやあ、一度は言ってみたい言葉の一つです。夢が叶いました!』
九尾がティオの背の上で前脚を伸ばし、尻を下した「お座り」の状態から首をひねってシアンを振り返る。
他にもあるのか、どんな言葉なのか気にならなくもなかったが、聞いてしまうと混乱させられかねない答えが返ってきそうだったので、黙っておいた。大分九尾の扱いが分かってきたシアンである。
一番気にしそうなリムはちょうどティオと並行して飛ぶのに夢中になっていて、何事もなく旅路は進んだ。