63.不死者の避難2
『返事がない。屍のようだ』
『はい、アンデッドなので屍です』
『浄化の炎、いってみる?』
『九尾様、昇天してしまいまする!』
『お止めくだされ!』
『な、なんだって~』
きゅっきゅ言いつつ、前足で頬を抑え、ぱかんと口をあける。首近くまで大きく開いている。
(大きい。そういえば、狐って結構大きく口が開くよね)
尾が本物も幻影もぶわりと膨張している。
『尻尾のもふもふ度、増量中です! マリモ並み!』
確かに体よりも大きな毛玉がくっついている。
シアンたちは善は急げとばかりに大瀑布へとやって来た。
ティオとリム、九尾のいつものメンバーにわんわん三兄弟と麒麟が随行している。
わんわん三兄弟はシアンに両手を揃えられたバスケットの中でユエから譲り受けた魔力蓄石をつけた首輪を締め、ああでもないこうでもないと使い方を学んでいた。ティオの傍らを飛行する麒麟がアドバイスする。
一角獣はアンデッドがいつ来ても良いように、島に残って洞窟のチェックを行っている。ユエも魔晶石を採掘ついでに同行している。
鸞とカランは研究室に籠って薬の調合に勤しんでいる。
そうして、たどり着いた先、大瀑布の後ろに隠された洞窟の中では多くのアンデッドが蠢いていた。
『とまあ、冗談はさておき、どうします? 本当に必要とあらば、浄化の炎で黄泉路への道行きを示してやることも可能ですよ』
わんわん三兄弟とやり取りしていた九尾がシアンを見上げてくる。
エディスを襲ったドラゴンの屍の最期の時も同じようなことを言っていたと思い出す。
九尾は貴光教のように滅びろというのではなく、心残りを浄めてやろうという。ただし。
「でも、それには苦痛も伴うんだよね?」
九尾は唇の両端を吊り上げることで返事に代えた。
「じゃあ、それは本人たちに決めて貰おう」
『意思疎通ができるかな』
麒麟が不安げに小首を傾げる。
それは思案も懸念要素として持っていた。ただ、一体、心当たりがあった。
「あの元勇者の方なら話が出来ると思うんだ」
『おお、あの勇猛な老女ですな!』
『我らと死闘を繰り広げた!』
『前狼の王とも渡り合った!』
そうなのである。
セバスチャンが前身である狼の王と呼ばれる魔神の一柱だったころ、討伐せんと立ち向かってきた勇者だった者がアンデッドとなり大瀑布の裏にある洞窟に棲んでいた。驚くことに、魔力で身体能力を強化したとはいえ、勇者は老境に達した女性で堂々と渡り合ったのだという。シアンはその者に妄執にとらわれた前狼の王を助けてほしいと願われ、それを実現した。
更に言えば、新たな主とみなしたシアンのために子犬三匹の可愛らしい姿になったケルベロスに、顎が落ちんばかりに驚いていた。聞くところによると、勇者はケルベロスと激しい戦闘を繰り広げ、その際、地獄の番犬の体から零れ落ちた血液が大地に染み、そこから猛毒の毒草が生えて来たとも言われている。
伝説となった勇者は大昔の存在だ。年季の入った骨格を探してシアンは視線をさ迷わせた。
と、辺りをさ迷う骨の中、目当ての骸骨を見つけた。
「勇者さん!」
シアンが声を掛けると、骨格標本たちから一体のアンデッドが進み出た。
生前の記憶の大半を失っている彼らはシアンたちの音楽に引きつけられると言っていた。『お主らはいつぞやの』
「覚えていて下さったんですね」
『ああ……』
ケルベロスのことも覚えていたのか、シアンの足元で尾を振るわんわん三兄弟を見下して複雑そうな表情をする。表情筋がないどころか骨しかないので、そんな感じがしただけなのだろうとシアンは思った。しかし、その実、元勇者の感情を正確に感知していた。
シアンはこの洞窟に光の神殿から調伏の手が伸びること、そこでもし希望するなら住処を変える手助けをすること、また、この場で浄化の炎で冥府へ行く者がいるなら申し出て欲しいことを伝えた。
『話は分かった』
元勇者は腕組みしながら一つ頷いた。以前会った時よりも、複雑な動作をするようになった。
『光の民は融通が利かぬのだ』
『自分たちの考えることが正しいと思い込んでいる』
『我らはお主たちが気の済むまであり続けて欲しいと願っている』
わんわん三兄弟は元勇者を取り囲み、懸命に語った。
『アンデッドは一筋縄ではいかない』
無表情で彼らを見下していた元勇者がにやりと笑った気がした。
『しかしっ』
『もはやそう猶予はないのだ!』
『わ、我らにお主たち全員を冥府へと導いてやれる力があれば良いのだが』
子犬は揃ってしょげた。
『クハハハ』
シアンが口を開く前に骸骨は呵々大笑した。顎骨がかたかたと鳴る。
『ああ、可笑しい。お主ら、本当に可愛い子犬そのものだな』
そして、シアンの方に暗い眼窩を向けて喉を鳴らす。声帯はないからもちろん、そんな気がしただけだ。
『ああ、愉快だ。ここでたださ迷っているのも退屈だ。お主らと行けば愉快なことを堪能できそうだ。他のアンデッドには俺から話してやろう』
何となし、生前は自由気ままな存在だったのではないだろうかと想像した。ここにもイレルミと似たような者がいたんだな、とシアンは明後日な感想を抱く。
元勇者はシアンに向き直ると、す、と地面に膝をついた。
『感謝する。我が願いを聞き届け、かの方を解き放ってくれた。のみならず、アンデッドたちにも救いの手を差し伸べようとしてくれる。慈悲深き方よ、御名前を聞かせて頂けるだろうか』
「シアンです。貴女の名前を聞かせていただいても?」
『ミシェレだ』
「ミシェレさん。綺麗な響きですね」
シアンとしては思ったことを口にしただけだ。そして、よくある流れだ。そのタイミングが絶妙だった。
元勇者は久々に名を口にした。つい今しがたまで忘れていた。名乗った後、問い返され、それに答えた。深く考える間もなかったので忘れていたことさえ失念していた。自分が発した名を、相手が口にして褒めた。
永劫にも思える長い時を経て、再び口にし、呼ばれた名前だった。
『この身、この力、この忠誠をもって、御身にお仕えします』
またこの流れなのか、とシアンは絶句し、九尾は変な音を立てて吹き出した。
ティオは当然の仕儀だと重々しく頷き、リムは我関せずでシアンの肩の上から首を伸ばしてあちこちを見渡している。
わんわん三兄弟はシアンの足元で満足げに一連の流れを見守り、二度三度頷いている。麒麟は驚いてシアンと元勇者を見比べて目を丸くする。シアンもどちらかといえば麒麟と同じく驚いていたかったが、その実、慣れて受け入れる心の動きに、我ながら戸惑っていた。
レフ村のように他者を生贄に捧げて暮らしていた者がいる反面、自身が死してなお、他者を救ってほしいと願ったのが元勇者だ。
シアンは思えば、その時から元勇者の真摯な願いには弱かったのかもしれない。




