61.不死者の駆除
貴光教がもたらした混乱は人の負の感情を糧にする者には途轍もなく心地良いものだった。
優秀な薬師を拠点に方々に卵を産みつけ、数を増やしていった。自分の体を切り離して新たな宿主に寄生させる同族とは違って細かな指示を出すことはできないし、卵が孵り、宿主に影響を与えられるまでに至る間に数を減らす。それでも、徐々に増えた子供、孫、ひ孫たちは基本方針に沿った動きをした。
彼らは人の負の感情を楽しんだ。その非人型異類には人の悪感情を持たせる力はなかった。ただ、少しばかり増幅させることができるだけだ。それを味わうために、彼らは宿主を操った。脳に入り込み、指令を出す。宿主は深く考えることなくそのまま行動に移す。普段ならしない思考回路を辿っても、気づく者は少なかった。気づいた者のうち、自らがしようとしていた行動がとんでもないことだと驚き、自身の言動に注意を払うようになる。そうなってしまえば、体内に入り込んだ異類には手も足も出なかった。
幸いにして、自身の行動を顧みて都度考えて行動できる者は少なかった。
アーロを宿主にする非人型異類は殆ど地下の研究室を出ることはなかった。
籠った空気の薄暗い部屋の中でひたすら研究を行う毎日だ。宿主の体が日に日に衰えていくことを感じていた。
「お食事をお持ちしました」
聞いたことがない声がした。大方、労役係の担当が変わったのだろう。アーロは返事もしなかった。食事を置いたら出て行くだろう。皆、薄気味悪そうな顔をして一時も長く留まりたくないという様子を見せる。
新しい担当は違った。
「食事をした方が良いですよ。その宿主は随分疲弊しているようだ」
机に向って散乱する資料に目を落としていたアーロはのろのろと目を上げて振り向いた。
年若く聖教司補佐の見習の格好をした男が立っていた。その顔には三日月が三つ並んでいる。張り付いた笑みに見覚えがあった。こめかみをしきりに掻いている。
「もう目覚めたのか。もっと時間が掛かると思っていた」
「ああ。例の異類排除令のお陰で目覚めが早まった」
異類審問官たちは彼に多大なる活力を与えた様子だ。
アーロは貴光教がさらに陰惨なことをする予兆のように思えて身震いした。喜びからか武者震いからか、自分でも良く分からなかった。
「今のところ上手くいっているようだな」
アーロは彼に指示されていた通り、投薬した当初には効き目があるが、完治はおろか寛解さえも難しい「特効薬」を作った。この宗教の上層部らは喜んでその未完の薬をばら撒いた。人間、ゴールに到達したと思えばそこから先に努力したり研鑽を積むことはない。間違った答えを与えて置いて時間稼ぎをする。その間に、多くの者が手遅れになって行ったことだろう。
「研究三昧で充実した日々だよ。そちらはどうだい? 久々の外だろう?」
途端に、三日月が反転し、不満げな顔つきになる。
「あの者らは神への愛が強すぎて入り込むことが出来なかった」
自身も幾度か卵を産みつけようとしたが、彼らは神への愛を捧げることによって、自分たちを寄せ付けない。
にもかかわらず、自分がやりたかったように世界に混乱を招いている。
「まあ、良いじゃないか。俺たちが入り込むまでもなく、彼らは事態をより深刻に混迷させてくれている」
アーロの言葉に不承不承頷く。
人間とは不思議なものだ。
行く先がどうなるのか楽しみで仕方がなかった。
地中の死体には屍肉食昆虫が集まる。
複数の昆虫がたかるが、靭帯の軟部組織の多くを、キンバエの幼虫の一種が食べる。
こういったことから、死体というのは魂の抜け殻、腐り果てるか昆虫に食べられるものでその見目の悪さから忌避されることが多い。
その死体が動く。
当時の学問では主要六属性の他、魂があると信じられていた。それが人格を決定づけ、意思や価値観を形づけると考えられていた。死ねば、魂はその者が有していた属性の性質に融合する。世界と一体化するのだ。
一体化せず、一部が魔力によって別存在となるものがアンデッドである。
人の時に所有していた価値観と大きなずれが生じ、生者を襲うこともある。特に見目悪い死体を動かす種のアンデッドは人から忌み嫌われた。
貴光教は異類排除令によって大々的なアンデッド狩りを行うと広く布告した。アンデッドを積極的に狩ろうとしたのは、「異類は悪だ」を浸透させる狙いがあった。世相は概ね、称賛する向きにあった。
さて、この人気取りのためのアンデッド駆除を思いついたエルッカに、それも良かろうとオルヴォは暗部に指示して手ごろな相手を見繕わせた。
その際、気になる情報を手にした。
翼の冒険者を探ることと並行して任務に就いた黒の同志は点と点のままではあるが、こういった情報もあるのだと持ち帰った。
「ふむ。興味深いな。あの者はどう感じ考えるだろうか」
室内で独り言ちるオルヴォは、さて、いつどう効果的に伝えるべきか熟考した。




