58.脱出2
耳に着けた石が熱を持ち、イレルミは慌てずそれを外した。
ディランから定時連絡が途絶えたことから、イレルミはリリトとセルジュの諜報隊員の他、リベカを連れてキヴィハルユへやって来ていた。しばらく経つと、ディランが持つ魔道具と対を成すピアスが反応を見せた。
リリトとセルジュは諜報隊に入って間もなく、隊での実戦経験が少ない。その上、武力を持たないということでもう一人付けるというのに、リベカが立候補した。
少し前までは何でもそれなりにこなすがやる気がなかったリベカは昨年の初夏辺りから勤勉になった。一年半足らずの期間でみるみる力をつけ、希少な素材で作られた武器防具も使いこなしている。
イレルミはハルメトヤ出身ということをとっかかりにして幻獣のしもべ団に興味を持って貰い、入団することができた。
風の性質を持ち、気ままなイレルミにとって、幼少期に過ごしたハルメトヤは窮屈でならなかった。
敏捷な動きを見て物心つくころから両親は武芸や軽業師、大工といった様々なことを経験させてくれた。最も適性があり、本人が好む職業につけてやろうという寛大な親心からだった。
身軽なイレルミはどの分野でも活躍しそうな兆候を見せたが、どの分野にもさほど強い関心を抱かなかった。風の性質が強く出て、他の者の動きが鈍く感じられた。
この子はこの国での暮らしはしにくかろうと一念発起して出国した。両親が光属性を持たなかったことも大きい。貴光教は光属性ではない者には冷淡で、その影響を強く受けるハルメトヤ国が暮らしにくかったというのもあれば、初めての子であるイレルミが幼いながらも自由気ままでそれに感化されつつあったというのもあった。
旅暮らしをおっかなびっくり始めた両親を他所に、息子は非常に楽しそうで、会う者から砂が水を吸い込むようにあらゆることを吸収していく。いつの間にか色んな冒険者から戦い方を教わり、あっという間に強くなっていた。両親は自分の考えは間違っていなかったと確信した。
結局、南東の大陸にまで渡り、砂漠の大きな街にたどり着いた。イレルミとは年の離れた弟妹を育てるために両親はそこで定住した。
イレルミはと言えば、砂漠の魔獣は強力でそれを倒しているといつの間にか風の民代表に据えられていた。
十代のころから風の民の代表になったが、ハルメトヤのある大陸へ戻ってみたり、更に大陸東へも行った。風は世界へ行き渡る。そんな風の性質そのままに自由にあちこちを旅した。
世界は危険で溢れていると言う。
確かにそうだ。
しかし、他の者とでは見えている世界が違う。
周りが水中の中にいるように重くゆっくりとしか動けないのに、一人イレルミは風を纏い、ひらりひらりと動ける。
得物、特に長物で炎を切りつけるのはそう難しくはない。炎の上位に位置する風の性質が有利に働く。水や岩を砕くことはなかなか難しい。流れを読みその流れに沿うように、また、一瞬の間を捉えることを会得した。対象と自分の呼吸、気迫の合致する瞬間を待つこと、それを過たず捕らえること、その瞬間に自在に動けることが肝要だ。
強い相手を求め、とある国で騎馬槍試合に参加したことがある。それで名前と顔を知られてしまったが、特に気にしてはいなかった。
気の向くままに振る舞ううち、神殿から風の神の下知が報じられた。面白いと思った。
砂漠の薔薇で下知の対象、翼の冒険者と出会い、どこにでもいる若者なのに、何故か気を惹かれた。
こういう時の直観に沿わなければ、イレルミはイレルミではない。
剣聖と称されるようになったのと同じく、風の民代表という地位に関心も執着もない。
そして、幻獣のしもべ団に潜り込んでみれば毎日が驚きの連続である。
楽しかった。
集まってくる者たちも多彩で気の良い者たちで、何より固いことを言わないのが良い。
シアンや幻獣たちを間近に接してみれば、その力を読み切れないところがまた良い。至近距離にある巨大なものが見えにくいにように、余りにも大きすぎてその大きさを理解することができないのだ。とにかく、強い、としか分からない。
驚愕した。
こんな存在は見たことがない。
上には上がある。
それを知ることができるだけで、励みになった。
頂点に立ってしまえば、目標を失いがちだが、イレルミにはまだ目指す先があるのだ。
「到達できるとは思えない先だが、俺も風の性質だ。止まっているのは性に合わない」
その幻獣たちの力を知っている素振りを見せるのに、いっかな恐れることはなく、自然体で付き合い、幻獣たちに甘えられてすらいるシアンである。
本人が柔弱に見えようと、事実そうであろうと、それだけで普通ではない。
彼らは彼らなりに役割分担し、楽しく過ごしているのだから、それで良いではないか。
それが良いからこそ、その光景を永らえてほしいからこそ、守ろうと思う。
幻獣のしもべ団は幻獣たちの不得手とする部分を補う結社だという。
打ってつけではないか。
所属していれば、偏狭な貴光教の総本山に乗り込むという難題を任される。実に刺激的な日々を送ることができる。
「セルジュのテイムモンスターから合図が来たよ」
「分かった。リリト、いけるか?」
部屋に入って来たリベカに頷くと、寝台に腰掛ける少女に声を掛ける。
途中まではリベカと共に行くが、鍵を奪うところからは一人だ。十代半ばの少女は固い表情で頷いた。ディランを助け出すには内部の者に気づかれないことが肝要だ。鍵を奪って扉を開けて出ていくことが手っ取り早い。
六大神殿の総本山で隠ぺいを用いるのだ。
必ず誰かしらに異能や魔法を使ったことを察知されるが、そのころにはイレルミが陽動で動く。意識はそちらに向けられ、手薄になっているうちに運び出すつもりだった。
「リリトの隠ぺいは完璧だからね。異能感知だって、イレルミに気を取られていたらできないさ」
それに、今は黒いのや異類審問官は忙しくて出払っているだろうと肩を竦める。
リベカの言う通り、リリトも自分の異能である隠ぺいを活用するなら、その手法だと考えていた。
実際にやってみるのと想像するのでは大きく隔たる。
何より、事を成し遂げる胆力を要した。
これがどこかの街のちょっとした施設から仲間を助け出すのだったらこうも緊張しないだろう。
これから先向かうのは光の神を唯一最上のものとし、魔族を除外しようとしてきた貴光教だ。昨今、大陸西を阿鼻叫喚に陥らせた異類排除令を発した神殿の総本山である。
そんなところで、異能を使うのだ。捕まったらただでは済まないだろう。
突然の大舞台に怖気づかずにはいられなかった。
もっと段階を踏みたかった。
平然としたイレルミとリベカを恨めしそうに見やると、前者はへらりと後者はにやりと笑って見せた。
実力のある者たちには分からない悩みに、リリトは頭を抱えたくなった。
それでも、できないとは言わなかった。
必ず、ディランを救い出す。
リリトは立ち上がった。
「良し、行くか」
イレルミが気軽に言う。ちょっとそこまでドラゴンを倒しに出かけてくる、と言い出しかねない彼は常にそんな調子だった。




