57.脱出1
ディランは部下を大切にした。
例えばクロティルドだ。有能で過日のことを反省していると知れば、過去にこだわりなく使った。成果を上げれば褒め、そういった事柄が他のしもべ団にも伝わり、自然、他の者からも認められるようになった。
ディランは幻獣のしもべ団団員らは受け入れる度量の広さ、深さをシアンやマウロから学んでいると思う。上が鷹揚だからこそ、自由にできることを知っていた。また、失敗しても委縮せずに次を模索できた。
マウロは締めるところは締める。シアンはそれを知らなくとも、ティオが代わりに締める。要求が高すぎてシアンが諫めるほどである。ティオにできないのか?と見られると、無茶だと思いつつもやりますと言ってしまうしもべ団であった。
そんなシアンの偽物が出たという。
諜報隊が本拠地の黒ローブがシアンを監視しているという情報を掴んだことから、ぶつかることが増えた。
死傷者も出た。
流行り病や凶作、天変地異による物資不足を解消すべく奔走する中、その名声の余禄だけをかすめ取ろうとする者が現れたのだ。
偽物の件は貴光教大聖教司とシアンが面会し、偽物と鉢合わせすることによって暴かれた。その直後、異類排除令が発令された。
じわじわとシアンを追い込む包囲網が敷かれているのを感じ、ディランは焦りを覚えていた。
だからこそ、諜報隊に所属していないにもかかわらず、光属性であることを盾に総本山に乗り込むことにした。
自信はあった。油断する気もなかった。
ディランは潜入に当たって幾つかの手札を用意した。急ごしらえではあったが、自信を裏打ちするに足るものだ。
ただ、彼は貴光教が信者に向けて焚く香の威力を知らなかった。
「特別な薬」は香としても効力を発揮する。礼拝堂のあちこちで焚かれた香を吸ったディランは徐々に正常な判断をできなくなった。
ディランを迎え入れた聖教司に言いつけられ、幾度か礼拝堂の手伝いをするうち、体内に蓄積されていく。
夢見心地のまま、誘導されて地下の研究室に連れていかれる。半ば、これを待ち望んでいたというのもある。手っ取り早く、中枢に探りを入れるには、虎穴に飛び込まざるを得なかった。シアンを追いつめる包囲網に風穴を開けたかった。
内部を知るためにわざとついて行ったつもりだったが、そのころには感覚が鈍くなっていた。
左だけ耳が異様に肥大した研究者らしき男が不健康に痩せた顔に目だけ剥いてぎらぎら光らせながら、迫って来る。
と、ディランの方に歩み寄ろうとする足が止まる。
透明な壁に邪魔されるように身じろぎするがそれ以上は近寄って来ない。
前もって鸞が研究を重ね、開発した寄生虫異類除けの薬を服用し、その成分を香にして纏ってきたことが功を奏した。
間一髪で寄生虫異類が体内に潜り込まれることを免れたが、ディランは怪しい者だと拘束された。尋問され、少々痛めつけられたが、幸いと言って良いのか、貴光教の総本山であるがゆえに異類審問官や拷問係は不在だ。彼らほどの凄烈さはなかった。また、黒ローブたちは増員に次ぐ増員が行われる異類審問官の護衛官として駆り出されていたことから、一般の聖教司見習いが少々痛めつける程度だった。
拷問は時間を定められている。
本来、自白を引き出すためのもので、死なせてしまってはいけないからだ。また、ディランに近づくことができなかった研究者が好奇心を掻き立てられ、是が非でも口を割らせろと主張した。
痛めつけられた後、小部屋に連れて行かれ、放り出された。
しばらく浅い息で喘いでいたが、そう装いつつも人気がなくなったことを入念に探り、明り取りの窓の木扉を開け放ち、ピアスを外す。力の入らない手を一旦握りしめ、息を深く吸う。
ディランに残されたのはこれだけだ。
衣服もそれまで身に着けていたものは全て取り上げられ、簡素なものを着せられた。
できれば、使いたくはなかった。
それでも、生きて戻らなかったら、どれだけシアンを悲しませるだろうか。
幻獣のしもべ団団員ははみ出し者が集ったせいか、突き抜けた価値観を持つ。人間、死ぬときは死ぬのだ。
しかし、シアンは他の大陸で見ず知らずの者たちが病に倒れるのを見て心を痛め、幻獣のしもべ団団員があんな風に苦しむのを見たくないと言ったそうだ。個々が自分たちのためにしたことで得た結果なのであれば仕方がないが、シアンや幻獣たちのためにしたことで敢え無く死んでいくのであれば、幻獣のしもべ団を解体することも考えるとマウロに告げた。
人によっては軟弱だとか覚悟がないと受け取るかもしれない。
けれど、上司の我欲で多くの部下を失った経験を持つディランからしてみれば、この人ならばこそという気持ちが一層強まった。賢明な彼はそういった気持ちすら時と場合によってはシアンを追いつめるのだということも知っていた。
シアンの下で働くのは居心地がいいし、やり甲斐もある。
どうすれば長く務めることができるか。
できる限り、死傷者を出さないことだ。
そして、そう考えるディランは幸い、それなりの力がある。
「まあ、俺が死んでしまったら、後の事は分かりようがないし、関わりようがないんだがな」
死ねばそれまでで、後の事は知ったことではない。
彼は後にアンデッドと出会うことでその考えが覆ることを知る。
幻獣のしもべ団を居心地の良い場所とする仲間たちからそれを奪うことにもなる。何より、ディランがこんなところで呆気なく終わりを迎えたくはなかった。
「最後の最後まで足掻いてやるさ」
ディランはふてぶてしく笑うと、ピアスに魔力を込めた。
耳飾りはユエが開発した魔道具で、魔晶石が用いられている。潜入に当たり、非常時の連絡手段として渡された。麒麟が島にやってくる際に用いた九尾から貰った笛を見て思いついたのだという。
「場所が場所だから、魔法を使用すれば感知されやすいが、お前なら光属性だから、紛れやすいだろう」
そう言って渡された魔道具はまだ改良の余地があるもので、できるだけ耳から一旦外してから用いるように言われた。
「力を籠めたら、窓枠のような外に繋がる場所に置いた方が良いらしい」
受け取ったピアスを矯めつ眇めつするディランに、マウロが説明した。
「触れた場所から溶け出すとかそんなことはないんですよね?」
「そこまで物騒ではないらしいが、熱を持って、下手すりゃ火傷するかもしれないと言っていた」
「あー……。使い勝手は良さそうだから、できれば改良を進めて欲しい物ですね」
「ユエもあれこれとやることが多くてな」
「今度、カラムのところから野菜を貰ってきて兄貴に渡しておきます」
野菜を直接届けるのではなく、シアンに料理して貰うというディランは万事心得ている。
「まあ、お前の事だから滅多なことはないと思うが、念のためだ。生きて戻って来い」
「もちろんです。この報奨金はでかいですよ」
「ああ。軍資金は潤沢だからな。働きに応じて還元する」
マウロは太く笑ったものだ。
そんなやり取りを思い出しながら、ディランはピアスを窓枠に置く。
微かに光を発し、それが明滅するのに、ちゃんと魔道具として稼働するのだと知り、安堵の息をつく。
やはり、妙な香を吸わされ、正常な思考を奪われ、拷問されたというのには堪えた。肉体的な苦痛もあるが、拘束されたとか強制されたという事実に嫌悪を感じる。大きなストレスを感じていたのだ。それを精神力で抑え込んだ。
助けが来るまでに、見聞きしたことを整理し、なるべく正確な情報を渡せることができるように、とディランは頭を働かせた。




