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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
482/630

56.不帰3

 

 非人型異類はマウロとハンネスを手ごわいと見て取ったか、こだわりはないのか、他の者に向けて駆け寄った。

 ぼんやりと輪郭がかすんだかと思うと、次の瞬間、あり得ない速度で向かってくるのだ。それを外側から観察することによって、そのとんでもなさを実感する。

「ぎゃっ」

「ぐあっ」

 悲鳴が上がり、黒ローブが転がる。

「貴様! こっちだ!」

 部下をやられたハンネスが吼える。

 その声に反応したのか、のろのろと非人型異類が向きを変える。そこへ衝撃波が届き、非人型異類は明後日の方向へ駆け抜ける。

 流石はエヴラールである。的確な指示、タイミングだ。

 そして、矢が飛んでこないということはオルティアとロイクの同調は切れたのだろう。ロイクが駆け寄ってきた時から半ば予想は付けていた。

 オルティアも近づいて来て、視認できる場所から矢を放つが、いかんせん、非人型異類の疾駆に狙いが定まらず、殻に阻まれて決定打を与えられない。止まっていれば、矢も殻に打撃を与えることができるかもしれないが、スピードのせいで殻の上で滑ってしまう。

 さりとて、非人型異類の体力がなくなるのを待つのも、いつのことになるかわからない。これほどまでに素早く動くのだから相当な力を要するだろうが、それをして余りあるほどの体力を持っていないとも限らない。

 非人型異類が再度、マウロとハンネスに狙いを定める。

 マウロは大きく飛びのいた。

「兄さん、逃げるなんて!」

「普通、逃げるだろう!」

 案に反して、血を流すハンネスの方ではなく、マウロへと狙いを定める。

 そこへ、何かが音を立てて飛来する。

 鈍い音を立てて殻に当たり、破片を飛び散らせる。

 互いが相当な速度を持っていたので、飛来物の軌道は大きくそれ、非人型異類は倒れ込みそうになりながらも、何とか殻は正常な位置に戻る。流石に移動は止まっている。

「ちっ、とんでもない異能持ちだ!」

「まあ、でも、ベヘルツトさんの突進を見ている俺たちには大したことないな!」

「ありゃあ、狙いを定めた途端、どかんとどてっ腹に穴が開いているからな」

 グラエムが両の手を打ち付けながら舌打ちし、遅れてやって来た双子が回収したブーメランを矯めつ眇めつしながら答える。

「俺、串刺しにした獲物をぺいって捨てているのを見て、この幻獣には逆らわないでおこうって思った」

「ばっか、お前、幻獣に逆らうなんて考えてもいけねえよ」

「だな!」

「お前ら助っ人に来たのか漫才をしに来たのかどっちなんだ?」

 普段通りの双子とグラエムにマウロが胡乱な視線をやる。

「いやだなあ、頭、助っ人に決まっているじゃないですか」

「なら、さっさと働け」

「え~、俺ら、さっきまでグリフォン並みの魔獣と戦ってきたってのに」

「頭もカークみたいにこき使う!」

「おう、励め励め! 報奨金を貰い放題だぞ!」

 そう言いつつも、カークの差配と駆け付けてくれた団員に内心感謝する。

「む。そういえば、兄さんは幻獣のしもべ団の頭だったな」

「そんなことどうでもいいから、あんたたち、真面目にやって!」

 ハンネスの言葉に部下が悲鳴を上げる。あちらも上司はぞんざいに扱われているようだ。

「フィンレイ、フィオン、やつの体勢を崩せるか?」

「やってみる!」

「任せろ!」

 マウロの問いに双子は力強く答える。

「向きを変えるよ!」

 ロイクが警告を発する。

 方向転換の隙を狙ってオルティアの矢が牽制に飛ぶが、まだ決定打には至っていない。アメデは姿を見せないが、恐らく、オルティアの警護についているのだろう。

 駆ける瞬間を狙ってブーメランが飛ぶ。

 しかし、少し遅かった。非人型異類は奔る。その方向の直線状にいる者は慌てて避けるものの、必ずと言って良い高確率で負傷者が出る。

「殻の棘が伸びるんだ!」

「ちっ、厄介だな」

 ロイクの言葉にマウロは舌打ちする。ロイクの感知能力に全幅の信頼を置くので彼がそう言うのであれば事実なのだ。

「兄さんのところの部下は目が良いな。あんな速度で移動するのに良く見える」

「あんた、こっちへ逃げてくるなよ」

「だから、そんな冷たいことを言うなって」

 妙に懐かれたものである。

「あんたの傍にいた方が生存確率が上がりそうだからな」

 にやりと笑うのにうんざりする。

「餌が多い方へやって来るだろうが」

 マウロに狙いを定められたと知るや、フィンレイがブーメランを放つ。

 幾度となく邪魔をされるのに腹を立てたのか、非人型異類はフィンレイに狙いを定めた。折悪く、ブーメランで強引に変えられた角度がちょうどフィンレイを真正面に捉えていた。

 来る。

 思う間もなく、見る見る近づき、視界いっぱいに迫る。

 焦る気持ちから足がもたつく。

 衝撃が体を襲う。

 痛みよりも灼熱を感じた。

 背中を強打し、地面にたたきつけられたのだと知る。

「フィンレイ!」

 フィオンの悲鳴じみた声が上がる。

 そちらを見ていないのに、慌てて自分に駆け寄ってくるのが分かる。

 来るなと言いたかったが、口から出たのは僅かな空気と大量の血液だった。

 ごぼごぼと喉が鳴る。

 血を多く失ったからか、目が回る。それとも、頭でも打ったのだろうか。

 地面に寝転がったまま、ぼんやり非人型異類が向きを変えるのを見つめる。

 その延長線の位置を泣きべそをかいたフィオンが突っ切ろうとしている。

 駄目だ。

 自分はもう駄目だと分かる。だから、少しでも、弟の生存率を上げておこうとした。脳から分泌される物質によって、一時的に痛覚が麻痺した。でなくば、とんでもない痛みにのたうち回っていただろう。

「フィンレイ!」

 フィンレイは大怪我を負ってなお、戦おうとした。その様子を見て、青ざめたフィオンが足を一層速める。

 グラエムが雄叫びを上げながら、拳を強く握って非人型異類に駆け寄る。

 あれほどの高速移動を行い、幾人も吹き飛ばし大きく切り裂いているのを目の当たりにしてなお、グラエムは相手の懐に飛び込んだ。それが彼の戦闘スタイルだった。

 そして、でたらめな目算で斜めに走り込んだグラエムは間に合った。非人型異類を捉える。

 グラエムは怖じず、凶暴な非人型異類の間近に近寄って拳を打ち付けた。炎を纏った籠手が堅い殻に罅を入れる。流石に非人型異類の進行は止まる。その隙に続けて二度三度拳を振るう。

 この機を逃すものかとばかりにオルティアの矢が飛び、衝撃波が響く。グラエムがすぐそばにいるので、威力を調節し、角度を入念に定めて放たれた矢や衝撃波に、堪らず非人型異類が大きく仰け反り、悲鳴を上げる。

 非人型異類も死に物狂いだった。今際の馬鹿力で、振るわれたグラエムの拳が殻にめり込ませたまま、駆けた。

「ぐおおおお」

 グラエムはその場で踏ん張った。

 移動する力、留まる力が半瞬の更に半分ほどの僅かな間、拮抗し、互いが我を通した。

 非人型異類は拳をめり込ませたまま、駆け、少し行った先で速度を落とし、よろよろとよろめき、終いにはどうと横倒しになった。

 踏ん張り切ったグラエムは肩から腕を引き千切られた。それでもなお、その場に両足でしっかと立っていた。



「フィンレイ、もういい。お前は十分によくやったよ」

 フィオンは兄が動こうとするのを、両手を掴み、留め置こうとする。

 その必要がないくらい、フィンレイはもはや体を動かすことができなかった。

 もういい。

 もう頑張らなくていいから。

 そんなになっても、戦おうとしなくていい。

 フィンレイの体を仰向けにすると唇が微かにわななく。声は音にすらならなかった。

「もちろんだ。ティオ様もリム様も褒めてくれるよ。お前、本当に強かったよ」

 不思議と双子の兄の言わんとすることが分かった。的を射ていたらしく、頬の肉が少し動く。まだ、口を開こうとする。

「うん? ああ。わんわん三兄弟に話してやろうな。きっと尾を振ってくるくる回りながら喜ぶぞ」

 ゆっくり、体の力が抜けていく。普段、意識せずとも保っていた体中を巡る神経が途切れ、生体が物体に変わろうとしていた。

「フィンレイ! フィンレイ!」

 もはや口も動かない。けれど、フィオンには兄が思うことが分かった。

「そうだな。あの時、アダレードで里親から逃げ出して生き延びて良かったな。俺たち、今、幸せだもんな。充実しているもんな」

 だから、馬鹿を言うな。

 これから先はお前はもっと幸せになれなんて。兄さんがいないのに。



 ハンネスは帰投するやいなや、三番隊隊長ヒューゴの下へ赴いた。荒々しい振る舞い、険しい形相に、隊員たちは知らず後じさり道を譲る。目的の男は相変わらず陰気な顔をしていた。

「何故、非人型異類を放った?」

 ヒューゴを通してのカヤンデル大聖教司からの指示で動いていたハンネスは都合よく登場した非人型異類の登場は目の前の男の仕業だと考えた。煮えた頭でもそれが分かった。そうだと思ったからこそ、沸騰した。

「それで勝てたのだから、良いだろう?」

 ヒューゴは猛抗議にも平然と返す。

 言外に押されていてあのままでは負けていただろうと告げられ、ハンネスは歯ぎしりする。

「隊長、落ち着いてください」

 追いついてきた部下たちがハンネスの両腕を取る。

「ふむ。報告よりも随分数を減らしたな」

「お前の放った非人型異類のせいだ!」

「非人型異類の討伐も我らの職務の範疇だ」

 鼻を鳴らして踵を返した。

「待て! 話は終わっていない!」

「隊長! まずいですって」

 相手は非人型異類を操れるのだと囁かれ、ハンネスの怒りは萎んだ。唐突に恐怖に取って代わる。

 そうだ。あんなにタイミングよく非人型異類を放てるのは何故か。

 薄気味悪い心地になったハンネスはようやく部下の顔を見る。

 部下もハンネスに負けず劣らず青い顔をしていた。

「お前、三番隊に仲良くしているのがいたな?」

「え、ええ」

「ちょっと聞いて来い」

「え? あ、ああ、はい。非人型異類を実際に操ったかどうか、ですね」

 ハンネスの部下たちはみな察しが良い。言葉足らずの上司の意を汲む。

「ああ。気を付けろよ」

 何に気を付けろと明確には言わなかったが、部下は幾度も頷いた。

 送り出してから、早まったかと後悔した。あんな怪物が率いる隊に探りを入れさせたのだ。

 ハンネスの懸念を他所に、部下は無事に戻って来た。ほろ酔い加減で酒を奢ってやることで口を軽くしたのだと言う。

「良くやった。日ごろの俺の薫陶のたまものだな。それで?」

「ええ。どうも、操れるほどまでではなく、ただ、眠らせることができるようです」

「なるほど。そういやあ、木箱に詰め込んで運んだという噂もあったな。眉唾ものだと思っていたが」

「本当にやっていたんですねえ」

 荒唐無稽な噂だとばかり思っていたが、自分が実際にその被害を受けるとは思いもよらなかった。

 彼らは清浄を掲げる光の神の教えを広く伝えるために、敢えて暗部を担ったはずだった。

 それが、何をどうしてこうなったのか。

 この宗教の行く末が案じられてならなかった。



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