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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
481/630

55.不帰2

 

 呼び出された場所は街を出て少し行った先だった。

 殺害意思を隠そうともしない大上段な態度には恐怖を感じつつも腹が立った。

 しかし、実際、街を抜け出してみて危険が増す中、人目につかないで行動するのには打ってつけなのだと知る。だとしても、女性一人を呼び出すには不穏極まる。

 道中で襲われることも危惧したが、彼女が相談した相手はその可能性は低いと言っていた。

「女の一人身だ。連中はどうとでもできると思っている。それより人目につかない方を優先して、目的地に着くまでは手を出さないだろうさ」

「相手について随分お詳しいのね」

「割合長い付き合いなんだ」

 言って、嬉しくもなんともないと肩を竦めて見せた。

 そして、彼の読み通り、商人の妻が指示された林の中の開けた空間に着いたら、するすると黒い布を被った者たちが出てくる。

 そこは林の中にぽっかりと口を開けた空き地だった。

「良く来たな。その豪胆さは褒めてやろう」

 流石に黒い男たち数人に囲まれては声もなく震えるしかない。

「約束は守る。お前の夫やその商売には手は出さない」

 そう言う男の手にはいつの間にか短剣が光る。

 商人の妻はひっと息を呑んだ。予想していた事態を目の当たりにして、身を竦ませる。

 修羅場で普段通りに動ける者などそうそういない。

 慣れた者か訓練を受けていれば別だ。

 幻獣のしもべ団もこういった荒事に上手く対処できるように訓練を積んでいた。

 商人の妻が伝手を辿って相談を持ち掛けた幻獣のしもべ団は黒ローブたちが姿を現したのを認めると、即座に距離を縮めた。時間差で包囲網を形成しなければ、姿を現さないだろうと踏んでいたのだ。そのため、ロイクを帯同していた。アメデとオルティアもおり、商人の妻に短剣を突き立てようとした男は飛来した矢に貫かれて絶命した。

 追いつめるのには慣れていても、自分たちが追いつめられるのには慣れていない者たちだった。途端に色めき立つ。

 商人の妻はその場でじっとしていろと言われた際、逃げるくらいはできると反発したものだが、実際その場にいればそうするしかなかった。身を固くして、息をしているのかどうかすら自身で分からなかった。

 飛来してくる矢を除け、黒ローブたちは木立に身を隠す。その間にも、次々に飛んでくる矢は吸い込まれるようにして黒ローブたちを貫き、倒れ伏させた。

 商人の妻だけが立つ広場に轟音が響き渡り、辺りは光で白濁した。

 驚き声もない商人の妻の腕が強く引かれる。

「幻獣のしもべ団の一員よ。ついて来て」

 女性の声と共に、労わる様に背中を摩られて、そんな場合ではないのに、安堵した。やはり、警邏を頼るのではなく幻獣のしもべ団に連絡を付けたのは正しかった。差し迫る中、呼び出された日時に間に合わないかと危惧したものの、迅速に動き、なおかつ同年代の女性を同行しており、その彼女が温かい人柄だったので、その場で彼らに依頼することに決めた。

「目を瞑ったままで良いわ、足を動かして。さあ。旦那様の元へきっと帰りましょう」

 聞き覚えのある声に勇気づけられ、商人の妻はよろよろと右足を出す。それを支えるために左足が出る。腕をゆっくり引かれるまま、両足を交互に前へ出すことによって、その場を離脱した。

 夫の元へ戻る。

 そうだ、自分はそのために、こんな危険を冒したのだ。

「勇気があるのね。大丈夫、旦那様の元へ帰ることができるわ。私たちはその手伝いをする」

 その言葉は真っすぐに商人の妻の心を貫いた。信じようと思った。それが信じられなければ、自分は指針を失って迷走する。

「流石はクロティルド。上手いこと誘導してくれたな」

 一番の懸案事項は商人の妻を無事に退避させることだった。力自慢が突っ込んでいって担いで逃げるという案もあったが、なるべく穏便に済ませたい。最も力自慢のグラエムは別所でアラクネという難敵を討伐するために出かけている。

「ロラの目くらましも役に立つな」

「ああ、使い勝手が良い。少々的がずれても効果的ってのが良い」

 戦場で視力を奪うことができるのは大きなアドバンテージとなる。ロラは継続的に閃光を伴う衝撃波を放っていた。端からそれと知っていて備えているのと、そうでないのとでは影響を受ける度合いが違う。

 エヴラールは商人の妻を誘導して逃げるクロティルドの援護射撃の指示をガエルに出す。耳の良い彼は視覚に頼ることなく、正確にクロティルドと商人の妻と彼女たち以外の気配を読み分けた。ガエルには無理な芸当であり、エヴラールの指示に全幅の信頼を置いているので、妻の身に当てることなく、むしろ敵の牽制をして逃げる時間を稼いでいると信じ切っている。

 その轟音を貫くように眩い光を物ともせずに、オルティアが放つ矢が飛来し、動きの鈍った黒ローブたちに襲い掛かる。

 辺りを包む白濁もロイクの窺知きちの目を邪魔することはできない。それに同調するオルティアが放つ追駆の矢は放つたびに敵を屠る。

「エヴラール、ガエルにあまり撃たせすぎるなよ。オルティアとロイクの同調はまだ長く持たない」

「分かった!」

「あいつらは大丈夫なのか? イレルミが抜けているんだろう?」

「アメデも十分に強い。それに、ロイクは自分たちに向かってくることもすぐに察知するだろう」

 マウロはガエルの懸念よりも、キヴィハルユに向かった残りの諜報隊の方が心配だった。いかなイレルミだとて、リリトとセルジュという武力を持たなく密偵技術も未熟な者たちがいては枷となりやしないかと考えた。

 しかし、今は目の前の事に集中すべきだ。

 マウロは接近戦に弱いゾエ村異類の傍にいた。射手と観測者に近づけないことが仕事だ。

 オルティアの矢で幾人も倒れてなお、いや、だからこそ、黒ローブたちはいきり立つ。

 ロイク、アメデ、オルティアといった諜報隊の半数、クロティルド、ロラ、エヴラール、ガエルといったゾエ村異類とマウロの二パーティの中、近接戦を担当するのはマウロとアメデのみである。

 幻獣のしもべ団は団員数を増やしたものの、様々な役目を果たすために各地へ散っている。それに、この場にいるのは結社の中でも精鋭たちだ。

「おっと」

 黒いフードを更に目深にかぶって顔を伏せ、ロラが放つ閃光を遮りながら、黒ローブが飛び出してくる。

 そのままの勢いを乗せた剣を受け流す。剣筋がやや明後日な角度だったことが幸いした。

 そして、その急速な移動と突き、突進は一度見たことがある。

「やるな」

「⁈」

 マウロの懐に飛び込んできた男ににやりと笑って声を掛けると、驚いたように勢いよく顔を上げる。その拍子に、黒いフードが後ろへ流れる。

「あんた、ハンネス、だっけか?」

「そういう兄さんはマウロだったか?」

 半瞬の沈黙と静止の後、二人は同時に剣を振るい、がっきと抜き身が交差し、火花が散る。

「へえ、強いと思ったが、黒いのの一員だったか!」

「そういう兄さんは幻獣の下僕げぼく団だったのか!」

「しもべだ!」

「どっちにしたって変わらん!」

「違いない!」

 二人は剣をぶつけ合い、薙ぎ、突き、時に足を引っかけ、肩をぶつけながらも会話して笑い声をたてた。

「隊長、遊んでいないで!」

「被害甚大なんですから!」

 ロイクの窺知の目は凄まじかった。死者を出さずに無害化するに徹していた。だからこそ、黒ローブたちも心理的に追い詰められつつも致命的に逆上させることはなかった。

「お、隊長だったのか?」

「そうだ。単なる平じゃない!」

 剣を振るいながら胸を張るという器用な一面を見せるハンネスは、他の隊員に苦情を言われ慣れている風情である。

 そうだと知れれば、確かに先だっての闇夜に戦った相手だと知れる。

「こないだの続きだ」

「おう。決着をつけようぞ!」

 マウロとハンネスは重い音を響かせながら剣を何合も打ち交わした。と、二人は大きく飛びのいた。

 間一髪、その間をすり抜けるように何かが駆け抜けていく。

「何だ、ありゃあ」

「マウロ、退避だ! あれは異類だ。物すごく早く移動する!」

 ロイクが駆けてくるのが見える。非人型異類の出現を察知して、その異能を伝えるべく離れた場所からやって来たのだ。それにしても、どんな異能なのかまで分かるのだから、ロイクの感知能力の高さには舌を巻く。

 マウロは戦闘に集中していたからこそ、眼前の敵だけでなく、周囲の気配に敏感になっていた。ハンネスも同じだろう。武力に優れた二人だからこそ、直撃される寸前で飛び退ることができたのだ。

「あんたたちが連れて来たのか?」

「馬鹿を言うな! あんなのにどうやって言う事をきかせられると言うんだ!」

 マティアスは非人型異類を操った。

 ハンネスの様子から嘘はなさそうではあるものの、いかんせん、タイミングが良すぎる。

「いやあ、負けそうになったから切り札投入かと思ってな」

「あんなものを出せるなら最初からそうしている!」

 確かにそれもそうかとマウロは頷くが、呑気に会話するのもそこまでだった。

 巨大な蝸牛がのろのろと方向転換して、再びマウロとハンネスに向き直る。

 向きを変えるのには時間を必要とするのだな、とのんびり考えている間もなかった。

 何の予備動作もなく、見る間に近づいてくる。

 くわ、と開けられた口には予想通り、びっしり鋭い牙が並んでいる。

 十分な間を持って避けたつもりだったが、服を切り裂かれている。見れば、殻に鋭利な突起が並んでいる。有り難いことに、シアンから譲渡された素材で作られた鎧にはうっすらと筋が走っているだけである。

 ハンネスは大きくローブを切り裂かれたらしく、血を点々とこぼしている。

「ロイク、クロティルドはどの辺りだ?」

「もうすぐ街に着く!」

「上等だ!」

 クロティルドには可能な限り、商人の妻を連れて街へ戻るよう、告げてある。神殿へ逃げ込めというマウロの指示を全うすべく努め、戦闘で黒ローブを引き付けている最中に相当な距離を稼いだようだ。

 非戦闘員がいないのは大きい。

 後は各々ができることをやって生き延びる。黒ローブに大打撃を与えることが出来たら御の字だ。



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