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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
48/630

1.国境越え1  ~プラカード主張/にらめっこ~

 

 光の紗を垂らしたように翼から陽の筋がこぼれる。羽ばたき紗の角度が変わるごとに眩しく輝く。直線の光がたわみ、衣の様にはためく。

 アダレードから北西へ、国境でもある山脈を越えていく。

 固まる寒気の中、春先の暖かい空気、その上昇気流に乗ってティオは上空へと舞い上がった。気流は時に嵐となってゆく手を阻む。だが、今日は追い風に助けられてスムーズに上昇する。耳にごうごうと音を叩きつけてくる風が、荒れ狂う雪風巻ゆきしまきを予想させたが、頬に掛かるのは微風程度だ。

 標高が高い所は木々が少ないので頻繁に土砂崩れがある。

 崖にぴったり沿って這う大きな落石がごろごろした道脇には谷底に続く絶壁がある。その道を危なげなく毛の長い獣が移動している。山から水が流れ出て、道路に滝を作っている。山の雪解け具合によって水量が増える。一年中悪路だという。

 霧が出て先が見えないこともある。山の天気は変わりやすく、雨が降ると霧が発生することがままある。麓とは全く違う寒さが支配する。

 

 上昇を続け、霧よりも濃い雲に突入する。

 雲を抜けたかと思うと、すぐ目の前に急峻な岩肌が見えた。

 ぶつかる、と咄嗟に体を固くしたが、ティオは着陸態勢に入っていたようで、大きな衝撃なくふわりと着地した。

 息をつくと、すぐそばに鎮座する山々が目に入る。峻厳で降り積もった雪さえも固く凍っている。風が吹きつける違角度や隣の山の影に入っていない山には、ナイフで削った岩肌に鏝で生クリーム塗りたくったような光景が見える。

 春先でもなお、雪を頂くその山脈をボニフェスと言う。

 ボニフェス山脈はアダレード国の気候に影響した。

 冷たく乾燥した風を防ぎ、温暖をもたらすのだ。

 また、北上する風をも遮断することによって、この地方の降雨量増加にもつながっている。

 山脈自体は恐ろしい魔の山と呼ばれている。豪雪による雪崩などで、峠越えする者を幾人も飲み込んできた。



 飛んでいると、風の塊がぶつかってくるような感覚がある。そこをうまく切れ込みを入れていなしていくために、切れ込みの角度、つまり羽根の角度を調整する必要がある。うまく入らない場合はこまめに微調整していく。風向きが変わったり高度が上がるにつれ、この羽根の角度や体勢を変えていく。また、羽ばたきの回数も残存体力と魔力によって調節する。そのため、上昇気流を掴むことは山脈越えの鉄則である。ティオがそう教えてくれた。

 話を聞くだに大変なことなのだと分かる。

『でも、微風を受けるくらいで、風が逆に後押ししてくれているみたいに感じる』

 長い首を曲げて、軽く広げた自分の翼を見やる。

「そうなんだ。僕も向かい風をほとんど感じないとは思っていたよ。あと、もっと寒いと想像していたんだけれど、ちょっと涼しいくらいにしか感じない。英知が助けてくれているのかな?」

 紋章陣が浮かぶ安全地帯、セーフティエリアに入ると、ティオに経口補水液を出してやる。地面は冷たい筈なのに、どこかほんのり暖かい。

『シアンはそうなんだと思うよ。でも、ぼくには風の精霊王の加護はついていない』

『風のの助力はお前さんにも及んでおるよ』

 ティオの疑問に別に答える声が脳裏に響く。

『雄大の君』

 山肌の斜面から人の大きさの岩がせり出してくる。ゆるゆると現れた褐色の肌の老人に、ティオが嬉し気に喉を鳴らす。

「今座っている地面が暖かいのは雄大のお陰?」

 人がいない場所であるせいか、その姿を見せる大地の精霊に、半ば確信のあることを、謝意を込めて口にする。

『そうじゃとも。わしもたまには加護の力を振るわんとな』

 気づいたことに対して、大地の精霊が皺の深い顔をほころばせる。

『雄大の君のお陰で、強く羽ばたいて飛ぶことができているよ』

『さようか』

 ティオも謝意を表すのに、目を細める。

『そら、これを食べて英気を養うがよい』

 両腕いっぱいに抱えた果物を渡してくれる。リムが鼻さきを近づけて匂いをかぐ。

『わあ、甘い匂いがする!』

『ありがとう、雄大の君』

「ありがとう、雄大」

 嬉しそうな三人に好々爺の笑みを見せて、大地の精霊は姿を消した。

「きゅうちゃん、雄大から果物貰ったよ。一緒に食べよう」

 シアンは少し離れた場所で体をほぐしている九尾に声をかけた。

 野生動物は体が柔軟だ。ほぐす必要はあるのだろうか。

『いやあ、あの気難しい大地の精霊王が孫に甘いお爺ちゃんのようですなあ』

 シアンから果物を受け取りながら、九尾が感嘆する。

 そんな九尾をなんとはなしに見やると、視線が合う。

 こうして九尾が同行することになったいきさつが思い起こされる。



 アダレード国と東の隣国とは未だ難しい状態であり、東の国境を越えるには厳しい審査があり、越境できない可能性が高い。

 北は広大な砂漠、南の海は現在海流の関係で船が出航を待つ状況だ。

 西側は急峻な山脈が横たわり、西北にそれを抜ける洞窟がある。数か月ほど前からこの国境近くに巣を作ったワイバーンの所為で、国境を超える洞窟へ近づけなくなっていた。それがつい先日、討伐されたので、プレイヤーたちはこぞって繰り出した。国境を越えた先に、ゼナイドという国がある。

 九尾の召喚主であるフラッシュもまた、アレンたちパーティーメンバーと共にゼナイド国を目指し、迷路となっている洞窟の攻略に乗り出した。その際、九尾は抵抗した。

『ギブミー出番!』

 そう言いながら、同じ文句を書いたプラカードの幻影を掲げ持っている。

『我々は出番を要求する!』

「我々って、お前一頭だろう」

『狐だからって差別は許さない!』

 新しいダンジョン攻略に燃えるメンバーは全員揃っており、定員オーバーとなるので九尾を連れていくことはできない。

「仕方ない。じゃあ、九尾と二人で行ってみるか」

「危険じゃないですか?」

「危ないと思ったらすぐに引き返すさ」

 フラッシュはなんてことない風に肩を竦めて見せる。

 なんて潔い人か。

 いっそ感動に似た感情すら覚える。

「あの、もし良ければ、そして、可能であれば、僕、きゅうちゃんと一緒に行きましょうか?」

 フラッシュが驚いた表情を浮かべる。

「九尾は自由に動けるが、いいのか?」

 召喚獣は戦闘時など用がある時にのみ呼び出し、普段はねぐらにいる。そのうち、聖獣と呼ばれる幻獣は天帝宮を住処にする者がおり、九尾も以前はそこに住んでいた。

 召喚獣を呼び出す際、膨大な魔力を必要とする。呼び出している最中も個体差で魔力を必要とする。九尾はこの魔力をほとんど必要としない。召喚主の近くにねぐらを必要とするテイムモンスターに近い。

 本狐曰く、『エコノミーな狐です!』だそうだ。

 テイムモンスターは契約時や何かの折に必要になるだけで、魔力消費は少ない。

 しかし、その分、魔獣や幻獣と長時間行動を共にする、つまり拘束することになる。テイムするモンスターが強くなればなるほど、術者の技量や魅力、供給魔力の質や量といった要求される旨みが高くなる。

 九尾は天帝宮からフラッシュ宅にねぐらを移して、自由に行動している幻獣のようなものだ。実に召喚主の苦労がしのばれる。

「そうなんですね。僕は大丈夫です。でも、きゅうちゃん、大きくならないと飛べないのかな?」

『あの形態はそう長くはとりたくないですねえ。かといって、今のままだと長時間飛ぶのは難しいでしょうし。天帝宮に戻るか仕事に行く場合は宮から力を分け与えられるのですがね』

「そういうものなの?」

「というかお前、今のままでも飛べるのか?」

 召喚主も知らなかったようだ。

『そうですとも! きゅうちゃんはようこちゃんからてんこちゃんになったのですから! いわば、ばーじょんあっぷ狐!』

「きゅーちゃんふぉーえばー」と書かれたタスキをかけて、ポーズを決める。後ろ脚で立ち、右前脚を上に伸ばし、指を一本立て、左前足を腰に当てている。

「そっか、きゅうちゃんもこれからもっと色んなことができていくんだろうね。楽しみだね」

 笑顔で未来への期待を語るシアンの顔を九尾が見つめる。



 そう、その時もこうやって見つめ合う形となった。

 大地の精霊からもらった果物を食べ終わった九尾がおもむろに口を開く。

『にらめっこしましょう、笑うと負けよ。きゅっきゅっきゅ』

 節をつけて言い終わると、両前足で自分の両頬を挟み、口をぱかんと開ける。

 シアンは呆気にとられた。

「きゅうちゃん、どうしたの?」

『にらめっこです。ささ、遠慮なく笑って下さい』

 どうすればいいかわからず戸惑っていたら、九尾が肩を落とす。

『くすりとも笑われませんでした。きゅうちゃんの渾身の変顔が……』

『シアン、きゅうちゃん、何をしているの?』

 不思議そうに見上げてくるリム顔は果汁にまみれており、存分に大地の精霊から貰った果実を堪能したようだ。布を取り出して顔を拭いてやる。野生動物特有の嫌がる素振りは見せず、大人しく拭われている。

『にらめっこしていたんだよ。でも、きゅうちゃんはシアンちゃんに勝てなかったの』

『にらめっこ?』

『そうそう。向かい合って、変な顔をしたりして、相手を笑わせたら勝ち。くすぐったりしちゃ駄目だよ』

 前足の指一本を立てて九尾が説明するのを、リムが頷きながら聞いている。

『ぼくも、にらめっこする!』

 さもありなん、とシアンは事の成り行きに納得する。

『シアン、次はぼくとにらめっこしよう』

「あれ? 僕と? きゅうちゃんとじゃなくて?」

『きゅうちゃんとはシアンの次!』

『きゅうちゃんとするのは決定なんですね。では、「にらめっこしましょう、笑うと負けよ。きゅっきゅっきゅ」の最後の「きゅ」で変な顔をしてね』

『分かったー!』

「「あっぷっぷ」じゃないんだね」

『きゅうちゃんばーじょんは一味違うゼ!』

 九尾が前足の親指を立てる。その爪が陽の光を浴びてきらーんと輝く。

 脱力しきりである。

 期待にわくわくして待っているリムにしないとも言えない。ちなみに、ティオは横寝して目をつぶっているが、眠っているわけではなさそうだ。国境越えの一番の功労者なのだから、静かに休んでいてほしい。


『じゃあ、シアン、行くよ! にらめっこしましょう、笑うと負けよ。きゅっきゅっきゅ』

 一気に言い終わるとリムは口を閉じた。翼をはためかせてシアンの目線の高さに浮いて、じっと見つめてくる。白い丸い顔に黒い目とピンク色の鼻が三角形に配置されている。

 変顔はしないのか、と思いつつ、リムのそれは想像できなくて、真面目な顔で見合わせていることが逆に可笑しくて、ふとため息交じりに笑ってしまった。

『やったー! ぼくの勝ちー!』

『ええー?! リムもシアンちゃんも変顔していないじゃないですか! しかも、なんでそれで笑っているんですか、シアンちゃん?!』

 九尾が悲鳴じみた抗議の声を上げる。自分の変顔には笑わなかったのに、というところか。

『もう、リムには甘いんだからっ!』

『ぼく、ズルしていないもの!』

「うん、リムはズルしていないよね。この場合、きゅうちゃんは手加減したという意味で言ったんだと思うよ。でも、僕は手加減していないよ。リムが勝ったんだよ」

 九尾の言葉に憤然と抗議するリムに同意する。途端に、急角度のへの字口が緩む。


『じゃあ、次はきゅうちゃんね!』

 白い幻獣二頭が対峙する。

 掛け声が終わるとともに、九尾が目を見開いて両前足で両耳の先端をつまんで上に引っ張る。耳を戻すと目を細める。引っ張る。目を見開く。戻す。細める。引っ張る。見開く。戻す。細める。

 リムがけらけらと笑いだした。

『面白―い!』

『はい、きゅうちゃんの勝ち!』

『もう一回! きゅうちゃん、もう一回やろう!』

『いいよ』


 しばらく続けて、リムのリクエストに応じて幾度も色んな変顔をした九尾が、さすがに顔が痛い、と断った。

 リムは渋々諦めたものの、九尾が小刻みに震えだす。

『さ、寒い。というか、冷たい』

『きゅうちゃん、どうしたの?』

『おお、どんどん気温が下がっていくのを感じる。というか、もはや痛いレベルです』

 口調もやや呂律が回らなくなってくる。

『リ、リム、変顔、もう一度やりますから、光の精霊王にきゅうちゃんの周囲の温度を上げてくれるよう、お願いしてくれませんか。きゅうちゃんは意地悪狐ではないと弁明してください』

『う、うん、分かった! 稀輝! きゅうちゃん、寒くて大変なの。温めてあげて。ぼくに意地悪したんじゃないんだよ』

 リムがせっせと中空に訴えかけると、すぐに願いがかなえられたようで、九尾の震えが止まる。

『ああ、暖かくなりました。ありがとうございます』


「やっぱり、稀輝が温度を調整してくれていたんだよね」

 一連の様子を眺め、九尾が寒さに震えだしたときには自分の外套を着せたシアンが確認する。

『そうですよ。標高が高いですからね。陽の光を和らげつつ、温度を保ってくれています。風の精霊王が気圧の調節もしてくれていますし、まさに至れり尽くせり。日焼けの心配をして日焼け止めクリームを塗る必要もありません!』

 クリームが毛にこびりついて大変だとか何とか意味の分からないことを言っている。

「そうだよねえ。そうじゃないと、こんなに高い所でのんびりできないよね。高山病の症状も全くないなんて」


 標高が高くなると気圧が低くなり、血液中の酸素が不足する。酸素不足により、体が重く疲労感が強く脱力し、手足がむくんだり、吐き気やめまいを伴ったり、頭痛を伴うこともある。高山病だ。

 脳は体の中で最も酸素を消費する臓器だ。そのため、低酸素状態に弱い。そのことから、これまでも登山を試みたプレイヤーはいたが、高山病の症状が出て、強制ログアウトされるとフラッシュが言っていた。

 三千五百メートルの高さに急に達すると、ほとんどの人間が高山病にかかるのだという。また、標高五千五百メートル以上では留まるだけで体力が奪われる。五千五百メートルでの酸素分圧は海抜零メートルの半分だという。

 自分の足で一歩一歩進んでもそうなのだ。

 ティオの翼で急激に高度を上昇すれば、てきめんに症状が現れる。

 しかし、シアンには風の精霊の加護があった。周囲の寒風から守るだけでなく、気圧や空気濃度の調整も完璧だ。

「全く快適だ……」

 シアンは呆然と呟いた。

 息苦しくもなく、気圧の変化で水がたまったような耳の違和感やこめかみの痛みは全くない。

 風の精霊が四柱の精霊の加護があるから大丈夫、と請け合ってくれたので山脈越えを選んだ。それでも、多少の困難を覚悟していた。けれど、長時間ティオの背に跨っていた身体がこわ張りくらいの支障しか出ていない。


『解説しよう! まずはシアンちゃん。異界の眠りという長時間かつ頻度の高い眠りを必要とする、いわゆるスキルと呼ばれる特殊能力保持者である異界人。幻獣や精霊に好かれやすい体質。音楽家で料理人。なんと、人の世に滅多に表れないと言われる精霊、そのうちの光の精霊王と闇の精霊王と大地の精霊王と風の精霊王の加護を得た稀有な存在です』

 息継ぎせずに一気に言い終える。

「僕って幻獣や精霊に好かれやすい体質なのかな? というか、きゅうちゃん、急にどうしたの?」

『人物紹介です! お次はティオ!』

 リムが後ろ脚立ちした格好で中空に浮きながら、九尾の言葉にぴっと前脚を上げて、『ティオ!』と復唱している。

『ティオはグリフォンと呼ばれる幻獣です。鳥獣の王、空と陸の王者たる風格。大地の精霊王の加護を得て、どこまで強くなって行くのか! 扱う楽器は大地の太鼓。性格はクールで素っ気ないけれど、リムの良きお兄ちゃんで、シアンちゃんにはデレデレです』

『でれでれ?』

 リムが小首を傾げるのに、シアンが慌てる。

「きゅうちゃん、次行こう、次!」

『それでは、お待たせしました、お次はリム!』

『ぼく?』

 リムの気が反れた。ほっと息をつく。

『白いオコジョの姿に蝙蝠の黒い翼を持つその正体はドラゴン。女性に人気の愛らしさ。可愛いきゅうちゃんの弟分です! 色々お勉強中です』

 変なことは教えないでほしい。切実に。

『扱う楽器はタンバリン』

『バーチャイムも!』

『では、タンバリンとバーチャイム。そして、光の精霊王と闇の精霊王の加護を得ています。シアンちゃん大好き、ティオも好き! きっときゅうちゃんのことは尊敬してやまないことでしょう』

『尊敬?』

 またぞろリムが首を傾げる。

『あ、尊敬というのはですね』

『意味は知っているんだけど、でも』

 九尾が説明しようとするのをリムが断る。

『では、次に行きましょう』

 強引に話を変えた。

『真打は最後に登場! わたくし、九尾のきゅうちゃんです! 国をも傾ける魅惑の白い毛並み、可愛い狐であり———』

『シアン、そろそろ行こう。あまり時間を取ると次のセーフティエリアにたどり着く前に日が暮れるよ』

 滔々と話す九尾を遮り、むしろ続けていれば置いて行きかねないティオがシアンを促す。

「そうだね。ごめんね、きゅうちゃん、続きは後で聞くね」

『はい。ありがとうございます。シアンちゃんの優しさが身に沁みます。あとでじっくりゆっくり聞いてください』

『きゅうちゃん、ぼくの説明、ちょっと間違っていたよ』

『あ、それはじっくりゆっくり聞かれると悲しくなるので』




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