52.陰の立役者4-2
ワイバーンやグリフォンは翼を持つ。地上で蠢く者たちにとってそれだけで脅威である。さて、翼を持たないのにそのワイバーンやグリフォンと並び称されるアラクネは強かった。
近隣の村に被害が出ないようにカークが戦闘場所を吟味する。
操っていたということから、死体を調達させ、あらかじめ軽く埋め込んでおく。
双子がブーメランで追い立て、死体の傍まで誘導する。
「死体を操って攻撃してくるのかな」
「魔獣の死体でも操るのかな」
亡骸に対して随分な言葉だが、この時代、死体はそれほど尊重されないことはままあった。死してなお、身分や金銭の多寡によって扱いが大きく異なるのだ。また、流行り病や天変地異、凶作で死体は豊富にあり、慣れ切ってしまって扱いがぞんざいになっていたというのもあった。
大きく歪曲した一見木製には見えないブーメランは双子が角度を研究すると言って削り過ぎたために何本も駄目にした末にでき上ったものだ。しかも、わんわん三兄弟が頑丈なものが良かろうと島に突如現れた大樹から譲り受けてくれた素材でできている。魔力を大量に内包した魔晶石で補強されている。魔晶石は希少な力ある鉱物だ。通常、木材が石に負けるが、うまく調和がとれている。
自分たちで調節すると削り過ぎる自覚があった双子はあまりに上質な素材に、シアンに泣きついた。そこで、鸞と相談してユエが調節してくれた。
「うっは、思うところに飛ぶ!」
「ちょっとくらい風が吹いても軌道が変わらない」
「よし、どのくらいの風で影響を受けるか、試用だ!」
「おう!」
出来上がったブーメランの実践を、ユエがこっそり眺めていた。わんわん三兄弟にブーメランを取りに行かせ、マジックバッグから機材を取り出してその場で微調整してくれた。脅かさないように遠巻きに眺めていた双子は感激しきりだった。
なお、ユエがこっそり眺めていたのは一角獣の陰からで、そこが最も安全な場所である。
ブーメランの試用後、わんわん三兄弟に枝を放り投げてやり、時折一角獣が参戦して一瞬で咥えて戻ってきた。
「「す、すげえ、戻ってくるの込みで一瞬だ!」」
どもるのまでぴったり合わさった声に、ユエが目を丸くした。
そんなこんなで、フィンレイとフィオン兄弟のブーメランは自在に飛ぶ。双子の意思を読み取っているかのごとしだ。片割れのブーメランの軌道も読める。
「しっかし、双子、誘導が上手くなったなあ」
「ああ。カークがやりやすくなったって物すごく喜んでいたものな」
「報奨金、出たんだって?」
「そう。で、二人とも、一晩で使い切ったんだって」
「フィンレイも? 珍しいな」
「それがさ、わんわん三兄弟とユエさんにお礼をしようと大量に菓子類を買い込んできて渡したんだってさ」
なお、みなで食べるのが習いとなっていたので、その菓子は幻獣全員で賞味された。
「え、何、それ、羨ましい!」
「お礼したいって兄貴に頼み込んだらしいぜ」
幻獣のしもべ団たちはこぞって幻獣に貢ぎたがるものだから、制限されている。
「ちっ、ブーメランの件だけではなく、羨ましい! けしからん!」
「ん? 待てよ。ユエさんは俺の籠手も見てくれたんだ。じゃあ、礼をしても良いってことだな!」
「ユエさんが喜ぶのって何かな? 野菜?」
「あー、じゃあ、カラムのところから貰って来れば済むんじゃないか?」
「カラムのが一番美味いからなあ」
給金で買ったものを贈る、ということができないと分かったグラエムが肩を落とす。
「ま、まあ、兄貴に相談してみれば?」
「そうする!」
すぐに復活した。単純なものである。
彼らはシンプルに生きていた。したいようにしているのである。それが一番だと分かっていた。
散々気軽に話しているが、彼らは口しか動かしていない。
カークから待機組は地面に触れている部分は決して動くなと言われていた。魔獣は大地からの震動で周囲の事象を感知しているのだそうだ。
「たまに、木の枝に張り巡らした糸で大気の震動も読み取るが、今回は林から引き離すからそれに関しては大丈夫だ」
美女に見えるのは擬態であって、目も鼻も殆ど機能していないそうだ。
「カークやつ、よくもまあそんなことを知っているもんだよなあ」
知らなければ、易々と動きを察知され、こちらが罠にかけられる。
密偵集団だからこそ、情報の重要さ、扱い方を熟知していた。
カークを敵に回したら厄介だと言うのが団員の共通認識である。
さて、アラクネが人間の美しい女に擬態しているのは同じ人間の男を誘惑しやすいからだ。
「それは予想がついたけど、まさかなあ」
「う、うん。死体を操るとは思っていたけれど」
「操って食うとはなあ」
女性の上半身の下、下腹部からは蜘蛛の体と足を持つが、そちらが本体のようで、くわと口が開いた。蜘蛛の足の先には鋭い突起がいくつもついていて、死体の両腕両脚を引きちぎって口に持って行く。
と、飛来物がそれを阻止した。空を切って折れ曲がった足の狭間を縫い、大きく開いた口に飛び込んだ。
通常、物体が勢いをつけて放たれれば、直線か放射状に飛ぶ。ところが、アーウェルがスリングショットで放った弾は障害物の隙間をすり抜けて飛んだ。
アラクネは獲物を放り出して飛び跳ねるようにもがき苦しんだ。
ハバネロ弾だと待機中の団員は知っていた。彼らは事前にカークに指示されていた陣形を組み、アラクネに対峙した。いくら強烈な辛み成分を持つ弾を食らったからと言って、近接隊が接敵するのは危険だと言い含められていた。
腹の底に響く音が大気を震わせる。
糸には糸を。
「アラクネの糸は頑丈で中には触れるだけで獲物を切断する代物を扱う者もいる」
「だから、カークは何でそんなことを知っているんだ?」
「あー、確か、シェンシさんから本を借りて色々勉強しているって聞いたぞ」
「げえ、あいつがあれ以上知恵を持ったら、どうなるってんだよ」
「何でも知っている人間になるんじゃないか?」
「ま、まあ、俺らにとっちゃあ、悪い話ではないよな」
アラクネは糸を自在に操る。細かい網目状にして獲物を押し包み、自由を奪うこともある。
「糸で作り出した網で獲物を捕らえる魔獣が、捕らわれる側になったらどうかな?」
カークはベルナルダンが放った網目状の衝撃波をまともに浴びたアラクネがのたうち回るのを満足げに眺めた。
観測者のアシルの指示によって、ベルナルダンは衝撃波を立て続けに撃つ。
カークによってその強さや特性をしっかり聞いていたアシルは実物を前にして、必要に応じてベルナルダンを移動させ、衝撃波の網をまんべんなく降り注がせる。
美しい女性の上半身が大きく傾ぎ、蜘蛛の脚が蠢く。その動きが緩慢になる。
カークが飛ばす指示を実現させるためにカランタがミルスィニに衝撃波の強さや的の場所を伝える。これを実践で瞬時にできるようになるのは訓練を積まなければならない。半分とはいえ人に擬態した強力な魔獣を相手取るのに当たり、カークはカランタとミルスィニにその覚悟はあるかと確認した。二人は自分たちが見つけた魔獣だと戦闘参加を志願した。
ミルスィニの強みはその命中率だ。ゾエ村異類のように広い範囲の衝撃波を打てないが、その弱みを補うべく、命中率を上げた。まだ年若い女性だから、衝撃波そのものを強く照射することよりも、強みを強化することにした方が良いというのはロイクとアメデのアドバイスである。
明確な根拠を示された助言を受け入れ、ミルスィニとカランタは訓練に励んだ。
なお、ミルスィニが思いついた網状の衝撃波に感知能力を乗せることはまだ成功していない。
先は長いのだから、気長にやると良いとも言われていて、少しずつ、能力を伸ばしていっているところである。やることが多くて充実している。
ミルスィニはカランタと事前に打ち合わせで、口の中や脚の関節、何なら脚の先を狙うのが有効だろうと話していた。実践では予想通りに敵は動いてくれないので、そのうちで狙いやすい箇所をカランタが見て取ってミルスィニに位置取りや衝撃波の角度や強度を指示することになっていた。
そして、少女二人はやってのけた。
ミルスィニが放った細く鋭い衝撃波は蜘蛛の脚の関節に命中し、見事その先の脚を吹き飛ばしたのだ。
脚を失ったアラクネは大きく体勢を崩す。
そこへ、射手が矢を射込む。
アラクネも糸を吐き出し、網を作り上げて防ぐ。
十数本の矢はことごとく叩き落された。
「何て強度だ!」
「下がれ!」
戦闘の高揚で知らず、全員がアラクネに近寄っていた。
こういった戦闘での興奮状態、冷静になり切れない状態をプレイヤーたちは戦闘酔いと言った。判断を過つ他、攻撃が失敗したり、回復や補助が効きにくくなったりすることもある。
カークの指示に慌てて後退する。
飛びのいた足元にアラクネが放った網が投げられ、鈍い音を立てて地面が変色する。
「毒か酸か」
カークが冷静に検分しながら呟くのに、自分の足元の地面が音を立てた団員が青ざめ、更に大きく後退る。
「糸が毒を持っているのか? こんなの異能じゃないか」
非人型異類と魔獣の違いの線引きは難しいが、非人型異類は異能を持つ。魔獣は同じ種類の者が複数おり、生態系が確立されているとされている。
「見えないのが難点だな」
「いえ、ほんの少し日の光で輝いて見えます!」
アーウェルの言葉にルノーが団員たちに聞こえるように声を張る。
「うん?」
「本当だ!」
ルノーの発言に真剣に対処するのはこれまでの付き合い所以だ。ルノーの観察眼は古参のアーウェルでさえ一目置いている。
「糸は尻から放出されます。アラクネの体の位置から放出された先を日に透かしたらある程度は分かります」
「お前たち、ルノーの言葉を聞いたな?」
「「「「おう!」」」」
カークのセリフに団員たちが応えを返す。
「ルノー、私のやることを良く見ていろ。同じことをする必要はないが、似たようなことをできるようになれ。同じ結果をもたらすなら、手法は何でも良い」
戦闘で特技を発揮するのに時間はかかったが、力がないから荒事には関わりたくないという姿勢でないことが功を奏した。ルノーとて当初から気構えがあった訳ではない。鸞の研究の手助けをするために各地でする模写を殊の外喜ばれたのが大きい。ルノーの観察眼は魔獣や非人型異類にも発揮され、倒す際に無暗に貴重な素材を破損することなく、しもべ団にも何かと恩恵をもたらすユエにも喜ばれた。幻獣を喜ばせることができるルノーは幻獣のしもべ団団員からも歓迎され、対象の特徴を見抜く重要性を彼らに痛感させることに一役買っていた。
「は。はい!」
カークのように武力を持たなくても、戦局を見極め把握し、過不足なく戦力をいきわたらせることができるように動かす。そういった戦い方ができるようになれというカークに、ルノーが頬を紅潮させながら返事をした。
アーウェルのスリングショットが牽制し、ついに双子の放ったブーメランが蜘蛛をひっくり返す。しかし、敵もさる者、グリフォンと並び称される魔獣だ。美女の細腕まで使って、すぐに体制を立て直す。その間もブーメランと矢が飛び、衝撃波が響き渡る。
魔獣は一向に疲れを見せない。あちらも戦闘酔いで疲労を一時忘れているのかもしれない。
と、そこへグラエムが突っ込んだ。
籠手に炎を纏いつかせ、それを大きく振りかぶってアラクネが展開する毒の網の盾をやすやすと破る。大穴が開いた網はグラエムの動きに合わせて纏わりつこうとする。シアンたちから貰い受けた貴重な素材で作られた防具は、音を立てつつ抵抗し、グラエムを守った。
唇の片端を吊り上げながら、グラエムはアラクネに肉薄した。
狙うは美女の胴体ではなく、本体である蜘蛛だ。
長く気味の悪い鋭い棘がびっしりとついた脚には目もくれず、蜘蛛の胴体を渾身の力で殴りつける。同時に、籠手に魔力を籠める。籠手から更に大きな炎が噴出する。
炎は物体を燃やす。大抵の生物は炎に弱い。
蜘蛛も例外ではなかった。
殴りつけられた衝撃と力、魔力によって作られた炎に纏わりつかれ、アラクネの巨体はたまらず吹き飛んだ。
幾度も地面を跳ね、大きく蜘蛛の腹を見せる格好で細長い脚が悶える。
そこへ、ブーメランが襲い掛かる。
双子の手を離れる際に、両者とも刃を出していた。ブーメランに装着された刃は蜘蛛の腹を裂いた。
一撃、二撃。
「うわあ」
大きく膨らんだ腹が切り裂かれ、人間だった肉塊が転がり出て来た。
なぜそうだと判明したかというと、消化しきれなかった指がくっきりついた足が出て来たからだ。
「ああ、まあ、あれだけ糸を出そうと思ったら、燃料が大量にいるからなあ」
「え、ベルナルダンもガエルもそれほど大食いってのでもないよな?」
「お前、俺たちの衝撃波をあの魔獣の糸と同列で扱うな!」
「悪い悪い」
気味の悪い光景を前にしても、幻獣のしもべ団は変わらなかった。ゾエ村の異類たちも大分感化されている。
とにもかくにも、こうして国でも兵士を大挙させる魔獣を二つのパーティで倒した。
幻獣のしもべ団は確実に強くなっていた。




