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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
476/630

50.犬目2

 

 犬目と揶揄される清浄を掲げる貴光教の暗部で二番隊隊長を務めるハンネスは、ようやく三番隊隊長ヒューゴを捕まえることに成功した。

「何だ。今は忙しい」

「そうみたいだな。随分探したぞ」

「用件を言え」

「エディスの黒の同志から苦情が来た。事前連絡もなく自分たちの管轄に他の黒の同志の姿が現れた。しかも小隊の大人数だ」

「ふん。異類の逮捕もままならんのに、文句だけは一丁前か」

 ヒューゴの嫌味を聞き流す。

「一番隊は動いていないと聞いた。何故、三番隊をエディスにやったんだ?」

 黒の同志は少数精鋭だ。任務遂行も大人数で動くことはそうない。それが管轄違いの場所へ小隊を断りもなく送り込むなど大ごとである。エディスの黒の同志の抗議は真っ当なことだった。

 ゼナイドはハルメトヤから離れた大国であり、異類排除令を大陸西に行き渡らせるためには重要な場所だった。案に反して、強固に反対し、異類審問官の入国自体を拒否した。

 土地勘があり、異類の集落にも詳しい黒の同志も懸命に動くが、いかんせん、国土は広く、異類の抵抗に合って苦戦している。国も即座に異類の保護のために兵士を村々に向かわせたため、一向に逮捕は進んでいない。

 そんな中、焦れた審問官が独断で国へ入り込み、国都エディスへ潜り込もうとした。門兵に咎められ、入市することはできず、それでもしつこく向かい、門の外から異類排除について声高に話したという。

 見せしめにするつもりか、国都の大商人の子息が異能を持っていると断じ、それを渡せと迫った。

 エディスの街の人間に反発され、むきになって幾度も足を運び、保護官であるエディスの黒の同志をせっついた。強硬手段に出ることを強要され、やむなく従ったところ、巨大な白い狐と一角獣によって阻まれ、異類審問官と黒の同志はゼナイド国王の手に落ちた。

 大きな交渉材料をゼナイドへ与えてしまったも同じで、案の定、ゼナイドは異類審問官らと黒の同志を引き渡す代わりに、ゼナイドとその周辺諸国への異類審問官の入国を拒否した。よりによって、保証人として他の属性の神殿の大聖教司たちの名が連なっていた。

 貴光教はこれを退けたものの、ゼナイド一国に限っての条約は呑むほかなかった。

 その狐と一角獣は高位幻獣で翼の冒険者の一員だという。

 もはや、ゼナイドは翼の冒険者側であり、魔族に与するかもしれない。元々、翼の冒険者はエディスの英雄と称せられていた。

 そんなエディス付近に再び黒の同志の姿が現れれば、過日の出来事も手伝い、沸騰寸前のゼナイドが爆発するのは想像に難くない。条約違反を盾に今度こそ周辺諸国への不干渉を呑まされる。

 ハンネスの問いに答えることなく、ヒューゴは何かを思い出したかのように口を開く。

「ああ、丁度良い。新しい任務だ」

 転んでもただでは起きぬ男だと舌打ちしたい。

 ヒューゴはエディスの黒の同志が使っていた子供の母親を探せと言う。

「子供を使っていた? 何にだ?」

 訝し気に聞くと、ヒューゴは唇を歪めた。

「翼の冒険者の暗殺だ」

 息を飲むハンネスにヒューゴは嗤う。

「初めは諜報員宜しく情報を抜く程度だったそうだがな。連中、よほど焦っていたらしい。よりにもよって、翼の冒険者の下へ送り出すとは」

「正気の沙汰とは思えない」

 ハンネスがうめくように言うのにヒューゴが頷く。

「初手からおかしい。子供を間諜として使っていただあ?」

「自分たちの無能さを声高に言いまわっているようなものだな」

 辛辣なヒューゴの言葉に賛同せざるを得ない。

「しかし、その子供の母親ってのは?」

「ああ。元々、子供をエディスの黒の同志に売りつけたのは母親らしい」

 今度は舌打ちを止めることが出来なかった。ヒューゴは気にも留めない。

「母親の呪縛から逃れられないのだろう。つまり、母親の言うことは良く聞く」

「その子供を操ろうってのか? 何でまたそんなことを?」

「もしかすると、子供は翼の冒険者の庇護下に入っているかもしれない」

 ヒューゴの言葉にようやく合点がいき、ハンネスは苦虫を嚙み潰したような表情をする。

「推測に過ぎんがな。持てる手札は多ければ多いだけ持ちたい」

 ヒューゴほどの実力者がまともにぶつかることへの危惧めいたことを言うのに、ハンネスは内心驚いた。それに触れては相手に良くない感情を抱かせることくらいは分かっていたので、違うことを口にする。

「母親で子供を揺さぶって翼の冒険者に影響を及ぼそうってのか? 随分、迂遠かつ不確かな方法だな。第一、子供を庇護下にしたのであれば、外野からのちょっかいなんざ翼の冒険者が遮断すればそれまでだろう」

 ヒューゴは静かにハンネスに視線をやった。その目はぞっとするほど暗く、見つめていれば吸い込まれて帰って来れないような気がして目を逸らす。

「翼の冒険者はそういう類の人間だ。自分の腕の中にいる者の心情を慮り、そのために行動する」

「よく知っているんだな」

 実際に会って会話でもしたかのような口ぶりだ。

「いや、俺には分からん。そう言われたのだ」

 珍しく喋りすぎたとでもいう風情で、違うことを口にした。

「翼の冒険者の庇護下に入ったかどうかも確実なことではなく、予測なのだがな」

 母親を探すくらいだから、子供の方は既に探し尽くした後なのだろう。それにしても、ヒューゴをして不明な事象に予測を立て、あやふやなそれを根拠に赤手袋を動かすことができるとは。無論、大聖教司オルヴォなのだろう。

「しかし、子供の方は既に方々手を尽くして探しても見つからなかったのだろう?」

 ハンネスの言葉は的確だった様子で、母親の探索に期待している、と言い残してヒューゴは行ってしまった。

「やれやれ、察しが良いのも考え物だな」

 こうして、厄介な仕事を押し付けられてしまうのだから。

 結局、子供の母親は見つけることはできなかった。目まぐるしく変化する情勢に翻弄されるうち、その件について口にする者は現れなかった。



「誰か来ます」

 ハンネスは左右の目の大きさの違う部下から警告を受け、武器を握りなおした。

「隠れてやり過ごしますか?」

「いや。ちと遅いな。向こうも気づいたようだ」

 部下はいち早く察知することができるが、ハンネスは気づいてしまえばより詳細に相手の様子を知ることが出来る。中々良いコンビだった。

「おっと。こんなところまで黒いのがお出ましか」

 ふと引っかかるものを感じたが、他の者が発した台詞に気を引き締める。

「この先の魔族の家に用でもおありですか?」

 二人連れのうちの残り、気弱そうな声の持ち主は体つきも貧弱だ。

「ふん。俺たちのことを知っているって訳か。幻獣のしもべ団とかいうやつか?」

「御名答」

 闇夜でも相手がにやりと笑ったのが分かる。

 ハンネスと部下は黒装束を身に纏っている。彼らからしては分かりにくいことこの上ないはずなのに、随分早い段階で気づいていた。

 手練れだな。

 ハンネスは警戒を緩めることなく相手を窺った。

 こちらも二人で数の上では同等だ。気弱そうな声の持ち主は武力はないが、もう片方の男は脅威だ。

「隊長、後ろからも来ます」

「へえ、隊長さんか。そりゃあ、相手として不足はない!」

 部下の声にハンネスの注意が逸れた一瞬を逃さず、相手の得物が体の間近を通過する。

 上体を大きく捻ってやり過ごす。

 利き腕の方が相手に近寄るようにし、その勢いを殺さずに刺殺するつもりで剣を突き出す。

 部下もまた気弱そうな声の持ち主の男は大したことがないとみなし、ハンネスの助太刀に入ろうとしたが、飛来するものに阻まれた。弓矢でも短剣でもない。

「ぐっ、ごほっごほっ」

 苦しそうにせき込むところから、毒を投げつけられたのかもしれない。

「大丈夫か。すぐに解毒剤を飲め! 何でも良い、効き目のあるやつに当たるまで飲み続けろ」

 ハンネスが駆け寄って口に解毒剤を流し込んでやりたいところだが、いかんせん、目の前の男はそれを許してくれない。

 滑らかな動きから切れ味鋭い払い、薙ぎ、突きが繰り出される。

 渾身の力で払った腕の向こうから抉るような視線が向けられる。

 月も星も厚い雲に遮られた夜、湿気を含んだ大気が雨の予感を抱かせる。

 黒装束が隠れ蓑ではなく、その布の動き、はためく音で動作を相手に伝えているのだと悟り、ハンネスは撤退することを決めた。

 もう一人の痩身の男が後から駆けつけてくる者たちに指示を出していることからも、包囲網が完成しようとしているのを知る。

 ハンネスは得意技を披露してやることにした。

 ひと際力を込めて剣を振ると、相手が引くに合わせて自分も引く。そして、大きく開いた間合いを瞬時に詰める。

 突進だ。

 この技を目の当たりにした者がそうであるように、眼前の男も目を見開いたように思えた。

 しかし、鋭い突きは易々と躱されてしまう。

 悠長に驚愕している場合ではない。相手が体勢を整える僅かの間に、部下に合図して引く。

「頭!」

 身軽に家のでっぱりや看板などを足掛かりにして屋根の上に飛び上がる。

「大丈夫か?」

 部下がせき込みながらもようよう立ち上がったからこそ、できた力技だ。

「はい。とても辛くて痛いですがね。熱いくらいです」

「うん? 毒ではなかったのか」

「毒並みに強烈です。早く顔を洗いたい」

 しきりに唾を吐いている様子から、辛味成分の強い何かを投げつけられたのだろう。

「それにしても、頭、か」

 逃げ出す直前、ハンネスとやり合っていた男へ向けて掛けられた単語だ。

「幻獣のしもべ団の頭領だったんでしょうか」

「恐らくな」

「済みません、自分のせいで。頭の首を取る機会が」

「いや、あのままやり合っていたら討ち取られたのは俺の方かもしれん」

 ハンネスの言葉に部下は目を丸くするが、あながち冗談でもない。

「俺の突進を躱されたくらいだ。再戦が楽しみだな」

「ちゃんと仕事してくださいよ」



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