49.犬目1
異能保持者の避難は概ね順調だった。
受け入れ側の魔族の土地が豊かで広大であったこと、魔族が意気軒高だったこと、物資が豊富にあったことや大陸西の商人たちが多く協力したことに起因する。
翼の冒険者から食料と鉱物、植物、素材、器具などの援助を受け、避難先でも困ることはなかった。
翼の冒険者が今までさまざまに関与した商人たちがこぞって協力を申し出た。
貴光教に睨まれることになっても、敢然と旗色を明確にする者もいれば、玉虫色にする者もおり、隠れて援助する者もいた。損得勘定の中で生きる彼らはこんな不安定な情勢だからこそ、翼の冒険者に賭けた。
異能保持者たちの中にはこれは一時的避難であるという認識の者が多くいた。
いつか必ず帰る。その間、いわば居候するので、しっかり働く。他人様の物を借りているのだという意識。ちゃんと対価を払おうという気持ちがあった。それは異能があるという自負からくるものだ。自分たちの異能を排除しようとして迫害をされたが、その異能を役立たせようとした。他の者からして異質な能力だったとしても、自分たちからしてみれば当たり前にある能力だった。
避難した先での開墾は自分たちが一方的に保護され、享受する者ではないという意識を与えた。人間の尊厳を要求されたことが、義務と責任を忘れさせなかった。
物資などという目に見える現実だけではなく、美しい音楽、楽し気な幻獣たちに大いに慰められ、勇気づけられた。悲惨で閉塞感のある時代だからこそ、心を温めてくれるものを大切に思った。
貴光教は異類排除令により、悪辣な魔族を一掃し、人を脅かす異能を持つ異類たちを隔離し、その悪行を暴き立て、処罰することに成功していた。にも拘らず、次第に追い詰められていた。
翼の冒険者がエディスを始めとする各地で異類排除令の手から人型異類を逃したと聞いて、各属性の神殿は立ち上がった。以前、南方の大陸で流行り病を救ったと聞いたことから、次あらば自分たちが、と心に刻んでいたのだ。独立した機関であるがゆえに互いに干渉しなく、また、貴光教が異類排除令を発令した当初は様子見をし、その凄烈さに無暗に刺激しないように、という方向性を取った。しかし、末端の聖教司たちは困窮した人々を救うことは何ら教義に反することはないのである。無辜の民が根拠なく連れ去られる事象を食い止めるのも同じくだ。
閉じ籠っていた魔族の国から激しく抗議されている。また、魔族も大人しく逮捕されない。異類は村を捨てて逃げ去り、異類審問官の手をすり抜け、中々足取りを掴めない。
異類審問官による取り調べの結果、死によって罪を清算することとなり、大量に出た死体は焼くことすら相当な時間と労力、そして何より金銭と道具を必要とされた。そこで、川に流せば、行きついた先の岬でこれ見よがしに木に引っ掛けられ死肉をあさる鳥が大挙し、惨憺たる光景に諸外国からも批判の声が殺到した。海に流れ着いて人知れず魚のえさになっておけば良いものを。
エルッカは苛立ちを隠せないでいた。
彼はグスタフ亡き後、貴光教の三人しかいない大聖教司の一角を占めた。それどころか、異類排除令を発令し、清浄な世を作り出す先駆者として、誰よりも抜きんでていたはずだった。
それがどうしてこうなったのだ。
グスタフの不審な死に対しても猜疑心を捨てきれずにいた。
そのグスタフの子飼いだったコンラッドや貴光教から援助を受ける学者たちを使ってその正当性と魔族の悪辣さとを喧伝させた。
コンラッドは学識高く良心的な者だった。だからこそ、大聖教司グスタフに重用された。その発言権は有識者に取って無視できるものではない。
なのに、全くの焼け石に水だった。
大陸西の東北に位置する大国ゼナイドが異類排除令を完全に拒否し、結果、他の神殿の大聖教司の立会いの下、不干渉の条約が締結された。
画竜点睛を欠くどころではない。
どうにか周辺諸国全ての異類審問官入国拒否という暴虐極まりない条件を取り下げさせたが、大国への不干渉を飲まざるを得なかったのは大きな痛手となった。
エルッカは十年に一人使うことができるかどうかという神秘の魔法を扱うことができる稀有な人間だ。だからこそ、大聖教司という地位に就いている。いわば、最も神に近い男だ。その自分が行うことが正当に評価されないでいることに、我慢ならなかった。
立ち上がり、足を踏み出そうとすると、体が傾ぐ。たたらを踏んで持ちこたえる。
気ばかり急くが、視界が黒く塗りつぶされ、仕方なしにその場に留まり、五感が回復するのを待つ。いっかな元に戻らなかった。
眩暈に、悪心、寒気が同時におきる。体のだるさから発熱も感じた。
大陸の北東へ行って舞い戻って来る強行軍に身体が悲鳴を上げている。これほど大陸西のあちこちへ出向くのならば、転移陣を用いても良さそうなものだが、彼らには許されていなかった。
それでも止まっていられない。
ラウノはゼナイド行きを命じられた際、異類審問官の入国を頑迷に拒絶することへの対処だと思っていた。
その実、国都エディスにほど近い森で待機の指示を受け、翼の冒険者の無力化、叶うならば捕縛を言い渡された。
確かに、集まって来た同志たちが小隊を成したことから、大仕事だろうと見当をつけてはいた。これほどまでに隊員が編成されるなど、幻獣のしもべ団への総攻撃を掛けた以来だ。
正直、戸惑いを隠せなかった。
翼の冒険者は異能を持つ異界人という種族らしいが、その者たちは異類排除令から除外された。だけでなく、非人型異類や魔獣の討伐を多く行っていると聞く。何より、ヒューゴは手を出すなと言っていた。
急な方向転換に戸惑わずにはいられなかった。今までも朝令暮改はままあった。ヒューゴは明確に翼の冒険者に付き従う幻獣の高位知能、力の巨大さに手出しを禁じていた。だから、外から切り崩すためにその支援団体からまず狙った。
ゼナイドに召集されるに当たり、情報を集めたところ、一介の商人の子供に異能が認められるから引き渡せと審問官が執拗に迫っていると聞いた。それもおかしなことだ。一人の子供に固執する意図はなんなのか。本丸は別にあるのではないか。父親が豪商であるから、そこから金銭を引っ張る腹積もりなのか。
そんなことを考えているうち、狼煙が上がる。
合図を目にすれば、躊躇はなかった。
ラウノはあの剣聖を下したのだ。
そして、白手袋を拝した。
エイナルとの約束を果たすためにも、ここは手柄を立てる好機だと見做した。アリゼから受け取った薬を服薬していた。
「⁈」
「いたぞ!」
「村じゃない!」
「数人回り込め!」
村で対峙すれば幻獣はともかく翼の冒険者は無辜の民への影響から手も足も出まいという目論見が破られ、森で相対することとなった。
ラウノはグリフォンを初めて見た。
ワイバーンと同等かそれ以下だと思い込んでいた。
とんでもなかった。
その巨躯から想像もつかないほどの滑らかでしなやかな動きをしており、理知的な瞳は静かなのに圧倒される。思わず跪きたくなるほどの品格を感じた。粗野なところがなく、一種の神々しささえ纏っていた。
すっかりグリフォンの威容に威圧され、呑まれた。後になってから、ヒューゴを簡単に無力化した剣聖を下したことからの慢心があったことに気づく。
翼の冒険者はいつの間にか消えていた。いや、何となく、グリフォンに乗って空へ飛びあがったのだと分かるのだが、止める間もなかった。
とんだ失態である。
力がほしい。
あのグリフォンに敵わないとしても、せめて、対峙できるくらいの力が。
ラウノはアリゼにもっと強い薬を調合して貰うように頼むことも検討した。けれど、アリゼはラウノの身を気遣って受け入れないだろう。でも、それでは間に合わない。この体が持つうちに、赤い手袋を手に入れなければならない。
ラウノは白い手袋をつけた手を握り締めた。
視線がそこに固定されたままだったので、通りすがりの黒の同志からやっかみの言葉が掛けられた。力みが取れてちょうど良い。
仲間である同志たちは異類審問官の護衛官として駆り出され、神経をすり減らしている。
「異類のやつら、住んでいる村の全員が異能持ちって訳じゃあないんだな。ちぇっ。全員に異能があれば、村を焼き払えば済むのにさ」
そんなことを言う同士もいて、神経を疑ったが、恐らく、強制連行の際に泣き叫ぶ本人や縋りつく家族に心を痛め、それを押し殺すためなのであろうと無理やり思い込むことでやり過ごした。
そこには神の慈愛などなく、まさしく犬目どもしかいない。
それでも、進むしかないのだ。




