47.虚を衝く2
『狼煙を上げていますね。すぐにここを出ましょう。村人を盾に取られたら、ティオやリムはともかく、シアンちゃんは動けないでしょう』
そして、シアンが動けなくなれば、ティオもリムも本来の力を発揮することができない。この一連の出来事を仕組んだ人間は良く物事が見えていると九尾は妙な関心をした。
シアンはまだ事態が呑み込めなかったが、九尾に急き立てられ、席を立ち、家の外に出た。
「おや、どこへ行くんだい? まだこれからって時にさ」
「いえ、あの、ちょっと急用ができましたので」
「そんなことを言わずに、もうちょっとゆっくりしていきなよ」
「すみません」
そのころにはシアンもしつこく引き留めるニーナの様子に、おかしいと疑念を抱く。
明確に断るのに、ニーナは食い下がった。
九尾が間に割って入り、シアンを促す。
「す、すみません、また来ます!」
「ちょっとお待ちよ! 私を助けると思って!」
これは本当に緊急事態だと悟る。
「ニーナさん……、どうして」
ニーナに売られたという事実に言葉が続かない。
温かい人柄のその人は顔を歪め、初めて見る人間にも思えた。
「息子のためだよ。母親だったら子供を守るものさ」
ニーナに手を貸すべきかと逡巡するが、その間にも九尾に強制的に歩かされた。それが功を奏した。
縋りついて止めようとするニーナを振り切り、村を出てしばらく行かないうちにティオが警告を発した。
『黒いのが近づいてくる』
意識を凝らすと、十数人がこちらに向かってくるのをシアンも感知する。
『やれ、こんなことだろうと思いましたよ』
「きゅうちゃん、黒ローブが来るって分かっていたの?」
『容易に予測できます。ティオやリムは感知していたでしょうが、大したことはないと思っていたでしょうしね。トマトのおばちゃんと交流する方が優先されるのでしょう』
だからこそ、事の本質を見抜くことが遅れたのだ。ニーナが黒ローブを呼び出し、その者が悪意を持ってシアンに接近している。それはティオやリムにとって最優先で防がねばならない事態だ。
ティオが悠然とシアンの前に出て、リムが肩に乗り、九尾が後ろに着く。
そこへ緑の隙間からするすると黒い布が現れた。シアン一行を認め、棒を飲んだように立ち尽くす。
「ちっ、翼の冒険者と村の外で会うとはな」
「足止めもできんのか」
「村ごと焼き払ってくれようものを」
少人数で活動するのを見たことがあるが、これほどの集団を目にするのはレフ村以来だ。黒装束の異様さが目立った。
「何かご用ですか?」
不穏な言葉が聞こえたものの、まずは相手の出方を伺う。
「今日のお供はグリフォンとドラゴンと犬か」
「一角獣と大狐はいないのか」
「残念だ。壁の飾りとマントの素材に打ってつけだったのだがな」
忍び笑いが漂う。
シアンは強烈な怒りを感じた。
シアンと親しくする幻獣たちは美しく強く高度知能を持つ高位幻獣だ。これほどまでに馬鹿にされ、悪意を持って害すると言われることは未だかつてなかった。
そして、違和感を覚えた。
マウロから黒ローブたちはティオを神託の御使者だと崇めていると聞いていたのだ。その気配は微塵もない。
「貴方たちは以前からエディス近辺にいる方々ではないのですか?」
「……ふん、言っている意味が分からんな」
見下したように鼻を鳴らすが、図星を突いたのかもしれない。
強力な幻獣たちも人の多い狭い村の中でならば暴れることに躊躇し、その力は半減以下だと踏んでいた黒ローブたちは目論見が上手くいかずに腹を立てていた。勘が鋭いグリフォンに感知されぬように遠く離れた場所で確実に罠にかかるのを待っていたことが裏目に出た。
実際は柔軟な魔力操作ができるようになっているティオには造作もないことだった。細い岩針で心臓を一突きさせ、僅かばかりの流血で終わっただろう。そして、ティオのその規格外の実力に関しては、シアンも九尾も完全には理解が及んでいなかった。
『きゅうちゃん、黒いのから逃げていたの? ぼくがね、隠ぺいで黒いのたちから見えなくなるようにしてあげたのに』
『え、そんなことできるの?』
『うん! 他の人に見えてもね、黒いのだけが分からないようにできるよ』
声を聴くことも触れることもできないと言うのに、九尾があんぐりと口を開ける。
『それってもはや闇の精霊王に準じるのでは』
恐らく、どれほど鋭敏な者でも気配を悟ることができないだろう。自身に消失のような隠ぺいをすることができたが、他の者にも同じような魔法を使うことができるようになっていた。
「あ、で、でも、きゅうちゃんがいち早く気づいて助けてくれたのには変わりないからね」
『お気遣いありがとうございます。きゅうちゃんもリムの力をまだまだ分かっていなかったようです。きっと、ティオも村の中にいても大きな騒動を起こすことなく制圧できたやもしれません』
ティオは当然だとばかりに重々しく頷く。
自分の気遣いは無駄だったのかと項垂れる九尾に、シアンは更に慌ててフォローの言葉を重ねる。
『ところで、いつもの調子でやり取りしていましたが、黒いのは突っ立ったままですね。突っ込み待ちだったんですが。リム、何かしているの?』
『うん。シアンときゅうちゃんの話が終わるまで、気を逸らせているよ。じっとしているのが普通だと思っているの。元通りにしようか?』
「リム、もう少しそのままで。ティオ、もうこのまま空へ逃げてしまおう」
柔軟に魔法を使いこなしていると感心しつつ、シアンはこの機に乗じることにした。
『それが良いでしょうな。シアンちゃんがいないのならば、村にも用はないでしょうし』
「うん……」
九尾の言葉に、ニーナの事を思い出して声が陰る。
『気にすることはありませんよ。トマトのおばちゃんは自分の信じる道を進んだのです。ならば、シアンちゃんも考えて選んだ道を行けば良い』
『シアンは一人じゃないよ。島の幻獣みんなで考えた方法を一緒にやれば良い』
『みんな、頑張っているもの。ぼくもね、頑張るからね!』
ティオやリムも九尾に追随し、シアンはぎこちなく笑った。
そうだ。
自分一人ではない。
できる者ができることをしている。それを幻獣たちに教えたのはシアンだ。
ニーナは翼の冒険者が好きだ。
あんなに胸がすく者たちはいない。異類審問官は気に食わない。黒ローブも胡散臭い。
それでも、やるしかなかった。
脅された息子はすっかり委縮しきっていた。
街の顔なじみの者に翼の冒険者の姿を見たら村へ寄るように伝言を頼み、足止めし、黒ローブから渡された狼煙を指示通りに上げただけだ。
強い翼の冒険者ならば大丈夫だ。
そう思っては見ても、裏切ったことには変わりないことも良く分かっていた。
ニーナはリュカを渡せという異類審問官に食って掛かったこともある。
あいつらがやっていることはおかしい。
しかし、息子に万一のことがあったらと思うと、従うしかなかった。
第一、狼煙を上げても連中は来なかったじゃないか。
きっと、翼の冒険者も何事もなく逃げ延びたことだろう。
その日の夕方、息子は戻って来た。村を出て生活していたが、今後は戻って畑仕事や家畜の世話をすると言うのに、ニーナの一家は深くは追及せずに迎え入れた。数日も経てば冗談を言い合って笑うこともあった。しかし、ふと思うのだ。自分たちのこの単調だけれど穏やかな生活は誰かの犠牲の上に成り立っているのではないだろうかと。
それでも、日々を一つずつ積み上げるようにして暮らすしかなかった。




