46.虚を衝く1
不穏な情勢の中、久々に帰ってきた息子に喜んで色々料理を作って食べさせた。
「父ちゃんと兄ちゃんは?」
かきこむようにして食べる合間に尋ねるのに、肩を竦めて見せる。
「何言っているんだい! こんな昼間っから畑から戻ってくる訳がないだろうさ」
「それもそうか」
「それより、あんた、どうしたんだい?」
「え? どうしたって何が?」
中々本題に入らない息子に焦れて切り込むと、わざとらしく聞き返す。
「とぼけるんじゃないよ。何かあったんだろう?」
「……母ちゃんには敵わないな」
「当たり前だよ。それで、突然帰ってくるなんて、一体何があったんだい?」
勢いよく動いていた手が止まり、匙がテーブルに落ちる。
「うん……。母ちゃん、あのさ」
「何だよ、早くお言いよ」
料理に使った調理器具を片付けながら素っ気なく返す。久しく帰ってこなかった息子の話を聞くのが嬉しくないはずはないが、素直に振る舞うことは面はゆくてできない。
「あのさ、俺、もうじき死ぬかもしれない」
「はあ? 馬鹿をお言いでないよ!」
「いや、本当なんだ。俺、殺されるかもしれない」
驚いて振り返った息子はいつの間にか泣いていた。その真剣な表情に、手からつるりと食器が滑り落ちる。薄い木皿が欠けるのが視界に入ったが、それどころではなかった。
「なあ、母ちゃん、俺、殺されるかもしれない。助けてくれよ」
母親は無条件に子供を愛する。間違っていたら叱り、導いてやる。そして、守ってやるものだ。
その母の愛情が牙を剝く。
シアンは九尾や一角獣から異類審問官たちが引き起こした一連の出来事を聞き、エディスへ顔を出すことにした。
ティオとリム、九尾がついてきた。
「きゅうちゃん、フラッシュさんや天帝宮の方は良いの?」
『シアンちゃんは危なっかしいですからねえ。きゅうちゃんが見張っていないと!』
『シアンはぼくが守るもの!』
『ぼくも』
九尾の言葉にリムがへの字口を急角度にし、ティオが気負いなく応じる。
「はは、ありがとう。みんながいてくれて心強いです」
転移陣を踏み、神殿を出て真っ先にエクトルのところへ行くと、下にも置かぬ歓待ぶりだった。
最近館ではぼっちゃんの命の恩人、九尾の好物を常備しているのだそうだ。
出された茶菓を美味しそうに食べる九尾の姿に、これが目当てでついてきたのではないかとさえ思う。
「災難でしたね」
「いいえ。きゅうちゃんのお陰で事なきを得ました。それに、ゼナイドは一丸となってこの難事を乗り越えようという気持ちを持つことが出来ました」
「リュカ、無事でよかった」
シアンはそっとリュカを抱きしめると、照れくさそうに笑う。
「きゅうちゃんがね、青い透明の炎で守ってくれたんだよ。とっても大きくなったの。ティオくらい!」
その時のことを思い出したのか、頬を紅潮させて懸命に話す。
幾度も聞いているのだろう使用人が微笑まし気な表情で見守る。
「これを活動の足しにして下さい」
シアンは素材や物資を渡す。
エクトルは感謝したが遠慮はしなかった。自分に渡されたのではなく、単なる窓口として受け取っただけで、必要に応じて配分するのが役目だと分かっていたからだ。
シアンはジャンの店や冒険者ギルド、屋台などの顔見知りのところへ足を向けた。
方々で声を掛けられ、意気軒昂な様子が見て取れる。
「ニーナさんやクレールさんはお店を出していないね」
『トマトのおばちゃんや黄色いリンゴのおばあちゃんはいないの?』
リムががっかりした様子を見せる。
リムの声が聞こえたのではなく、シアンの呟きを拾ったのだろう露店の店主が声を掛けてくる。
「そういやあ、ニーナおばさんが翼の冒険者が来たら、村にもまた顔を出してくれと言っていたよ」
「そうなんですね。教えてくれてありがとうございます」
『トマトのおばちゃんや黄色いリンゴのおばあちゃんの村へ行くの?』
リムが期待に目を輝かせる。
「そうだね。ニーナさんの村では一時は家を借りていたのだから、たまには顔を出しておくのも良いかもしれないね」
ティオの背に乗ればひとっ飛びだ。
ニーナの村は変わりなくのどかで穏やかな雰囲気で各自が仕事にいそしんでいた。
「あ、翼の冒険者だ!」
村はずれでティオが舞い降りると、目ざとく子供が見つけて声を上げる。
「ティオだ!」
「リムもいる!」
「この白い狐が大きくなったって本当?」
子供たちがわっと駆け寄って来て口々に言う。
「こんにちは。ニーナさんやクレールさんは村にいる?」
「いるよ!」
「クレールばあさんは腰を痛めてるけれど、口は達者だよ!」
「うちの父ちゃんは動けない分、口が動いているって言っていた!」
「まあまあ、何てこと言うんだい、この子たちは!」
ニーナの登場に、子供たちは歓声を上げつつ一散に駆け出して行った。怒られるのから逃げている風ではあるが、半分遊んでいるようなものだろう。
「ニーナさん、お久しぶりです」
「本当に。元気そうで何よりだよ。伝言を聞いてわざわざ村に顔を出してくれたのかい? 嬉しいねえ」
「クレールさんは具合が悪いのでしょうか?」
「いやね、ばあさんももう年だからねえ。ちょいと痛むときもあるってことさ」
シアンの背中を叩きながらニーナが快活に笑う。
「ティオちゃんもリムちゃんもきゅうちゃんも良く来たね! 折角だからゆっくりしていきなよ。トマトをあげようねえ」
『トマト!』
リムがシアンの肩の上から身を乗り出す。短い両前足を揃えて上半身を持ち上げ、首を伸ばす。そのちんまり揃った前足には細長い五本の指がくっきりと分かれており、絶妙な力加減でシアンの肩に乗っている。
「エディスでは大変だったようですが、こちらは大丈夫ですか?」
「ああ、あの異類なんとかってのや黒いののことかい? こんな小さな村にまで来ないねえ」
シアンにとってニーナはゼナイドに来て早々に知り合った面倒見の良い友人だ。歳や性別が違っても尊敬できる気の良い人物だった。
だから、嘘を聞き分ける耳が惑わされた。完全に気を許していた。
ニーナはシアン一行を引き留め、料理を振る舞った。腹もたせにトマトを沢山出してくれ、その間にあれもこれもと料理を作っては勧めた。
その合間に、黒ローブに合図を送る。前もって指示されていた狼煙だ。
納屋から食材を取ってくる風を装って、やってのけた。
ティオやリムは気づいたものの些事なことだと気にもかけず、よって、それが何を意味するのか考えもしない。
しかし、以前、シアンたちが迂闊にも黒ローブの誘いに乗ったと聞いた九尾は警戒していた。ニーナの動きに即座に気づく。
『シアンちゃん、おばちゃんが何やら不穏なことをしているみたいですよ』
「え?」




