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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
471/630

45.亀さん蛇さんの奮闘  ~亀さん蛇さん人気者2~

 

 人は言った。

 故郷を離れるのは辛かった。

 慣れ親しんだ場所から全くどんなところか分からない場所へ行くのだ。自分からそうするのではない。けれど、死にたくなければ、死ぬよりも惨いことをされたくなければ、逃げるしかなかった。それでもまだ、行き先を提供してくれる者がいただけましなのだ。

 行った先で暮らしていけるかどうかさえ分からない。危険な魔獣や非人型異類がいるかもしれない。

 作物はおろか植物さえろくに育たない場所かもしれない。

 それでも、異類審問官に捕まるよりはまだ良いのではないかと、気力体力が尽きる前に動こうと決断したのだ。

 土地勘がない場所を行くのは不安だった。

 けれど、そんな時、ひと際高い澄んだ鳥の声がした。空に目をやると、つい、と小鳥が一羽優雅に飛び、誘われるようについて行けば、指示されていた港町にまでたどり着くことができた。

 違う者は言った。

 随分、大陸西を長く歩いた。途中で飢え喉の渇きと疲労で一歩も歩けないと思ったこともあった。

 そんな時、美しい小鳥がどこからともなく飛んできて、励ますように囀り、そちらへ向かって行くと、驚いたことに湧き水や木の実を見つけることができた。

 何より、豆のつぶれた足をさすっていると、小鳥が梢に止まって歌い出した。その歌声は優しく慰撫し、先に進もうという勇気をくれた。

 小鳥について行けば、不思議と魔獣にも非人型異類にも遭遇することなく旅路を往けた。

 後に、人々は炎の神殿で勇気の小鳥の話を聞き、自分たちを導いてくれたあの鳥こそがそうだと噛みしめた。

 いつしか、人々の間に炎の小鳥の噂が囁かれるようになる。



 シアン一行と幻獣のしもべ団たちが各地で避難を呼びかけた。その場では応じなかったものの、後から思い直して故郷を立った者たちを、旅慣れしたリリピピが先導した。港町ニカからは彼らをネーソスが甲羅の上に乗せ、海を渡って荒地へ向かった。ユルクが護衛を務める。

 一時避難でも良いし、期間限定の移住や永住するかどうかは実際に現地で暮らしてみて考えると良いという柔軟さが受け入れられた。

 いくら貴方たちのためだと言われてもきっちり決められたことを勧められては押しつけがましいと思えただろう。

 また、評判の高い翼の冒険者とその支援団体が呼び掛け、力ある幻獣たちが協力したのも大きい。凶作や流行り病の時に物資を提供してくれたことへの信頼があった。

 ネーソスは頭角を現す前、まだ同族の中の群れの一匹であった際、人に狩られ、次々に仲間を失っていった。

 隣を必死に泳いでいた同族が突然いなくなる。

 その大きな喪失感は未だ忘れられない。

 霊亀となり、敬われるようになってからも、その甲羅を狙われた。巨大に成長してからは大げさなほど怯えられた。その者たちは小さいネーソスたちにどれほどのことをしてきたことか。

 けれど、シアンと出会い、こんな人間もいるのだと知った。多くの幻獣たちと過ごす時間は心地良かった。ユルクという無二の友も共に過ごした。

 いつものんびりのユルクがやる気を見せるのもシアンのためだった。そのユルクをシアンが大切にしてくれるのが嬉しかった。シアンは自分をも大切に接してくれた。

 優しい麒麟が人間に無理やり食べさせられて吐いた時は怒りにかられ足を引き千切ったが、それが誤解だったのだと知り謝罪した。その人間は自分が悪かったのだと言っていたという。

 そんな人間もいるのだと知る。そして、その人間の仲間たちがシアンのため、引いては幻獣のために働いているという。 

 彼らや、彼らの同族たちが同じ人間に狩られようとしていると聞き、助けたいと思った。ネーソスからしてみれば異能があるからといっても人間は人間だった。第一、異能も大したことはない。

 なのに差別して害しようとする。

 他方では、人間も色々で、麒麟が食べられるようにと農作業を教えてくれるような者もいるのだと知っていた。

 だから、怯えられても人間を乗せ、運んでやろうと思った。

 ネーソスの失った同族は戻ってこない。

 でも、だからといって、人間も同じ思いをしたら良いとは思わない。同族を失う悲しみや喪失感は知っている。あんな気持ちにならなければ良いと思う。

 そう思わせてくれたのはシアンと島の幻獣たちだ。

 ネーソスもまた、彼らのために力を尽くそうと思う。

 島の幻獣たちの中でユルクや麒麟といったおっとりした者を好んだ。彼らがのんびりできる世界を守りたいと思った。

 大きさの調整や泳ぐことを主体にしたユルクの特訓にも付き合った。大きくなって甲羅の上に幻獣たちを乗せる補佐をもするのだと張り切る様子を見ていると、自然と自分も頑張ろうと思えた。

 同族たちをことごとく狩られてようよう生き延びてきた来歴のネーソスからすれば何と呑気なものか。

 それがこの上なく心地よかった。

 そして、今また、ユルクはそんな人間たちを守るために戦闘するという。そして、守る対象には人間たちを乗せて運ぶ自分も含まれているのだ。

 不思議な心地がする。

 憎しみが全部消えた訳ではないが、のんびりした好ましい気質を持つユルクが、その人間とネーソスとを守るための力を持っていることが嬉しいというのだ。

 世の中の複雑で不可思議な事の次第にネーソスは驚き、次いで愉快な気持ちになる。

 シアンたちは難題を軽やかに乗り越える。これがそうなんだなと思う。



 港町ニカを出発し、渡海は順調に進んだ。

 ナウムの秘書は毎回付き添い、休憩がてら寄った島が終着点かという人々に、まだ先だと説明するのも慣れたものだ。

「わあっ」

「どうした?」

「な、何かいる! 踏んづけた! 変な感触だった!」

「あっ、砂が動いている」

 見れば、波打ち際の砂地に同化していたものがぱっくりと大口を開けて迫ってくる。人よりも大きい体長が胸鰭と尾鰭を激しく動かしてあっという間に迫る。もうもうと砂ぼこりが上がる。

 目を凝らしてみれば、薄っぺらく三角形の底辺の中央から長く尾が伸びた形をした魔獣がいた。

「ぎゃっ」

 辛うじて除けたものの、すり抜けざまに接触した者が濁った声を上げる。

 細かい凹凸がある肌をこすり付けられ、怪我をしたのだ。

 と、空を切る音がして、太い鞭のようなものがその魔獣を強かに打った。魔獣は跳ね飛ばされてもんどりを打つ。

「わあ!」

「蛇さん、すごーい!」

「海の上だけじゃなくて陸地でも強いんだね!」

 声もなく突然現れた魔獣に驚いていた子供たちから歓声が上がる。

 二対の蝙蝠の翼を持つ巨大な蛇が尾であっさり打ち払った。

 子供たちは亀に乗って海を渡る前、港町で蛇と遊んで随分親しんでいる。大人の方が二十メートルを超す巨大蛇に及び腰だ。その蛇が海から飛び出てくる魔獣をいとも簡単に撃破していくのだ。

 海を渡っている時に、鮫型の魔獣が襲ってきた。巨大亀に背びれをこれ見よがしに水面から出してゆるゆると近寄ってくる群れに、共に乗っていた商人の秘書が警告の声を上げた。

 船体でさえもその鋭い牙の餌食になるという。吸盤状の唇で対象に吸い付き、針状の上顎歯と剃刀状の下顎歯で頑丈なはずの船に大穴を開けることすらあるのだそうだ。

 亀の頭に乗せて貰って遊んでいた子供たちから悲鳴が上がる。腹を押さえる子もいた。亀が腹を食い破られると心配し、その痛みを想像して自分が痛くなったのだと後で語った。

 亀と鮫型の魔獣の群れの中にするりと蛇が巨体を滑り込ませたかと思うと、尾が打ち払われ、大波が起きる。群れの隊列が乱れ、一部が遠くへ浚われていく。もう一度振るわれた尾に、見事食らいついた魔獣もいた。唇を密着させながら体をひねり、獲物の肉をごっそりと掬い取る。はずだった。

 蛇の尾からつるりと滑って鋭利な歯ががっきと空を噛む。火花が散りそうなほど激しく交差される鋭く尖った歯の狭間に水しぶきがきらきらと光る。

 そして、腹も光った。発光器を持ち、それによって群れの仲間と合図し合って巨大な獲物も協力して倒すのだ。

 照準を亀から蛇に移し、一斉に襲い掛かろうとした魔獣の群れへ海水が盛り上がり、水はいくつもの銛を作り、勢いよく放たれた。群れは次々と屠られ、蛇はせっせと戦果を袋に詰めていく。

 激戦を水魔法で制したのだというのは後から知った。あれほど大きく大量の水の銛を作り出す魔力と器用さ、その精度たるや凄まじいものだ。

 あっという間に倒した魔獣をせっせと小さな袋に詰めている姿は珍妙だったが。

 と、そこへ、何かが勢いよく飛んでくる。陽光を弾きながら亀の甲羅の上に跳んでくる鈍色の細長いものを蛇の尾が叩き落した。水面に落ちたそれをも拾い、袋に詰める。

 また飛んできたが、今度は亀から的を変え、蛇が倒した水面に腹を見せて浮かぶ魔獣めがけてきた。鈍い音をして突き刺さり、体を捻っているのが遠目に見えた。そうすることで傷を深くして敵を死に至らしめるのだろう。既に蛇に倒されていたものだが。

 蛇はその直線状の細長い魚型の魔獣を首をたわめて眺めていたが、尾でちょんちょんとつつくと、ぴんと張りつめていた体が弛緩した。尾を器用に巻き付けて引っこ抜き、こちらも袋に詰める。

「蛇さん、ああやって狩った獲物を私たちに食べさせてくれたんだね」

 子供が感心して言うのにはっと我に返る。

 そう言われれば、ニカで蛇と亀が提供してくれたという海の幸を食べさせて貰っている。その時の獲物もああやって倒してはせっせと袋に詰めていたのだろうか。

 魔獣の群れをいともあっさり下せると聞くと危険極まりない者であるはずなのに、随分愉快な光景である。あれだけのものが入るのだからマジックバッグは大容量で、水の中にも持って行くことが出来る。その価値はいかほどばかりだろう。

 そんな強い幻獣たちは、今、浜辺で子供たちときゃっきゃとはしゃいでいる。いや、黄色い声を上げている子供たちに囲まれている。

 下に向けて尖っている細長い足と尾を持ち、その三つで体を支えている動物を子供が見つけて興味津々、こわごわと遠巻きに眺めていた。魚が砂浜にいるのも不思議だが、円らな小さな瞳に長いアヒル口で愛嬌がある顔が子供が好みそうな雰囲気である。

 三脚は長く、蛇が尾の先でちょんと突くとこてんと横倒しになった。

「倒れちゃった!」

「ころんってしちゃったね!」

「きゃはははは」

 箸が転がっても笑う年ごろと言う言葉があるが、子供の笑い声と言うものは良い。それだけで場の雰囲気が明るくなる。

 蛇が尾で器用に動物を元通りに立たせてやると、とっとっと、と砂浜を駆けて逃げていった。それを尾を振って見送る。

 そんな風に優しいからこそ、子供たちも蛇に懐いているのだろう。

「逃げちゃった!」

「もう、蛇さんが倒すから」

「怪我がなくて良かったね」

 蛇は子供たちの言葉に、心なしか唇を横長に広げて満足げに笑ったような気がした。気のせいか、優しい子たちだなとでもいう風情である。

 そうして、彼らは一人も脱落することなく、海を渡って新天地へとたどり着いた。どんな不毛の土地かと身構えていたが拍子抜けするほど美しい光景が広がっていた。

 緑と水に溢れ、動物が草食み、花が風に揺れる豊かな土地だった。

 住まいや家畜の施設など一から自分たちで作り上げる必要があったが、食料や機材などは豊富に準備されていた。当分の間は税を取られなく、後々徴収されるとしても、それは管理費としてや必要なものを外部から購入する費用に充てられると聞き、そこまでして貰えるのは何か悪い気がすると言うと、商人の秘書は笑った。

「ならば、早く富を生み出し、恩返しをしなくてはなりませんね。まずは子供たちの笑顔を絶やさぬようにしてください。幻獣様たちもきっとそれをお望みですよ」

 共に旅してきた彼らは全くその通りだと頷き合った。

 別れ際、行かないでと泣く子供たちに、大人たちが他の者たちをも連れてくる仕事があるのだから、と懸命に諫めた。

 子供たちがユルクやネーソスの体をぽんぽんと優しく叩く。

 まるで幻獣たちが大地を叩いて労ったり礼を言ったりするようで、ユルクもネーソスも、大地の精霊たちはこんな気分なのだなと思う。

 人の手は恐ろしく忌々しいものだった。けれど、今はこんなに優しく温かい。

 ユルクは道中、懸命に戦った。人間を庇うネーソスに被弾するのを体で防いだ。痛みを覚悟したが、少しも痛くない。

『水の中にいる限り、君たちは傷つかないよ。安心してお行き』

 いつの間にか水の精霊が傍らの海面に揺蕩たゆたっている。

『あ、ありがとうございます』

 一角獣のように加護を受けてはいないのに、と首をひねりながら進んだ。

『私の美味い酒のためのつまみを、怪我をしても狩ってくれる可愛い子らだ。その子らをどうして傷つけさせておくものか』

 まさしく、嫉妬深い水の精霊は自分の気に入った者が害されるのを座視してはいなかった。



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