44.大国の気概
「これはどうしたことだ!」
「陛下の御前ぞ!」
「何の騒ぎだ!」
そこへゼナイド国王が駆け付けた。
護衛に囲まれつつも、侯爵や伯爵といった高位貴族も付き従っている。宮廷へも出入りするエクトルは見知った顔に驚きを隠せない。
「陛下、あそこの坐すは一角獣ではごぜりませんか」
「う、うむ」
異類審問官と民との間に入り、これを機に完全なる拒絶を言い渡そうとしていたゼナイド国王は因縁の幻獣の顕現に肝をつぶされた。
その足下には貴光教の聖教司と思しき者たちがいる。国王は冴えていた。旅装をしていることと、ゼナイドでは見ない顔立ちをしていることから、彼らが異類審問官だと察した。
一角獣は気になる。
しかし、国王にはやらねばならないことがあった。まずは国を守ることである。
「そこの者らよ、我が国、我が領土に誰の許しを得て入ったのだ」
「わ、我々は神のしもべであり、地上の者の許しなどは……」
「我が国は明確に異類審問官を拒否している。なのに、なぜ我が国の土を踏んでいるのだと聞いている!」
聖職者は人の法の理の外にあるという理屈を、ぴしゃりと跳ね除ける。
「おぬしの言う地上とは、このゼナイドの国民が懸命な努力によって整えた場所だ。そのゼナイド国民を害するという者どもの入国を、一切拒否する!」
明確に言い切った国王に、騒ぎを聞きつけて続々と集まってきた国民から歓声が上がる。
興奮する人々の隙間から、黒ローブが青い炎に焼かれつつも、よろよろと起き上がり、この機を逃すいと、ナイフを握り、国王に狙いを定める。
ゼナイドは少し前に大きな事件があり、王室の屋台骨が揺らいだ。現国王は人気があるようだが、だからこそ、民衆の前で殺害されれば、国は脆く崩れ去る。そう算段を付けたのだ。
凶器を手に、振りかぶろうとした際、大気が振動した。腹に重く響く音の後、黒ローブの手からナイフが落ち、甲高い音を立てて広場の石畳に落ちる。
一角獣が瞬時に空を駆け、首を一振りすることで、角によって暗殺者から武器を叩き落した。それをぽかんと眺めていた群衆から再び声が上がった。一角獣の瞬間移動もかくやの活躍に、先程のものとは比べ物にならない大音声だった。
「い、一角獣が陛下を守った!」
その言葉はじわじわと集まった者たちに浸透していく。
「一角獣がゼナイド国王殺害を防いだ!」
「万歳!」
「ゼナイド万歳!」
「一角獣万歳!」
大変な騒ぎになった。
力ある幻獣を虜囚とし、その力によって豊かな国としてあり続けた自国、というのに後ろ暗い気持ちを抱かずにはいられなかったゼナイド国民は、ようやく許されたような心地になったのだ。衰弱した一角獣を水の精霊が保護して連れ去ったというのも、世界有数の湖の近くに住む、水の恩恵を受けるエディスの者にとっては痛恨の出来事だった。
そんな中、噂が出回った。翼の冒険者が一角獣を伴い、冒険者ギルドで冒険者登録を行ったのだと。
それは、冒険者ギルドの通達によって裏付けされた。
翼の冒険者が不在の際にも一本の長い角を持つ白馬の姿の幻獣がエディス近郊に跋扈する非人型異類や魔獣を討伐する。そのため、討伐現場に居合わせた者は慌てず騒がず、ゆめ一角獣の邪魔をしないようにというものだった。
この不安な情勢に、不当に囚われていた過去があるにもかかわらず、一角獣はゼナイドのために尽力してくれるという。
そして、今、エディスの者たちの眼前で、無理難題を押し付ける異類審問官を捕まえ、国王を殺害しようとする異様な風体の者の凶事を防いだのだ。
ゼナイドの国王は涙した。
何と慈悲深く気高い獣だろう。
外見に勝るとも劣らない美しい心根に心打たれた。
しかし、感傷に浸っている場合ではない。
すぐさま立ち直ると、この勢いを逃すな、と声を上げる。
「翼の冒険者は異能がある者を匿い安全な場所へと逃していると聞く。我が国にも異能と称される力を持つ者はいる。彼らもまた、我が国民だ。みなの者、今は力の過多、富の過多にかかわらず、できる者ができることをして、力を合せようぞ!」
「「「「「「「わあっ‼」」」」」」」
「必ずや、この国を守ろう!」
「「「「「「「「「「わあぁぁぁぁっ‼」」」」」」」」」」
一角獣は黒い変な格好をした者たちが、人間にしてはちょっとばかり変わった力を持つ者を、不当に害するのだと聞いて不思議に思っていた。
力ある一角獣からしてみれば、そんなものは多様性の一種に過ぎないのに、違っているからといって排除するというのは理解が及ばなかった。
シアンたちは力づくでやめさせようとするのではなく、一旦、彼らから逃そうとすることに決め、荒地を整備し、そこへ誘導した。随分迂遠なことにも思えたが、フェルナン湖で出会った人間の少女もまた変わったことを多くしていた。それでも交流するうちに彼女の願いを叶えたいと思った。
島で暮らすようになった一角獣は純粋な力だけでなく、鸞のような薬を作る知恵やユエのような便利な道具を作る技術、そして、それらを補佐する九尾やカランが行う気の配り方といったものの有用性や有難味を知った。できることをできる者がする。それらが組み合わさることによって様々なことを体験し、楽しむことができた。
素晴らしさを知った。
一角獣はシアンや幻獣たちと力を合わせて、避難の手配を整えた。それはいつもの狩りや遠出、遊戯との延長のようでいて、多くの者を救う事であるということを理解していた。
弱い者は狩られる。しかし、弱者と思っていたら手痛い反撃を食うことも知っていた。
そんな中、九尾がエディスの様子を見てくると言い、シアンも同行するという。一角獣は思わず自分も、と名乗り出た。
今まで、シアンたちの話を聞くだけで満足していた。あの子が望んだように豊かで、何より美味しく多様な料理があると聞く。特にジャガイモを使用することが多いらしく、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
実際に自分の目で見ることに、期待する気持ちにほんの少しの恐怖が混じった。
一角獣は古の王女の約定通りに力を使い続けた。
いつの間にかその美しい思い出は捻じ曲げられ、良い様に使われるだけとなっていた。そんな者たちが統治する国がどういう風に自分の目に映るのか。
それでも、勇敢の名を付けられた一角獣は怯まなかった。
どれほど恐ろしくても失望しても、それを受け入れようと思った。
実際に見てみれば、他の国の者よりも立派な体格で働き者な国民が多いように見受けられた。
活気があり、街には物が溢れていた。気の良い者たちが多かった。
シアンたちとあちこちの屋台で美味しいものを味わう。その際、みなは笑顔で翼の冒険者にあれこれと話しかけた。
『これも情報収集の一環です。重要なものなんですよ』
九尾がしたり顔で良いながら、串焼きの肉を頬張った。九尾は食い意地が張っているが、それを周囲の者に分け、共に楽しもうとする。何より、麒麟への気遣いは一角獣が感心するほど上手い。小うるさい奴ではあるが、それ以上の美点もある。
簡単なジャガイモ料理を出す屋台もあり、シアンが買ってくれたものを賞味した。
『あの子にも見せたかったな』
『きっと喜んだでしょうねえ』
誰に聞かせるともなく呟いた言葉を、九尾が拾い上げた。
『そうかな』
『勿論ですよ』
そうだと良い。
あの子の望んだものが、ここにはあるのだから。
一角獣がそれを守るのは当然のことと言えた。
だから、こまめに眠らなければならないシアンの代わりにゼナイドの非人型異類や魔獣を討伐したいと言うと、逆に感謝された。自分がしたいことをするだけなのに、シアンは良くこうやって礼を言う。それが面はゆかった。
「できれば、討伐したことをエディスの人たちに教えてあげてくれる? そうしたら、安全が確保されたと分かって、みんな安心して行き来することができるんだ」
流通が滞らなくなるのは重要なことなのだと聞き、素材の一部を見せるだけで良いと言われて頷いた。素材は鸞やユエが必要とするので、捨て置かずに持って帰るということは、もはや一角獣にとっては当たり前のことだった。そのためのマジックバッグも貰っている。一角獣専用の印が入ったものだ。これを見るたびに温かい気持ちになれる。
予想もしなかったことに、冒険者ギルドとかいう建物で登録したら、自分もまた翼の冒険者の一行としてみなされた。誇らしい気持ちになった。
「流石は、翼の冒険者! 物すごい討伐数です」
「お陰さまで、ゼナイドでは物資の行き来がスムーズです」
「これで、辺境の村々にも物を届けることができます」
一日に一回は冒険者ギルドに行ってみれば、非常に喜ばれた。
「この素材を持つ非人型異類の目撃情報はあったか?」
「いや、聞いたことはないが」
一角獣があまりにも迅速に討伐を行った弊害から、どこが安全を確保されていったのか不明なこともあった。
そこで、地図を広げさせて鼻先で示してやった。
「こ、こんな遠くまで?」
「こ、これって、ゼナイド全土じゃないか」
「ちょっと、サルマンにまで及んでいるわよ」
「陛下にご報告して、サルマン国に一角獣は翼の冒険者であり、周辺の治安のための討伐を行っていることを通達していただこう」
「ああ。ギルドマスター同士でも話をしておいて貰おう」
「オクサナさんなら、翼の冒険者の既知を得ているから、話は早いな」
そんな風にして、一角獣の存在は瞬く間にゼナイドに浸透していった。
その敵に向かって空を駆ける様から、白い流星と呼ばれた。
一角獣がいつものように非人型異類や魔獣の気配を探っていると、エディスの周囲で強い悪感情を感じ取った。
街を破壊してやろうというものだった。
これはいかぬと取って返すと、門の外で散々喚いていた者たちが壁伝いにこそこそと人気のない方へ歩いているのが見えた。
彼らの衣服をまとめて咥えて飛び上がり、さてどうしようと考えた時、強い魔力を感じた。
九尾のものだ。
そちらへ向かうと、青い炎が覆う広場があった。
兵士も集まってきているので、ちょうど良いとばかりに捕まえた悪いことをしようとしていた者たちを下ろした。
急に空に持ち上げられて暴れてもびくともしなかったのが、唐突に下ろされ、腰を抜かしていた。他愛もない。
そこに駆け付けたのは兵士だけではなかった。
陛下、という言葉が国の王を指すのだと一角獣は知っていた。
国王は民を守ると言った。
そして、できる者ができることをしようと言った。
それは島の幻獣たちと同じだった。
ゼナイドの新たな国王を見て、あの子が守ろうとした国の王もまあまあ捨てたものではないなと内心うそぶく。実情は嬉しかった。エディスへ訪れる前に抱いた不安は霧散した。
一時は天帝宮からの沙汰いかんによっては別の血筋が国王に立つことも危ぶまれた。ゼナイド王室はかろうじてその存続を許されることとなった。
人の王の治世の是非を問う聖獣が顕現し、ゼナイド国民を異類審問官から守ったということが大きい。
国が貴光教の宣言を跳ねのけ、踏み堪え、国民が立ち上がる。その後押しをした。
そして、それらの出来事は商人たちによって周辺の村から近隣の国へ細波のように広がって行った。
ゼナイドの紋章に一角獣の角が加わるのは少し後の事である。




