43.迎撃
エディスでも最も大きい広場は市庁舎の前に位置するものだ。
エクトルはそこで黒いローブを頭からすっぽりかぶった二人に前後を取られていた。
「何の用ですかな」
異様な風体の者に前後を挟まれても、表面上は動揺を見せることなく尋ねる。こんなに目立つ格好なのに、白昼堂々、街のあちこちに立つ兵士にとがめられずに自分の前に現れたことに妙な関心を抱く。
「わかっているだろう。お前の息子だ」
「私の息子がどうしたのでしょうか」
「異能を持っているだろう。渡せ」
瞬間、エクトルの腹の奥に灼熱の感情が沸いた。海千山千の商人はそのエネルギーを知略でもって笑いに変えた。
「異能を持つとは? 何を持ってして異能と言うのでしょうか」
「問答はいらん。渡せと言っている」
「罪がない者を連行しようというのですか」
「罪があるかどうかを我らが確認してやろうというのだ」
何という傲慢だろう。エクトルの言葉は乱れなかった。
「その線引きは誰がするのですか。他者の生殺与奪の権利があるというのですか」
「光が教え導きたもう」
「分かりません。光は崇高なものだ。ところが、慕う者が全てそうだとは限らない。ならば、それをするに値するという明確な根拠を示す必要がある。貴方方はそういったことをせずに何故好き勝手に振る舞えるのですか?」
神が素晴らしい存在だとしても、崇めその意思に添おうとする人間が必ずしも正しい行いをするとは限らない。いや、大義名分を得たと錯覚して強引に事を推し進める者が少なくない。ちょうど今ここにいる黒いローブの者たちのように。
「我らは正しい行いをしている。その邪魔をするのであれば、お前も逮捕する」
「貴方たちにその権限はない。連行される謂れはない」
自身も照準に合されても、エクトルは揺らがなかった。リュカを寄越せと言われた時から、腹は括っていた。最後まで全ての力と知恵を使って抗うと決めていた。
「やめて! お父さんを連れて行かないで!」
「リュカ! どうして! 家を出てはいけないとあれほど言ったのに。すぐに戻りなさい。走って!」
大樹のように泰然としていたエクトルが揺らいだのは件の息子が姿を見せたからだった。
「でも! お父さんが!」
「お父さんは大丈夫だから。さあ、行きなさい。衛兵、息子を! どうか!」
好機を逃すはずもなく、エクトルの後ろで逃げないように見張っていた黒いローブの男がするすると滑るようにリュカに近づく。
そこで家を抜け出してきたリュカは慌てて身を翻して駆けようとした。しかし、遅かった。
二歩も行かないうちに捕まり、小脇に抱えられる。手足を遮二無二振っても逃れられない。
「飛んで火にいる、か」
眼前の黒いローブを着た男が喉の奥で笑うのに構っていられなかった。
「息子を離せ!」
エクトルはリュカを捕まえた男に掴みかかろうとしたが、もう片方の男に腕を取られる。そのまま捻られ、痛みにうめき声を上げる。
「邪魔をするのなら、お前をここで処罰しても良いんだぞ」
「お父さん!」
リュカの悲鳴が涙交じりになる。
「息子は渡さん!」
連れて行くのであれば、自分を殺してから行け、という気概で睨みつける。
エクトルはこの場面で飛び出してきたリュカが愚かだとは思わなかった。
リュカは少し前、塞いでいるのにもかかわらず、エクトルを始めとする家族の前では明るく振る舞っていた。
自分を要求されていることや、それが原因で家の者が不利な境地に陥ることを懸念していたと九尾が教えてくれた。あの日、翼の冒険者が久方ぶりに訪ねて来た日にリュカと二人で話したことを、後からそっと教えてくれたのだ。
そして、どうするのだと問う静かな赤い瞳に、エクトルは必ず息子は守ると約束した。満足げに笑って、自分も手を貸そうと言ってくれさえした。
世にも稀な聖獣の言葉はエクトルに力を与えた。
「ふん。お前に何ができると言うんだ」
嘲笑う黒いローブ姿の男たちに、エクトルは腕を犠牲にして自由を得ようと息を吸い込んだ時だった。
ふ、と辺りの空気が重くなる。
湿気を大量に含んだように密度が濃くなっていく。
「あ、あれ!」
広場でエクトルたちのやり取りを遠巻きに眺めていた街の者から声が上がる。建物の二階と三階の堺くらいの高さの中空に、さあっと青白い炎が走る。水があらゆるものを飲み込む滑らかさで空を覆う。
「ぎゃっ!」
「あっ」
リュカの悲鳴に見やれば、黒いローブに青白い炎が飛び火して、驚いてリュカを放り出し、ローブを叩いて炎を消そうとしていた。
「何をやっている! 異類の確保が優先だ!」
言いながら、エクトルの腕を掴んでいた男が動いた。エクトルの方が早かった。飛びつくようにしてリュカを抱きかかえ、その場で蹲る。
「この!」
蹴りつけられたが、リュカに覆いかぶさり、歯を食いしばって耐えた。
この子だけは。
決して連れて行かれまいと幾度蹴られても岩になったつもりで動かなかった。
リュカはエクトルの体越しに蹴りつけられる振動に怯えたが、賢い子だけに、悲鳴も泣き声も上げなかった。
「ぎゃああ」
不意に蹴りが止んだ。
恐る恐る顔を上げてみると、もう片方の男も青白い炎に包まれ、熱い熱いと喚きながらのたうち回る。
「痛い痛い」
一面に広がっていた炎は尾を引く球体に変じ、それが一つ二つと円を描いて回る。球体は九つの尾を引きながら巡ると、やがて一つに合わさる。
凝縮されたそれが魔力の塊であると感じた時、ふ、とほどけ、大きな狐が現れた。
白い毛並みはその輪郭を金色に輝かせ、九つある尾はうっすらと青い炎を纏っている。
幽玄とした佇まいに、その場に居合わせた者はみな、膝をつく。
その出現、瑞兆か革命か。
革命とは、命を革め、天命に順いて人を導く、これ革新の大なるものなり。
その威に打たれた諸王ことごとく跪き、治世の是非を問う。
瑞獣だけにあらず、凶獣だけにあらず。
すべては人の王の徳によりにけり。
神々しいまでの威容を見せつける九尾がするすると中空を滑り降りてくる。
いつもの姿よりも巨躯を誇るが、静かに向けてくる瞳はリュカの知る赤だった。
『リュカ、大丈夫?』
九尾の呼びかけに、エクトルの腕からリュカが恐る恐る顔をのぞかせた。
「うん、僕は大丈夫。でも、お父さんが」
『これを使うと良いですよ。らんらん謹製の膏薬です』
「ら、らんらん?」
エクトルは神々しいまでの四足の獣の顕現に茫然としていたが、息子との呑気な会話にぽかんと口を開ける。
「あのね、鸞っていう幻獣なんだって! 翼の冒険者の一員なんだって」
きゅうちゃんのお友だちなんだよ、と無邪気な顔で笑う息子を、ぎゅっと抱きしめた。
この子を守ることができた。
九尾との約束を果たすことができたのだ。
「ありがとう。ありがとうございます」
「あ、そうだ。きゅうちゃん、ありがとう!」
『いいえ。リュカも父御も頑張りました。おや、あちらも片付いたようですね』
九尾の言葉に視線を彷徨わせると、中空に白馬が佇んでいた。
額から長く突き出た美しい一本の角を持つ。角は雪の結晶が陽光を浴びたように輝いている。
白馬の下には数人の男が尻餅をついている。
彼らの身に着けた衣装から貴光教の聖教司だと知れる。




