42.幻獣の声を拾う少年
エクトルの家はエディスの有数の商人だけあって広い館だった。
年季の入った建物は補強や増築をされている。どこも綺麗に掃除され片付けられていた。
「ここがね、厨房だよ。お店で働く人もいっぱいいるから、とっても広いでしょう?」
「きゅ!」
「おや、リュカぼっちゃん、お腹が空いたんですか?」
「ええと、ぼっちゃんにお出しできるものは何かあったかな」
リュカは厨房にも良く顔を出すようで、忙しく立ち働く家人が軽食を出してくれる。
「あのね、この子がきゅうちゃんなんだよ。僕のお友だち!」
出してくれた菓子を九尾と分け合い食べながら、満面の笑顔で厨房の者たちに紹介する。
「おお、あの翼の冒険者ご一行の?」
「確かにふわふわの毛並みですね」
「リュカぼっちゃんと同じものを食べられるので良かったんですか?」
「きゅうちゃんさんは確か、芋栗なんきんがお好きなんでしたっけ」
リュカから九尾のことを様々に聞いていたらしく、好物を使った料理をわざわざ出してくれた。
「美味しいね!」
「きゅ!」
もりもり食べる二人を厨房の者がにこやかに眺める。
リュカはどこでも可愛がられていた。
「おや、リュカぼっちゃん、どこへ行かれるのですか?」
「今ねえ、きゅうちゃんを案内しているんだよ」
「翼の冒険者の? お会いできて光栄です」
「噂はかねがね」
彼らの様子から、街で九尾に会ったことをよく話していたことが知れる。使用人たちもリュカの話を楽しく聞いていたのだろう。エディスの英雄とも称される翼の冒険者と友だちになるとは流石はぼっちゃんだという風情である。
『リュカはみんなと仲が良いんだね』
天真爛漫であるのだから、当然のことだとも思うが九尾は嬉しい気持ちを隠し切れずにそう言った。
「うん。でもね、僕、もしかしたら、この家を出ないといけないかもしれないんだ」
足で何かを軽く蹴る動作をする。
『どうして?』
「あのね、僕はきゅうちゃんの声を聞くことができるでしょう? そういうのは他の人ができない異能っていう力なんだって。その異能があったら、異類何とかって人たちに連れて行かれるかもしれないんだって」
リュカは以前にも異類審問官が来たのだと言った。
「僕が行かなかったら、お父さんが怒られたり罰を受けるかもしれないんだ。だから、今度来たら僕、自分からついて行った方が良いのかな。どう思う、きゅうちゃん?」
上目づかいで見上げる。どうすればより良いのか、幼いなりに様々に思い悩んでいるのだろう。
九尾は静かにリュカを見つめた。
『リュカ、絶対について行ってはいけないよ。行ったら戻っては来られない。お父さんやお母さんが悲しむよ』
「えっ、そうなの?」
目を見開く。元々大きい青い瞳が転がり落ちそうだ。
『きゅうちゃんも悲しいよ。リュカとまた会いたいからね。だから、約束してくれる?』
「約束?」
『うん。絶対に異類審問官や黒い布を被った者たちについて行かない。捕まりそうになったら逃げるって』
「う、うん。捕まえに来るの?」
不穏な響きの言葉に服の腹辺りをきゅっと握りしめる。
『分からない。でも、来たらきっとお父さんが守ろうとしてくれるから、その言いつけをきちんと守ってね』
「うん……」
九尾の言葉に口ごもる。
『どうかした?』
「あのね。あの、お父さん、嫌な事をされちゃわないかなあ。僕のせいで……」
しょんぼりと項垂れる。
『リュカのせいじゃないよ。それは絶対に違う。それに、お父さんもお母さんもリュカを守ろうとするんだから、リュカは無事でいなければ。それがお父さんやお母さんの意志に沿うことだからね』
「うん、僕頑張って無事でいるね!」
言葉を重ねると、ようやっと笑顔を見せた。
リュカの気落ちした顔は見たくなかった。いわんや、無残な死に顔などあってはならない。
しかし、周囲の懸念通り、異類審問官は再びエディスを訪れ、幻獣の声を聞く異能者を寄越せと詰め寄った。
エクトルは辣腕の商人ではあり、エディスのみならず、ゼナイドで尊敬される人物だった。
その子供であるリュカは愛らしく、人々に好まれていた。それでなくても国が拒否するにもかかわらず、ずかずか入り込んで好き勝手なことを言う異類審問官は忌避されていた。
どうやって国境を超えるのか、検問を強化しても何度となくやって来る異類審問官を門番が入市を拒否すると、開かれた門の向こうに向けて異類を寄越せと喚く。
「エクトルさんとこの坊ちゃんを連れて行こうなんてふてえやつらだ!」
「リュカぼっちゃんが悪だなんて、そんなことはあるもんか! どこが私らと違うって言うのさね!」
「私もぼんやりとリムちゃんが言っていたことを分かってくるようになったよ。そうしたら、私も逮捕されるのかね!」
皆既日食の時、太陽を隠した月の影から美しい真珠色の輝きが波打っているのが見えた。
ゼナイド国内でも特にエディスの翼の冒険者の評判は高い。エディスの人々は自分たちの街を守ってくれたドラゴンが纏っていた光と皆既日食の時に見た真珠色の輝きとが酷似していると語りあった。貴光教にとっての凶事も、見方によっては印象を大きく変える。
エディスでも凶作や天変地異は猛威を振るったが、彼らは諦めていなかった。鮮やかに空を駆けていく翼の冒険者の姿が常に胸にあった。
いつも助けてくれるとは思わないが、不思議と絶望しそうなとき、彼らのことを思い出すと、再び立ち上がる力を得た。
一方、ゼナイド国王は刻一刻と追いつめられる心境だった。
王太子の時分に王位に近しい者がしでかしたことが王室の闇を明るみに出した。
豊かな大国ゼナイドは屋台骨が揺らぎ、軟弱な貴族は逃げ散って領地に籠っている。新たに玉座についた王は挽回するために頑張るしかなかった。
天変地異に凶作、非人型異類の跋扈、流行り病と凶事が相次ぐ中、貴光教の異類排除令がなされた。
ゼナイドは異類審問官の入国を拒否した。
毅然と断っても、知ったことかとばかりに幾度もやってくる。
黒いローブを頭からすっぽり被った者が街中で目撃されたと報告を受けた時は大きな衝撃を受けた。同じような風体の者が異類審問官の護衛官として随行しているという情報を得ていたのだ。
街中に兵士を配したものの、護衛官のことを街の人間に注意喚起するか迷った。易々と侵入を許したことを謗られるのは仕方がないにしろ、無暗に混乱と恐怖に陥らせるのは上手くない。エディスは意気軒昂で、その活力を失わせることを惜しんだのだ。ゼナイドの要であるエディスが活気を失えば、いかな大国とはいえ、とたんに脆く崩れ落ちるだろう。
緊迫する中、エディスからそう遠く離れていないゼナイドの村へ異類審問官が現れ、異能保持者を逮捕しようとする事件が起きた。村人は激しく抵抗し、異能保持者一人が犠牲になったという報告を受けた。
国王は強くキヴィハルユに抗議したものの、先方は強硬な姿勢を崩さない。
そんな折、一筋の光明が差した。
久方ぶりに、翼の冒険者がエディスへ訪れたというのだ。
空元気気味だった街は気力を取り戻し、見たこともない素材を大量に放出してくれたことから、どんなところへ行っているのだろうか、どこへ行っても活躍していることだろうと噂し合った。
更に喜ばしいことに、冒険者ギルドに一角獣が登録を行ったというのだ。衰弱著しい一角獣を水の精霊が引き取っていったと聞いていたが、翼の冒険者と共にゼナイドに舞い戻ってきた。冒険者登録を行い、エディス近隣に跋扈する非人型異類を討伐するという申し出があったと報告を受けた。
ゼナイド王室が行った非道を受けてなお、ゼナイドのために尽くしてくれるのだ。
「国王たる私がここで踏ん張らねば何とする」
執務室の机は書類で散らかり、部屋の中央に運び入れた大きなテーブルの上に地図を広げて腕組みしつつ睨んでいたゼナイド国王が呟いた。
ゼナイドはハルメトヤから離れている。けれど、異類審問官はここにまでやってくるのだ。それも頻繁に。
「では、ディルスの子息は渡さないのですな」
「無論だ。無辜の民を害されることは、国として断固として阻まねばならん」
部屋には数人の貴族や役人がいて、国の防衛や商取引の保証、故郷を追われて難民となってゼナイドへ入国した者たちの処遇、活発化する非人型異類や魔獣の討伐といった多くの有事への対処を語り合っていた。
そのうちの一人が国王の意思を確認するように言うのに、頷いた。
「おお、素晴らしき気概。感服いたしました。民も陛下のご恩情に……」
「侯、世辞は良いと言っておろうが。そんな暇は我らにはないのだよ。こきつかって済まぬが、侯の知恵はこの難事を乗り切ることに使ってくれ」
「そうでしたな。では、泰平が訪れましたら心置きなく陛下を褒めちぎることにしましょう」
即位前から何かと味方してくれていた貴族は好々爺の笑みで引き下がる。
「それはぜひ参加したいものですな」
街の警護の指揮を任せていた伯爵がやってきた。いつの間に扉を開いて室内に滑り込んできたのか分からない。
「伯、何事かあったのか?」
「はい。また例の異類審問官が来ました。門兵が追い返しましたが、門は開いておりますからな。そこから異類を寄越せとがなり立て、それに民衆が言い返しています」
居並ぶ者たちが辟易とした顔をした。
「一触即発か?」
「今はまだ。ただ、すぐにそうなってもおかしくはありません」
「では、私が行って断ってこよう」
「陛下が御自ら?」
「うむ。ここは正式に断るが良かろう。やつらは決してエディスに入市させてはならん」
「はい。各地の情報からするに、何をしでかすか分からない者たちですからな」
国王は玉座にて使者を迎えるものだ。しかし、ゼナイド現国王は建前よりも、危険を回避する方を選んだ。
国民たちに国の姿勢を見せておくのも良いだろう。
「陛下は執務室と食堂、寝室の行き来しかしておられません。外の空気を吸う良い機会すな」
「違いない」
自分の意を汲み、形式にとらわれずに柔軟に事に当たってくれる者たちに感謝する。自分が即位するまでは彼らは邪険にされる傾向にあったが、今までよく腐らず見捨てずにいてくれたものだ。
「早く侯にのんびり褒めちぎられたいものよ。その時には伯には美味い酒を飲ませてやろう」
「つまみは陛下の称賛ですか」
どっと笑い声が上がる。
不穏な最中でも笑えるだけ、心の余裕を持つ家臣たちを頼もしく思った。
しかし、それも街中での騒動の前に吹き飛んだ。




