41.懐かしい再会2 ~街の人気者~
高い壁の中に赤や茶系の屋根が凝縮されている。くっきりと通りが伸びてそこから支流がいくつもできている。円形の外壁から内側にかけて幾重もの道が円をなしている。
中央には広場があり、公共施設が建つ。
北側にどこまでも続く湖があり、その境目を王宮が両翼を広げている。
『ここがエディスか』
上空から眺めながら一角獣が呟いた。
「ベヘルツトは最近のエディスを初めて見るものね。以前と変わりなく思えるね」
『でも、あちこちに兵士を配していますよ』
「本当だ。でも、物々しさはないね。街は活気に溢れているし、特に委縮した様子はないな」
シアンも意識を集中すれば、相当な距離があっても街の様子を感じ取ることができた。
『串焼き屋もいっぱい出ているね』
『あ、トマトのおばちゃんがいるよ!』
『おお、あれは盛りの良い焼き栗屋ではないですか!』
エディスに慣れ親しんだ幻獣たちは食い気に走った。
「ふふ、じゃあ、降りようか」
『リム、一応、ベヘルツトに隠ぺいをしておいてくれる?』
『良いよ!』
九尾の言をリムが元気よく請け合う。
「あ、そうか。ベヘルツトは先だっての事件の当事者だものね」
よく気が付いてくれたと言わんばかりのシアンも当事者なのだがその認識はない。
シアンは久々の入市なのだから、と冒険者証を取り出そうとするがその必要はなかった。
門番はティオの姿を見るなり、シアン一行を中へ入れてくれた。
「あっ、翼の冒険者!」
「何だって?」
「翼の冒険者だって?」
「どこどこ?」
「本当だ!」
「グリフォンだ!」
「ティオだ!」
「リムもいる!」
「白い狐もいるよ!」
街へ入った途端、注目を浴び、シアンは以前、リムが大きくなってドラゴンの屍を追い払った時の騒動を思い出した。
「僕たちも隠ぺいして貰った方が良かったかな?」
『えー、でも、そうしたら、屋台巡りができませんよ!』
それが目的ではなかろうに、と思ったものの、ティオもリムもそのつもりでいる。
「じゃあ、まずは腹ごしらえしつつ、街の様子を見てみようか」
苦笑しつつそう言うと、幻獣たちから喜びの声が上がる。
一角獣は物珍しそうにあちこち眺める。活気あふれるエディスに心なしか嬉しげだ。
『物がいっぱいあるね』
「うん。とても賑やかで活力のある街だよ」
この国を豊かにしたいという少女の願いを叶え続けてきた一角獣からしてみれば感慨深いだろう。
『シアンたちはとても人気があるんだね』
『きゅうちゃんたちはエディスの英雄ですからなっ』
九尾が得意げだ。
「お! 狐さんじゃないか! 今ちょうど出来立てだよ!」
目ざとく九尾を見つけた焼き栗屋が杓文字で掬って差し出す。
「きゅ!」
「はは。覚えて下さったんですね」
屋台の前で尾を振る九尾に笑い声をあげて、シアンは屋台の店主に声を掛けた。
「いやあ、うちのを翼の冒険者が良く買ってくれていたからね。特にそっちの白い狐さんが美味しそうに食べてくれるからなあ」
「おう、こっちの串もじきに焼けるぞ!」
「リムちゃん、トマトもあるよ!」
『美味しそうなものがいっぱいだ』
一角獣が鼻息荒く蹄で地を掻く。
『さあ、ベヘルツト、焼き栗もご賞味あれ!』
シアンが出した深皿に山盛りにしてくれた焼き栗を九尾が一角獣に差し出す。
『ベヘルツトはジャガイモ料理が良いんじゃないの?』
『エディのお母さんが働いていた店へ行く?』
「ゼナイドはジャガイモ料理が沢山あってどれも美味しいものね」
『ゼナイドは本当に豊かな国になったんだね。美味しいものがいっぱいある活気のある街になったんだ。飢えて凍えて死んでしまう者は少ないんだね』
ティオやリムが言うのにシアンが同意すると、一角獣は感心しきりだ。
シアンはようやく一角獣にこのエディスの活気ある様を見て貰うことができて、思わず涙がこぼれそうになった。
そうやって屋台や通りを行き交う者たちから声を掛けられるのに答えつつ、最近のエディスやゼナイドの様子を尋ねる。
「ここいらも凶作の荒波は押し寄せているよ」
「でもまあ、俺らも自分たちで色々工夫してやっていかなくちゃな」
「折角、角のある力の強い幻獣が助けてくれていたんだろう? それを無駄にする訳にはいかないしな」
「非人型異類が暴れまわっているけれど、冒険者たちが翼の冒険者がいなくなったエディスを守るって意気軒高さ。翼の冒険者様々だね」
「異類排除令?」
「ああ、この国の王侯貴族もちょっと前までは異類はあまり良いようにされていなかったから、心配していたけれどよ」
「でも、国王様が変わってからは異能があっても税を納めるんだから国民には変わりないって言ってさ。異類審問官っての? それが入り込むのを拒否したんだよ」
「それでも、連中、しつこく来るんだよね」
「そうそう。だから、街中にあちこち兵士が立っているんだ」
「まあ、街の者が問答無用で連れていかれないように見張っているんだって言うんだから仕方はないさ」
「お陰で盗人がやりづらくて盗みをされることなくて俺たちゃ助かっている」
「でもさあ、ほら、エクトルさんとこの小さい坊主。幻獣の声を拾えるなんて、異能に違いないって言われてさあ」
「そうだよね。エディスの大商人の息子でさえそんな言いがかり染みたことを言われるんだから、いつ誰が連れていかれたっておかしくはないよ」
屋台巡りをする間に様々に話を聞くことができた。翼の冒険者に聞かれればみなこぞってエディスの近況を説明してくれた。
集まった情報に、シアンは屋台巡りを一旦切り上げ、エクトルの店に顔を出すことにした。
「シアンさん! お久しぶりですな」
「ご無沙汰しております」
「こちらは方々で噂を聞いていますから、そんな感じでもないのですがね」
シアンの傍らに九尾がいるのを見て取り、リュカを呼んでも良いかと聞かれる。
「きゅ!」
シアンが返事をする前に九尾が一声鳴き、エクトルはいそいそと息子を呼ぶ。
「お客さん?」
やって来たたリュカは記憶よりも随分大きくなっていた。言葉遣いもしっかりしている。
「あ、きゅうちゃん! きゅうちゃんだ!」
『おお、リュカ! 久しぶりですな! 大きくなって!』
「きゅうちゃんも丸くなったね!」
「きゅっ……!」
駆け寄って九尾に抱き着く。
突然の訪問にも関わらず、大歓迎の態で迎えてくれる。
リュカの母や兄姉は出かけていて会えなかったが、ジャンに倣ってティオも招じ入れようとしてくれるのを断り、厩舎を借りて、ティオと一角獣はそこで待っていて貰うことにした。
ひとしきり再会までの話をし、各地で得た素材を手土産に渡すと恐縮しつつも喜ばれた。
「早速なんですが、街で不穏な噂を聞きまして」
『リュカ、きゅうちゃんにリュカのおうちを見せてくれないかな?』
シアンの言葉に九尾がすぐさま反応する。
「うん、良いよ! お父さん、僕、ちょっときゅうちゃんを色々案内してくるね!」
「ああ、行っておいで。きゅうちゃん、宜しくお願いします」
九尾の心遣いを悟ったエクトルが軽く頭を下げる。
「きゅ!」
九尾が頷き、リュカと連れ立って部屋を出て行った。
「済みません。リュカの前で」
九尾がシアンが話し出す前にリュカを連れ出したことで、思い至った。
「いいえ、お気になさらず。翼の冒険者には賢者が付き添っている様子で安心しました」
「本当に、きゅうちゃんにはいつも助けて貰っています」
「その賢者が我が息子と仲良くしてくれているのは何かの巡り合せかもしれません」
「きゅうちゃんも心配していました。もちろん、僕もリュカのために手をお貸しできることがあればと思っています」
エクトルは思わずと言った態でシアンの両手を握った。
長年、エディスで大商人として辣腕を振るうエクトルでさえこうなのだ。
異類排除令の恐ろしさを感じずにはいられない。
「私も異類審問官が強引に逮捕するという話を聞いています。連行されればろくに裁判に掛けられることなく、処刑されるとも。逮捕されれば帰ってくることはできないのです」
シアンは改めて薄寒い心地になる。
普段通り暮らしているところへ急に異様な風体の者が現れて連れて行かれ、恐らく拷問を受けるのだ。人形岬で見たあの惨憺たる有様からして間違いないだろう。そして、帰ってくることはない。残された家族にとってもあまりにも惨いことだった。
「ゼナイドは異類審問官の入国を拒否したと聞きました」
「ええ、頑張っています。国王が変わってこの国のありようも変わった。しかし、連中は手ごわい」
短く言い切ったエクトルの重い言葉には真実味があった。
「彼らには彼らの道理しか通用しないのです」
「そんな。侵略と同じようなものではないですか」
「はい。だから、国も強硬にならざるを得ない。国民を守れなくては王侯貴族を名乗る資格はないのですから」
異類審問官たちは異類は人を害する悪であり、それを取り締まっているに過ぎないと主張する。
「それを邪魔する者も悪だと言わんばかりなのです」
自分の意見が正しく、それに従わない者は悪だと決めつける。
これはどんな人間でもそういう境地に陥ることがあることだ。自分の中の物差しでしか物事を測れない。その基準から逸脱するものに拒否反応を示し、あるいは不快になり遠ざけようとする。
事象には全く別の観点があるなど考えも及ばない。
幻獣の言葉を拾える人間も異能保持者と目されるというが、異能というものの線引きは曖昧だ。シアンは以前、深海生物をまさしくこれこそが異類ではないかと思った。そういうものを大らかに包括するのではいけないのだろうか。
「エクトルさん、あの、もし、一時的にでもエディスを離れられるのであれば、避難先をご用意できます。ここから大分南下する場所ですが」
せめてリュカだけでも、とは言えなくて口を噤んだ。リュカはまだ幼い。家族から引き離すなど酷い仕打ちだ。
「幾度目かにやって来た異類審問官はリュカの異能のような不思議な力を持つことを聞き及んでいました。私も色々調べてみましたがね、あいつらは異能保持者を逮捕し、その財産を没収するのです。拷問にかかった費用、拷問係の給金から拘束する縄に至るまで事細かに目録を作って根こそぎ奪うのですよ。審問太りしていると専らの噂です」
エディスの名高い商人の目には爛々と強い光が灯っていた。
築き上げてきた実績に裏打ちされる自信がある。何より、テリトリー内に入って来て勝手きわまることを声高に言われて大人しく従う謂れはないのだ。
「異類排除令が発令される前から、幻獣の声を拾う者は異能者ではないかとは言われていたのです」
エクトルは出会った当初、異界人でありスキルという異能を持つシアンが活躍することで、異能保持者への偏見をなくすことに繋がるのではないかと言っていた。だからこそ、得体のしれない結社である幻獣のしもべ団の後ろ盾にもなってもくれた。
「今、街では自警団を結成しています。エディス支部の幻獣のしもべ団の方々からも自衛の仕方を教えて貰っていますよ。専ら逃げること主体です。煙玉を投げつけて注意を逸らすうちにとかの工夫を重ねています」
エディスで辣腕を振るうエクトルだ。当の本人が残ると言うのにシアンは重ねて街を離れることを強制することはできなかった。
エクトルもリュカもシアン一行を名残惜し気に見送った。
現実世界との二重生活を送るシアンにはタイムリミットが付きまとう。
話し合った結果、九尾と一角獣はしばらくエディスに残ると言った。
『我はあの子が豊かにしようとした国を、それを実現させた国を荒らされたくない』
『きゅうちゃんは猪突なベヘルツトの知恵袋をしますよ』
そこで冒険者ギルドに事情を話して登録を行い、一角獣や九尾だけでもエディスの門を潜ることを許可された。
冒険者ギルドでも長年人知れずゼナイドを豊かにするために尽力してきた一角獣のことを知っていたし、先だっての王族による虜囚の一件も承知していた。
その一角獣がエディス周辺の非人型異類を討伐してくれるというのだから感激もひとしおである。
「一角獣も翼の冒険者になられたのですね! 流石はエディスの英雄です!」
「あ、それと、この白い狐もです」
「もちろん、存じておりますとも。翼の冒険者ご一行の幻獣様ですね」
『きゅっ。やはり、きゅうちゃんの高位幻獣特有の溢れんばかりの気品は隠し切れないのですね』
『狐、余計なことを言っていないで、ほら、行くよ』
登録を済ませ、幻獣に憧憬の目を向けるギルド職員に九尾が冗談口を言い、一角獣が討伐に出かけると急かす。
『えー、きゅうちゃんは街でお留守番していますよ』
『街に黒いのがやって来てもすぐに戻れば良いよ』
『きゅっ! それって突進するってことじゃないですか。嫌ですよ。内臓を置いてきた心地になるのはカランで十分間に合っています!』
嫌がる九尾を連れて、一角獣は早速街の外へ出かけて行った。
「二人とも気を付けてね」
『うん』
『シアンちゃんはちゃんと眠ってくださいね』
九尾の言う通り、現実世界を疎かにしないと頷いた。
シアンは現実世界で音楽に携わる仕事をしていたため、多くの人間に見られることが多かった。不特定多数の人間から予期せぬ感情を持たれることは多かった。
そのため、貴光教のしてくる嫌がらせは、されて嫌なものの、それほど気にしないでおこうと思っていた。
これは幻獣たちが過保護だったせいでもある。そのため、危機感を抱くほどの危機には直面してこなかったし、シアンとしても、幻獣や精霊の守護に慣れ切っていたのだ。
しかし、ここにきて、身近な者たちに黒ローブの魔の手が眼前に迫り、考えさせられざるを得なかった。
以前、九尾はエディスで起こった火災の際、シアンが要なのだからと言われたことがある。頼もしい幻獣たちはシアンがいてこそなのだ。
物理的な攻撃は脅威になり得ない。けれど、シアンへの包囲網は次第に狭まりつつあったのである。




