35.避難 ~ジェスチャー~
シアンは異能保持者らに一時避難を呼びかけることにした。魔族が協力してくれた。それが貴光教の魔族への憎悪をいや増させることになるとは思ってもみなかった。
マウロに異能保持者の保護と仮避難場所を押さえたことを伝え、彼らに呼びかけを行うために集落の場所を知らないか聞いたところ、幻獣のしもべ団も手伝うと言った。
「俺たちの中にも異能の持ち主は大勢いる。他人事ではないんだ。ロイクたちの村やゾエ村はまだハルメトヤから離れている。オルティアのところは一族揃って国を味方にすることができるからまだ持ちこたえることが出来る」
自分たちの郷里が安全だからといって、他の異能保持者がどうなっても良いとは思えないだろう。
「それに、離れていると言っても、黒いのの腕が長く伸びないとは限らない」
「ロイクさんたちやグェンダルさんたちは村の様子を見に行ったんですよね? どうでした?」
「噂は届いているが、まだ落ち着いたものだ。ああ、物資の礼を言っていた」
そこでシアンはマウロと相談し、幻獣のしもべ団と手分けしてハルメトヤから近い異能保持者の集落に呼びかけを行うことになった。ここでも幻獣のしもべ団が敷いた転移陣網が活躍した。彼らは大陸西のことを委細承知していたのである。
「異界人は除外されたとはいえ、気をつけろよ」
マウロは貴光教が翼の冒険者に害意を抱いていると感じていた。シアンにはまだ幻獣のしもべ団が黒ローブとぶつかったことを話してはいない。死傷者が出たと聞けば、シアンは幻獣のしもべ団を解散させるだろう。幻獣たちとシアンのための結社だ。しかし、今解散されれば、異能保持者を救うことはできない。
どれほど心酔する上司であっても、言わなくても良いことに口を噤んでいられる。それが上司を守ることになると思っているからだ。
「フィロワ家が頑張ってくれたお陰で、クリエンサーリはこっち側だ。ハルメトヤの東はフィロワ家に任せよう。そっちはオルティアを含む諜報隊が請け合ってくれる」
地理関係にも詳しいというのでうってつけだ。クリエンサーリはフィロワ家が属する国アルムフェルトとハルメトヤに挟まれた国だ。ここへ来て重要な位置を占める国を味方にできたのは大きい。
「貴光教に捕まりそうな時は海が近ければ海へ、森が近ければ森の中へ逃げるように伝えて下さい」
「分かった」
マウロは理由を聞かずに頷くだけに留め置いた。
大方、シアンの持つ精霊たちが力を貸してくれるのだろうと見当をつける。精霊が加護を与えた人間に願われたからといって無関係の者を救ってくれるなど前代未聞だが、シアンと付き合っていると聞いたことや見たことがない出来事に良く遭遇するのだ。
今は驚いている時すら惜しい。
「ハルメトヤの南から西、できれば北の方も回りたいですね」
「固辞されるのも多いだろうな。故郷を捨てるのは忍びない。それでも、移住者は相当な人数になるんじゃないか?」
「避難場所は広いですよ。物資もあります。あとはニカという港町にさえたどり着いてくれたらそこから海を渡るだけです」
「ニカを目指せば良いんだな」
こうして翼の冒険者と幻獣のしもべ団は異能保持者に仮移住を呼び掛けることになった。
人は言う。
異能排除は自分が理解できないものに対しての過剰反応であると。
ならば、分かり合えるまで対話を求めていくしかないのではないか。
立派な意見である。
けれど、加害者側は自分を「正義」とみなしているのである。彼らは「悪」を掃除し、清浄な世界を作りだそうとしているのだ。神の御為に。
果たして、塵芥の意見に耳を傾けるだろうか。聞く体勢になるまで、どれほどの犠牲者が出るだろうか。
また、異能保持者らが移動を渋ったのはじきに来る冬季に逃げることの困難と郷里を離れる不安、自分たち不在の後、春に戻って来て種まきが出来るのかというものがあった。
マウロが言った通り、呼びかけにすんなり応じない者が大半だった。
シアンは訪れた村でまずは話を聞いてくれたことに安堵する。噂が頻々と届くのに重い腰を上げずにいる村人たちはまだ他人事だという認識から逃れられなかった。
期間限定であろうとも村を離れることに抵抗がある様子だ。
何なら、事が起きれば助けに来てくれという者までいた。
そんな悠長なことを言っている場合ではない。
あの人形岬で起きた光景がまざまざと思い出され、シアンは唇を噛んだ。
「貴方方は何を言っているんです? すぐそこにまで死がやって来ているというのに、まだそんな生ぬるいことを言っているんですか?」
「あんた、誰だ!」
振り向くと、四十代後半の女性がいた。くるぶしまである袖付きの貫頭衣を着ている。美しい刺繍が施されていた。
「風の聖教司様でいらっしゃいますか?」
用いられる刺繍の模様は地位によって異なってくる。女性の衣装には見事な両翼の翼があった。
「そうです。貴方様は翼の冒険者でいらっしゃいますね。ご勇名はかねがね伺っております」
シアンに恭しく一礼して見せると、彼女は村人たちに向き直った。
「貴方たちは貴光教の酸鼻極まる行いを知らないのですか?」
「捕まっても裁判にかけられるだろう?」
そこで無実を申し立てれば良いという。
「いいえ、裁判では刑を言い渡されるだけです。逮捕者の自白を基に、裁判が行われる前に有罪が決まっているからです」
言い切った風の聖教司の言葉に何事かと集まって来ていた村人たちがざわつく。
「そしてその自白を引き出すために痛めつけられるのです。貴方方は逆さづりになってのこぎりで身体を縦に真っ二つに引き裂かれたり、細長い杭で突き刺されたりしても、それでも自分たちの正義を貫けますか?」
苛烈な内容に多くの者が青ざめた。
「どうしてそんなことをされなきゃならないんだ!」
「貴方たちが異能を持つからです。その異能を彼らは悪と断じた。だから、凄惨な痛みを与え、死をもってして清められる。世界を清浄にする、それが彼らの考えです」
怒りを露わにしていた男があまりのことに絶句する。
「俺たちは生きていてはいけないっていうのか?」
他の村人が戸惑ったように声を上げる。
「時世のつけを押し付けようとしているのです。彼らにとっては自分より下の人間が幸せにしているのが気に障るのです」
そして、それが嫌いな者ならなおさらだ。だから、執拗に魔族を痛めつけるのだ。魔族が積極的に幸せになろうとしたから、活発的になったから、口答えして生意気だから、惨烈な目に合わせても当然のことなのだ。貴光教はそんな価値観の中で生きていた。
自由を愛する風の聖教司たちは堺を作ることを拒んだ。
「種の違いなく手を取り合えるのならそうすべきです。少なくともこちらから拒絶すべきではないと我らはそう思います」
だからこうして各地を歩き、手を貸しているのだと言う。
「翼の冒険者は凶作や天変地異、流行り病に喘ぐこの大陸西の現状を憂いて物資を配ってくださいました。そしてまた手を差し伸べようとしてくださっています。困った時に助けてくれたのは誰か。その者の言葉に耳を傾けず、頑なに閉じ籠っているだけでは惨劇を招きます」
シアンは異能保持者保護に関して他の神殿の力を表立って借りることはしなかった。宗教間の対立になると大ごとになりかねず、それを避けるためだ。他の神殿も自分たちが口を出すことで貴光教をより頑なにさせてしまうことを懸念して、静観をしていると聞く。
しかし、裏では幻獣のしもべ団を助けてくれたことが幾度となくある。
ここで、その援助が組織立っていないことが裏目に出た。対処療法的な場当たり的な援助しかできなかった。
翼の冒険者の噂が及ぶところでは話に耳を傾けて貰えた。
村を一時とはいえ空けて逃げることに首を縦に振られなかった者たちにも、緊急時は海や森へ逃げ込むように話し、食料や薬、日用品を配る。
一度は断ったものの、後から相談し合い、一部の者、特に女性や子供といった抵抗する力がない者がニカへやって来ることもあった。
その際、リムのジェスチャーをすることで、符丁とした。
執拗に追って来る黒ローブに一人二人捕まった仲間もいる。
命からがらたどり着いた港町がニカであると教えてくれた門番に思わず抱き着いた者もいる。
「大丈夫か、あんたら」
「見るからに逃げて来たんだろうが、きつく言われているんでなあ。通行許可書はあるか?」
「な、ないです」
門番の問いに、途端に暗い雰囲気が漂う。
「僕たち、入れないの?」
「あ、そうだ。あれをやれば良いんだよ、あれ」
「そうか。あれをやってみせてね、って言われていたものね」
子供たちは一斉に下げた手を斜め下から逆の肩上まで掬い上げるような仕草をした。
中には「キュア!」と鳴き真似をする者もいる。
「お、そうかそうか!」
その姿を見た門番が破顔した。
「翼の冒険者に会ったんだな」
彼らはニカの有力商人から符丁を見せた者は翼の冒険者やその縁者から教わった者だから、通すように言われているのだ。
「よし、通って良いぞ。良くここまで頑張って来たな!」
「中へ入って異能保持者保護施設の場所を聞きな」
「温かい食べ物と寝床があるからな」
「疲れているだろうから、ゆっくりしな」
ニカには翼の冒険者からたっぷりと物資を預けられている。
わっと異能保持者たちから歓声が上がる。
「運が良かったら、幻獣に乗れるかもしれないぞ」
「えっ⁈ グリフォンに?」
「いやいや。まあ、埠頭に行ってからのお楽しみだ」




