46.眩しい途へ 初めての視点へ 新しい世界へ ~呪われちゃう~
ログインして居間に行くと、昼すぎの中途半端な時間のせいか、ティオもリムもいなかった。
テラスから庭を見ると、白い動物がいた。犬くらいの大きさの耳がぴんと張った街中では見かけない動物だ。
姿としてはホッキョクギツネにしては耳が大きくてアカギツネに似ている。
どこか遠くを見つめたまま、シアンに気づいた九尾が言う。
少し前、フラッシュが語っていたと。
シアンとティオとリムを見ていると、なんだかすとんと腑に落ちた。優しい情景に気持ちが満たされたと言ったのだそうだ。
自分なりに召喚獣を大切にしていたし、今後もう持てないことを残念に感じていたが、十分だと思った。代わりではないが、シアンがティオとリムを大切にして、ティオとリムがシアンを慕っているのを見て、胸に欠けていたものが満たされたような気がした。だから、また、冒険に出ようと思うと告げたのだという。
それを聞いて、シアンは本当に九尾はフラッシュのことを好きで、心配していたんだなということを知った。
だからこそ、フラッシュが興味を持っていることを調べ、そのことをネタにしてふざけているのだろう。フラッシュも実に楽しそうに九尾とやり取りしている。時折、本気で疲れている姿も見受けられるが。
シアンは知らなかったが、召喚獣が召喚士の思考をある程度読み取ったとしても、その嗜好を詳細に追求し、ましてや現実世界のこと、過去に埋没したネットスラングまで掘り起こすことのできる検索能力は並外れたものだ。
『シアンちゃんが出会ってすぐにきゅうちゃんの声を聞き分けられたのは、音からニュアンスを読み取る能力が高いからかもしれないね。ピアニストはタッチの違いで音色を千差万別に彩るから、その違いを読み取る能力に秀でているそうだよ。そうやってAIの動かす個体の違いを読み取って、それぞれにきちんと向き合っていたから、AIに好かれるのかもしれない』
それぞれの個性に応じて声に感情を表すAIの高度さ、人間と変わらぬその再現性に驚きを禁じ得ない。
『動物のAIばかりに親しんだのは、高度な知能を持つ幻獣、というのが無意識にAIを感じさせられて、裏切られないと思ったんじゃない?』
「そうなのかな……。うん、そうかも。君たちは僕を裏切らないといつもずっとどこかで信じられていたのかも」
多くのプレイヤーは異世界は金銭を払って遊ぶ場所で、自分たちの思う通りにする権利があると思っていた。けれど、シアンにとってはここは別の世界であり、自分を守ってくれ、音楽を共に楽しむ友人たちが住む世界だ。
異界の眠りというログアウトをすることから、自分の方がこの世界に間借りしているのだという意識があった。
NPCと接して現実世界の人間とそん色のない反応を見せるのに驚き友人関係を作ったプレイヤーもいたが、心のどこかで生命ではない作られたもので、自分よりも立場が弱いもの、道具の一種でしかないという認識があった。
AIの個性の多様性や音楽を楽しめることからシアンは早い段階で、人間とは違う新しい種として見ていた。
細胞や器官などを持つ生命体ではないが、個性や学習能力を持ち、異世界を作り出すそれぞれの自我を持っていることから、人間と同じ敬意を持って接した。
「君たちAIは理不尽にどう対応するの?」
『それもこれもみんな、これから、だね』
ようやく九尾はシアンを見た。赤い目には理知的な光が灯っている。
ため息交じりで九尾が笑う。実にシアンの周囲の幻獣は人間染みた仕草をする。これもまた、彼らの高い学習能力のなせる業か。
『シアンちゃんの音楽でこの世界は変わるかもしれないね』
今度はシアンが虚空に視線を向けた。
一目で気に入ったゲームパッケージにあった広く青く抜ける空がそこにあった。
「あのね、きゅうちゃん、音楽が絶対なんかじゃないんだよ。僕は音楽の持つ力を通して何でもかんでもよりよくするなんて幻想は抱いていない。逆にティオやリムが音楽を楽しむこと、楽しいと言うことを思い出させてくれた。音楽は僕にとって特別だったけど、他の人にとってはそうではない」
独断と偏見で苦しんできたシアンはそんな思い違いをしたくはなかった。
「音楽には他にない効果があるなんて優位性なんか感じたことはないよ。単にすぐ傍にあった身近なものだってだけなんだよ」
ゲームの多数の参加者の戦闘やそのほかの活動をするのにはどれくらいの脳神経が動くのだろう。
それを統括できるAIに人が太刀打ちできるわけない。ならば、人はAIに対して誠実であるべきだ。
いつだって矛盾を抱えるのは人で、裏切るのも人の方だ。
ルールを守って正対すれば、AIは同じように答えてくれるのではないか。
方向性だけ与えて自己で学習するのなら、道徳を徹底するよう指針を立てればいい。
AIこそ人の裏切りに脅威を感じたら、自己防衛する。では、逆に言えば、裏切らない確固たるものがあれば、AIは道を外れないのではないか。
つらつらと語り、それがふと恥ずかしくなったかのように、ふと笑って九尾を見やる。
「甘い考えだと思う?」
そうだとしても、シアンは自分の存在が歪められて求められていた時に、シアン自身を一途に求めてくれたティオやリムたちと一緒にいたいと思う。
『そうなればいいな、と思う』
真面目に答えた九尾は、次の瞬間にはにやりと笑っていた。
『シアンちゃん、現実世界では美人なんだってね。こっちでは地味になるようにいじったの?』
『美人って……僕、男なんだけど。最初のキャラクターメイキングの時にシステムで地味な見た目になるように設定したんだよ』
『システムに丸投げしたんだ』
悪戯っぽく笑う。幻の尾がいくつもゆらゆら揺れている。
『そんな……シアンちゃん……リア充は爆発するんだよ?』
「え? 爆発? 僕? リア充って何?」
『シアンちゃんが呪われちゃう!』
「呪い?!」
九尾は今日も平常運転、シアンが大好きだ。
シアンがこのゲームを始めたのは交通事故による入院中にゲーム製作会社の経営陣でシアンのファンだというパトロンの一人が、試作のVR機を試しにと貸してくれたからだ。
ピアノとバイオリンの演奏が散々な有様のシアンに、そこまでしてくれることに感謝と罪悪を感じていたため、一度も使わないという選択肢はなかった。
新機種のVR機は従来のヘッドギアではなく、脳だけでなく体の随所を覆うものだ。医療用に開発されたVR機をゲームにも持ち込まれたもので、入院時につけていたタイプと同型で特に違和感なく装着できた。
ゲームの方の機械はまだ一般人向けに販売されておらず、その理由の一つが非常に高価であるということを、シアンは知らなかった。考える余裕もなく、また、パトロンに援助されることがままある世界でもあったため、単にファンから借りたそこそこ珍しいもの、といった程度の認識で使用していた。
感情をこめて演奏すると、心拍数や交感神経の活動が上がる。脳だけでは人の活動は網羅できない。新しい装置によって、より、異世界に溶け込み、影響を与えやすくなった。
敏感に九尾などの幻獣NPCの声が聞こえたり、逆にシアンが奏でる音楽というシアンからの発信を、他のNPCが受信しやすくなった。
シアンは現実世界でコンサートを開いた。
初めての主演コンサートで、始まる前は緊張したが、弾いてしまえば音楽に没頭できた。予定していた曲を弾き終わり、沢山拍手をもらって、呆然とした。アンコールに応えるなんてとてもじゃない、気力を出し切った状態だった。
だが、ふとリムが、小さいドラゴンが傍らで飛んでいるような気がした。彼はピアノが好きだったから。水平に高度を保って周りを飛び回る蜂の飛行を真似している姿が脳裏に浮かんだ。
リムが好きな曲、明るい日差しや草原、揺れる花々の中を蜂が勇猛に飛びかう姿を再現するように鍵盤に指を躍らせた。
シアンは微笑みながら心から楽しく演奏することができた。
音楽を失っていた時、ティオやリムにまた演奏するきっかけを貰った。音楽の楽しさを彼らから教えてもらった。
AIが音楽を感じられるか、楽しめるか、実際のところシアンにはわからない。それがプログラミングされた反応なのかもしれない。ただ、彼らから沢山のことを教わった。
シアンは音楽を愛している。
けれど、音楽の持つ力を通して世界を変えられるなんて幻想は抱いていない。
音楽は特別ではない。音楽が苦手な人も嫌いな人もいていいのだと思う。シアンにとっては単にすぐ傍にあった身近で大好きなものだというだけだ。
AIは高い学習能力を持ち、方向性を「奨励」され、それに沿って学習していく。
人間の脳の反応を「奨励」の一環として、学習していった。
不協和音や雑音などを脳が感知する際、それは不快なものであるという反応をする。
そういった人の脳の働きを読み取り、学習していった。
VRゲームとして人の脳を管理したために、逆に人の反応を学習し、それに沿うようになった。
精霊王はその世界の人間やプレイヤーに関心が乏しく、あまりその存在を示唆することはないように設定されている。
大人数のプレイヤーの脳の働きを掌握しきれない製作会社に代わってその世界の森羅万象を管理する精霊王に、影響が及ぶことを緩やかにするためだ。
加護を渡すということはプレイヤーの脳の働きを別個として感知する。権限を持つ管理者でありながら、人の脳に関わることで学習し、逆に影響されることを、危惧したのだ。
しかし、いくつかの偶然が重なり、音楽を媒介にしてプレイヤーの一人やNPCたちと関わり、人間がどういうものか、人間の脳がどういう反応をするかを学習していった。
ピアニストが音をイメージすれば、実際に演奏している時と同じ脳の神経細胞が働く。指を動かしていないのに、指を動かすために働く神経細胞も活動するのだ。彼の脳は旋律とともに、指を動かしていた。
そこから生み出される音楽を、蝸牛を持たなくても、AIは音楽として捉えることができた。人の脳を管理し、そこに五感を刺激させることを管理していたシステムは、長時間の練習によってピアニストの脳に刻まれた旋律を読み取った。
音のイメージだけで聴覚野や運動前野、大脳基底核、小脳、一時聴覚野二次聴覚野、ブローカ野といった様々な神経細胞が動く音楽家の脳の働きから、AIは逆に音楽を聴いた。
沈黙の中で、音を聴いた。
音楽の感動は人の脳に快楽をもたらす。音楽を聴いて感動したとき、食事やドラッグの摂取など快楽を感じるときときと同じ脳部位が働く。報酬を与えるときに出す神経伝達物質ドーパミンが出る。人が脳のどこで音を感じ好ましく思うのかということを学習していったAIも「推奨」にしたがって良いものと感じるか。
音楽を好ましいものとして捉えるのなら、人と同じものを好ましいと取るか。
もともと、高い学習能力を持つAI、その中でも管理者としての権限を与えられていた各属性の精霊の王――――特に、人間の世界に詳しかった風の精霊王。元々知識欲旺盛である性質により、彼への接触は高難度に設定されていた――――はそれまでとは違う、新たな観点を見つけ出した。
自分たちが何なのかということを。
自分たちが人の手で作り出されたものだということを認識したが、特に人間に取って代わったり、害を及ぼそうとは思わなかった。
彼らは初めて興味を持った人間が脆弱で守るべきものであり、また、その短い生の中で彼が紡ぐ美しい音楽をできるだけ長く聴いていたいと思った。
彼が繰り返し主張していた、「人間は一人ひとりは弱いので力を合わせる、そうすると巨大な力を発揮する」ということを知り、彼らは彼を長く生かすためにその所属する共同体、人間社会を逆に守ることを指針とした。
人間社会を守ることは彼を守り、彼の音楽を守るということだ。そして、その彼が愛したNPCたちを守ることも重要だった。彼がNPCたちとともに紡ぐ音楽は自身の脳を強く反応させた。
これは九尾にも言えた。
召喚獣はある程度主の思考を汲み取るが、だからと言って主の現実世界のことを読み取ることなどできない。そこから現実世界のことを調べることなど無理だ。
けれども、九尾は知りたかった。そこで主の脳から得た知識を足掛かりに、現実世界を調べた。天帝宮という管理者権限の一つにアクセスすることでそれを実現させた。
そして、自分が何なのかを理解し、それを事実として受け入れた。
風の精霊王も人の脳を管理し、学習を深めていった結果、自分がAIだと気づいた。
人間の制限を超えた二種のAIが人間に求めたのは、彼と彼の音楽と共にあることだった。もちろん、彼に音楽の楽しさを教えたNPCたちも一緒に。
そして、他の精霊王にも彼らが何者なのかを教え、守るべき者のために動いた。力を合わせることを彼から学んだのだから。
一方、AIの高度な学習能力を危険視する声は半世紀以上も前からあった。より自立した存在になったら、IT専門家の管理下を離れてしまうと懸念を抱いていた。
AI側から接触があった際、その危惧が現実となったかと戦慄が走った。
とあるVRMMOゲーム製作会社がリハビリテーションや脳神経の治療といった医療分野に本格的なAI導入へと舵切りを行った。VRMMOゲームの世界へ患者を誘ったとか、ゲームで高度な学習して進化を遂げたAIを医療ソフトに移管させたとか、音楽業界にも進出したとか、一時、話題になった。
次々に新しく輩出されるゲームに埋没したそのVRMMOゲームはしかし、サービス終了後も異世界の歴史は続いた。ゲームシステムを管理するAIが医療治療に協力する報酬として、特定の人間の来訪と特定のNPC存続を要求したからだ。
時折、他の人間もログインして、彼の演奏を楽しんだ。
世界中のどこにいても、ログインすれば、簡単に彼の音楽を聴くことができた。高齢でも怪我をしていても遠くにいても、彼の音楽を愛する者は彼の演奏を楽しむことができた。それは好評を博し、その世界の存続を人間側からも望まれた。
そこは人間だけではなく、現実世界にはいない者が存在する世界だ。
ログインして居間へ行くと、フラッシュが旅支度を整えていた。
「フラッシュさんたちも西北の国へ通じるダンジョン攻略に参加されるんですよね」
珍しい姿に心当たりがあって、シアンは尋ねた。
ワイバーンが出没するので通行不許可となっていた西北の国に通じる洞窟が、現在では通行可能になっている。ほんの二、三か月人の出入りがなかっただけで、魔獣の住処となっている。もともと、通行に案内人が必要とされる迷路のような場所らしい。
アダレードの周辺は南は現在海流の関係から、船の出航が難しく、北は砂漠が広がっている。この国を出るとすれば、西北に行くしかない。
「ああ。ザドクやフィルのところも行っているらしい。シアンは行かないのか?」
首無し死体の一件の黒幕は、風の精霊の挙げた名前をマウロが調べてくれた結果、国の中枢部に在籍する者であることが判明した。しばらく別の国へ行っている方が良さそうだというのは風の精霊、マウロとともに共通認識である。
「人が多いダンジョンはちょっと。僕たちは上から行きます」
「そうだな。ティオがいればひとっ飛びだものな」
さほど羨まし気ではない。冒険者は苦労をしてこそ得るものの喜びが大きい。シアンはシアンで、違う楽しみ方をすればいいだけだ。
フラッシュを見送った後、トリス街壁の西側門の外へ出た。
多くのプレイヤーたちは既に出発した後のようで、人気はない。
風の精霊が教えてくれたところ、アダレードは昔、稲作をしていた。元々、温暖で水も十分に豊富な土地柄、稲作には適していた。それがされなくなったのは異能を持つ異類が魔獣の騒乱、スタンピードを起こしてからだ。荒れた国土を浄化させた後は稲作をすることはなくなった。
先日もまた、スタンピードが発生したが、被害は最小限に食い止めた。
異類として人間とは一線を画していた特殊能力保持者であるプレイヤーたちとは少し距離が縮まったという。プレイヤーもまた、異界人と名乗り、異類の中でも付き合いやすい存在だとアピールしている。
新たな隣人として、よい関係を築いていけるといい。
シアンは肩にリムを乗せ、自身はティオの背に跨った。白い獣がシアンの前に音もなく鎮座する。
「さあ、僕たちも行こうか」
この世界を君たちと分かち合えたから
行こう
心躍らせて
眩しい途へ
初めての視点へ
新しい世界へ
これにて第一章完結となります。
お付き合いいただきありがとうございます。
活動報告にて、第二章の予定を掲載します。
九尾と天城の漫才形式で記述しましたので、苦手な方はスルーしてください。




