32.魔族の国王 ~親近感/愛称?/遠慮~
「リ、リム!」
『だって、シアンもディーノもふさふさだもの。ユルクと同じつるつるの頭!』
「きゅぷっ!」
リムがつい、と弧を描いて室内に入り、一人しかいないので国王だろうその人にあり得ない言葉を言い放ち、シアンが慌て、九尾が再び吹き出す。
三十代半ばの褐色の艶やかな肌を持つ男性は禿頭だった。リムの言う通り、ユルクと同じく美しい頭部の形をしている。シアンたちの方へ歩いて来て跪いたので良く見えた。
「お初にお目文字仕ります。私がこの国の王リベルト・フィネスキにございます」
国王は頭を垂れたまま、エディスの一件を陳謝した。
エディスを襲ったドラゴンの屍を操ったのはリベルトの従兄弟で、叔父の子供だという。
王家の血筋で、強大な力を持っていた。常に力を使わないようにしていた彼らは、闇の精霊絡みで使う時には全力を出す。だからこそ、死にかけとはいえ、ドラゴンなどという生態系の頂点を操ることが出来たのだ。
シアンは謝罪を受け入れた。
「シアンと申します。先ほどは失礼しました。この子がリム、グリフォンがティオ、一角獣がベヘルツト、白狐が九尾です」
名乗ったものの、国王は跪いたまま見参の喜びを奏上した。非常に丁寧に接せられる。シアンはディーノに視線で助けを求めた。
「お立ち下さいますよう」
至近距離で立たれると、ニメートル近い身長を見上げることになる。
形の良い卵型の頭をむき出しにし、長く弧を描く眉の下、垂れ目を覆うまつげは長い。高い鼻は横に広がり、分厚い唇は赤い。何よりくっきりとした白目に炯々と光を発する黒目、目力が強い。眉間にしわが寄った精悍な顔つきだ。褐色の肌は鍛えられた筋骨に覆われ動作のたびに隆と動いた。
『つるつるは国で一番偉い人なの?』
「リ、リム⁈ 失礼だよ!」
シアンは慌てて制止する。
指摘されてしょげるリムに、リベルトがシアンにとりなす。そして、威厳に満ち、泰然と笑ってリムに愛称をつけられるなんてこの上ない栄誉だと言う。懐広い人だなと思いつつ、魔族だからかな、とも思う。
「何もない場所でしょう。これでもまだ、少しましになったのですよ」
ディーノから黒白の獣の君が魔族の街に興味を抱いていると聞いてから、少しずつ整えていった。それまでは国のトップこそが最も奢侈を忌避していた。
「いえ、見事な織物ですね」
「ありがとうございます。元々、魔族は織物を得意としていましたが、大判を作ることができるように、織機を開発したのです」
込み入った話は別室へ、と国王自ら先に立って案内してくれる。
扉を開けてすぐの小広間には中央に大きなテーブルが鎮座している。
大広間よりも柔らかな色彩のこちらも上質な織物がふんだんに使用されている部屋で、同じく装飾はそう多くはないが、細部にまで行き届いた心遣いを感じられた。
促されて座った席の周囲にはティオや一角獣がうずくまるに十分なスペースがある。四重奏や五重奏といった室内楽の楽師のための場所が取られているのかもしれない。
「どうぞお掛けください」
シアンが座らなければ誰も着席しないので勧められたイスに座る。
「あ、これ……」
思わず呟き慌てて口を噤む。
座り心地で館の家具を彷彿させた。シアンが気づいたことにディーノが破顔する。
「お気づきですか。館の家具を作成したのと同じ作者によるものなんです」
「王宮の家具と同じなんですね……」
シアンは据わりが悪そうに身じろぎする。
「いえ、シアンが来駕されるので、急遽魔神から下賜されました」
「神の眷属が作った逸品は流石に王宮で普段使いすることはないでしょうなあ」
用意してあった茶器で茶を淹れながらディーノが事も無げに言い、リベルトが苦笑する。
シアンは飛び上がりそうになるのを堪えた。
見れば、ディーノが扱う茶器も館のものと似た雰囲気を持つ。
『あの館の家具は神器だったんですね。この調子では食器もそうかもしれませんなあ』
九尾はどうりで逸品ぞろいだと腕組みして頷く。室内に入る前は四つん這いで歩いていた九尾は後ろ脚立ちしている。流石の胆力で、リベルトは驚いた素振りを見せない。
シアンは入居と同時に大地の精霊に館のあらゆるものを強化して貰っていて良かったと心の底から思った。幻獣たちの力が強いからの補強であったからだが、うっかり壊してしまったら大変だ。どうやら、取り返しのつかない価値のある物品に囲まれていたらしい。
「お気になさることはないですよ。壊れたら新しいものを差し上げることが出来ると喜ばれるでしょう」
シアンや国王だけでなく幻獣たちにも茶菓を配りながらディーノはそう言うが、喜ぶのは間違いなく魔神だろう。何かとシアンにくれようとするのだ。
「ええと、その、今度またお茶会を開いてみることにします」
茶菓を眺めながら思いつく。
「それはとても喜ばれるでしょうね」
そのくらいしかできないけれど、という意味合いで言うシアンに、ディーノが諸手を上げて賛成する。シアンは魔神たちがそれで喜んでくれるなら本当にやってみようかと思った。
「おお、伺いましたぞ。魔神を招待し茶会を開かれたとか。シアン様とリム様のお作りになった料理を頂戴し、大きくなられたリム様の歌を拝聴したのだそうですね。この上ないもてなしを下賜されたとか」
『ああ、正確にシアンちゃんと魔神の立ち位置を把握されているんですねえ』
上位神よりもシアンを上位に位置付けるリベルトの物言いに、九尾が感心して二度三度頷く。
「そうですな。上位神に崇められる人間というのは他で聞けば冗談にすら受け取られないでしょう」
用意されたカトラリーもまた見事なもので、リム用の小さいものとそれよりも少し大きいものまであった。少し大きいものが据えられた席を九尾に勧めていたことから、ディーノからよくよく話を聞いているのだなと思う。
いつでも遊びに来てください、という意味が籠められているらしく、ティオや一角獣に供された器も専用のものなのだそうだ。
『これは他の幻獣たちの専用食器も用意していそうですなあ』
「ございますよ」
『あるんですね!』
『わあ! 今度、みんなで遊びに来ようよ!』
ここは王宮だ。気軽に遊びに来て良い場所ではない。
しかし、シアンが止める間もなく、国王が莞爾となる。
「ぜひいらしてください。今日は込み入ったお話がありますが、次は楽師の音楽をお楽しみください」
『音楽! ぼくたちも音楽をしているんだよ! 界という樹の精霊がくれた木から作った楽器をね、英知が力を貸して演奏できるようにしてくれたの!』
よほど幻獣たちと共に演奏できるのが嬉しいらしく、新たに手に入れた楽器について語る機会を逃さずリムが話す。魔神たちとのお茶会ででもきっとその話をするだろう。そうなれば、幻獣たちの演奏を聞きたいと言われるだろう。わんわん三兄弟が緊張しなければ良いな、とシアンは随分先のことを心配した。
「伺っております。他の者の奏でる調べに耳を傾けるのもまた楽しいもの。もしその音楽が気に入られたのならば、共に合奏するのも良いでしょう」
『やりたい!』
流石は国王、うまうまと次の約束を取り付け、話を長引かせることなく本題に入った。
シアンはリベルトと貴光教が発令した異類排除令を中心に様々に話し合った。
リベルトは貴光教の魔族を敵視すること甚だしさに、翼の冒険者も表立って魔族と関わりがあると公表しない方が良いかもしれないとシアンを気遣った。
シアンは穏やかに微笑んだ。
「僕は、僕たち同郷の者は異能を持つのです。迫害の対象から逃れ得ません。異界人もまた、異類排除令の対象者です」
ひゅ、と魔族の王が息を飲む音が聞こえる。
魔族に取って信仰の象徴とも言える存在だ。その神よりも上に位置する者が害されるなど、あってはならないことだった。後に、貴光教の動向を探らせていた配下から、貴光教が異界人に関しては異界の者として排除令から除外すると宣告されたことに、王は心の底から安堵した。
「ですので、異類排除令は他人事ではないのです。翼の冒険者の支援団体である「自由な翼」の中には異能を持つ者も多くいます。彼らの同胞が捕らえられることは避けたいのです」
フィロワ家はアルムフェルトでも有数の貴族だ。ハルメトヤとは隣国クリエンサーリを挟んで近接している。また、ゾエ村やロイクとアメデの故郷のことも気がかりである。マウロには金銭を渡し、転移陣を用いて様子を見てきて欲しいと伝えている。
「魔族の友人もいます。それに、魔族のみなさんにはいつも良くしていただいているので、迫害されるのを座視していたくはありません。ただ、僕が動くと幻獣たちを巻き込む可能性が高い。僕は力を持たなくて、一人では殆ど何もできないのです。だから、慎重に動きたいと思っています」
『シアンはぼくが守る』
『ぼくも!』
『我も』
シアンの言葉にすかさず幻獣たちが言葉を添える。
そう言ってくれるからこそ、シアンは自分の挙動に気を配らなければならないと思っている。
『シアンちゃんは本当に自分の力を分かっていませんねえ』
九尾が両前脚を組みながら首を左右に振る。
「まあ、シアンですから。でも、貴方たちがついていれば大抵のことは何とでもなりますよ」
ディーノが苦笑する。
「畏まりました。シアン様のお気持ち、謹んで拝します。我らも自分たちの火の粉を払う必要がある。その上で、異能を持つ者たちの手助けをすることができましょう。異能保持者の一時避難は確かに有効でしょう。荒地の提供も構いませんとも。ただ、ご承知の通り、少々難のある場所でしてな」
「ありがとうございます。環境整備にいくつか腹案がございますので、拝見してきてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですとも。ご自由にお使いください。こちらも非人型異類や魔獣の討伐に人員を差し向わせましょう」
しかし、リベルトのこの提案は実行に移されなかった。必要はなくなったのである。
シアンは手土産に幻獣たちが狩った島の獲物を渡し、リベルトは大いに喜んだ。
流行り病の薬も渡したが、魔族は罹病する者はいないらしい。
「魔族に時折蔓延する種族病があります。この薬はその時まで取っておくようにします」
冗談めかしてそんな風に言い、受け取ってくれた。流行り病に罹病しない魔族に有効な薬かどうかは不明だが、備えておくに越したことはないだろう。
お返しとばかりに、シアンもあれこれと渡される。
人間たちが話す間、幻獣たちは茶菓を楽しんでいた。
空になったリムの皿と自分のとを取り替えようとするリベルトに、リムが迷う風情を見せた。
「リム様、遠慮されなくても大丈夫ですよ。お代わりは沢山ありますからね。ティオとベヘルツトもお代わりされますか?」
ディーノがリムの意図を察してすぐさま菓子を取り出す。
『うん』
『食べたい』
『あ、きゅうちゃんにもお願いします』
幻獣たちが口々に催促する。
「はい、どうぞ」
「ふむ、なるほど。リム様はティオ様らに遠慮なさったのか」
ディーノの慣れたやり取りにリベルトが感心した風に頷く。シアンは一国の王の前でもマイペースな彼らにはらはらし通しだ。
『だってね、ティオやベヘルツトの方が体が大きいからいっぱい食べるもの。半分こはね、仲の良い者たちの前でしかしちゃダメなんだよ、ってシアンが言っていたの!』
「おお、何とお優しい」
一生懸命に話すリムの言葉に相槌を打ちつつリベルトが莞爾となる。
『美味しいからね、半分こするの。シアンがそうやって良いものを分けてくれるんだよ』
「なるほど。リム様のお優しさはシアン様から教わったのですな」
『うん! シアンが優しくしてくれるとね、ぼくはとっても嬉しくなるんだ! だからね、他の者にもそうするの。そうしたらね、他の者も嬉しくなるかもしれないでしょう? それはね、光のようにきらきら温かくて、闇のようにゆったり心地良いんだよ』
「おお……」
「光のように、闇のように……」
リベルトとディーノが感銘受けたようにリムの言葉を噛みしめる。
「ありがとう、リム。僕もリムが優しくしてくれて嬉しいよ。でもね、どれだけ言葉を尽くしても分かり合えない者はいるんだよ。リムがそうやって色んな者の良いところを受け止めて他に伝えていくことができるのはリムの性質だよ」
『そうだよ。シアンもリムも優しい』
『ティオの言う通りだよ』
『きゅうちゃんも賛成します』
シアンや幻獣たちに口々に褒められ、リムは口元に両前足を当て、くふふ、とくすぐったそうに笑う。
「……!」
もはやリベルトは声もなく頬を紅潮させる。
やはり魔神と同じような反応をするんだな、とシアンは内心苦笑する。
後に、魔族の国都は音楽と美食の街となる。豊かで美しく発展した国では、共存と尊重を掲げられた。




