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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
457/630

31.インカンデラ  ~つるつる~

 

 高い壁に囲まれた魔族の国インカンデラの国都カノーヴァは北側に王宮を擁する大規模の街だった。

 空から見ると横長の円を描いており、その周辺をぐるりと大河が囲んでいる。橋がいくつもかかり、そこから街の大通りへと続いている。街の中心部にはよく削った鉛筆のような尖塔を持つ建物が数棟ある。街中にも緑が見られる。

 同系色の屋根は高さを揃えられ、碁盤の目のように整然とした街並みをしている。活気があり、人通りも多く、物資に溢れていた。路地裏に座り込む者や物乞いは見受けられず、子供たちは質素ながらも清潔な衣服を身に纏い、足には大きさの合う靴を履いている。何らかの勉学が行われていたのか、鐘の音と共に子供たちが一斉に飛び出してくる。元気よく賑やかで不健康に痩せこけている者はいなかった。

 老人たちもぼんやりする者は少なく、あれこれと無理のない範囲で立ち働いている。

 何より、通りは清潔で、他国でまま見られた糞尿が二階の窓から降って来るといったこともない。

 下水が整備され、不潔が病を呼び起こすのだという自治体の呼びかけを良く守っていた。

 通りは早朝もしくは夕方に手が空いた老人や子供たちが掃除をする。そうすると自治体から少量ではあるが報酬を得られるのだ。

 シアンは門を潜ったところで待っていたディーノに案内されつつ、そういった話を興味深く聞いた。

 随行者はティオ、リム、九尾に一角獣である。

 インカンデラへ行くついでに荒地の様子を見てくると言ったら、一角獣も同行すると言ったのだ。もの言いたげな表情をするわんわん三兄弟に、ついて来るかと尋ねたら躊躇いがちに首を振った。

『早くもやる気満々ですよね』

 荒地を制圧するのもそう遠くはない未来のようだ。

『大丈夫。話が分かる者がいたら、ちゃんとまずは対話するから』

『どんな風に話すの?』

 九尾に真面目に返す一角獣に、リムが小首を傾げる。

 どう話すかまでは考えていなかった様子で、一角獣も首を傾げる。二頭が顔を見合わせて同じ方向へ首をひねっている。可愛らしい様子にふふ、とシアンが笑うと二頭も莞爾と笑う。

『困っている人間がいて避難させたいから、ちょっとこの土地を貸してほしい、で良いんじゃない?』

 ティオが言う。

「そうだなあ。でも、後からやって来て、厚かましいかな。対価を支払うって言えば良いかな?」

『確かに、魔族の領地とはいえ、そこに住む者には関わりのないことですものねえ』

 結論が出ないまま、カノーヴァへやって来た。

 他の幻獣たちは残って物資を整えるのに努めている。

『素材はたっぷり置いて来た』

 シアンに同行するために狩りを頑張ったのだと言う。

『いっぱい狩ったものね!』

 一角獣にぴっと片前足を上げてリムが応じ、ティオが重々しく頷く。

『……狩りに狩った、という態でしたよ』

 九尾の呆れた声に、島の生態系が心配になるシアンだった。

 なお、一部はインカンデラへの手土産として持参している。

 ディーノに手土産はどんなものが良いか訊いたら、島で採れるものが喜ばれるという回答を得たからだ。

 今までも島で採れるものはおいそれと流通に乗せることは憚れたので、ディーノを通して捌いていた。そんなものかな、と思うシアンだったが、現在取引される物の中でも最も珍重される代物ばかりだった。

 鸞が作った薬やユエが作成した日用品や魔道具なども持って来ている。

 魔力蓄石に関しては、ディーノからまだ出さないで置いた方が良いとアドバイスを貰っている。

「すごいものがあれば使いたくなるのが人情ってものですからねえ」

 ディーノが九尾と似たようなことを言ったのが印象的だった。つまり、ディーノは九尾と同じく、立場を超えてシアンのためを思って発言してくれる得難い存在だった。

 また、それが分かるからこそ、幻獣たちにも好かれていた。

『わあ、あれはなあに?』

「あれはオレンジの一種ですよ。ああ、ちょうど食べごろですね。食べますか?」

『いいの?』

 リムがわくわくと期待に満ちた目でシアンを見る。

「うーん、これから王様に会うんだから、ちょっとだけね」

 ティオの方はと言えば、串焼きの屋台から漂う香ばしい香りに気を引かれている様子だ。

『あ、ジャガイモだ!』

 一角獣が自分の好物を見かけ、嬉しげに蹄で地面を掻く。大通りでは石畳が敷かれ、埃が立ちにくい工夫がなされている。

「最近、魔族の国ではジャガイモや豆腐、モモも人気なんですよ」

 随分豊富な物資が揃っているのだな、とシアンは余所事のように考える。

『も、というと? やはりトマトとリンゴの他に、ということでしょうか?』

「ええ、あとは芋栗なんきんも」

 そこでようやく、幻獣たちの好物が取り揃えられているのだと知る。

「それは、また……」

「生クリームは中々難しくてね」

『あの滑らかさ、コクを追及するのはそうだろうね』

 ティオが重々しく頷く。

『そのうち、ユエに遠心分離機をもう一つ作って貰おうよ』

「あー、そいつは喜びますでしょうが、取り合いになりそうなんで」

 一角獣が事も無げに言い、ディーノが頭を掻く。

『ユエが作ったものを魔道具職人が仕組みを調べて量産して貰っては?』

 魔族の技術水準は高く、向上心もある。

「なるほど、それは良いかもしれませんね」

 そんなことを話しつつ、通りであれこれ買い食いしながら王宮へ向かう。

 こんなにのんびりしていても良いのか、シアンがやきもきする。

「大丈夫ですよ。俺はカノーヴァを見て貰う役目も仰せつかっていますので」

 ティオが気配を薄めていてもグリフォンだと一目でわかる。しかも、同じ大きさの一角獣もいるのだ。目立つ。そして、その正体が問題だった。

 遠巻きにされているものの、注目を集めていることをひしひしと感じる。

『シアン、平気?』

「うん、まあ」

 ティオの言葉に屋台の食べ物を満喫していたリムがはっと顔を上げる。オレンジの果肉で白い毛並みを汚している。

「ふふ、魔族の街のことを聞いて、オレンジを食べたいって言っていたものね。堪能出来て良かったね」

 顔や首の汚れを拭いてやりながらそう言うと、リムが満足げに笑う。

「キュア!」

 仕上げとばかりにピンク色の鼻をちょんとつつく。

 遠巻きにしながらもシアン一行の動向に傾注していた魔族たちから控えめなどよめきが起きる。

「ああ、そろそろ行きましょう」

 ディーノが察して一行を促した。

『はーい』

『わかった』

 ディーノに芋栗なんきんを使った菓子を買って貰って頬張っていた九尾とジャガイモをふかしてバターを加えたものやジャガイモとアスパラガス、ベーコン、玉ねぎとを炒めた料理を味わった一角獣が素直に頷く。アスパラガスも魔族の国の産地であると聞き、ジャガイモとも合うと喜んでいた。

 シアンは茹でたアスパラガスを半熟トマトと粉チーズ、黒コショウをかけたものを食べ、その美味しさに驚いた。

 ディーノに連れられてやって来た王宮は周囲を深い掘で囲まれていた。その正面の門は高く聳え、跳ね橋を守っている。

 王宮は堅牢の一言に尽きた。

 粗く削られた岩壁が一層武骨な様相を呈している。

 シアンはインカンデラでは「翼の冒険者」「島主様」で通じる。グリフォンを連れているのですぐにわかる。「幻花島」の島主様、というのだそうだ。

 セバスチャンが他者との会話の中でシアンを称する際、用いた言葉が広まったのである。

 島に初めてやって来た幻獣に下知したのもこの呼び名である。

 当の本人は異称に戸惑うので今では名前で呼ばれている。

「花帯の君」というのは闇の精霊を強く意識させるので、シアン自身を前面に押し出した名称というのである。それが迅速に浸透するのは闇の精霊に傾倒する魔族ならではといえる。

 王宮へは幻獣たちも共に招じ入れられた。

 あちこちから翼の冒険者、島主様、という声が聞こえる。遠巻きに恭しく礼をされ、シアン一行が通り過ぎるまで頭を下げたままの姿勢で静止している。

「随分多くの方がいらっしゃるんですね」

「いやあ、普段はこれほど詰めていることもないんですけれどね。どこからかシアンたちが来るのを聞きつけて、参内しているんです」

 ディーノはよく王宮に来るようだ。慣れた様子で他の者に任せることなくシアンたちを先導する。

 それもおかしな仕儀で、通常は侍従や侍女が行う。シアン一行に関しては粗相があってはならぬということと、あまり大仰なことを好まないだろうということ、何より、多くの者が少しでも近くづくことを望んだので、案内人を選定しきれなかったのだ。

 ディーノは宮殿内を歩きながら、これから会う魔族の王に関して様々に話した。

 昨年から国王は積極的に街道を整備し、宿泊施設を建てた。立派な厩舎付きである。

「どうかすると、諸外国の宿と比べると厩舎の方が立派なんですよ」

 そうすることで、宿場町に人が集まり、道具屋や日用品を売る者が出始め、他の店もでき、市が立つようになる。

 王は厩舎の充実とともに料理と音楽にも力を入れた。これは魔族全体に言えたことだ。

 また、意思疎通のできる幻獣の手厚い保護が行われた。

 もともと、魔力が高く、反撃するようになった魔族たちは盗賊や非人型異類をものともせず、他の商人よりも活発に活動するようになった。

 建設ラッシュのインカンデラでは、衛生面の考慮を加味されているのだそうだ。

 ディーノに案内された先のひときわ大きな扉の両側に儀仗兵が立っていた。

「ここです。いわゆる謁見の間ですね。ご挨拶したらすぐに小広間にお通しして寛いでいただくので、直接そちらへ行っても良いのですが、一応、手順を踏んでいただこうと」

「も、もちろんですよ」

「ああ、お気になさらず。シアンと幻獣たちとお茶をするのを心の底から楽しみにしていらしたので」

 どことなく魔神を彷彿させる話である。

 九尾が足元で変な音を立てて吹き出している。

 大広間に入ると、楽師たちが高らかにファンファーレを奏で、華やかな演奏がなされた。

 天井が高く、左右の壁は一面の窓ガラスが嵌められている。ふんだんな採光を行う広々とした空間には、落ち着いた色合いの絨毯やタペストリーが設えられていた。よくよく見ると、絨毯もタペストリーも新しく、まだこなれていない。

 美しく彫刻された石の台に花が飾られ、細緻な装飾の蝋燭立てがあった。けれど、柱は粗く削りだした石造りで天井画などもなく、美術品は見受けられなかった。

 謁見の間は他国からの使者を迎える場所でもあったから、国威を示すために豪奢になるのが常だ。

 玉座は君主の象徴的なものとされていた。権力の象徴ともいえるこの椅子は贅を凝らした華やかなもの、貴重な素材で作られたり大規模なものになることもある。

 ところが、この大広間の奥にはそっけないほど簡単に岩を削っただけのものが鎮座していた。魔族たちは他国からの使者を迎えることは殆どしなかった。勢い、装飾は最低限のものとなった。

 そこには今、誰も座していない。その遥か手前、大広間の中央よりも扉に近い位置で待っていた人物が笑顔で両腕を広げて見せる。

 背が高くがっしりした体つきの美丈夫がいた。

 窓際に楽団がいる他はその人物しかいない。

 国王なのに護衛や侍従をつけず一人でいても良いものかと疑問に思ったが、後に、幻獣たちに煩わしい思いをさせないように人払いしていたのだと聞いた。その時は、そんな疑問はリムの第一声で吹き飛んだ。

『わあ、ユルクと同じ! つるつる!』



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