26.線引き
各神殿たちは貴光教の所業に激しく抗議した。他属性との交流を拒む光の属性、六大属性のうち上位に位置づけられる属性の神殿ではあったが、その行いはあまりに酸鼻を極めた。
異能保持者の連行を阻もうとする各属性の聖教司たちには、黒いローブを被った護衛官が対応に当たった。
国としては全く手が回らない天変地異や凶作、流行り病、非人型異類の跋扈による被害に関して、国民から不平不満が吹き出し突き上げられ手詰まりの状況だった。その首謀者として罪を擦り付け、国民の非難の目を逸らすことができ、消極的ながらも歓迎した。
各神殿も流行り病への対処に疲弊しており、一時的に力を失っていたことも災いした。 凶行に抗議してもその非道を止めるには至らなかった。
国でも各神殿でもこれほどの惨烈、これほどの残虐が行われているとは夢にも思わなかったのだ。まさしく鬼畜の所業である。どれほどの悪感情があればこれほどのことができるのか。
偏狭な理想主義が醸成した、一種病的ともとれる思想からくるものだ。
聖なるものから暗く汚れた面を排斥することによって、清く正しく美しい世界を創造し得るはずだと考えた。敵とみなせば、徹底的に憎悪し中傷し、これを神の知ろしめす光明にあふれた世界から残らず駆逐しようという常人の思いも及ばぬ狂気じみた指針を打ち立てた。
二元論を取り入れて、世界を善の領分と悪の領分とに分けた。善は自分たちであり、悪は自分たちとは違う者、魔族や異能を持つ異類である。
だが、こうした純血主義的思想は、本来、人間の本性にはそぐわないものだ。この抑圧が強迫観念として常に付きまとい、恐怖が恐怖を呼び、怒りが怒りを育てるように、勝手な空想の憎悪が膨らんでいった。その憎悪が残忍さを増していった。
自分が正しい、正義は何をしても良いという価値観だった。
善悪は簡単にひっくり返る。その時々の個々の事情がある。
常に自分が正しく、だから好き勝手をしても良いというのは実に危険な思想であった。
異類とは何か。
異能を持つ者である。
異能は魔法とは異なる力、もしくは特定地域に住む者や一族固有の力である。魔力と関係することもあれば魔力の過多に関与しないこともある。
ところが、これは非常に曖昧な線引きでしかない。
生命は環境に即して進化する。
今現在は認識されていないだけで、他の者が持たない技能を異能とし、異類に分類される者は数多ある。
より多くを見通せる存在からしてみれば、人も動物も相違は小さい。
貴光教は異類を人間でないものとした。亜人、鳥獣、魔獣、幻獣、聖獣、特殊能力保持者などだ。異類は異能を持つ者も含まれるとされ、スキルを持つプレイヤーもここに属する。非人型異類は異様な風体で、他者を無暗に殺戮するので、貴光教の思想も受け入れやすい土台があった。
貴光教が大陸西へ向けて異類せん滅を宣言したことによってプレイヤーも排除される側となった。この異世界に訪れるプレイヤー数は一般的なゲームよりも少ない。ゲーム製作会社の母体が医療機器メーカーのため、試験的要素を含むことの了承を得た上で、限られた本数のみ売り出していたからだ。その代わり安価であり、スケールの大きさ、五感を刺激し、リアリティに溢れた異世界を体験できるという触れ込みだった。そして、試験的要素を含むがゆえに、ゲームシステムが整備しきれていなかった。そのため、ゲームから離れていく者も少なくなかった。
異世界の基盤は現実世界と同じように作り込まれており、そこに妙味を見出す者もいた。
スキルがあっても過酷な世界だ。脱落者も多いが、それが良いという猛者もいたのだ。
死してなお舞い戻ってくることができることを武器に、プレイヤーは限られた時間で異世界を楽しんだ。
中には現実世界の知識を持ち込んで富や名誉を得ようとする者もいた。自分さえよければ良い、所詮、作られた世界なのだから、金銭を支払って遊んでいるにすぎないのだから、現実世界とは違うのだから、法律違反も辞さないという態度は、他のプレイヤーが迷惑をこうむるため、プレイヤー間の諍いへと発展した。
今回、貴光教に異類と断定され、プレイヤーは迫害される側になった。
異類憎しの機運が高まり、一定数の人間が異類排除に同調した。
これにはプレイヤーは戸惑わざるを得なかった。
また、貴光教の魔の手から逃れたい一心の異能保持者から、多くの便利な異能を持っているのなら助けてくれ、同じ異類だろう、と縋られた。新参者ほど助けようとし、自滅した。
トッププレイヤーや古参は静観した。
とある女性プレイヤーが捕まって卑猥なことをされかけ、辛くもログアウトして難を逃れた。
男性プレイヤーが暴行を受けそうになって緊急ログアウトの選択を強いられた。彼は所詮、ゲームの中の世界、痛覚もカットされているのだからと高を括り、拷問時にシステムが緊急ログアウトするかどうかアナウンスを流したが、続行を選んだ。彼は一割の痛みに設定していたから、耐え得ると思っていた。しかし、拷問部屋の陰惨な有様を目の当たりにしただけで、音を上げた。
そういった事象は複数起きた。
管理者へ通報が入り、システム補正が急遽行われ、異界人は別の世界の者でこの世界の理から半ば外れていることから異類排除令の対象にはならないという発令がなされた。
プレイヤーは大いに安堵した。
もはや、助けてくれという異能保持者に手を貸す者はいなくなった。
自分たちは大丈夫だ。なのに、まかり間違って巻き込まれ、今度こそ拷問や強姦されては困る、と考える者が大半だった。
いくらスキルを持っていると言っても、彼らは一個人が小集団を作っているに過ぎない。大陸をまとめ上げている宗教の一つと対峙できる力はなかった。
そして、いくら戻ってくることが出来るとしても、暴行と悪意を受ける胆力も覚悟もなかった。彼らはこの世界を楽しむ目的で訪れるのだから。
彼はちょっと見目の良い男で、幾人かの女性と付き合ったことがあった。
自分は常に選ぶ立場で、少しでも相手に嫌なところがあると思えば別れを切り出し、「理想の女性」を追い求めていた。
徐々に恋人がいる期間が間遠になってきたことに僅かばかり焦りを感じてもいた。女性側に見る目がなく、自分ほどの人間に付き合って貰うことなど発想し得ないのだろうと思っていた。
そんな折、目を付けた彼女はそこそこ美人で、でも、気立てが良くて働き者なので、まあ、結婚するくらいならこのくらいで妥協しておくかなと思って声を掛けたものの、すげなく断られた。
恥ずかしがっているのだなとか、自分なんてと思っているのだと断じる。何より、彼女は若い。ちょっと年上の自分のことを頼りにするだろうと思っていた。
彼女の視線や表情、仕草で自分への好意が伝わって来た。告白めいたことはなかったけれど、彼女とは気持ちが通じ合っていた。彼女とは心が結ばれていた。
「馬鹿だなあ、自分なんてなんて思うことはないのに。俺は外見で判断する軽薄な野郎じゃないさ。分かるよ、俺ほどの人間から声を掛けられたら戸惑うよな。でも、大丈夫。君は魅力的なんだよ。俺なら、君の魅力にちゃんと気づけるんだ」
「お断りします」
折角声を掛けてやったのに、こちらを見ようともせずに短く断る。きっと恥ずかしくて目を合わせることもできなく、ろくに声を出すこともできないのだろう。
「だからさ、温厚な俺もいい加減、腹を立てるよ? それに、俺の好きなお前のことを、お前自身だって卑下するのは許さない! いやな? わかるよ、うん。俺みたいな男とまさか自分なんて、って思ったんだよな」
仕方ないから、はっきりと言ってやることにした。お前が大切なんだ、って。
「貴方のことは何とも思っていないんです。それより、付きまとわれて迷惑しています。付け加えるなら、私は自分を卑下しているのではないです。貴方にこれ以上声を掛けられたくないんです」
毅然とした態度ではっきり言われ、目と口と鼻の穴を丸く開く。
きっと恥ずかしがっているのだ、と思い直し、それにしたって、もっと言い様があるだろうに、若いのだから自分がしっかり教えてやらなくては、と思う。
折角、そんな風に寛大に受け止めてやって、あまつさえ、手を煩わせているというのに、あろうことに、あの女ときたら、親兄弟に話し、そいつらからこれ以上娘に妹に姉に近づくなと言われた。いや、ただ言われたのではない。凄まれた。
そうか、彼女が頑なだったのは彼らの影響なのだ。きっと、偏狭な価値観を植え付けられ、窮屈に囲い込まれているのだろう。
では、自分が助け出してやらねば。自分こそが彼女を救うことができるのだ。
決意も新たに、彼はすぐさま行動に出た。人知れず、彼女の後を追い、一人になる機会を窺った。
一対一で落ち着いて自分の高い理想を話してやれば、きっと彼女も感銘を受けるだろう。
彼女は中々一人にならなかった。常に家族、それもあの野蛮な父親や兄弟が付き添っていた。
それでも諦めなかった。彼女のために、自分がここで断念する訳にはいかなかった。
何、男性一人が常に随伴するほど余裕がある訳ではない。みな、田畑を耕し、家畜を世話し、木材を伐採し、狩りを行わなければ食事をすることもままならないのだ。
だが、案に相違して、彼女の傍には常に男性の家族がいた。
苛々した。
焦燥に駆られ、腹が立って仕方がなかった。
どす黒い灼熱の感情を腹に湛えつつ、粘った。
その甲斐があり、彼女は男性の家族を伴わないことがあった。周囲にいるのは女性ばかりだ。
年嵩の女性たちの中にいる彼女はひときわ輝いて見えた。
「やあ、久しぶりだね」
彼女は目を丸くして立ち止まった。その場で立ち尽くし、小刻みに体を震わせるのは、恐らくようやく会えた感激に打ち震えているからだろう。
「あんたっ! またかい!」
「いい加減にしなよ!」
「纏わりつくなって言われているだろうに!」
「散々嫌だって言っているそうじゃないか。諦めなよ!」
ばばあどもが口うるさくがなりたてる。
あろうことに、彼女を取り囲んで見えなくした。脂肪がたっぷりついた醜い体に隠され、見たくもないものを見せられた不快感が募る。
けれど、ここは紳士的に、かつ、きっぱりと言ってやらねばなるまい。
「ご、誤解です。俺はただ、その、彼女のためにと思って……」
「何が誤解さね!」
「誤解もヘチマもあるかね!」
「こんな嫌がらせが彼女のためであるものかい!」
「何かい? あんたは嫌いな人間に付きまとわれて嬉しいというのかい?」
「にやけ顔で鬱陶しいったらありゃしない」
さも嫌そうに顔をしかめて吐き捨てられ、かっと頬に血が上るのを感じた。
だが、荒ぶる女性たちの怒りの形相に、「へはっ」と言いつつ腰を抜かす。
げらげら下品に笑われ、逃げ帰った。
あいつが、あの女が言うことを聞いていれば、自分がこんな屈辱を受けずに済んだのだ。
そんな折、貴光教が異類排除令を発令した。
これだと思った。
しかし、対象は異類である。
彼女は実は異能保持者なのだと言ってみるか?
いや、少し調べられたらすぐに違うと分かるだろう。虚偽申告でこちらが罰せられかねない。
では、どうするか。
魔族だ。
貴光教が魔族を悪と断じていることはちょっとした情報通なら知っていることだ。
魔族は見目良い者が多い。彼女がその魔族と恋仲になっているというのはどうだろう。きっと貴光教もけしからんとみなし、彼女をきつく叱ってくれるだろう。
そこへ颯爽と現れ自分が取り成してやるのだ。その時になってようやく彼女は自分の素晴らしさに気づくだろう。散々拒否して冷たい態度を取ったのだから、少しばかりこちらが尊大な態度を取っても許すだろう。その後の付き合いでは自分が優位に立てるのだから、これまでの苦労も無駄にならないというものだ。
善は急げだ。
貴光教の神殿に異類審問官がいると聞き、街まで出かけて行った。彼の考えは図に当たった。途中までは。
魔族と通じているなどとはとんでもない所業だと彼女は異類審問官に連れていかれた。そして、帰って来なかった。
彼女の家族が誤解だ、返してくれと嘆願したが、受け入れられなかった。
彼女が連れていかれる時、人間にあるまじき悪辣さだと決めつけられ、その剣幕に怯えて彼は何もできなかった。
村では帰って来ない彼女を心配していたが、徐々に異類への風当たりが強くなっていくうち、審問官に連れていかれて帰って来なかったというのは彼女も悪いことをしていたのではないか、と噂されるようになった。次第に、彼女の家族たちも肩身の狭い思いをし、ついには村を逃げるように一家で去ることになった。
彼は後悔した。
一念発起し、彼女のような無実の者や異類を助けるために立ち上がった。
彼は幾度も死と隣り合わせになりながらも活動し、やがては多くの者から称えられるようになった。
そんなものは彼女や彼女の家族への僅かの贖罪にもならないと思っていた。
しかし、そんな考えも感傷に過ぎないということを後に思い知らされる。
乗り込んだ先、貴光教の神殿の地下で行われていた拷問の数々を見て、それを受けた後の人間だった肉の塊を見て吐いた。
その時になってようやく自分がしたことを知ったのだ。
罪のない人間をこの地獄へ追いやったのは自分なのだ。悪気なく、ちょっとした一時の感情で、この凄惨な仕打ちを受けさせたのは、自分なのだと。




