25.凄惨
異類の逮捕は異能を感知した異類審問官によってなされた他、三通りの場合が挙げられる。
一つは、誰かが異能保持者を告発し、かつ、その異能を立証することを申し出た場合だ。
一つは、誰かが異能保持者を告発した者の、その異能を立証したり告発に関与することは望まない場合。
そして、最後の一つは告発はないものの、ある者の異能について「世間の噂」がある場合である。
つまり、密告か噂によって逮捕はなされた。根拠があるかないに関わらず。
異類審問官補佐は時に黒装束を脱ぎ、市井に潜り込んで噂を集めた。
黒ローブたちは審問官としてでも表舞台に立つことを許された。この時は顔を隠したまま、危険極まりない異能者を連行した。
それは異様な光景だった。
顔を隠した怪しい恰好の者が一見、普通の人間に見える者を、他にない力があると糾弾し、逮捕連行して罪を暴き、処断するというのだ。
まずもって、彼らに何の権限があってそうするのか。そうする根拠があまりにも曖昧すぎる。自身の顔や身分を明かさず、他者の生死を決定づけようとする。そして、何より、思う通りにするために暴力を行使することだった。
拷問の惨さから、この任務は犬目と称される暗部の者たちを精神的に追い詰めた。アリゼがラウノに処方する薬は精神を落ち着かせるものへと変じた。アリゼも忙しく、幾度か訪ねて行っても薬を手にすることができなかったこともあった。絶え間なく立ち働く少女に声を掛けることを憚られたのだ。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、」
「ふん、初めの威勢の良さはどうした。さあ、吐いて貰おうか、お前がしたことを」
「言う。何でも言う」
「ふふん、素直じゃないか。お前は風の民だと称して世界で認められ、光の神の下位存在として存在を容認されている風の神を敬わず、精霊などという得体の知れない者を崇めているそうだな」
「ぐぅぅぅぅぅうっ」
「どうだ。返事しろ」
「そ、そうだっ」
「では、お前はその精霊とやらの力で竜巻を起こし、田畑を荒らし、家や小屋を壊して回ったのだな」
「そ、そんなこ……がぁっぁぁぁぁっ」
「お前のせいでどれだけの無辜の民の命が奪われたと思っているんだっ。ええっ⁈」
「やっ、やった、やったから、やめてくれぇぇぇっ」
「お前の異能は瞬間的に剛力を出すことが出来るそうじゃないか。そうだろう?」
「はい、その通りです」
「お前はむしゃくしゃしていた。人よりも大きな力を持つのに、ちやほやされない。自分の方が上なのに。そう思っていたんだな?」
「はい、その通りです」
「それで、地面を渾身の力で叩いて見せたんだろう。驚かせてやろうと」
「はい、その通りです」
「それで地震が起き、家々が倒壊して下敷きになって死傷者が出た。罪深いと思わんかね」
「はい、その通りです」
「では、お前は罪深い異類だな」
「はい、その通りです」
「何を言って欲しいの! その通り言うから! もうやめて! いぎぃぃぃぃやぁぁぁぁっ」
「お前はその異能によって凶作を引き起こした。そうだな?」
「そ、そんなことできる訳っ……い、いいえ、そ、そうです。その通りです!」
「ふむ。異能は平衡感覚が優れている? では、木登りは得意だな」
「え、ええ」
「なるほど。お前はそうやって雨の中でも木に登り、大量の蜘蛛を枝に置いておき、蜘蛛の巣が張り巡らされる異様な光景を生み出すことによって人心を乱したのだな」
「なっ、そんな馬鹿なことを! ぎぃぃぃぃぃっ」
「そうだな?」
「は、はひぃ、私がやりましたぁぁっぁぁっ」
「薄汚い佞悪がっ! このっ! このおっ!」
「……っ、……っ! ……ふぅっ」
「くっ、あ、あははっ、ようやく悲鳴を上げたかっ! もっと喚け、叫べっ! どうだっ! こうしてやるっ!」
「……っ、……っ」
「強情なっ! お前がやったんだろう! お前ら闇の魔法は氷に関するものだろうっ! 調べはついているんだっ! どうだっ! 白状しろ! お前が氷の嵐で村一帯を氷漬けにしたんだろうっ! お前のせいでどれだけの人間が苦しんだことかっ! お前が! お前らのような下等な者たちがっ! ちょっと見てくれが良いからって! 調子に乗りやがって! このっ! こうしてやるっ! 滅びろっ! 大人しく縮こまって生きていたら良かったんだ! 外見だけでちやほやされやがって! もうちょっとで俺と付き合っていたのにっ! 目障りなんだよっ! 何が中身が残念でもあのくらい見た目が良かったら、だっ! 顔が良いからって、魔力が高いからって楽に生きて来たんだっ! そのつけを今、払わせてやるっ!」
異類たちを留め置くための牢屋は粗末なものだった。ベッドもなく、床に辛うじて馬衣が敷いているだけだ。それでも続々と異類たちは捕らえられ連行された。貴光教は国に掛け合い、王宮の牢屋も一時的に使わせた。一番暗くて汚い地下牢は、湿気が籠りネズミや百足、蛇の他に大小さまざまな虫が這いまわった。投獄された者には上にかけるぼろ布すらない。
異類審問官もまたどれだけ増やしても、数が足りなかった。
それだけの異類が逮捕され、牢屋は過密状態だった。
裁判は毎日行われ、機械的に刑罰、つまり死刑を宣告するだけでも追いつかないほどであった。
混迷する世界を救う異類審問官に任命されたゴスタはやる気に漲っており、この難問に意欲的に取り組んだ。
ゴスタは同じくエルッカから異類審問官を拝命したヘイニとアンセルムと相談し、自分たちの子飼いを新たに異類審問官に任命した。
数回、尋問を見学させ、基本的な尋問リストを渡して職務に当たらせた。
しかも、実際拷問をするのは金で雇った近隣の村人だ。
「質問し、答えなければ村人に合図を送り、痛めつける。これを繰り返すだけだ。簡単なことだろう?」
ゴスタやヘイニ、アンセルムはそう言ったが、見ているだけでも吐き気を催す代物だ。実際に自分主導で行うのは酷く精神を苛んだ。
狭く空気の籠った薄暗い部屋で気味の悪い器具を並べて被疑者と向かい合うだけで、もはや音を上げたくなる。まだ始まってもいなかった。
事前に言い含められていた通りの質問をし、拷問係の村人に合図を送る。村人も初めはおっかなびっくりだったが、とにかく数が多い。徐々に機械的になっていった。彼らも指示されたことをしなければ報酬を得られない。村では腹をすかせた家族が待っているのだ。死活問題である。他人の生死などを慮っている場合ではなかった。
新任審問官も臨時拷問係も必死だった。
だから、被疑者の悲鳴に耳を塞いで聞こえない振りをした。そして、口を割らない者、思う通りの答えをしない者には次々に拷問を施した。渡された資料には拷問の仕方もしっかり記載されていた。審問官も拷問係もコツを掴んでくると、より多くの異類たちを尋問し、裁判に送り出すことが出来た。
審問官も拷問係も被疑者に恨みもなければ迷惑を掛けられた訳でもない。
ただ、職務に忠実だっただけだ。
例え、自身とその家族の生活が天秤の片側に乗っていたとしても、これほどの非道を行うのだからもう一方の天秤が大きく傾く。職務を放棄して別の仕事に就いて糧を得ることをせず、言われるままに凄惨な拷問を、無関係の者に施した。
審問官も拷問係も殊更攻撃的な者ではなく、拷問に喜びを感じる性癖を持ち合わせていない。それどころか、彼らはこの職務に就く間、常に不安で冷や汗をかき、喉の渇きを感じていた。
彼らはただ、自分の職務に忠実だっただけだ。そして、想像力に乏しかった。
途中で職務を放棄する者はいなかった。特に審問官らは自身が所属するものへの不服従を非常に過激な行為とみなしていて、それよりは自分の基本的な道徳的信念を捨てる方を選んだのである。そしてそれを貴光教は後押しした。
耳目を気にしてか、拷問は薄暗い地下か隔離された部屋で行われた。饐えた臭いが鼻につく、あまり長居したい場所ではない。何より、恐ろしい器具が多くある。拷問部屋から牢屋まで被疑者を引きずっていく、血肉の道が踏み荒らされどろどろに汚れた不潔な場所だった。
拷問をしている間に、指を切ってしまった。皮膚の下の肉も切った。血が止まらない。
彼は思い出す。つい先日も同じようなことがあった。あれは家で野菜を刻んでいた時だ。大金を積んでようやっと手に入れた代物だ。どうせ洗って煮込むだけだからと当初は気にしなかった。けれど、少し深く傷がついたようで、血が止まらない。野菜を煮込んでいる間に娘の服の綻びを縫おうと思っていたのに。血が付いてしまっては大変だ。衣服に着いた血はなかなか取れないからだ。綻んだままにして洗濯をしたら、布の裂け目が大きくなる。
ただでさえ忙しいのに。この後予定している家事が脳裏を横切る。
「お父さん、お父さーん」
娘が呼ぶ声がする。その声音に混じる甘えに苛立つ。
この忙しいのに、自分でどうにかするという気はないのか。
第一、自分が拷問なんて唾棄すべきことをしているのも、お前のためじゃないか。お前に飯を食わせてやるためにあんなことをしているのに。
男は指を舐めながら早く血が止まらないかと苛々した。
「お父さんってば、こっち来てよ! お父さーん」
「今、手が離せないから!」
娘の母親は飢えで死んでしまった。自分の食料を娘に分け与え続けたのだ。食べないのなら自分がと伸ばした手を払いのけられたこともある。
今では少しその気持ちも分かる。
娘のために、こんな酷い真似をしなければならないのだ。自分がいなくなっては娘が飢える。飢え死にした母親と娘を同じ死に方をさせるなんて、そんなことが許されてはならない。
傷口がずきずきと痛んだが、この程度の痛みを通り合っている暇はない。
彼にとっては怪我はその程度のことだった。ちょっとした怪我ならば。
拷問を受ける者は絶叫し、失禁し、気絶するほどの痛みを感じている。
拷問することに慣れてしまったというのもある。
もはやそれは作業で業務の一環だ。
自分のちょっとした怪我は痛みを堪えることが出来る程度のものでしかないし、血が止まらないことは邪魔になるということくらいでしかなかった。
しかし、肉を大きく裂かれ多くの血を失うことは死に直結する。そして、気を失うほどの痛みをもたらす。
彼は自分や娘の腹を満たすために、他者の肉体を傷つけ死に至らしめるほどの苦痛を与える。その他者にも家族があり、守りたいと思っていたかもしれない。けれど、そこまで考えが及ばなかったし、自分がやらなくても他の誰かがやるのだ。ならば、自分がやって自分とその家族が良い目を見られればそれで良いという考えだった。
自分本位な考えに想像力の欠如が加わり、自分がどれほど酷いことをしているか俯瞰することができなかった。
飢餓で亡くなった母親と娘を同じ目に合わせないように、という気持ちは優しく美しいものだ。けれど、その「正義」が絶対であるとは言えない。どれほど事情があっても、正しいと思いたくても、それが免罪符とはならないのだ。
自白を得る前に失神し、拷問が中断された。
「ちっ、脆弱な」
思わず声に出て慌てて口を噤む。不満は隠せなかった。この程度の拷問で気を失うとは先が思いやられる。気を失うくらいならさっさと白状をすれば良いものを。漏れ聞いたことだが、魔族はもっと酷い拷問を受けるが、それでも悲鳴一つ上げない者もいるそうだ。
早く続きを行いたい。早く次に移りたい。この後も様々な工程があるのだ。もはや自白を得るのではなく、スケジュールをこなすことが目的となっていた。更に言えば、自分の都合だった。早く終えてあれをしたい、これをしたいという考えに支配されていた。目の前で痛めつけられている人などどうでも良い。
とりあえず、拷問しておかなければ、金銭を貰えない。彼は水を掛けても中々目を覚まさない被疑者に業を煮やして拷問を開始した。
「お、おい」
「やっているうちに目を覚ましますよ」
及び腰の新米審問官をリードしてやるつもりで拷問を続ける。
強い痛みによって失神した被疑者は結局、一度も目を覚ますことなく死亡した。
拷問係には後悔している間もない。何せ、次から次へと被疑者がやって来るのだ。
その次の奴は審問官が希望する答えを中々言えなくて、拷問は長引いた。自白はしていた。けれど、緊張し過ぎた審問官が理解できずに無駄に拷問を施すこととなった。
普通の精神を持つ審問官と拷問係に取って、ちょっと痛めつけたら自分たちの思う通りの自白をしてくれる者たちが有難い被疑者なのであった。




