23.太陽消失
真昼にもかかわらず、太陽が急に消えて暗くなった。そして、闇の中に多くの星々が見えた。
日蝕で彼らが住まう星である地星と月の距離が近い時には、太陽より月の見かけの方が大きくなり、太陽は月に完全に隠される。これを皆既日食という。
皆既日食の時には普段、見ることが出来ないコロナの姿が現れる。コロナの明るさは満月程度で、晴れた日の空の明るさより暗いため、通常見ることができない。
コロナは太陽を囲む大気の最外部側部を構成し、光球面に比べてかなりの温度であり、百万度以上のプラズマからできている。
そして、月に隠れた太陽は真珠色の波打つ美しい輝きを発する。
太陽から届く光は神の贈り物だった。
なくてはならないものだ。
それが突如なくなった。
光を何よりも崇める貴光教はこれは神の怒りの現われであると高らかに宣言した。
影となった太陽はそれでもなお、美しい波動を人々に見せた。これは神の御意志であり、怒りの中の御慈悲でもあるという。
魔族を忌み嫌うこと急先鋒となるエルッカが拳を振り上げて主張した。
「神が御慈悲を示されているうちに推し進めなければならない。魔族を排除すべきだ!」
「しかし、魔族が光を奪ったとは限らんだろう」
「そんなもの、捕まえてちょっと痛めつけてやればすぐに白状しおるわ!」
エルッカの暴論を同じ大聖教司のグスタフが諫めることがここ最近続いていた。
「貴様、もしや魔族の手先となり下がったのではなかろうな!」
「言わせておけば! そんなおぞましいことを良くも言えたわ!」
流石のグスタフも顔色を変えたが、天変地異に凶作、流行り病、非人型異類の跋扈に加えての彗星と日食だ。貴光教としては手を打つことを迫られる中、グスタフの旗色は悪かった。
原因を見つけ出し取り除かねば人心は落ち着かないだろうことは明白だった。言い換えれば、誰かのせいにしてしまい、責任を押し付けることができればひとまず落ち着くのだという安易な考えを、一般大衆どころか上に立つ者が持っていたのだ。
大聖教司同士の論議は頻繁に行われた。
目覚ましい打開案は出なかった。
そんな中、エルッカが異類排除令を発令すると宣言した。
「異類排除令?」
耳慣れぬ言葉に途端にグスタフが眉をしかめる。
「そうだ。暗部から報告が上がっている。異類どもがこの異常気象に乗じ、人間を駆逐し、自分たちが上位に立とうとするために井戸に毒を投げ入れているという噂が各地であるそうだ。これはもはやどうにもならん。では、我らが代わって人民の心の平静を取り戻すために、立ち上がらねばならんのだ」
そこで、遺憾ながら異類を排除することを宣言するというのだ。無論、人の身でありながら魔力が高い魔族もまた異類だと分類されている。あまりの魔力の高さに異能だと決めつけられていたのだ。
滔々と語ってみせるエルッカは悦に入っていた。先見の明によって事前に準備していたことを満を持して行うのだ。
時流に乗る、いや、機先を制するのだ。あの忌々しい翼の冒険者という下賤の輩よりも今度こそ優位に立って見せる。
「そんな根も葉もない噂を鵜呑みにして我らが手を汚すというのか」
「ちゃんと手筈は整えておる。神の怒りを鎮めるために自身の手を汚しても良いという崇高な心根の持ち主をな」
暗に自身の手は汚さないというグスタフをあげつらってみせたが、それは自分にも言えることだと気づいていない。
喧々諤々というよりは双方譲らず決を採ることになった。
賛成はエルッカとヨキアム、中立はオルヴォで、反対はグスタフだった。
中立というのは何ぞやと尋ねられたオルヴォは異類排除の案も良いかもしれないが、もっと情勢をよく見て慎重に行うべきだと主張した。
「多数決により、これより貴光教は異類排除令を発令する」
エルッカは高らかに宣言した。
その顔は期待に輝いていた。
異類排除というのは異類と称される者を片端から捕らえて尋問し、裁判に掛け、最終的には刑に処されることだと聞き、グスタフは強硬に反対した。
「そんなことをしてみろ。暴動が起きるわ!」
発令された後も聖教司の中に戸惑いが広がっており、大聖教司の一人が声高に反対意見を言うものだから、異類排除令は初手から暗礁に乗り上げた。
歯が粉々に砕け散りそうなほどに歯ぎしりするエルッカに朗報が届く。
最後まで反対していたグスタフが死亡したのだ。
不審死であり、大聖教司であるのだから、大々的にその死の原因解明をすべきだったが、大聖教司だったからこそ、死因は伏せられた。
敬虔で立派な人間だった大聖教司グスタフの死を悼み、一時、貴光教総本山には溢れかえらんばかりの礼拝者が詰めかけた。
「痛ましいことだ。あれほどにまで敬虔な男を私は知らない」
それはエルッカの本心でもあった。
しかし、これで計画が推し進められると思ったのもまた偽らざる気持ちだった。
エルッカは早速グスタフの知恵袋的な存在だった学者コンラッドを呼び、共にグスタフの死を悼んだ。
「グスタフ師とはいがみ合っているかのように見えたかもしれない。それは双方の主張を忌憚なく話し合える仲だったというだけだ。私も彼も神へ抱く愛は本物だ。だからこその激論を交わしたのだよ」
学識が高く、グスタフの厚い保護によって大学で地位を得ていた彼は掌を返してエルッカに有利な発言をした。
コンラッドは魔族が儀式によって天変地異や凶作を起こしたという書を見つけたと報告した。
それらを受け、エルッカは大いに慨嘆して見せた。
これほどの凶事を引き起こす精神と力を有していることは由々しき問題である。
また、異類たちは自分たちが優位に立つために井戸に毒を投げ込んだ。もしや、そのせいで流行り病が広まったのではないか。
全く見当違いの説で、殆ど妄想の類だった。
しかし、疲弊していた人々のうち、その妄言に抗うことが出来ない者もいた。
何かにぶつけないと気持ちの持っていきようがなかったのである。
不安を解きほぐしていき、人道的な思考へ導いてやることこそ宗教の役割だが、光と清浄を掲げる教えを持つ者たちは逆に自分たちが先頭に立って血と恐怖の悲劇を繰り広げたのである。
大陸西の貴光教神殿から一斉に異類排除令が布告された。
疑わしきは捕らえよ。
冷静さを失えば、猫も杓子もであった。
最初は徐々に、後は坂道を転げ落ちるように異類排除令は猖獗を極めていった。
セロリはせり科の植物であり、菌核病にかかりやすいのを克服するために、光毒性の化合物を多く生み出して菌を殺す。
そのため、セロリを大量に食べると炎症を負うことがある。
体質から、または体調が弱っている時にセロリを大量に食べたり、それに触れた皮膚が長時間日光に当たった際、炎症を起こした者がいた。
異類審問官はそれすらも神の怒りに触れたのだと糾弾した。
当初はそれでも、魔族と他者を害する危険性がある異能を持つ者が逮捕された。
魔族はどれほど無害そうに見えても存在自体が悪なのだと決めつけられた。
間の悪いことに、魔族は昨年から活発に活動するようになり、大陸西のあちこちで見られた。友好的に接し、食や音楽などその土地特有の文化を積極的に触れた。
異能があるかどうかは異類審問官か彼が連れた黒いローブを被った護衛官が感知することによって判明した。しばらく後に異能を感知する魔道具が開発されすらした。
異類審問官は異類たちが抵抗した時のために暗部を連れて回った。拘束し、連行するのが役目である。だが、異類審問官らは自分たちの手足どころか召使のように顎で使った。
最後の方では光属性の魔法の使い手以外はあまり良い顔をせず、闇の魔法など感知しようものなら、審問官かその腰ぎんちゃくが飛んできた。異類排除令の最終局面に差し掛かった時には権力のおこぼれに預かろうとする一般人も出る始末だった。
魔族はその種族的特徴ですぐに判明する。
異能があるかどうかについては、異類審問官だけでは各地をつぶさに見回れない。そこで、目撃者の証言か多くの状況証拠で決定づけられた。
それまで異能を持っていても、持たない者と共存していた。
だが、中にはその異能を羨ましく妬ましく思っている者もいた。また、力ある存在にいつ自分が害されるか分からないという恐怖もあった。その恐怖は例えば、ちょっとした諍いごとが起こった際、相手には異能があるということを思い出し、型異類狩りに乗っかって、やられる前にやる、と相手に実行する意思があるかどうかすら不明な時点で密告に走った。
また、特別な力、というのにも憧れがあった。自分も持ちたかったが、持ち得なかった力。それを羨む心。自分が他者を圧倒する力を持てば、使わずにはいられようか。そう考えた時、力を持たない自分が害されるのではないかと怖れた。
怖れは更なる怖れを呼んだ。
陰惨な狩りの始まりである。
この異類排除令で犠牲になった者たちは逮捕、裁判、処刑というプロセスを辿った。
異類であると嫌疑を受け、逮捕されることから始まる。
「証拠の女王」とみなされていた「自白」を得るために拷問を行われることが多かった。
この証拠に基づいて裁判が行われ、刑を言い渡され、執行される。
そこにはほぼ救済はなかった。つまるところ、異類審問官に逮捕されたら戻って来る確率は低い。
通常の犯罪の嫌疑を掛けられた際にも逮捕、裁判、処刑という過程を経るが、こちらは、逮捕後に裁判を行い、そこで申し開きが出来る。被疑者の発言を専門家が吟味し、判決が下され刑が執行される。裁判は地方によって異なるが、検察官、訴訟代理人、公訴官、裁判所の役人が当該人物にかけられた嫌疑が正しいかどうか鑑定する。
異類排除令においては、拷問という一点において大きく違っており、これが陰惨を極めた。
裁判の前に異類審問官が逮捕者の尋問に当たり、神の御前に自ら行った告白によって有罪が確定し、どういった刑罰が順当か裁判にかけられる。
有罪ありきのものだった。
また、自白の際、共犯者の自白を引き出すことによって、新たな異類が逮捕される。これらの証言はつぶさに記録された。証言は異能についてやその異能によってどういった悪事を行ってきたかを記録された。
これらが証拠となって裁判に提出され俎上に載せられ、有罪判決が下された。
<汝の罪を浄めるために、汝を火あぶりにする。これ、すなわち汝に苦痛を科すことである。しかしそれは、汝を火あぶりにすることによって利する私自身のためよりも、むしろ汝のためである。それは私のためのみならず、汝のためでもあるのだ。なぜなら、もし私のためだけのものならば、汝を投獄しさえすればそれで十分だからである。汝の犯した罪はあまりにも重いので、汝は永久に消え失せなければならないと「正義」が求めるからである。すなわち、汝の罪を罰するがために汝を死刑に処するのではない。汝の罪は、一切の贖いさえ許されないほど重いのだから>※注
火あぶりにするのは受刑者のためであると言い放った。
「有罪の宣告」をするためには「自白」させなければならない。だが、魔族は頑として口を割らなかった。自身の罪はもちろん、共犯者についても否定した。見せしめのため、今後、魔族の協力者を増やさないためにも、何としてでも「魔族の罪」と「魔族の協力者」を「自白」させなければならない。そのため、拷問は過激になって行った。罪を作るために拷問を残酷なものにしていくしかなかったのだ。
※注 参考文献:拷問の歴史p22 川端博監修 河出書房新社




