22.交差
怪しい風体の者から一方的に来いと言われてついて行くのも稀ではないだろうかと思う。
しかし、黒ローブは続けて言ったのだ。
主は大聖教司でオルヴォ・カヤンデルというのだと。
シアンは貴光教のみならず各属性の神殿や聖教司のことに詳しくないので真偽のほどは分からないが、この場限りの偽名ではないだろう。その声音に嘘を感じなかった。
直接来ることが出来ないのは大聖教司という神殿でも一番位の高い者だからかと納得したシアンは一度会っておくのも良いかもしれないと招請に応じることにした。
何しろ、シアンは翼の冒険者の偽物を確かめるためにやって来、貴光教との繋がりがあるという噂を耳にしている。渡りに船で事情を聞いてみるのも良かろうと思った。
九尾が聞いたら無防備すぎると苦言を呈しただろう。
ティオもリムも基本的にシアンのすることに異を唱えないし、障害があれば排除する方針だ。九尾の不在は、実に翼の冒険者一行の無謀な行動を止める者がいないということだった。
案内されたのは案の定、貴光教の神殿だった。
正面から入らず、脇の出入り口から入る。
リムの隠ぺいの魔法で姿が見えないティオもついてきていた。
シアンを先に入らせ、後から扉を潜った黒ローブにもティオの存在は気づかれることはなかった。
闇の精霊の加護を持つドラゴンが施した魔法というのは本当にすごいのだなと思うシアンだったが、彼が考える以上に凄まじい魔法だった。
シアンを案内する黒ローブは赤い手袋を拝受する実力者であり、感知能力にも長けている。人間の中ではトップレベルの実力の持ち主だ。
その相手に全くおかしいと気取らせぬ魔法である。
巨躯のティオがシアンの後を悠々と付いて行き、その分の十分なスペースを空けての行動、自分がそうすることに対して何ら疑問を抱きも感知もしなかった。
狭い石造りの通路を幾度か角を曲がる。
黒ローブはシアンを振り返ることなくその扉の前まで歩いて行った。ティオは常に黒ローブとシアンの間に自身の体を置いた。
警戒するに値する実力の持ち主なのか、はたまたシアンに害意を持っているのか。それとも、両方か。
シアンは考えを突き詰める時間を与えられることなく、黒ローブは立ち止まった。
ドアのノッカーを鳴らし、声を掛ける。
「お連れしました」
「入れ」
こぢんまりした室内に設えられた少ない調度品は逸品ぞろいで、窓から差し込む光を柔らかく反射していた。
その窓からやや離れた椅子に座った人物がシアンを見つめていた。
シアンは無意識にティオの背中に手を置いた。
黒ローブは座る人物の後ろに立つ。
「初めまして。私はオルヴォ・カヤンデル。キヴィハルユで大聖教司を務める者だ」
キヴィハルユには貴光教しかない。そこの大聖教司は貴光教のトップだということだ。
「お招きに応じました。シアンです。冒険者をしています」
オルヴォは黒髪に青い瞳の三十前に見える若い男性だった。端正な顔立ちもさることながら、美声の持ち主だった。落ち着いた優しい印象の声をしている。
「噂のグリフォンとドラゴンは一緒ではないのか?」
「彼らは目立ちすぎるので、別のところで待っていて貰っています」
「ふむ。グリフォンはともかく、ドラゴンは普段は小さい形をしていると聞いておるがな」
穏やかだがじわじわと追い詰めてくる感を受ける。話しながらシアンの反応を観察していると感じる。
「あの偽翼の冒険者のように常に肩に乗せているのではないのか」
「……大聖教司様は偽物の翼の冒険者をご存じなのですね」
どう切り返そうか迷ったが、知らぬふりをしてもばれているだろうし、いたずらに時間を費やすだけだ。
「ああ。あれは他の大聖教司が翼の冒険者の功績を貴光教のものにしてしまおうと立てたのよ」
随分あっさりと内情を明かす。
「そうだったんですね」
まさか、貴光教のトップが仕組んだことだとは思わず、思考を巡らせる。
シアンとしては自分の功績うんぬんよりも偽物が魔族を騙すことの方が問題だ。貴光教なのだから、魔族の不利益になることであれば推奨しそうなので言及しない方が良いだろうと算段をつける。であれば、魔族の方に翼の冒険者を騙る者について注意喚起を通達して貰うしかない。誰に頼むかとすれば、セバスチャンかディーノくらいしか思いつかない。魔神もいるが神様に言って貰うというのも大それた話だ。それはお告げというものになるのではないだろうか。うん、やめておこう。
「ほう、受け流すか。それとも、それよりも一層の懸念があるのかな」
自分の考えに没頭していたシアンは思考の一端を読み取られたような気がして表情を取り繕おうとして止めた。柔らかく苦笑しながら口を開く。
「ええ、まあ。でも、お話しして下さって助かりました」
「くく。おかしな人間よな。偽物を仕立てて自分の功績を掠め取るなどという卑怯な真似をされて怒りもせず、同類の者に礼を言うなど」
黒ローブの男が身じろぎするのを視界に入れつつ、シアンは楽し気に笑うオルヴォにこちらも笑って見せた。
「はは。確かに。それに変わっているとは良く言われます。でも、貴方が卑怯なことをしたのではないでしょう?」
オルヴォは口を噤んでじっとシアンを見つめた。
「何か?」
「いや……。いや、そうだな、私が仕組んだことだと言ったらどうする?」
シアンが穏やかに尋ねると、オルヴォは躊躇いつつ口を開く。
オルヴォが躊躇することなど見たことがないヒューゴは内心驚いていた。
「貴方が? どんなことをどんな風にですか?」
二人の心情を知らぬシアンはオルヴォの言わんとするところが分からなくて説明を求める。
「偽物を仕立てるように仕向けたとしたら、だ」
「ああ、もう一人の大聖教司の方を唆したということですね。まあ、実行に移したのは本人の責任もあるでしょうが……、どうしてそんなことをされたのですか?」
なるほどと頷きつつ、当たり前と言えば当たり前のことを聞く。オルヴォへの答えとしては、何故そんなことをしたのか質問する、ということで実際にそうした。尋ねられた方はといえば、怒り出しもせず、怯えている風でもなく、ただ普通に訊くシアンに再び喉を鳴らして笑う。
「くく。仮定の話ではあるがな。君に会いたかったからだよ。会って話してみたかった」
「そうなんですね。それでどうでしたでしょうか?」
「ああ、非常に有意義だった。噂の翼の冒険者の人柄の一端を知ることが出来た。なるほど、人の心を集めるだけはある。ああ、幻獣も慕っているそうだな」
オルヴォの視線がひたりとシアンに向く。
「精霊たちも、かな?」
「精霊? 何のことですか?」
シアンはこの時、咄嗟に隠ぺいを願った。リムが言う気配を薄くして「蛇がいるな、ふーん」くらいに思わせる、というものの亜種だ。相手にこちらの感情を悟らせないようにした。
冷静で合理的だと称されるオルヴォの誤算はここにあった。
シアンの意識に止まらない中であれこれ画策すれば、もしかすれば事実を知り得たかもしれない。
しかし、彼はシアンと対面することを望んだ。
そして、シアンがそうしようと意識を持てば、大抵のことは叶う。
どれほどオルヴォやヒューゴの感知能力が高かろうと人の身でしかなかった。更に言えば、精霊の王の力に敵う存在は皆無だ。その力を得ているシアンが胡麻化したいと思えばそれは可能になる。
交渉事で相手の心を読み取ることに長けているオルヴォですらシアンの思惑通りに判断した。
「ふむ。私の思い違いか」
「あ、あの……」
一人納得するオルヴォにシアンの方が戸惑う。こんなに簡単に信じられるとは思わなかったのだ。
「翼の冒険者は良いな。グリフォンに乗ってどこへでも行くのであろう」
そう言われるので、人の足では踏み込みにくい場所へ行って珍しい光景を見て来たことを語って見せれば実に楽し気に耳を傾けた。
雲を足下にした崖の上の神殿や朽ちた天空の村、温水が噴き出す噴水、山壁に挟まれた球体の岩、巨岩に囲まれた村、大瀑布のことを語れば時折身を乗り出す。シアンもまた、自分が見てきた光景について思いもかけない答えが返ってきて、逆にそういう観点もあるのかと新鮮だった。
「大聖教司様は探勝がお好きなのですか?」
「今までそういったことを考えたことはないが、そうだな、どちらかと言えば自分が知らないことを知ることが好きなのだ」
確かに情報通に見える。
「わざわざ出向いてくれたのだから、土産を用意しようか」
暫く話した後、そんな風に言い、帰還を促す言葉に代える。
「いえ、お気遣いなく」
「翼の冒険者はあまり人前に出ないようであるな。物資の支援も隠しはしないが大々的に喧伝する風でもないようだが」
断ったものの、聞いていない。組織のトップに立つだけあって押しが強いのかと考えているととんでもないことを言う。
「公衆の面前で偽物と引き合わせよう。翼の冒険者はグリフォンを連れているが良い。それだけで、どちらが本物か一目瞭然だ。この品薄の時期に散々無心された者たちからすれば怒り心頭となることだろう。ひとしきり詰られれば、懲りて騙りなどしようと思うまいよ」
「い、いえ、そこまでしていただかなくても」
良い考えだとばかりに語るオルヴォにシアンは慌てる。
「くく。本当に遠慮深い。仕掛けて来た者が憎いとは思わないのか」
「いえ、嫌なことをされたら嫌です。でも、だからって必要以上に恥を掻かせてやろうとか痛めつけてやろうとは思わないです」
この時、シアンは虎の尾を踏んだことに気づかなかった。
にこやかな表情のままオルヴォに別れを告げられ、黒ローブの先導で建物の外に出た。顔に吹き込む涼風に、随分長い時を過ごしたようになって知らずため息をついた。
大聖教司との面談後、シアンはその足で転移陣を踏んで移動してしまおうと他属性の神殿へ向かっている最中のことだった。
ティオも転移陣を踏むのだから、神殿に入る前に隠ぺいを解いておかなければならない。人気のない路地を経て隠ぺいを解いて貰うとその機会を逃さず狙われた。
オルヴォの言う通り、偽物と鉢合わせたのだ。隠ぺいを解いた路地を出てすぐのことだった。
あまりの展開の速さに、呆気にとられて足を止めてしまった。
「翼の冒険者が二人?」
「片方はこのところずっとこの街にいたやつだよな」
「でも、グリフォンを連れているのは別の者だぞ」
「えっ、じゃあ、偽物?」
「はあ? 俺たちはずっと偽物に集られていたってのかよ」
「やってられねえぜ、この物品が少ない最中によ!」
見事なほどの扇動だった。
これらの会話の流れの中、どれがオルヴォの意を受けたサクラなのだろうか。
あれよあれよという間に偽物は物品を要求されていたらしき店主たちに取り囲まれた。
シアンは自分は気にしていないとか、落ち着いて、とか声を掛けてみたが、それは見当違いの内容だった。店主たちは自分たちが騙されていたことに怒っているのだ。そう気づいてからはシアンはそそくさとその場を離れることにした。
その後、貴光教が声明を出した。
翼の冒険者を騙っていた者と貴光教は何ら関与はないと。
恥をかかされたと憤ったのはエルッカである。
大々的に偽翼の冒険者を前面に押し出し、貴光教と翼の冒険者の関係、物資の支援を喧伝したのだ。それは間違いでした、自分たちは関係ないですよ、と掌を返され、梯子を外された気分になった。元はと言えばエルッカが偽物を立てて他人の手柄を横取りしようとしただけである。それに、堂々と自分もまた騙されていたと開き直って被害者の立場に立てば良いし、何なら、これを足掛かりに翼の冒険者との関わりを持ったり、対外的に関与を持つことをアピールすることにシフトすれば良い。
そういった転んでもただでは起きぬしたたかさを発揮しないまま、自分のしたことを棚に上げ、思う通りに行かなかったことや悪い結果が出たのは他人のせいだと怒った。
華麗な筋書きを邪魔された、面目を潰されたと感じた。
悪いことをしたという意識は全くない。自分は常に正しいのだから。
そして、その後、彼はとある発令を出す。
それは大陸西を血で染め上げた。




