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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
447/630

21.偽者  ~くすぐったい~

 

 各地に十全とはいかなかったが、物資が浸透し始めた。

 実際に症状を見て作った鸞の薬は効果著しく、また、衛生面や栄養面でも向上の兆しがあったためか、猛威を振るった流行り病は徐々に沈静化に向かっているように思われた。

 各地を見回っていたシアンが立ち寄った街でナウム・ブルイキンの呼びかけに応じたと言う商人に出会った。

「え、あ、あれ?」

 一見して魔族だと分かる風貌の彼はシアンの顔を見て戸惑っている風だった。

「ええと、あの、翼の冒険者、ですよね?」

 混乱したまま念を押してくる。

「はい。シアンと言います」

「そうですよね。グリフォンを連れているし」

 ティオは威圧を薄めているが、一見してグリフォンと分かる。

「い、いやあ、その、グリフォンがこれほど親しみやすい存在だとは思わなくて。いえ、きっと狩りや戦闘では獰猛なのでしょう。ですが、街中ではどうしてどうして、美しい獣にしか見えませんな」

 二十代のまだ年若い、それだけに情熱に溢れた彼は如才なく話した。

 ティオを褒める声音に嘘はなかったが、何かをごまかしているような気がしてシアンは尋ねた。

「あの、何かありましたでしょうか。差し支えなければ教えていただけませんでしょうか」

 逡巡の後、彼は口を開いた。

「そうですな。ご本人も知っておいた方が良いでしょう。いえ、私の方でも本国に注意喚起をしたいと思います。もちろん、ブルイキン氏にも」

 その物言いに不穏なものを感じるシアンに彼は一つ頷いて語る。

 翼の冒険者とクリエンサーリという国で出会い、商取引をしたというのだ。クリエンサーリは貴光教が総本山を据えるハルメトヤの隣国ではあるが、彼は隠ぺいの一種を用いて姿を変え、活動しているのだそうだ。恐らく、商取引の傍ら情報を魔族の国に流しているのだろう。

 翼の冒険者は自然災害と流行り病で荒れた大陸西の現状を憂い、商人たちに協力を呼び掛けた。それで、彼とその他数人の商人たちが呼び掛けに応じ、物品を提供したのだ。

「私たちもそう余裕がある訳じゃないですがね。こういう時はお互い様だ。それに、翼の冒険者の呼び掛けならば何を置いても応じたいと思いまして」

 その気持ちを利用された。

 有体に言えば、翼の冒険者を騙る者に騙されて金品を取られたのだ。シアンと今こうして出会い、グリフォンが傍らにいることから全くの別人だと知ったという。

「いやあ、面目ない。翼の冒険者が支援団体を使って支援物資を配布し、商人たちに協力を要請して物品を流通していると聞きまして、自分たちも手助けができないかと思っていた矢先のことでしたので」

 あっさり騙されたのだという。

「あの時に会った者も白い小さな幻獣、いえ、今思えばあれはただの動物だったかもしれませんが、それを肩に乗せていたんです。もちろん、実物の黒白の獣の君とお会いしてみれば、その毛並み、艶、目に浮かぶ知性の違いは一目瞭然です」

 ただ、噂にしか聞いたことがないシアンの特徴と一致したので信じてしまったのだという。シアンは地味な外見でこれといった特徴がないので、肩に白い毛並みの動物を乗せているという一点で信じてしまったのかもしれない。

「グリフォンは厩舎にいるというのをそのまま鵜呑みにしてしまいました」

 憧れの存在に会うことが出来て、無暗に疑うのも憚られたのかもしれない。

 奪われた金銭の補填を申し出たが、自分が間抜けにも騙されただけでシアンが悪いのではない、と逆に恐縮された。

 被害額ですら教えて貰えなかったが、彼の商売が立ち行かないことにならなければ良いと唇を噛む。

 魔族はシアンに過ぎるほどに敬意を払う。

 ナウム・ブルイキンと出会った際、魔族との取引きに関するシアンのお墨付きを欲しがられ、のらくらと断ったことがある。

 シアンは金品に対してさほど重きを置かないが、こと他者との関与へは神経質になった。

 魔族に及ぼす影響は甚大で、一族を動かす。魔神たちからして、その上位に据えられるのだ。

 シアンとしては十分に良くして貰っていると思っている。

 正当な対価のやり取りなしに、金品を無償で貰おうとは思わない。

 にもかかわらず、他者がシアンの振りをして奪い取った。彼だけではなく、他にも被害者がいるという。

 由々しき問題だ。これで終わりとは思えない。

「あの、それはどこで起きたことですか?」



 ハルメトヤの隣国クリエンサーリでは相反する噂でもちきりだった。

 曰く、翼の冒険者は貴光教の教えに感銘を受け、協力している。各地へ支援物資を届けたのも貴光教の指導の下である。

 曰く、翼の冒険者は奥ゆかしく太っ腹で顔が広い。各地へ物品を行き渡らせたものの、それは殊更誇ってのことではなく、慈悲溢れる行為なのだと。翼の冒険者の侠気に感銘を受けたのは商人たちで商売っ気そっちのけで手伝っている。

 耳にした噂のうち、どちらかというと後者が真実に近いとは思うが、尾ひれがついていて、もはや誰のことを言っているのやらとシアンは苦笑する。

 シアンとしては生死を突きつけられるほど困っている人が大勢いて、自分は沢山の余剰を持つことが出来る。ならばどうするか、というだけだった。自分一人では事を運べなかっただろう。多才な幻獣たちに精霊たちの他、幻獣のしもべ団や縁ができた者たちに手伝って貰って形を整えてくれたからできたことに過ぎない。

 評価されるべきはそれほど付き合いの深くないシアンの呼びかけに応じて手を貸してくれた者たちだ。彼らには彼らの生活がある。それを多少圧迫してでも動いてくれた。

 シアンは魔族の年若い商人から聞いたクリエンサーリのとある街へ訪れていた。

 この時、九尾が同行していたら、もっと違うやり様があっただろう。

 しかし、九尾は物資調達や幻獣たちの連携と精神安定、それにこちらが元々本職であるが、フラッシュの召喚獣としての活動もあった。ふざけた調子でのらくらしているように見え、あれで中々忙しいのだ。事態を憂慮する天帝宮にも赴き、下界の事情を報告する必要もある。

 忙しそうにしているのを邪魔しては、と声を掛けずに出て来たシアンは魔族の商人に出会い、慌てて偽物がいるという街へやって来た。

「貴光教云々というのはどこから出て来たのかな」

 偽物がそこに絡んでくるのだろうか。

 もしかすると、たまたまシアンのように白い小さい動物を肩に乗せた者が貴光教の縁者だったというだけなのかもしれない。それを見た者が翼の冒険者だと思い込んだという訳だ。

「いや、でも、魔族の商人を騙したんだったな」

 魔族の商人というのも引っかかる。

 貴光教は執拗に魔族を糾弾する。その貴光教と関係する偽物が魔族の商人を騙した。ここに因果関係を感じずにはいられない。

 シアンは街に入る前にリムに本人とティオとに完全な隠ぺいの魔法をかけてくれるように依頼した。

『それじゃあ、何かあった時どうするの?』

『何が起こってもシアンを守る』

『うん、そうだね』

 完全に自分たちの姿が見えなくなっても、シアンを守ることに違いはないと二頭は話し合った。

 シアンは一見単独行動で翼の冒険者の噂を調べた。

 ふとこういう時、九尾がいてくれたら上手く助言をしてくれただろうと思う。人の世に詳しく、人間社会の機微にも通じている。

 自分はすっかり九尾に頼っているのだなと自省する。それだけ、九尾とはよく行動を共にしてきたということだ。

 そうして、さりげなくシアンの支えとなり、ふざけた言動をしつつも力を抜かせてきてくれたのだ。

 帰ったら九尾の好物を作ってやろうと思うシアンだった。自分にはそんなことしかできないが、そういったことを喜んでくれるというのも良く知っていた。

「翼の冒険者? おお、知っているとも。あれさ」

 路地の店先で買い物しがてら尋ねると、店主が指をさす。

 え、と思いつつ振り向くと、通りの少し先から偽物の蝙蝠の翼をつけた小さい白い猿を肩に乗せた男が歩いて来る。

 あれこれと噂を集めて回っていたが、まさか実物を見ることになるなんて、しかもこんな至近距離で、とシアンはぼんやり考えながらただただ視線で追うしかできなかった。

 これが魔族の商人を騙した男なのだ、と思い出したのは通り過ぎた後だ。

 噂を集めてみたものの、実際すぐ近くにいるのを見て、どうするかは考えていなかった。慌てて気づかれないように注意して後を追う。シアンは意識していなかったが、気づかれないように、と思えば闇の精霊が力を貸してくれ、相手には気づかれることはない。

 翼の冒険者の騙りはあちこちの店に声を掛け、商品を貰っていた。店主たちも進んで渡そうとはしないのだが、騙りが直接欲しいとは言わないまでも欲しそうな素振りを見せたら渡す、という態だ。

 シアンは息を飲んで彼と肩の上の動物を観察した。

 それは白い小さい猿で、翼を無理やりくっつけているだけだと見て取れた。真偽を確かめようと意識を凝らしたので、普段あまり発揮しない感知能力が高まったのだ。

 言い換えれば、やればできるということだ。

 リムの体は細長く、白い体毛に覆われている。丸い口吻を持ち、鼻の両隣がぷっくりと膨らんでおり、丸い顔に更に丸みを加味している。への字口が口吻を押し上げる。上から見たら吻が伸びて三角に突き出ている。この角度から見たら鼠のようだ。

 正面から見合えば、白い毛並みに黒いつぶらな瞳、丸いピンク色の耳、ピンク色の鼻が非常に可愛らしい印象を受ける。

 短い両前足を揃えて掛け、上半身を起こして鼻先を近づけ、キュアと鳴く。

 卵から孵ってずっとこの世界で一緒にいる可愛くて明るくて楽しい大切な相棒だった。

「全然違う。似ても似つかない」

 何故だかほっと安堵するシアンだった。

 一方、リムはシアンの肩の上で、聞き捨てならない台詞を聞いた。

「いやあ、肩に乗せていると獣臭いし、せわしなく動き回って、ひげがこすれてかゆいしうっとうしい。落ちそうだし、夏は暑いし、重い」

 街の者に翼の冒険者だと声を掛けられ、シアンが先ほどから気に掛けている者がそう言ったのだ。

 リム、そのころには人慣れして言葉にもある程度耳を傾けるようになっていた。肩に乗っている弊害を並べ立てた事柄にはっと息を呑み、じっとシアンを見つめる。

「リム、どうしたの?」

『シアン、シアンもぼくが肩に乗っていたらイヤだと思う?』

「ううん、そんなことないよ」

 シアンは気負いなく即座に否定した。一片たりともそんな発想をしたことはない。

『本当?』

 シアンの言葉にぱっと嬉しそうな表情をして、いや、気を使っているのかもしれない、とばかりに上目遣いになる。そんな複雑な考え方、表情をするようになったのだな、とシアンは感慨深い。

「うん」

 ため息交じりに微笑むとリムも笑う。

「あ、ただちょっとひげがくすぐったいかな」

 リムがはっと両前足で頬を押さえる。長い直毛のひげが妙な形で押し付けられる。

「でも、切ろうとか思わないでね。今は慣れたし、それに僕が我慢できることなのにそうしないでリムに不具合があったら嫌だもの」

『シアン……‼』

 リムが頬をぐいぐい押し付けてくる。

 力任せにしているように見え、力加減は十全だ。リムが力の限り頬を押し付けたらシアンの首がもげる。

 ティオが傍らで微笑まし気に見つめてくる。

 そんなやり取りをしているうちに、偽物は大分先を行っている。

 慌てて後を追おうとすると、ティオに止められた。

『シアン、下がって。こいつ、前にぼくたちを見ていた奴だ』

 路地にはいつの間に現れたのか、白昼堂々、黒いローブを着た者が立っていた。

「翼の冒険者ですね。主がお待ちです。案内します」



※以前から、思っていたんです。肩に乗っていたらひげがくすぐったいんじゃないかなって。でも、可愛いの圧勝だったようです。

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