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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
446/630

20.黒い罠

 

 複数の神殿で娼婦の有用性をそれなりに認めていた。その存在がなくなれば、既存の社会的、性的関係の存続が危うくなるという理由で売春を黙認していた。だからこそ、弱者救済に娼婦も含まれているのである。

 流行り病はこの方針に変化をもたらした。

 貴光教は乱れた性関係に頑迷で厳しい態度を取っていた。

 皮膚がただれるという見た目から忌避される罹病者に娼婦がなれば、途端に行き場を失った。筋力が衰え、活力が低下し鈍る。身体の消耗は次第に内臓にも到達した。

 貴光教は神の清浄な世界を汚す存在だから、当然の仕儀であると見なした。殊更に発令を出したり表立って言うことはなかったが、神に縋ろうとする者の中でも娼婦は後回しにされたり、折に触れて冷遇された。

 貴光教が打ち出した流行り病の特効薬は次第に売れ行きが悪くなった。

 初めは画期的な、そして唯一の救いであると飛びついた者たちは最初は有り難がった。服用した直後は多少の改善が認められた。しかし、続けて服用しても一向に本復とはならない。高価な金銭を出し続けて継続的に買い求める者は次第に減り始めた。

 エルッカはもっと特効薬の有用性を喧伝し、遠方にも行き渡らせるようにと御用商人をせっついた。

 商人の方でも、キヴィハルユで売れなくなったらハルメトヤ全土に向けて売り出した。初めはそれで良かった。貴光教総本山で開発した光とも言える薬だと殺到した。ところが、高価だった。継続して買うと他の物、例えば肉中心の食事や甘味といった美食、美しく着飾るための衣装や小物、権威を示すための大仰な物品、召使たちに渡す給金といった様々なことに費やせなくなる。

 光の神の御許で研鑽を積む薬師たちが作り出した有難い薬ではあったが、効果があまりないのであれば、もっと他に金銭を使いたい。それでなくても、凶作から徴税が滞っているのだ。

 ハルメトヤの各地でも販売数が落ちて行った。

 それに反比して、外国、ハルメトヤの外の世界では翼の冒険者の評判が高い。何故ここで翼の冒険者の名前が出るのか、詳細を聞こうとすると途端にあやふやになり、具体的に何をどうしているか分からないまま、とにかく翼の冒険者は懐深く優しく聡明だと言う。聖教司たちが拾い上げてくる不透明な噂に苛立ったエルッカは暗部を動かして詳細を探らせた。

 蓋を開けてみれば、何のことはない、食料や日用品、薬をばら撒いているのだ。姑息にも支援団体や商人を動かし、人気取りを行っているのだろう。貴光教以外の神殿に大量な物資を持ち込み、信者だけでなく広く行き渡らせるように言っているのだそうだ。恥知らずなことに、他属性の神殿は唯々諾々と従い、自分たちの神を信じない者たちにも施しを与えているというのだ。そうやって翼の冒険者に乗っかって信者を獲得しようという浅ましさにエルッカは地面を踏み鳴らした。

「この緊急事態を利用して自分たちの株を上げようなど不届き千万!」

 暗部からは翼の冒険者が薬をばら撒いたがために、貴光教の特効薬の販売数が落ち込んでいるのではないかと思われるという報告が上がっていた。

「どこまでも、邪魔をするのだ!」

 まったくもって忌々しい存在だった。

 上手くいかないことは全て他人のせいだ。そして、光の神の清浄さを広く知らしめるためには邪魔なものは排除しなくてはならない。いわゆる世直し、掃除である。

 憤りのあまり顔を真っ赤にして興奮し、室内を行ったり来たりするエルッカを観察しながら、侍従が飲み物を差し出しながらそっと言う。

「そういえば、最近、ゴスタ師からは神託の御使者の偽物の報告は上がっていませんね」

 一時あれほどあったのにと上目遣いで様子を窺ってくる様も苛立つ。

 乱暴に酒に口をつける。

 いつもとは違った香りづけがされているのか、す、と気持ちが落ち着いた。

 確かに、言われてみれば、幾度もあった報告は途切れていた。

 それはそうだ。

 エルッカはゴスタに新しい使命を授けたのだから。

 やり甲斐があると張り切っていたから、他の些事に関わっている暇などないだろう。

「ふむ、神託の御使者の偽物、か」

 これは使えるかもしれない。

 エルッカは自分の素晴らしい閃きに驚き、考えを進めた。

 侍従はその様子を注意深く眺め、気づかれないようにそっと退出した。

 廊下を進み、人気がないかを確かめて、足早に礼拝堂に向かう。

 たどり着く前に向こうから気づいて人目に付かないところに誘導されて報告するのが常だったが、今回も同じくだ。

 廊下の柱の影に入るよう指示されるが、相手の姿は見えない。警戒すること、徹底している。

「あの様子では、うまくいったようです」

「神託の御使者の偽物に食いついたか」

「はい。この後はどうしましょうか?」

「こちらが用意した者をそれとなく紹介される手筈を整える。お前はその様子をつぶさに確認して報告を」

「分かりました」

 言って、待つ。

 すぐに硬く澄んだ音が足下に響く。目線を下げれば、靴の近くに金貨が転がっている。侍従はすぐにそれに飛びつかずに、まずは靴底で踏みつけ、所有権を主張して視線は周囲にめぐらせる。今度こそは相手の後姿だけでも見てやろうと思ったのだが、声は届かなくなり、しばらく待っても何も起こらない。

「今日も尻尾を掴めなかったか」

 諦めて金貨を拾い上げると、来た道を戻った。

 侍従は知らない。

 迂闊に知れば自分の首を文字通り締めることになる。それを知る時はこの世と別離する時だ。



 エルッカは聖教司補佐の一人が持ち込んだ話に神の采配を感じた。

 まさしく、自分が欲しい人材がそこにあったのだ。

 見えない神の手に引かれるようにして、事態が整い始めていた。これに乗らない手はない。

「うむ。では、一度、その白い幻獣を連れた冒険者とやらに会ってみても良い」

「かしこまりました。早速手配を整えます」

 エルッカは恭しく一礼して退出する聖教司補佐の後姿を見ながらほくそ笑んだ。

 ゴスタから神託の御使者の偽物の報告を受けていたことを思い出し、翼の冒険者の偽物を仕立てることを考え付いた。

 折よく打ってつけの類似者を見出した。

 怖いほど順調に事が進む。

 恐らく、神が自分の行動に賛同し、導きくださっているのだ。

 エルッカは噂を流す。翼の冒険者が貴光教の教えに感銘を受け、協力しているのだというものだ。

 そうして、あわよくば翼の冒険者の功績を掠め取ろうとした。各地で行う救済を、貴光教も協力しているのだと。いや、どちらかと言えば、貴光教が主導で行っていることにすれば良い。

 小耳にはさんだ放浪の聖教司の地道な活動も前面に押し出した。噂される漂泊の薬師も以前は貴光教にいたことから、彼女も貴光教の人間だと喧伝した。

 使える者は何でも使う。それが賢い者だとうそぶいた。目障りな翼の冒険者が苦労して得た功績を掠め取ることが出来るというのも胸がすくというものだ。

 こういった策略が貴光教をより一層大きな高みへと至らせるのだ。エルッカは一人悦に入った。



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