18.薬師たちの奮闘
病人の看護がほんの僅かに途切れ、大きく息をついた時、村人に休憩するように言われた。差し出された椀にスープがよそわれていた。
「これは?」
礼よりも真っ先に疑問が浮かぶ。
最近、大陸西では各地で凶作となり、この村も例外ではなかった。ようよう収穫した農作物は徴税される。
栄養失調の最中に流行り病が猛威を振るう。弱った体は病に打ち勝てない。
カレンは各地を放浪するうち、そのことを実感していた。食事は身体を強靭にする重要なものだ。
でも、ないものを食べることはできない。
それが目の前で美味しそうに湯気を立てていた。
「何たら言うやつら、そら、翼の冒険者を手伝っているっていうやつらが置いて行ったんだ。驚いたことに、翼の冒険者がおすそ分けしてくれるんだってよ。有難いこったなあ」
「本当に。こんなにたっぷり野菜や肉が入ったスープなんて、どのくらいぶりかしら」
「ばあちゃん、何たらじゃなくて、幻獣のしもべ団って言っていたよ」
「そうそう。せっかく食べ物をくれたのに、ちゃんと覚えてないなんて悪いよ」
カレンにスープを渡した老婆の家族が寄って来る。口々に語る姿は久方ぶりに目に生気が宿っている。元々うるさいくらいだというのは老婆の伝だが、カレンがこの村に来たころにはとても静かなものだった。それが片りんを見せるくらいには戻っている。
「これ、貴女たちも食べたの?」
「私たちは後あと」
「そうよ。カレンさんは病人をずっと診てくれているんだもの。一番に食べて貰わないと」
「カレンさんが倒れたら大変だものね」
自分がいなければ病人を診る者がいなくなるという意味でも嬉しかった。ふらりとやって来た部外者に真っ先に食べ物をくれるのだ。みな飢えている。
占星術で星の動きがどうのと言う医学者よりも実際に患者の具合を確かめて薬を飲ませ、必要に応じて患部を冷やしたり様々に対処するカレンのことを信用してくれるのだ。
カレンはもはやフードを被ってはいなかった。
種族的特徴から異類と分かる。
だが、腕の良い薬師としてどこでも珍重された。そのため、見て見ぬふりをしてくれた。
技術も金銭を受け取ることができる資産だ。
病から助けて貰っておきながら見て見ぬふりをするにとどめられることに、考えさせられることがなくもなかった。そんなことよりも、目の前には多くの人々が倒れ伏す惨状があるのだ。
自分は認められたいし、良い行いをしたという自負もある。良いとこ取りをして、という気持ちもある。それ以上にどうしようもない状況を何とかしようという気持ちが強かった。
カレンはゆっくりとスープを食べた。それでも、あっという間に椀は空になる。
「そうそう、下僕の人たち、他にも色々置いて行ったのよ」
確かにしもべは下僕とも言えるのだろうが、その言い方はちょっと違うのではないかと思うのは腹が満たされた余裕からか。
「何でも流行り病の薬もあるのですって」
「本当に効くのかしらねえ」
懐疑的であるからそれほど重要視していないのだろう。何より食料が一番の関心事だ。
だが、カレンは違った。
翼の冒険者がもたらした薬の効力は南の大陸でまざまざと実感している。
「見せて! どこにあるの?」
勢い込むカレンに気おされつつ、受け取った物資の置き場所へ案内してくれる。
これで病に伏す者たちが助かるかもしれない。
カレンは南の大陸で見た奇蹟がもう一度起きる予感に高揚を隠し切れなかった。
もはや彼女の胸には嫉妬も悔しさもなかった。
多分、翼の冒険者もまた自分と同じく、助けたいという気持ちがあるだけなのだ。ならば、それを無暗に羨まなくても良い。ただ自分ができることを為すだけだ。
得体の知れない、突如襲い来る病に対して無力で、神に縋るしかなかった。訳の分からない恐怖、どうあがいても逃げ得ぬ絶望、それらへの精神的救助は神に祈りを捧げるしかなかったのだ。
けれど、大陸西の流行り病罹病者を助けたのは人と幻獣だった。またしてもあの者たちだった。
その時、カレンの中で何かが突き抜けた。
達観したとも言える。
自然の猛威の前で人は無力だ。それを軽々と乗り越えていける者がいるからといって、自分と比べて妬んだりずるいと思う必要はないのである。どうしてあの者は持っていて自分にはないのかと思う必要もない。
自分は自分で出来る限りのことを精いっぱいやれば良い。他の者が比較しようとしまいとどうだって良い。自分が何を持っているか、何が出来るか、そしてそれをどう役立てて事態を改善させるか。それが重要なのだ。
流行り病が蔓延し、志を抱いて諸国を巡り、人々に医術を施す者は少なからずいた。特に、神殿関係者が多かった。彼らの研鑽した知識によって多くの者たちが救われた。
ロランは各地を放浪しつつ、薬を煎じ、流行り病に喘ぐ村人に医療行為を施した。
貴光教が作り出した特効薬は高価でとてもではないが庶民には手が届かない。それどころか、食うや食わずなのだ。
「ああ、有難てえなあ、聖教司様に診て貰えるなんて」
ろくな効果を発しない薬を飲ませるだけでも喜ばれる。手当をして貰えるだけ御の字だ。逆に言えば、処置を施されることは稀なのだ。
ロランにはそれがやりきれなかった。
自身も同じ貴光教の聖教司であるのにもかかわらず、特効薬のレシピを知らない。
医師の方からしてみれば、医療行為を行って対価を得る。時には薬代すら踏み倒す者がいるから、医師は警戒せざるを得ない。だから、庶民は易々と診て貰えないことも多い。
そして、それ以前に食料不足だ。
恐らく、特効薬があったとしても、彼らはそう長くは生きられないだろう。栄養不足に陥っていた体は脆く、流行り病は簡単にその身体をただれさせ、死へと導く。
ロランは郷里を思い出さずにはいられなかった。
働き手の父を病で失うかもしれない恐怖は何とも言い表せないものがあった。
そのころからロランは飢えを身近にしていた。聖職者になった後も放浪し、各地でろくに食べることが出来ない者たちを診て来た。
飢えは人を獣闇に陥れる。今また、飢えは人の身を病に侵されやすくする。
ロランはこのところ、光を見いだせないでいた。
風の精霊の加護を持つロランは元々それほど光に対して絶対的なものを感じてはいない。それでも、どうしようもない世界で光はよすがだった。それがあれば、人々が何とか日々を過ごすことができる支えだった。
「聖教司様、ちょっと相談があるんですけれど」
村長代理から声を掛けられる。村長は流行り病で帰らぬ人となり、その跡を継ぐ者がいないまま、代理の者がどうにかやっている。
「どうしました?」
「それがね、ここいらじゃ見たことがない商人がやって来て、食べ物や薬を分けてくれるっていうんです」
困惑しきりの村人にやむを得ないと思う。どこも凶作で食料がなく、それ以上に薬もない。それをこんな辺鄙な村、つまりは高額取引が出来る物品をいかにも金がなさそうな場所に持って来るなんて、気が触れているか何らかの企みがあってのことではないかと勘繰ってしまう。
「その商人と話してみても?」
ロランが言うと、村人はほっとした。怪しいが、もし本当に食料や薬が手に入るのなら、と決めかねていたのだろう。幸運の女神の前髪を掴みそこなったのなら、希望の光を無為に失うことになったら、救えた者も無駄に死なせることになったら。現状の村を統率するのはさぞかし荷の重いことだろう。
「部外者ですけれど、あちこちを放浪しているので、これでいて中々抜け目がないんですよ」
「いやあ、頼りにしてますよ、ロラン様」
不意打ちで胸が熱くなった。
聖教司と称されることはあるが、個人名を呼ばれることは少ない。
みな、聖教司が気に掛けてくれることが嬉しいと言う。そこにロラン本人の人柄は関与しない。
ただ、ロランはなりたくて仕方がなくて、オルヴォに致命的な秘密を打ち明けてでも手に入れた地位だ。
自分は聖教司だ。
人に光を指し示し、生きる気力を些少なりとも取り戻させる者だ。
「初めまして、聖教司を務めておりますロランです」
そう、自分は聖教司ロランだ。
「おや、貴方が放浪の聖教司様で? ご高名はかねがね」
名乗ると、村人が連れて来た聖職者を胡散臭そうに見やって来た商人の顔が一変する。やはりどこでも混乱に乗じて財を掠め取ろうとする者は多い。ロランは広く知られていることで身の証が立ち、今までやって来たことに自身が助けられる実感を覚えた。
「ははは。変わり者という噂でしょう?」
「またまた、ご謙遜を。放浪の聖教司様がいらっしゃるなら話が早い! 今日はですね、食料や薬を届けに参ったのです。こちらでもさぞお困りでしょう。お安くしておきますよ」
「本当に有難いことです。ですが、どうしてこんなところにまで?」
ロランが穏やかに疑問を呈すると、商人はわきまえていると言わんばかりに頷いた。
「それはですね、放浪の聖教司様ならよくよくご承知でしょうが、ここのところのあちこちでの天変地異や凶作、流行り病でみなの生活が立ち行かくなっています。大勢がそうなんです。そして、それだけに俺たちみたいな商人が売り歩く物品も品薄だ。とある方がね、その双方の悩みを解消してくれたんですよ。食料や日用品、薬なんていう高価なものまで提供してくれたんです」
そこまで立て板に水と話した商人が眉尻を下げる。あながち、演技でもなさそうだ。
「ただねえ、俺たちも商売がある。こないだはただでくれたのに、何で次からは金をとるんだと言われたら商売あがったりだ。でも、みんな金がなくて困っている。だから、大分お安くして売れば良いってなったんですよ。何なら、物々交換でも構いません。ちゃんとお代はいただきますが、それでも人助けくらいなもんですよ」
商人が提示して見せた金額は確かに相当安かった。
「正直、戸惑っています。この品々は村にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。これがあればどれだけの人間が生き延びることができるか」
そうでしょうとも、と商人は頷く。もしかすると、この村に来るまでに既にこのやり取りを幾度か行っているのかもしれない。
「分かります。このご時世、大勢が欲しがる物は値が吊り上がるものなのに、こんなに安かったら逆に疑っちまうってことですよね?」
率直な物言いにロランも村長代理も頷く。
「それがね、さっきとある方がこの品々を提供してくれたって言いましたけれどね、驚くことに、無償で大量に下すったんですよ。俺たち商人に方々に配り歩いて欲しいってね。嬉しいじゃありませんか。商売にする品がなくてくすぶっている俺たちの腕を見込んでくれて、今じゃ黄金と同じ価値のある品々を任せてくれたんです。おっと、ここでそれなら無料にしろなんて言わないでくださいよ? さっきも言ったように困るのは俺たちだ」
滔々と語る商人が顔をしかめて見せるのにロランは苦笑する。
「ええ、もちろん、分かっていますよ。私も放浪の聖教司と言われるくらいだから、あちこちを旅します。旅にするにはお金がかかる」
ひとところに留まって生活をする者たちは見知らぬ土地を歩く旅人を羨む。それに付きまとう不便や困難、盗賊や魔獣の危険、日々の食料や宿の有無、日用品を贖う金銭、何より、旅路で罹患した際の心もとなさなどを想像しもしない。金を使うことが少ない彼らは金銭の価値を理解していないことが多い。
人は自分が経験したことがないものに鈍感だ。知らないものに理解を示そうと努力しない者は一定数いるのだ。その場合、一方的になる。無自覚で決めつけをし、一方的な譲歩を強いる。そして、拒絶したら悪気はないのに、と自分が被害者だと感じる。自分の行いを恥じる者も、同時に恥をかかされたという憤りを抱く。
「しかも、どうやら俺がいた地域だけでなく、各地でそういったことをされているようなんです。俺も旅の途中で行き会った商人と話して知ったんですけどね。もちろん、俺だけがそんな話を聞いても何だそれ、としか思わなかったでしょうよ。でもね、その人は各地の有力商人たちを説得して、協力を取り付けたんです。で、俺みたいな末端の遍歴商人に話が降りて来たんです。俺もね、雲の上の大商人たちに協力してくれと頭を下げられたんじゃあ、やらなきゃ男じゃないってもんですよ。俺なんかよりも頭が良くってよほど稼いで財を為した人たちがね、その人の考えに賛同して協力してくれってんですからね」
ロランは商人の話に言葉もなかった。
漠然と感じている商人よりもその救済網のすごさ、あり得なさを明確に思い知った。
国を超え、人一倍自尊心のある大商人たちをして、普段歯牙にもかけぬであろう木っ端商人たちに方々を回るのに適任だからと頭を下げさせることができる人物。そして、何より大量の食糧と薬、日用品を無償提供してみせたのだ。対価を要求せずに物も金も人も提供せしめた。
まさしく、神の御業ではないか。
「それは、一体どなたが」
言いながら、ロランには予感があった。
「ああ、放浪の聖教司様も噂を聞かれたことがあるんじゃないですかね。翼の冒険者ですよ」




