17.禁秘のオークション
ニカ周辺の商人たちはここのところ、徴の金属板に夢中だった。
それは港町ならではで海底から引き揚げられた難破船から発見された薄い金属板だった。透かし彫りがされている。その文様が太陽と水、風、火、地、木、獣を象徴していると評判になった。何らかの魔道具ではないかと腕の良い魔道具師が調べてみたが未だ詳細は分かっていない。
透かし彫りの模様が占星術において主要素を示すことから「徴」の金属板と称せられるようになった。
これは高値で取引されるようになり、あっという間に値は吊り上がって行った。
ニカを擁する国ガルシンの国王は事態を憂い、金属板の値の上限が定められた。
異例のことである。
金属板を巡って殺傷事件も起こるほどの熱狂ぶりに、国は対処せざるを得ないという見解を示した。
経済市場に統治者が口を出すのはご法度だが、熱狂が過ぎた。
上限が決まり、欲しい者が手に入れてしまえばそれ以上の高値がつかないのだから頻繁にやり取りされることはない。仕入れ値と売値がほぼ同じならば売買する手間が増えるだけで儲けがないからだ。
港町ニカはようやく落ち着きを取り戻したかのように思われた。
しかし、秋麗、長閑で穏やかな気候とはそぐわない事態が起こった。
とある商人が商売が立ち行かなくなり、店を畳むことになった。それが中々に手広く商売をしていたところだっただけに、ニカでも噂になった。
そして、取引先に支払いを行うために、財産をオークションにかけるというのだ。
そこにあの徴の金属板も登場するという話が出回り、俄かにニカは騒がしくなった。
金属板を巡って流血沙汰になったほどだ。
どのみち上限金額で落札されるだろう。
参加者が皆そう思っていた。
案に反して、そのオークションでは徴の金属板は出品されなかった。
釈然としないうちに終了した。帰路につく参加者のうちの数人がオークション側から声を掛けられた。
改めて夜にお越しください。禁秘のオークションを開きます。このことはどうぞご内密に、そう囁かれた。
秘め事とは吸引力を持つ。
ニカだけでなく周辺国にも影響力を持つ商人ナウム・ブルイキンもまた誘惑に負けて夜半に舞い戻って来た。
そこには期待通り、例の徴の金属板が出品された。その他、許可されていない物品、所謂ご禁制の品々があった。これは口外されては困るだろうという代物ばかりだった。
ナウムの目当ては徴の金属板だ。
既に一枚手に入れてはいるが、手に入れたからこそ、他のものも、できれば全ての徴を手に入れたいと思うのが人情だ。
本来、徴の金属板は国王が決定した上限により、その地域の金貨百枚という高額の上限で取引された。
香辛料は高いと聞いたどこぞの幻獣がお使いに行くのに金貨を持ち出したこともあるが、通常、街中の小売りで金貨がやり取りされることはない。大きな商取引の時のみだ。ちなみに、金貨一枚で串焼きを数百本購入することが出来る。
さて、秘したオークションだけあって、上限金額が設定されないという宣言がなされた。
徴の金属板は上限なしで競りにかけられるというのだ。金貨百枚以上の額で手に入れても、他で売る場合、金貨百枚以上にはならない。更に言えば、まだどういう価値があるか未知の物体なのだ。
もしかすると途轍もない力を持つ代物かもしれないし、単なる文様があるだけの金属板かもしれない。
そんなものに余分な金銭を支払う価値はあるか。
司会者は参加者の思考を読み取ったかのようににやりと笑った。
「折角お集まりいただいたのです。趣向を凝らしましょう」
全ての物品が銀貨一枚から競りにかけられる。
一瞬間会場は沈黙に支配された後、どっと沸いた。
金貨一枚で銀貨百枚と同等の価値がある。つまり、もし仮に銀貨一枚で徴の金属板を手に入れることができたら、金貨九十九枚と銀貨九十九枚分の儲けになる。
もちろん、そんな大きな利益を得ることは出来ないだろう。だが、仮に金貨百枚ででも手に入れることが出来れば、後々価値がある物だと判明した暁には支払った以上の益を手に入れることが出来る。
オークションが進み、目玉商品としてトリを飾ったのはあの徴の金属板である。
ナウムは最終の競りが始まってもまだ迷っていた。何かが引っかかる。
しかし、一度はニカを夢中にさせた金属板である。会場は次第に熱気を帯びていき、坩堝と化した。
最終の出品が紹介された際、商人たちは目の色を変えた。
それまで、稀な物品が競りにかけられることへ少なからず興奮があったのだろう。常に冷静なはずの商人も空気に飲まれることがあるのだ。
シアンはそうではなかった。
「ああ、これは。結果は火を見るより明らかだ」
シアンの呟きを拾ったリムが肩の上で小さく鳴いて小首を傾げた。
気配を薄くしているので他の参加者に気づかれた様子はない。
方々で商人たちに協力を要請する一環としてニカにも訪れたシアンは、商人ギルドへと顔を出した。厩舎にいるティオからシアンを翼の冒険者と知った者に声を掛けられた。商人だという男に珍しいものが手に入ると聞いて来てみれば、秘密オークションだったという訳だ。
シアンは幻獣たちがよく言う秘密が陰湿なところがなくオープンなことに馴染んでしまい、ルールに則らない場面に顔を出してしまったことに後悔していた。初めは訳が分からず、そうと知ったときにはもうオークションは熱狂に包まれていた。
そして、最後の出品だ。
この競りには一つの条件がつくと司会者が高らかに宣言した。
最終出品物は最高値をつけた人に売られるが、二番目の高値を付けた者は自分が付けた値を支払わなければならない。無論、商品は最高値をつけた者に渡されるので、二番目の値をつけた者は金銭のみを支払うことになるというものだった。三番目以降の値をつけたものは支払わなくても良い。
怖ろしい追加ルールだった。
そして、最後のオークションは始まった。
あの徴の金属板が安く手に入れられるかもしれない。
その思考が居並ぶ海千山千の商人たちの思考を支配していた。そこにいたのが一家言ある者ばかりだという自意識が邪魔した。他の者に負けてなるものかという意識が働いた。
銀貨一枚から始まった値はみるみるうちに吊り上がる。
金貨百枚に近づくにつれ、加速度的に金額を提示する者が減った。
最終的には二人が残った。
ここで引いては自身が大金を支払う羽目になる。
商人として赤字どころか何も手に入れず金銭だけ失うというのは恥辱以外の何物でもない。二人ともそう思っていたかもしれない。
金貨九十九枚と銀貨九十九枚になった瞬間、シアンは声を上げた。
彼らはオークション慣れしているようで、金貨の枚数をただ数字で言い、銀貨は数字の前に点をつけ、言葉を短くしていた。金貨十九枚ならば十九、銀貨九十九枚なら点九十九、といったものだ。そんな中、発言するのは勇気が必要だった。こなれていない者が真似するよりも、誰が聞いても分かる言葉で発言した。
「金貨百九十九枚と銀貨九十九枚」
言った際、その場は水を打ったように静かになる。
定価の二倍近い値段を払うと宣言したのだ。しかも、今まで競りに参加していなかった上に、突然、それまでの競りの金額から二倍に跳ね上がらせた。
シアンが意図するところは明白だった。
このままだと双方、ヒートアップして自分だけが損をしないように、と泥仕合となるだろう。それこそ、シアンが付けた二倍の価格よりも大きい金額に跳ね上がるのは目に見えている。
彼らは冷然とした商人である。
にもかかわらず、頭が煮えていた。それを一瞬にして冷やした。
シアンともう一人は等しく金貨九十九枚と銀貨九十九枚を失う。けれど、それだけで済んだのだ。自分一人が失うのは業腹だが、同じ損失を被る者がいる。
シアンに財力があったからこそできた力技である。
以前、マウロはレジスに言った。金は使いどころを間違えるなと。シアンは浪費家ではなかったが、効果的に使うことができる者だった。
オークションは幕を閉じた。
「見事なお手並みでしたな」
「ナウムさん」
シアンが名を呼べば、覚えてくれたのかと笑みを浮かべる。
ニカの有力商人は先ほど競り合っていた者を伴っていた。彼はシアンが声を上げなければ金貨九十九枚と銀貨九十九枚を失っていたと言う。
「いえ、あの時の心理状態でしたら、もっと値を吊り上げていたかもしれない」
そうなれば、損失は更に大きくなっただろうと頭を掻く。
それで止めてくれたシアンに是非とも礼を述べたかったのだと言う。そして、自分も金貨九十九枚と銀貨九十九枚を支払うと告げる。
「いやはや、ついむきになりました。止めて下さって助かりました。これで痛み分けです」
シアンが宣言したことで、彼と競っていた者が金貨九十九枚と銀貨九十九枚を支払う。ナウムもまた同額を支払い、シアンは市場価格の金貨百枚で徴の金属板を手に入れると良いと言う。
「よろしいのですか?」
「はい。これ以上の損失を出すところを止めて下さったんです」
シアンはこの日、商人たちの信頼と尊敬を勝ち得た。流行り病の物資のばら撒きに関しても全面的協力を約束してくれた。
金銭を手放すことで全く関わりのない商人の損失を食い止めた。翼の冒険者は怜悧かつ冷静、懐深く太っ腹であるという高評価を得た。それは富や名声を持つことを根拠とするのではなく、翼の冒険者の人柄自身を信用するに値すると見なしたのだった。
富も知恵もあり、権力に一定以上の信を置かない商人たちはあくの強い者が多かった。自己評価もそれなりでプライドもある。元は彼らは旅人だった。離れた場所へ行って商品を売る。困難と孤独を恐れず未知を踏破する胆力を持っていた。
翼の冒険者は財も知恵もあり、権力にさほど興味がありそうではなく、物腰柔らかなのにしなやかに勁く、何より翼でもってどこまでも飛んで行く。商人らと重なる部分が多い。グリフォンの飛翔力は憧憬すら抱く。同類であり憧れである。その彼が損失を出しても助けてくれようとした。そのやり口もスマートではないか。彼らに冷静さを失うことの恐ろしさを教えてくれたのだから。
シアンがこの時得た徴の金属板は後に符丁として扱われることになる。他の金属板は奇しくもナウムを始めとするこの一帯の有力商人たちが手にしていたのである。この金属板を持つ者には多くの商人たちが敬意を払った。
このオークションは初めから参加しないか、第一声で金貨九十九枚と銀貨九十九枚を宣言してしまうのが良い方法だ。いや、それすらも、悪意ある者が金貨百枚と言えば、泥仕合か金貨九十九枚と銀貨九十九枚の支出を強いられる。
泥沼から逃れたいとあがくものの、深みに嵌っていく様そのものだ。
何が何でも相手に勝ちたいという気持ち、相手を打ち負かしたいという気持ちの現われだった。いわば、意固地になった膠着状態だ。
このまま値が吊り上がるだけ吊り上がり、市場価格金貨百枚に対して競り金額は二百枚、三百枚になり得る。そんな状況に陥ったのは競りの相手の責任だと思うだろう。
実際に、このルールを用いた別のオークションではそういった泥仕合が繰り広げられた。
その話を聞いたニカの商人たちは一層翼の冒険者を讃えた。




