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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
441/630

15.荒廃を目の当たりにして  ~ひみつなの~

 

「これは……」

 幻獣たちと遠出に出て共に眺めた美しい景色は荒廃していた。

 巨岩の村の手前には緑の起毛を持つ大きな生物のような緑野、そこを白い街道が伸びて森に至る景色があったのは記憶に新しい。

 美しくも目に鮮やかな緑野は今は見る影もなく、ところどころ草を抜かれていびつな赤茶けを作っている。蛇行する街道脇の樹は野放図に切り倒され、皮が剥され、根を掘り起こし齧った後がある。

 怪我をした村人をユルクが運んだ小高い丘に物見やぐらを擁する村、黄色がかった灰色の石造りの家もあちこちに植えられていた花が引き抜かれていた。櫓も家々も端々が崩れ、屋根が破れていても修繕するまでに至っていない様子だ。村人たちは共に宴会した時の楽し気な表情とは打って変わった飢えて荒んだ顔つきをしており、人が変わったようだ。

 非人型異類を倒した路肩に木々が並ぶ白い石で舗装された街道は、樹が倒され、石が剥されていた。木々も半ばから折れたまま放置されているものが点在する。人通りが少なく、活気がない。

 あちこちで凶作となり、多くの者が空腹と隣り合わせで過ごしていた。

 田畑で採れた少ない収穫物は徴税されていく。牧畜は貴重な財産で労働力だ。

『ふむ、厄介な病だな』

『そうなの?』

 ティオと並走する鸞が呟き、リムがシアンの肩の上で小首を傾げる。方々見回り、時に村人に話を聞いた。

 シアンが訪れた村々では幸いまだ流行り病の間の手は届いていないと聞いた。村人たちに物資を渡して無事を喜んだ後、流行り病のことについて聞くと、彼らもその噂を聞いているらしく、様々に教えてくれた。

『体の一部がただれるのではなく、顔を含めた体全体というのがな』

 シアンは頷いた。

 流行り病が猛威を振るったという村を訪ねた。ティオは渋ったが、風の精霊に風の膜を施して貰うということで了承を得た。そこで見たのは皮膚がたるんで破け、人相が変わり果てた人の姿だった。

 人は顔の認識によって大きく印象を左右される。顔が醜く変形するというのは強い嫌悪をもたらす。自己喪失しかねない。

『死亡率も高いが、その病状、外見の変容のすさまじさだな。罹患すると隔離されるのは感染力が高いだけだからではない』

 見た目も恐ろしいから、なるべく視界に入らないところにやってしまえということだ。

『血液や嘔吐物から感染する可能性が高い。潜伏期間は七日から十四日。高熱が出て、後頭部、顎下、耳下、腋、脚の付け根といった部分が炎症を起こし腫れあがる』

「そして、そこから皮膚全体が火傷のようにたるんでただれてくる」

『いっぱい吐いていたね』

『呼吸もしにくそうだった』

 鸞の言葉を引き継ぐと、リムとティオも各々見て取ったことを語る。

 呼吸困難や嘔吐物による窒息により呼吸不全によって死に至ることもあるようだった。多くの者が寝つき、ただでさえ凶作の最中に労働力が減り、付きっきりの手厚い看護が難しい中、死亡することも多いようだ。

「ちょっと気になることがあるんだ」

 シアンが注目したのは流行り病が猛威を振るった場所の環境だ。

「街が汚れていると思ったんだ」

 道路に排せつ物を捨て、排水機構が上手く機能していなかった。

 アダレードでは衛生面は完備されていた。だから、この世界に馴染みやすかった。

 ゼナイドは豊かな大国で国都エディスでは綺麗に整備されていた。居住区では行き届かない点もあったが、他の国や都市ではそれ以上に酷かった。

『ふむ。衛生面か』

 鸞が考え込み、しばらくした後、直接関係ないかもしれないが、病に抵抗する力を削ぐかもしれないと言う。

「フィロワ家では備蓄を領民に配分しているそうだよ。そういうちゃんとしているところは良いけれど、貧困者救済は自治体レベルで行うようにしたらどうかな」

 国を待っていられないと言うシアンに鸞も同意する。

『上が決めた方針を杓子定規に実行するのではなく、地域の事情に合わせて臨機応変に運用するのが良いだろう』

 シアンは荒廃した景色は飢えと労働力不足のせいだと読み取り、これは早々に物資を行き渡らせる必要があると考えた。

 そして、知者たる鸞と話し合い、意見が出尽くしたところで風の精霊を頼った。

「英知、まずは何が必要かな」

『検疫や死体の検分などが必要だね』

 打てば響く答えが返って来る。

 農業に打撃を受けた国が疫病検査機関を立ち上げた。これが死体を検分するのだという。

『ただ、彼らには経験に基づく医療知識程度しかない』

「じゃあ、流行り病にかかったかどうか判別できないのではないの? それにどんな症状がでるか、それが流行り病によって引き起こされるかどうか、分からないのではないの?」

『そうだ』

 死体の調査だけでなく、近しい人間から症状を聞き取ることによって判断され、死因が流行り病だと断じられたら、同じ家で暮らしていた者たちは隔離された。

「四十日間も……?」

『彼らにとってはそのくらいの期間様子を見ないと安全だと見なすことができないのだろう』

「調べる方も命がけだものね。誰かがしなくてはいけない仕事だけれど。役人や医師ではないんだね」

 貧困者や弱者に安価で押し付けられている。そこにやり甲斐はない。賄賂も横行することだろう。

『ただ、検疫と隔離は有効な手段だろうな』

 鸞が感心したように頷く。流行り病は多くの者に広がっていくから厄介なのだ。

『人畜共通感染症、つまり人と動物の間で移行する病は同じ寄生虫が引き起こしたものでも、人と動物とでは症状が全く異なる』

 動物が感染しても症状を引き起こさないが、人間が感染すると内臓が腫れたり炎症を起こすことがある。

『これは人畜共通感染症を引き起こす寄生虫が「動物の寄生虫」であって、「人の寄生虫」ではないからだ』

 動物の寄生虫が人に感染すれば、成長することが出来ない。そのため、幼虫のまま、居心地の良い場所を探して宿主の体内を這いまわる。

 風の精霊は語る。

 寄生虫が人に悪影響を及ぼすのはこの動物に寄生する寄生虫が人の体内に入り込んだ場合が殆どだと。

 例外として、特定の動物から感染する有鉤条虫ゆうこうじょうちゅうの幼虫(嚢虫のうちゅう)は、人の体内で増える。体中が虫だらけになり、脳の中にも発生し、死亡することもある。小指の頭大のコブが、脳や眼球にでき、意識障害などを引き起こす。

『これは例外で、人に悪影響を及ぼすのは、多くが本来動物を宿主とする寄生虫だ。人がこれまで縁のなかった地域を開発したり、普段口にしない物などを食べると、動物の寄生虫に感染することがある』

「そうなんだ」

 体の中で増え続ける、そう聞いてシアンは体中が痒くなるのを感じ、ティオの背の上で身じろぎする。

 どうかした、と長くしなやかな首をひねってシアンを見るティオは器用にそのまま飛行を続ける。

 大丈夫だよ、という気持ちを込めて、微笑みながら背中を優しく叩く。

『ふむ。寄生虫が人の体内を移動する、本来は入り込むものではない虫が入ったために悪影響を及ぼす、か』

 ティオと並走する鸞は風の精霊の言葉に考え込む風情だ。

「シェンシ、どうかした?」

『うむ。寄生虫異類に対抗する薬剤を作るにはそこに何らかの鍵があるような気がしたのだよ』

「なるほど。色んな知識が繋がっていくんだね」

 シアンの言葉に鸞は本当だと実感を込めて頷く。

「シェンシ。慌てないで一つずつやっていってね。君が体を壊すようなことがあったら、大変だからね」

『シェンシが休憩するように、レンツやカランがよく言っているものね』

「ふふ、そうなの? リムも気が付いたら一緒に休憩してね。おやつをまた冷蔵庫に入れておくからね』

『うん!』

 にこやかに微笑み合う二人に毒気を抜かれるではないが、力みが取れる心地になり、鸞は口を開く。

『そうだな。それに、まずは流行り病の薬だ』

『じゃあ、そろそろ帰ろうか? それとも、薬の素材を集める?』

『いや、島にあるもので賄える』

 ティオの言葉に鸞が首を振る。

「界にも協力して貰えないか聞いてみよう」

『界は協力してくれるって言っていたよ』

 シアンはティオの応えに目を丸くする。

「え、そうなの? いつの間に界に依頼していたの?」

『ひみつなの!』

 リムが両前足を口元に当て、くふふと笑う。

 ティオと鸞が顔を見合わせこちらも笑う。

 青天井の下、彼らとなら不穏な足音を響かせる大陸西の手助けという困難も、軽やかに乗り越えていける気がした。



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