11.陰の立役者1
「いたか?」
「いや……おい、あれは?」
「一般人じゃないのか?」
「一応、確認してみよう」
密やかなやり取りの後、黒い長い裾を捌いて身軽に屋根の上から落下しつつ幾度か壁を蹴り勢いを殺して着地する。この時、ローブがはためく音が大きすぎないように気を使う。
「ひっ……! あ、あんたら、何だ?」
尻餅をついて抱えていた包みを放り出して見上げてくる貧弱な男に、内心、予想が外れたことに落胆する。
「お前、どこの者だ?」
頭からすっぽり黒いローブで覆い、顔を隠している者がする質問ではない。隙だらけで緊張感の欠片もない様子に、荒事とは縁遠い庶民だと断じながらも念のために聞いておく。
「お、俺はそこの工房で働いている者だ。今は使いの途中で……」
言いさすのを遮り、自分たちのことを忘れるように言い含める。短剣をちらつかせてやればがくがくと頷いていたので、大丈夫だろう。
「口を塞がなくても良かったのか?」
「ああ。あの位置に座り込まれたんだ。下手に悲鳴を上げられてみろ。耳目を集める羽目になる」
「そうだな。あまり時間がないし。一番の実力者を叩き潰されたんだから、連中も大人しくしているだろうしな」
「そうだ。種撒きの方が優先される」
しっかり口止めしたのだから、と再び屋根の上に舞い戻りつつ、会話する。
怪しい風体の者に脅かされた男はその後、数か所の工房に寄って用事を済ませたかのように傍目には見えた。夕紅に街が染め上がったころ、最後の工房を出て通りを歩く。同じように帰路に就く人通りもそこそこある。すれ違いざま、一人の人間の掌に小さな紙片を渡す。双方足を止めず、速度を緩めず、あっという間の出来事だった。
部下から受け取った紙片に書きつけられた内容を読み、隣に座った者に渡しながらマウロは鼻を鳴らす。
「ふうん、俺たちを一度は下したから目こぼししてくれるみたいだぜ」
「そりゃあ、良い! 今のうちにせいぜい動いておきましょうや」
「それにしても、種撒きってのはどういう意味でしょうね」
「農作業に目覚めたって訳でもなかろうからな」
「俺たちより優先するものだぜ?」
「じゃあ、大したことないな!」
どっと笑い声が上がる。
黒ローブの一人に退けられたイレルミの方はと言えば、こだわりがない。
「そうこなくちゃ」
自分が剣技で負けたことに逆に意欲を燃やす。でも、それにこだわらない。もっと重要なことがあればそちらを優先する。
「それよりも、流行り病だ。どうやら、南の大陸の奥地へ入り込んだ商人たちが病気を貰って来たようだな」
「ああ。ディランが集めた情報を精査したところ、どうもそうらしい」
情報収集は密偵集団のお手の物だ。ディランは各地からてんでばらばらに集まって来る情報を組み上げ、様々な仮説を立て、真実に迫るのを得意としていた。立てた仮説が正しいかどうかを調べる手も今では大分育ってきている。それでも、執拗に絡んでくる黒ローブや活性化する非人型異類を相手取りつつ、大陸西で起きる事象を正確に把握することは中々に骨が折れる仕事だった。
しかし、自分たちは翼の冒険者を支援する団体だ。
力ある幻獣たちが不得手とする部分をカバーするのだ。これほどやり甲斐がある職務はない。
「兄貴、気にしていやしませんかね」
「優しいからなあ」
幻獣のしもべ団としては、得体の知れない黒ローブの一隊に一時退けられたとしても、さほど重要なことではなかった。戦って勝つことに主眼を置いているのではない。それよりはやり病の方が起きたことによってシアンが自責しないかと心配した。
団員たちがマウロをせっついて探りを入れさせたところ、シアンは割と気にしていない風だった。
「まあな! 欲をかいた商人が原因だからな」
「そうそう。兄貴の提示した場所で必要な樹木の伐採だけしていれば起きなかったことだ」
腕組みして頷き合う団員たちに、頭をこき使いやがって、とマウロが鼻を鳴らす。
「それで? 兄貴は流行り病にかかった者たちの手助けができないかと言っていたんですね?」
「ああ。南の大陸のことを思い出したんだろうな」
「あれは酷い有り様でしたからねえ」
死体が山積みされ、乏しい物資で何とか医療行為を行おうと奮闘していた冒険者たちに代わって密林の村で起きた流行り病を終息させた。
幻獣のしもべ団も手を貸し、人手が必要だとばかりに大陸西の南方の商人や聖教司たち、冒険者に協力を仰いだ。
その際、船を出す対価として上質の蝋が採れる樹木の伐採売買の権利を商人たちに譲渡したのだ。
「あれは閉じられた空間での出来事です。大陸西のような広大な場所では食い止めようがない」
「ああ、シアンもそれは理解していた。統治者がすべきことだとな。だから、こっそり物資を渡す方向で援助できないかと言っていた」
「なるほど。救援物資ならば慈善活動の一環で収まりますね」
統治者がいる場所に横やりを入れない程度で支援しようというのに幻獣のしもべ団団員たちは感心したように頷く。難しい話は分からないものの、話の流れから何となく、シアンが様々な要素を鑑みて軋轢が出来ない程度に人々に救いの手を差し伸べようとしているのだと知る。
「どういう段取りで行うかはシアンと相談して決める。その間、必要物資の準備に取り掛かれ。黒いのが企んでいるようだから、念を入れろ。団員は引き続き、双子に変装を教わっておけ」
「おう、黒ローブを翻弄してやるぜ!」
マウロの言葉にグラエムが両こぶしを打ち鳴らしたが、この偉丈夫をどうやって別人に仕立てようかと双子はうんざりした表情で顔を見合わせた。彼らには鏡は必要ない。二人で向かい合えば良いのだから。
戦術を指揮するカークは今では戦略を見据えてマウロに代わって指示することもある。
情報収集とその整理分析を行うディランはマウロやカーク、補給担当のグェンダルと共に物事の道筋を立体的に組み立てていく。最近はリベカがその手助けをするようになった。
アーウェルは密偵技術が冴えわたり、それを増え続ける団員たちへ伝授していき、準古参や三世代目辺りも密偵として十分な戦力に育ちつつある。本人は飄々としていて幹部の自覚は薄い。
ロイクやアメデの方が幹部としての自覚を持ち、必要に応じて振舞うことに長けている。
グラエムは戦闘能力が上がり、新団員が束になってかかってもびくともしない。嬉々として彼らをしごいている。
ルノーはアーウェルから密偵技術を教わった後、各地で重要人物の似顔絵や重要ポイントの写生を行う。百聞は一見に如かず。齟齬が生まれることを防ぐのに貢献している。合わせて動植物の写生もして鸞に献上している。
グェンダルはユエが作った魔力蓄石をシアンから譲り受けた。これは決して口外しないようにと言われた重要性をよくよく理解している。まだしもべ団の中でも幹部や古参、準古参団員にしか話していない。なお、マウロたちの中ではすっかり彼も幹部扱いなのだが、本人の自覚は薄い。長らくゾエ村で村長である兄を補佐していたことから、重要な役割を持つ意識はあるものの、人の上に立つという発想になかなか結び付かないでいた。
ゾエ村異類は異能を持つ強力な武力として研鑽を積んでいる。
仲間内でぎくしゃくしていたこともあったが、今では強固な結びつきを持ち、新たなメンバーを加えて幻獣のしもべ団の中でも一目も二目も置かれている。
女性団員の半数近くが異類だというのもある。
その女性の中でもエメリナとクロティルドは首脳陣が動きやすいように気を配る。
テイマーであるセルジュは小鳥の魔獣に焦点を絞ることにし、その数を増やしている。小鳥の魔獣が彼に纏わりつき、競って気を引こうとするのを、役に立つ行動をするように誘導してやったら、これが図に当たる。当の本人は餌と手入れとご機嫌取りで大変だと良くぼやいている。たまにリリピピの歌声を聞かせて貰いたいとシアンに依頼している。リリピピは不在がちだが、帰島した時は一度はセルジュの小鳥の魔獣に歌ってやり、今ではみなで合唱するようになった。
ダリウスは眠り猫の異名に違わず、不安定な世情でも眠そうな顔で、重要な情報を咥えてくる。
レジスはナタ村で大分馴染んできている。黒ローブの姿はあれから見ることはない。
オルティアはロイクとの同調と連携を取りつつ、威力や飛距離を伸ばせないか訓練を重ねる。その合間に頻繁に郷里に書簡を出し、情勢を把握し、後ろ盾でもあるフィロワ家と歩調を合わせるように努めている。




