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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
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10.譫妄2

 

 天変地異を神の怒りの表れだと舌鋒鋭いエルッカが失地を回復し、大金を手に入れたらどうするか。まずもって、彼の性格から前回の失敗を顧みて懲りることはないだろうと踏んでいた。

 ヒューゴから報告を受けながら、自分の予測通りに事が進んでいることを聞いても、オルヴォは特段得意に思ったり高揚することはなかった。分かり切ったことが起きただけだ。

「あれはこの世の一切のことを映す塔のごとく高い鏡の塔を造ろうとしているのだ」

「鏡の塔、でございますか?」

 珍しくやや戸惑った色合いが声音に混じる。

「光の尊さを知らしめるために築き上げようとしているのよ」

 その敬虔さを盾に横車を押すのは、逆ねじを食わせることと並んでエルッカの得意技だ。それを気骨があると思っている。自分のことを客観よりも良く思うのは誰にだってあることだ。度が過ぎているだけだ。

 ヨキアムという要素が絡めば、一層事態を混迷させるだろう。

「足元に付いた火に気づくのはいつのことやら」

 ヒューゴが無言で首を垂れる。

 恭順を示しているが、オルヴォの指示に従っているのは、光を汚しかねない大聖教司を片付けるのは並大抵のことではなく、搦め手を使うのが有効だと分かっているからこそである。オルヴォの声音に面白がる意味を読み取って、不審に思っただろう。

 事の成り行きを面白がりながらでも、光の神を讃えることはできる。信仰の在り方など、人それぞれだ。

 ヒューゴのように自分を痛めつけるようにして、全てを捧げる敬愛だけが最上の、そして最良の敬虔ではない。

 頬がこけたやせぎすの陰気な男を座ったまま見下ろす。まさしく、死のようだ。黒装束の裾を広げて迫りくる死そのものだった。

 オルヴォは彼の将来有望な部下が死んだことを悼んだ。確か、エイナルと言ったか。もう一人、ラウノという同輩とともに、一門の光芒、燦たる双星だったのに。片翼を失ったラウノは生き長らえた命を力に変えて、奮迅していると聞く。

 薬師のアリゼもまた様々に動いている。あれは実に忙しない子だ。

 くく、と喉が鳴る。

 ヒューゴが目線を上げるが、何でもないとばかりに手を振る。

 オルヴォがカヤンデルの名を捨てなかったのは家族を忘れないためだ。自分を食い物にした父を、盾になってでも守ろうとした妹を。父親は貧乏騎士だったから家名があった。

 オルヴォにはアリゼよりも少し年上の妹がいた。

 オルヴォが大陸東にいた時、それこそ、エイナルやラウノの歳の半分ほどのころのことだ。

 妹は父親に売られそうになった。

 自分も客を取らされていて、まだ幼い妹にそんなことをさせるものかと父親に反撃した。結局、その時のいざこざで妹とは別れることになってしまったが、彼女もまた別の国で神に仕えている。別の地にあっても、同じ神に仕えているのだ。そうやって自分たちは繋がっている。

 だから、オルヴォは情報を欲した。

 自分の知らないところで勝手に事態が進み、自分の先行きを決定されるのは真っ平だった。いや、執拗に恐れたと言っても良い。そして、いつか、妹のことを耳にすることが出来るかもしれない。

 それまでは、彼女にも暖かく美しい光が降り注いでいることだろう。

 そんな妹と同年配のアリゼの他、子飼いのロラン、漂泊の薬師の名を冠されたカレンが各地で薬を処方しているが、焼け石に水だろう。

 この時代、商人たちの活動が活発になり、巡礼者が増えた。農業のほかに職人や商人という職業の多様化により、農地に根差すことから離脱する者が増加した。それによって、病の広がりも拡大していった。

 ロランやカレンといった腕利きの薬師はさぞかし一般人にとってありがたい存在であろう。

「ヒューゴ、流行り病に乗じて異類が人間を駆逐し、自分たちが上位に立とうとするために井戸に毒を投げ入れているという噂を流させよ」

「はっ」

 水は生命線だ。

 井戸に毒を投げ込むのは流行り病を蔓延させたとも等しい所業だ。

 禍々しい恐怖と戦慄の命令を、ヒューゴは恭しく受け入れた。

「それで、翼の冒険者に加護を与えた精霊の属性は特定できたか」

「いえ、それが……」

「ふむ、近づくこともままらなぬのなら、難しいか」

「申し訳ございません」

 オルヴォはシアンが精霊の加護を持つと見なしていた。ロランという精霊の加護を得た者と比して複数の精霊の加護があるのではないかと目していた。

 だからこそ、あれほどの高位幻獣を従わせることができるのだろう。しかし、翼の冒険者自身は尊大だとか傲慢だとかいう話は聞かない。

「一度会って話をしてみたいな」

「召喚いたしますか」

「そうだな。手強いご仁のようだから、向こうからやって来るようにしようか」

 そんなことが可能なのかという思いを、即座にこの人ならばやってのけるという考えが打ち消す。

 ヒューゴは一層恭しく頭を垂れた。



 自分を刺そうとしたので死に物狂いで抵抗した。

「こいつ!」とか「狂っていやがる!」とか口の端に泡を飛ばしながら言うが、子供の成長について考えたことがないのだろうか。日に日に力をつけてくるというのに。

 狂ったことを散々してくれたのに、被害者面をするのが何故かおかしくて、笑った。そうすると、一瞬間、怯えを見せる。その一瞬を逃さなかった。

 濁った悲鳴を上げて、情けなく泣き叫びながら大仰にその場にのたうち回る。その腹にナイフが突き刺さっていた。

「助けてくれえ、痛え、痛えよお」

 痛みを逃すためにやっているのか、子供が駄々をこねるためにやっているのか、哀れを誘うためか。

 いずれにせよ、自分がやることは一つだ。

 ばたつかせる手足に当たらないように注意しながら近づくと、ナイフに手を掛け、一気に押し込み、そのままぐいと縦一文字に力任せに動かす。

 先ほどとは比にならないくらいの大声で吠える。

 すぐさまナイフから手を放して飛び退る。怒り狂った目で睨みつけられることから、最後の力を振り絞って噛みつかれては肉をごっそり持っていかれかねない憤怒を見た。

 ナイフに手を掛けた際、いや近づいて行った際に、期待に満ちた甘えた視線を見て、ぞっとした。今まで散々虐待し、客を取らせてその金で怠惰に生きて来たのに、そして、つい先ほど殺そうとしたにもかかわらず、助けてくれると思うなんて、どんな思考回路をしているのだろう。自分はしても良くて、される側になるとは毛の先ほども思っていないのだ。

 だから、肉を内蔵を切り裂くぐねぐねした感触は不快なだけしかなく、禁忌感はなかった。

 肉親が腹をぱっくり裂かれて転がった。

 強い風が濃厚な血の匂いを浚う。

 すぐに飢えた鳥たちが集まって来る。

 肉親であった血肉は彼らにとって餌でしかない。

 嘴で啄み、赤と白に彩られたものを飲みこんでいく。

 時に長く引く尾を、時に大きな塊を横から啄み、取り合い、体内に収めていく。

 敏捷な動きで突く姿が、まるで汚いものには長く触れていたくはない、生きるために仕方なしに食べているのだといわんばかりの仕草で小気味よかった。




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