表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
432/630

6.天変地異と流行り病と2

 

 流行り病が蔓延し、とある国では疫病検査機関を設立した。

 流行り病が豊かな農村地帯を襲い、労働力を失い徴税に暗雲が立ち込めたことによって作られた。

 担当者らは死体取り調べ人とも言われた。

 取り調べ人の殆どが僅かばかりの医療知識がある貧困者だった。自分たちに病が移る可能性もある状況でその仕事をせざるを得なく、まだそれでも金銭を得られるだけましという境遇の者たちだった。また、その仕事を引き受けなければ、国や神殿からそっぽを向かれて途端に生活が立ち行かなくなる者ばかりだった。

 彼らは病魔を打ち払おうと薬草を燻した煙たい家に入り、医療の詳細な専門知識もないままに検死を行った。死者から慎重に流行り病の兆候を読み取る。貧民街の薄暗い路地からは陽光は差し込まず、この調査は難航した。

 家族からいつごろから寝付いたのか、どんな痛みや苦しみを訴え、病状はどういったものだったか、そして、どんな死に方をしたのかを聞き取り調査した。

 取り調べ人が流行り病だと断じれば、その家は板で囲われ、住人たちは隔離された。

 死者が出た家には標識がつけられ、医師と取り調べ人を除いて誰であろうと四十日間の出入りを禁じられた。取り調べ人は調査したリストを作成し、監督役に提出した。

 この四十日間というのは当時流行り病の潜伏期間と信じられた時間だった。

 取り調べ人たちは虚偽なく仕事を遂行すると宣誓して任命される。誓いを破り、流行り病での死者を出した家族から買収され、別の病気だと報告したかどで告発される者もいた。

 なぜなら、流行り病によって死亡した者のすぐ傍で生活していた家族もまた、流行り病に罹病していると疑われたからである。

 流行り病の患者は隔離された。家族たちも同じ小島に連行されるという噂がまことしやかに流れていた。

 その島は晴れた日には陸地からでも肉眼で見ることが出来るくらいの間近にある。

 名は別にあったが、死の島、流行り病島と称され、そちらの方が通っていた。

 流行り病患者はここに運び込まれ、隔離された。明らかにその兆候が見受けられる罹患者の家族も世話人として随伴された。半ば強制的だった。

 そして、いつしかその島に行った者は帰って来られないと囁かれる。

 島ではろくな医療行為は行われず、食料や日用生活品と言った物資に乏しかった。

 それでも、島の船着き場には多くの患者が置いて行かれた。

 流行り病の蔓延だけなら違っていたかもしれない。

 けれど、時期が悪かった。

 天変地異と凶作が重なり、ただでさえ食料が乏しかった。健康な者たちも飢えていた。病に罹病して先が長くないだろう者の食い扶持など勿体ないと言わんばかりだった。それどころか、まだ死に至っていない者までも死体とともに穴に埋めたり、焼いたりされた。

 全ては島で行われたことだ。

 目撃者はいないとばかりに蛮行が横行した。

 この島は打ってつけだった。陸地からほど近いのは運び入れるのに楽だという他に、港町に入港する船に罹病嫌疑者が乗っていれば、検疫期間として四十日間島に留め置くことができたからだ。

 乗組員は硬く口を閉ざして、島での凶行を語らなかった。

 あまりの地獄絵図に恐ろしくて夜な夜なうなされる者もいたという。

 ただれた皮膚が炎でさらに焼かれていく。地面にぽっかり口を開けた穴から死者の中から力なく蠢き、うめき声を上げながら焼かれていく人間が助けを求め、または苦痛の声を上げる。その光景が瞼の奥に焼き付いて離れない。

 からくも難を逃れて陸地へ戻ることを許された船の乗組員は、別の理由で死を迎えた際、島で見たことを口にした。しかし、あまりにも現実離れした話だったので、死の間際の恐怖からのでたらめな話だろうと取り合わられなかった。



 娘をべたべた触っていた父親である夫を、やんわりと母親である妻が諫めても「女は若い方が良い」とうそぶいて主張を退けた。

 母親は強く言うべきとも考えたが、そうすると意固地になってわざと執拗にすることが容易に想像できる。結婚する前はこんな風ではなかったのに、狡猾にも隠していたのだ。

 その父親は飢饉で食料が少なくなった時に、真っ先に、自分は働き頭で体も大きいから、と食事の量を減らさないことを宣言する。

 母親は自分の食事も娘に与えようとした。成長期だからそれだけでは足りないだろうと思ったのだ。遠慮し、お母さんの分はと問う健気な娘に涙ぐみそうになりながら、お母さんはもう大人だからと言うと、じゃあ、俺が食べてやろうと伸ばした父親の手を振り払った。娘の父親であるはずなのに、何ていう人間だろう。

 払いのけられた手を大事そうに抱えながら憎々し気に睨みつけてくる夫に、妻はようやく目が覚めた。

 そうだ。自分は母親なのだ。こんな娘にとって害にしかならない人間など、必要ないではないか。

 毅然とした態度を取り始めた母親である妻に、夫は様子を窺い機嫌を取る素振りをみせるようになったが、それすらも落胆の一つにしかならなかった。この期に及んでさえ、機嫌一つしっかり取ろうとしないのだ。そうする振りをするだけだ。

 母親は娘としっかり手を繋いで生きて行こうと心に決めた。



 その大地の神殿は荒く削り出した岩で造られ、武骨な雰囲気を持っていた。大地の神殿としてふさわしいこの場所を好んでいた聖教司は礼拝堂で祈りを捧げた。

 天変地異に奔走する僅かの合間にふとできた僅かな時間である。

 様々な石が縫い付けられた貫頭衣は薄汚れ、ところどころほつれていた。

 大地の聖教司は数年前、家族の一人を魔獣に殺された。珍しくないことだ。

 最近起きた天変地異でまた家族の一人を失い、残る一人が病に倒れた。

 そんな折、グリフォンが村の近くに出没する非人型異類を倒した。

 その姿に感銘を受ける。そして、誓った。

「我らは卑小なれど、できることをして、ただ懸命に生きるのみ」

 素晴らしく潔く、肝が据わっている。ただ毅然と前を向いて生きている。

 大地の聖教司は祈りを捧げた後、巡礼者の容体を確かめるために礼拝堂を出た。天変地異や病の蔓延から人々の心は乱れ、その不安を解消するために各地の神殿を詣でる者が最近増えていた。

 慣れない旅をして体調を崩す者は少なくない。

 問題は何の病を得ているかだ。

 栄養失調や疲労ならば良い。

 今この大地の神殿に身を寄せている巡礼者のうち、不安な兆候が見られる者を見出していた。さりげなく、巡礼者が多いことを理由に、小屋の方に床を移した。一人で休んだ方が気を遣わずゆっくりできるだろうという大地の聖教司の言葉に病人は感謝していた。その身体には炎症によるただれが見えていた。

 もしかすると、本人も薄々気づいているのかもしれない。

 あの者が流行り病の罹病者であるとしたら、一刻も早く隔離すべきだ。離れなどではなく、それこそ、誰も出入りしない場所に移動させるべきだ。

 しかし、それは患者を見捨てることになる。

 大地の聖教司は決断を迫られていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ