5.天変地異と流行り病と1
それは巻貝を乗せた非人型異類だった。
臭いで対象を捉え、獲物に音もなく近寄り、口吻を長く伸ばす。先には猛毒を分泌する針が仕込まれていた。獲物を刺殺し、あるいは麻痺させる。この神経毒の混合により、抗毒血清を作るに追い付かず、どれだけの犠牲者を出したことか。自分よりも大きい対象にですら向かっていく。また、毒を流し込んでも何のそので食らいつく。麻痺した体は抵抗することさえ許されず、ゆっくりと食まれる。貪欲で、自分の体よりも大きい獲物も飲み込み、消化し、衣服や骨といった不要物はまとめて吐き出される。
まさしくおぞましい生物だった。
最初は近くの村の者が襲われた。田畑で働いて空きっ腹を抱えてよろよろ歩いていると、前をぽつんと歩いていた同じ村の者に静かに忍び寄ってくる何かがあった。異様な風体で、声を掛ける間もなく、長く伸びあがったもので刺し殺し、倒れ伏した上にのしかかってその身体を取り込んで消化した。
犠牲者が担いでいた鍬や逆の手に持っていた桶などが放り出された際の大音声は遠くからもよく聞こえ、思わず声を上げてしまい、体の一部を長く突出させたのがこちらを向いたので、慌てて逃げた。怖いもの見たさで振り向けば、食べられていた。
その非人型異類は村と畑を行き来する村人を襲いだしたからたまらない。ただでさえ異常気象のせいで農作物が上手く育たないのに、農作業ができない。
街でも農作物を売りに来る農民たちが現れなくなり怪訝に思い、常駐する兵士が派遣された。
最近、流行り病が席巻しつつあり、村で罹患者を出したのか、もしくは食べられなくなって集団で逃げ出したのか、という不審からの調査であった。
しかし、これが事態を好転させた。
ようやっと現れた獲物に、急いてことを仕損じたのだ。いそいそと現れた非人型異類は仕留めそこねた。辛うじて難を逃れた兵士は驚いて一目散に逃げ出した。
彼は下っ端の門番ではあったが、街の上層部と繋がりを持っていた。
比較的街から近い村に非人型異類が現れたこと、村人たちが恐れて村を出ることが出来なければ農業収入は落ち、税を取り立てることができないこと、そして、その非人型異類のせいで街道を行き来する旅人がもたらす交易品が入って来なくなることを憂慮し、領主に掛け合い、騎士を派遣して貰った。
結果的に、その騎士団の一部は非人型異類の食料となった。
騎士団はちゃっかり領主から危険手当という名の報酬を出させ、再戦に向かった。実際に当たってみて相手の戦法を見たので勝機はあると踏んだ。
死の槍とも言える口吻は皮鎧の硬い部分では弾かれる。ならば、国を守る騎士としては、強力な非人型異類に対するために重装備で臨むまでだ。
闘う騎士も困難を極めたが、従者もまた地獄を見た。
騎士の鎧は二十以上の部品からなり、重さは三十キロ前後ある。
詰め物をした甲冑用の下着にズボンを履き、金属から皮膚を守るために膝に柔らかい布を巻く。その上から鎖帷子で作られた靴を履く。脛当てを巻き、腿を覆う鎧は革ひもを使って留める。経帷子の腰巻をして、背当てと胸板を装着し、籠手を着け、一番最後に兜をかぶる。
それだけ着るのは大変だ。ズボンも簡易脱着式ではない。
つまるところ、用を足したければ鎧の中ですることになる。
従者の任務は鎧を纏わせるのはもちろん、脱がせ、内外の汚れを取り去ることも含まれる。
一日中身に着けていたことで汗や泥や血、糞尿にまみれた鎧が放つ悪臭はまさしく鼻が曲がる。そのため、従者が水の魔法を使える者、風の魔法を使える者が重宝された。大きい方をされていたら最悪だ。翌日にも使えるようにしなければならないが、遠征先で水は貴重なために研磨剤で汚れを取り去る。砂と酢と少量の尿を混ぜたもので鎧をこすった。
従者は他に、主人の着替えや食事の給仕を行い、眠る主人の傍に侍ることも仕事の一つだった。
騎士は武器や鎧、それに付随する紐といった物品に限らず身軽ではなかった。
テントにイス、料理と飲み物を置くための台となる木材、パンやワイン、肉か魚、肉切りナイフ、カップ、飲み物を作るグラス、タライといった生活に欠かせないものも必要となって来る。マジックバッグといった魔道具は高価で所有者は少ない。
それでも、あんな奇異でどぎつい攻撃をしかけてくる非人型異類と相対峙しなくて良いだけましだった。
「討ち取ったり!」
地響きが起こるほどの歓声が起きる。
騎士たちだけでなく、村の方からも声が上がっている。
秋とはいえ、日中は気温が上昇する。
早くこの動きづらい甲冑を脱ぎたいものだ。そう考えながら、甲冑の兜を脱ごうとした時のことだった。
何かが背中を強打した。
思わず振り向けば、白い靄が漂っている。
次は足に何かが当たる。
結構な衝撃が走り、よろめいてその場に尻餅をつく。
また、何かが飛んでくるが今度はかすっただけだった。
「ひっ」
その時になってようやく、何かが離れたところから飛来してきたのだと気づいた。どこからか弓矢で狙われているのかと視線をさ迷わせるが、靄が立ち込めて向こう側がうっすら白濁して見通すことが出来ない。
自分や騎士たちの方ではなく、やや離れたところから靄のような白い煙のようなものが漂っていた。
「どうした?」
「た、助けて、何かが飛んでくる!」
座り込んであたふたする彼に気づいた騎士がこちらにやって来ようとしたその時だった。
ひゅ、と風を切った何かが騎士の鎧の隙間に入り込んだ。
「ぎゃああっ」
甲高い悲鳴を上げて、騎士が仰向けに倒れ込んでのたうち回る。
「ひぃぃっ」
助けを求めた彼は驚いて恐怖のどん底に陥って四つん這いになって逃げようともがく。
「何だ! どうした!」
「敵か?」
「新手か⁈」
その段になって他の騎士たちも騒ぎ出し、当たりを警戒する。
また何かが飛来し、騎士たちの鎧に当たり、音をたてる。
「何だ、これ?」
鎧についた液体を手に取り、まじまじと眺めて、あろうことか、臭いを嗅ぎ舐めた。わざわざ兜の隙間から指を入れたのだ。
「ぐっ!」
「お、おい!」
「大丈夫か?」
その男ものたうち回り、やがて静かになった。
そのころには靄が薄れてき、徐々に向こう側にいる巻貝を乗せた非人型異類の姿が視認された。
「さっきのやつの仲間か?」
「あれよりもちょっと小さいな。貝殻の形も違う」
冷静な観察も長く続けることは出来なかった。
その非人型異類は対象に触れずに、毒液を発射した。
喉に食道、気管とは別にもう一つの管があり、そこを通って口から発射される物質は多くの動植物にとって毒液となる。十数発の連射が可能で、発射と同時に漏れる毒液は、砲煙のごとく周囲を不気味に白濁させる。
感知能力で獲物を察知し、離れた場所から攻撃する。
防がれても避けられても構わず次々と毒弾を打ち続ける。怯む隙を過たず逃さず追撃の手を緩めず、やがて毒に沈んだ物言わぬ獲物に覆いかぶさるとゆっくりその肉を飲み込む。その辺りは騎士たちが先ほど倒した非人型異類と同じだった。
騎士たちは運悪く倒れ伏した同僚と同じように装甲の継ぎ目に当たりませんようにと神に祈りを捧げつつ、非人型異類を押し包み、ようよう倒すことが出来た。
多数の犠牲者が出た。
化け物も天災の一つに数え上げられていた。
天変地異の一環だった。
「美しい季節」も終わりを迎え、名残を惜しむ会が宮廷で開かれた。
美髯王と称された父に習い、美髪王と自ら名乗る国王は今年の狩りやトーナメントについて廷臣たちと語り合いながら食事を楽しんだ。
活躍した者を讃える貴族がいれば、その者と敵対する貴族が剣聖のことを持ちだす。
「彼の者を出してしまえばもはやそれまで。誰にも敵うまい」
国王が自慢の髪の毛をひと房手に取りながらいがみ合う二人を宥めにかかる。
「そうとも言い切れません。世界は広いですからな」
「というと? 剣聖に届くほどの剛の者がいるとおっしゃるのですか?」
「その口ぶりでは心当たりがおありなのでは?」
国王の言葉に意味ありげに反論する貴族に他の貴族が食いつく。みな、目新しい情報に飢えているのだ。
「そら、巷で有名な翼の冒険者。あの者のことでしょうか?」
思わせぶりを口にしておきながらのらくらと躱す貴族にじれったそうに問う。
「ほほ、あの者は随従する幻獣が強いだけ」
勿体ぶるだけ勿体ぶって肝心なことには一つも触れずに貴族はたらふく食べた。周囲の貴族も不満そうではあったが、すぐに話題は別のものに移った。
王侯貴族は肉を食べることを好んだ。
その宮殿には千人前後の廷臣がおり、使用人の数はもっと多かった。
そして、食事を準備する部屋が十五もあった。二百人以上の料理人たちが包丁を握り、鍋を火にかけ、せわしなく動き回った。
その中でも、肉を炙る役目は背中や腕の筋肉を酷使する辛い仕事だった。
肉の殆どは串に刺して巨大な炉で焼く。この太い鉄製の串を長時間掛けて回す役割だ。焼き串は厚さ二センチ、長さが三メートルで、その串に六キログラム近くある肉の塊を百個刺す。つまり、串ひとつで六百キログラム近い重量がある。
暑い夏でも炉のすぐ傍でこの重い串を回し続ける。
肉の種類は多岐にわたった。
一年間で彼らが回した串は牛が千二百頭以上、羊が八千二百匹、鹿が二千三百頭余り、豚が二千匹近く、イノシシが五十匹、魔獣が三十頭分である。その他、白鳥や雉、ウズラ、鷗、鳩といった様々な鳥も食卓に上がった。特に、魔獣の肉は美味であるとされ、その肉を提供した者は称えられた。他の肉と比しても食卓に上がる回数、量ともに少なく、それを食べること自体がステータスとされた。
民が飢え、動物性たんぱく質を摂取するために虫を捕まえ、調理している最中、大量の肉が王侯貴族の腹に収まった。
それも輻射熱をふんだんにあびて体の水分を奪われ皮膚を炙られながら焼き串を回す苛酷な仕事をする者がいてこそだった。
この仕事のあまりの苛酷さに死者が続出し、後に、魔道具で回すようになった。技術の粋を集め、高価な魔石を使用する装置を使ってでも、大量の肉食を求めたのだった。
民は労働力であり、王侯貴族を楽しませるために働く者たちだった。
それは翼の冒険者とその支援団体と同じ関係のように見えて全く異なるものだった。なぜなら、王侯貴族に取って民は同じ人間ではなく、自分たちは民よりも一段階も二段階も高い存在だと考えていたからだ。だから、横柄に振舞うし、彼らの苦労は自分たちに関わり合いのないことだった。ただ、流行り病で次々に死なれたら労働力が減少し、それは由々しき事態であると言う認識がある程度だった。




