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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
428/630

2.稀な楽器をみなで  ~生えている!/やる気満々の巻~

 

 生垣に白いものが見えた。

 緑が作る壁に、脚と尾が生えている。

 一拍置いて、リムが生垣に頭を突っ込んでいるのだと分かった。

 よくよく見れば、後ろ脚や尾、背中に黒い翼がある。

 見た瞬間はぎょっとしたが、楽し気に尻尾が揺れ、それに合わせて後ろ脚もリズミカルに足踏みしているので、何か面白いことでもしているのだろう、と気が鎮まる。

 羽は畳まれ、細い胴体がより目立つ。

 声を掛けようか迷っていると、前足が現れ、綺麗に刈り込まれた葉に添えられ、そこを支点に勢いよく頭を抜いた。ピンク色のくっきり分かれた指と緑のコントラストに目を奪われているうちに、音がするほど急に抜く。勢いがありすぎて反動で後ろにひっくり返った。整地された草地に仰向けに倒れ込む。

「リ、リム⁈」

 駆け寄ったが、差し伸ばした手が届くより素早く、リムが起き上がり、頭を二度三度振る。

「大丈夫? 痛いところはない?」

「キュア!」

 ない、と元気よく答えたものの、しゃがみこむシアンの前に後ろ脚で立ち、ちょろりと両前足を胸の前に垂らし、小首を傾げて見上げる。

『ちょっと頭が痛い』

「抜くときに引っかかったかな」

 そっと手を伸ばして頭を撫でる。気持ちよさげに目を細め、への字口を横に緩める。

『痛くなくなった!』

 ぴっと片前足を掲げて宣言する。

「そう? そういえば、頭を突っ込んで、何をしていたの?」

『そのまま通り抜けられないかなあって思ったの』

「穴が開いたら大変だよ。セバスチャンが丹精しているんだし、植物も折られたり無理やり押しつぶされたら痛いよ。リムも怪我しちゃうかもしれないしね」

『うん、分かった、もうしない!』

 元気よく答える。

 大地の精霊や樹の精霊に好かれるリムのことだから、生垣に顔を突っ込んでも、植物の方も一緒に遊ぶくらいの受け止め方をされそうな気がしないでもない。

「そうすると、リムは全世界に愛されているのかなあ」

「キュア?」

 シアンの少し先を飛んでいたリムが振り返える。行かないの、という問いに答えるように、シアンは足を速めた。



 幻獣たちはシアンと音楽をすることを望んだ。

 聴くのも楽しいが、演奏をしてみたいと思うようになった。

 その願いを、風の精霊と樹の精霊が力を貸して後押しした。

 ユエは同族たちと力を合わせ、鸞や九尾、カランの知恵を借り、一角獣やティオ、リムが入手した素材でもって楽器を作り上げた。奏者の意志によって空気が自在に流れ、規則性を持って開けられた穴を塞ぐことによって音の高低、律動、強弱を生みだした。

 幻獣たちは高位存在であり、それぞれ魔力知力が高く、器用であるとはいえ、殆どの者は楽器の演奏をするに適していない。それを精霊たちがカバーした。そして、楽器を持ち、演奏する体勢を取ることに関しては、意外にも、庭遊びで鍛えられていた。

『きゅっ、「シアンちゃんが転んだ」の変ポーズがこんなところで役に立とうとは! きゅうちゃんは自分の先見性が怖い!』

 フッ、と悦に入ってため息交じりに笑って見せる九尾に、麒麟が本当だねえ、とおっとり笑う。

『……』

 このときばかりは九尾の言う通りだと認めざるを得なかった鸞はネーソスよろしく押し黙る。ネーソスに対するユルクと同じく、鸞の沈黙からその意志を読み取ったカランがそっと目を合わせて無言で頷く。

『まさしく、まさしく!』

『九尾様のお陰で、楽器を構えることができまする!』

『えい!』

 待ちきれないとばかりに、アインスが口をつけて空気を送り込む。息を吹き込むだけの乱雑なものだった。後ろ脚立ちした脚が反動で飛び上がるほどの力みぶりだ。

 一音、高く澄んだ音が、長く滑らかに伸びあがる。

『わあ! 綺麗な音!』

 リムがぱっと顔を輝かせ、ユエが後ろ脚立ちし、両前足を胸の前で組みながら満足そうに頷く。

 音を出した本人は茫然と楽器を見下ろす。

『アインス、やったな!』

『何と美しい音色か!』

 ウノとエークが満面の笑顔で近寄る。

 兄弟たちに向けたアインスの瞳から、ほろほろと涙が零れる。

『こ、これで我らもセバスチャンを喜ばせることができるのだな』

『アインス、お前……そうか、そうだな』

『では、鍛錬を積まねばなるまい!』

『そうだな。下手な音でお耳汚しをしてはならぬ』

『それに、他の方々の足を引っ張ってはいかぬしな』

 非常に古めかしい物言いだが、口にするのは子犬の姿の幻獣である。

 そのギャップが見る者に微笑ましさをもたらす。何より、彼らは真剣だった。涙を拭って頷き合い、眦に決意を宿している。

『こ、これが天然最強伝説、可愛い版か!にゃ!』

『おや、うっかり語尾をつけわすれるところだったね』

 わざとらしく額を拭って見せるカランに、九尾が胡乱な視線を向ける。

『ふ、何のことかにゃ。可愛いは日常携帯。標準装備にゃよ!』

 可愛いは持ち運ぶものなのか。

 九尾は人の世の統治の是非を問う聖獣でもあり、とある出来事から凶獣と称されるようになった。その際、召喚獣となることで存在のバランスを保つことができた。召喚主も気の良い者で今の立場を気に入っている。元は召喚獣になる存在ではなく、それを知っている訳でもあるまいに、召喚主は九尾を自由に行動させてくれる。

 お陰で、窮屈な思いをせずに済み、抑圧からはほど遠い毎日を過ごしている。

 九尾はシアンたちと行動することが多い。それはシアンが精霊の力を得、しかも数を増やし、ついには全属性の加護を持つに至ったことを半ば懸念し、半ば面白がっているからだ。シアンは一風変わった価値観や技能を持ち、人外の気持ちを惹きつけ、不思議に心地よい接し方で彼らの心を掴んだ。そこに自分も入っているのだということを知っていた。彼らの閑雲野鶴も九尾の性に合った。

『きゅうちゃんは気宇壮大な狐ですからな!』

「ふふ、うん、いつも頼りにしているよ」

 九尾の戯言をも鷹揚に受け入れること間然するところがないシアンだからこそ、気分良く過ごすことが出来たし、必要に応じて容喙する気にもなった。

 だから、聴く側ばかりだったが、楽器の演奏に加わって見ようと思った。

 召喚獣であるものの、制約はそうきつくない。心の赴くままに色々共に楽しんでみるのも良かろう。

 九尾の他、幻獣たちはユエとその同胞が作ってくれた楽器を喜び、練習に励んだ。

 館も庭もセバスチャンの耳目がある。

 折角だから、ひみつの特訓をしよう、と樹の精霊の下へ赴いた。

 彼らの一部は理解していたが、セバスチャンは島での出来事は全て把握している。しかし、肝心のわんわん三兄弟が失念していたため、殊更誰も言及することはなかった。水を差すこともあるまい。こっそりわんわんは筒抜けだったのだ。

 素材を提供した樹の精霊はユエとその同胞が作った楽器に唇を綻ばせ、美しい音色に喜ぶ幻獣たちの姿に破顔した。彼の下にやって来ては練習を繰り返す幻獣たちを見ていると弾むような心地になる。シアンや幻獣たちが言う心躍らせて、というのはまさしくこのことかと思い知る。

 世にも稀な魔道具の材料となった自分の分身ではあるが、こんな用い方もあるのだなと感心し、その素晴らしさに喜びを噛みしめる。

 世界の樹の一なるもの、全き存在として時に崇められ、時に貴重な素材として求められた。けれど、これほど心から慕われ、その知識を喜ばれ、あまつさえ、その分身から生み出された魔道具によって楽し気に音楽を奏で捧げられたことがあろうか。

 いや、こんな荒唐無稽なことなど、誰も思いつかなかっただろう。

 そう考え、樹の精霊はくすりと笑う。

 独りで色々に考えを巡らせて笑いを漏らすなどということも初めての経験だった。それは殊の外心地よいものだった。破天荒な幻獣たちを、樹の精霊もまた気に入っている。

 世にも稀な上位精霊の宿る樹から作り出された楽器は後に、自我が宿るようになった。持ち主を選ぶのだ。

 音を出すことは簡単にできた。

 それぞれどんな音が鳴るだろうと高揚して息を吹き込めば、高音低音、まろやかな音鋭い音、金銀七色に輝く音がさんざめいた。

 シアンが彼らに沢山聞かせてくれた音楽を想起する。

 美しく優しく楽しく弾む律動を追う。

 シアンが彼らに教えてくれた音楽は常に傍にあった。美味しいもの、美しい景色、楽しい遊戯と合わせて、弾む音楽も共に在った。

 彼らの記憶に刻まれた音楽は意志によって呼び起こされ、それに沿って空気が自在に通り、楽器が音楽を再現する。

 ティオの太鼓は精霊の樹の楽器が出来上がったころ、呼応するように音色が更に多彩になった。それはまるで複数の打楽器のようだった。

 また、ティオは歩きながら太鼓が叩けるようになった。大地の精霊の他、風の精霊が助力した。

 ティオが生み出すリズムは幻獣たちが奏でる旋律をしっかりと支えた。軽やかな管楽器の音に厚みと重みをもたせた。管楽器の音とバチッと嵌ると鳥肌が立つほどの爽快感と心地良さがある。

 流石は幻獣たちを纏める者だ。

 一方、リムは幻獣たちを牽引する。様々に思い付き、時に他者、例えば九尾などに影響を受けつつも、新しい試みを示して見せる。それを幻獣たちは共に楽しんだ。

 わんわん三兄弟は毎日楽器の練習に励んだ。自分たちが音楽を楽しんでいるのもあるが、セバスチャンが音楽を楽しむ姿を見るのも好きだった。自分たちもセバスチャンを楽しませることができたら、という望みを持ってしまった。それは過ぎた望みだと分かっていたが、幻獣たちと島で暮らすうちに自然に抱いていた。そして、様々な者たちがそれぞれ力や知恵、技術を出し合い、可能にしてくれた。応えるためにも、特訓を繰り返した。



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