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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
427/630

1.徴候

 

 空に暗雲がたちこめ、不安をもよおす色合いをなす。

 風が寄り集まり轟音を立てる。

 烈しい風は束となり雲を巻き上げ、竜巻を作り上げる。

 らせん状の渦が上空の雲に連なり、地上の様々な物を巻き上げて行く。

 雲に時折稲光が奔る。巨大な怪物が胎動するような雷鳴がうなりを上げる。

 昼なお暗い空、烈風の立てる轟音、奔る稲妻、全てが不気味だった。



 重厚な音で大気が震えた次の瞬間、地面が波打った。

 道行く者たちは上下する大地に、たまらずしゃがみこんだりへたり込んだ。

 家畜は逃げ惑い、腰を抜かした羊飼いはあらん限りの声で呼び止めたつもりだったが、弱々しい音量しか発されなかった。

 のらくらと労働から逃げようとする夫に腹を立てていた妻は尻餅をついたまま、大量の洗濯物が入った籠を放り出して、初めは緩やかに、徐々に速度を増して倒壊する家を呆然と眺めた。材料の殆どが木で作られた家は大音響と共に破れ崩れ落ちる。喉の奥で悲鳴を上げて座り込んだまま後退さる。家事を手伝わず、畑仕事も理由をつけてさぼろうとする夫が家の中に取り残されたのを思い出したのは、瓦礫がもうもうと煙を上げたころだった。



 叩きつける激しい雨が降り続いた。

 後に学者たちはその地域には十年分の雨が一週間の間に集中して降り注いだと話す。

 豪雨の影響で、広範囲が浸水した。

 そのため、地上に棲む生物は避難を強いられた。

 多足類の節足動物である蜘蛛もまた同じくだ。

 彼らは糸を使って巣を張る。

 無数の蜘蛛が一か所に集結したため、木々に網を張った。それは大きい紗のように広がり、木々を覆いつくした。

 この蜘蛛の網は非常に厚く、少々の風でも木から外れることはなく残った。

 人々はこの見たこともない光景に呆気にとられ、気味悪がった。

 それは何らかの予兆にすら思えた。



 その日、冷たい嵐に襲われた。

 嵐が過ぎ去った後、辺りは氷の世界に一変した。

 全てが氷漬けにされ、氷柱を纏う。

 雨が温かい空気の層を通り抜け、地上付近で冷たい大気の層を通ることによって、零度以下でも凍結せずに液体のまま、過冷却状態になった際に生じる。雨は衝突した物品を凍結させ、みるみるうちに厚い氷で覆っていく。木も家も路傍の石も厚い氷に包み込まれる。

 さながら、雪の女王の息吹に晒されたかのように、横ざまに氷柱を滴らせ凍り付いた。



 夏ごろから流行りだした病は、炎が絨毯を嘗め尽くすようにひたひたと静かに、滑らかな勢いをつけて大陸西を席巻した。

 翼の冒険者の支援結社の導きによって難海域を超え、訪れた南の大陸で有益な、言い換えれば金になる木材を手に入れた商人たちは大いに潤った。一部の商人たちはこれだけでなくもっと別のものを手に入れて更に富を得よう、他の者を出し抜いてやろうと思った。王侯貴族からもっと珍しいものはないかと金貨をちらつかせられて躍起になった。

 そこで、現地の者の案内なく奥地に入り込んだ。勇敢な商人たちは手強い魔獣をものともしなかった。

 しかし、彼らの敵は目に見えるものだけではなかった。それは奥地でひっそりと暮らす動物の体内にあった。

 本来、終宿主を人とする寄生虫は住処である宿主と共生を望む。人を中間宿主とする寄生虫は害をもたらす。中間宿主とは元々は他の動物を宿主にしていたにもかかわらず、その動物を人間が食べるなどした結果、本来の宿主ではない住処のことだ。これは寄生虫の方も居心地が悪い。

 時折、居心地の良い場所を求めて体内を動き回ったりする。皮下や筋肉などに影響を及ぼし、時には脳にまで移動し何がしかの作用をもたらすことがある。

 何らかの理由で人間が有鉤条虫の卵を体内に入れてしまうと、それは小腸内で孵化し、幼虫となり、全身に嚢虫のうちゅうを作って体中をぶつぶつにする。

 さて、欲をかいた商人が体内に入れて大陸西に持ち運んだ病は皮膚に炎症をもたらした。表皮が目に見えてただれた時には肉も内臓もただれて破れ崩れた。

 死に至るほどの痒み、痛みを伴うその病は見た目も悲惨なものだった。そして、一目でそれとわかるというのも問題だった。

 皮膚病により異様な姿に変り果てたため、気味悪がられ忌避された。

 また、貴光教などは物事にふけり、抑制が利かないほど溺れるという意味合いの「ただれ」にかけ、乱れた生活のせいだと断じた。病を得た上に非難までされて踏んだり蹴ったりである。

 死者に鞭打つ悠長さはなかった。

 流行り病の上に、相次ぐ異常気象で凶作となり、多くの人の命が失われた。

 学者たちはそれをしるしだとみなした。

 全ては何らかの予兆、その先の未来を暗示させるものだった。

 貴光教はその流行り病の特効薬を開発したと広く喧伝した。

 少しでも多くの者を救うために、と特定の商人を使って広めた。貴光教から卸された薬は、用いられる素材が希少だという理由から、高額で売り出された。

 まずは裕福でこらえ性のない王侯貴族たちが続々と買い求めた。

 あい続く異常気象のため、凶作に悩まされる庶民には手の届かない代物だった。

 命は平等ではなかったのである。

 なお、この薬の販売に関して、貴光教は商人から相応の金銭を受け取っている。

 貴光教はこれらの天変地異や流行り病に関して、魔族の仕業だと声高に喧伝した。

 それほどまでの力が魔族にあるのかと問われれば、彼らの所業に神がお怒りなのだという応えが返ってきた。

 ともあれ、ただれ病は安価で、つまり不衛生でもある宿を利用する遍歴商人や巡礼者といった旅人によって各地に運ばれた。また、彼らは神殿をも利用した。同じく宿を求めにやって来た他国の旅人を介して、病は爆発的に広まっていった。

 このただれ病や凶作により、不安な情勢にあった。それに呼応するように非人型異類が跋扈する。化け物は自然脅威の一つとみなされていた。

 どこか捨て鉢な雰囲気が漂いつつあった。

 人心が大きく乱れたため、精神を司る闇の精霊はそれに引きずられ、不安定になった。

 世の乱れは寄生虫異類に力を与える。寄生虫非人型異類は胎動を始めた。



 その村人は不安から逃れるためにわざと大量にクルマバソウの若い葉を積み、白ワインに漬け込んだ。

 この地域のワインはクルマバソウの甘い草の香りを移して作られるが、この草を大量に摂取するとめまいや麻痺が起き、昏睡や死に至る場合もある。

 春に花が咲く前の若い葉を積んで、たっぷり漬け込んだ。いざという時、どうせならこの甘い香りのワインを飲んで終わりにしたい。

 痛い思いや怖くて辛い思いを、最期の時に味わいたくはなかった。

 どうせ死ぬのだ。美味しいものを飲んで死にたい。



 飢えていた。

 食べる物はなかった。

 草の根も木の皮も食べ飽きていた。

 だから、虫を食べた。初めはそのまま。口に放り込んで咀嚼した。苦くてじゃりじゃりした。掌に吐き出してみたら、土が混じっていた。それで、食べやすいように調理するようになった。

 植物ばかりでは力が出ない。どうにか体を動かして、田畑を耕し、家畜の世話をしなければならない。勝手に農作物ができたり、家畜が育ったり乳や卵、毛皮を提供してくれることはないのだ。

 それらは労働の先にある。

 パンだけでは力が出ない。

 彼らは動物性たんぱく質という概念は知らなかったが、動くものを食べる必要があると何となく分かっていた。しかし、家畜は財産である。肉は納税として用いるか有事に金銭にするために売却するかだ。

 その点、虫ならそこら中に飛んでいる。それに子供たちが捕虫を得意としているので手伝わさせることができる。

 まずはボウル一杯の虫を捕えてくる。腹を裂き、内臓と土とを取り除き、水洗いする。この作業をも子供たちは面白がった。子供とはかくも残酷なものだ。そして、虫をみじん切りにして大釜で水から煮る。時折アクを掬ってやる。沸騰したら、ひと口大に切った硬くなったパンとハーブ、バターを加える。煮汁が茶色がかった灰色に変わるまで煮る。塩で味付けする。

 これで出来上がりだ。

 虫入りシチューを食べながら、以前、村に来た幻獣たちのことを思い出す。

 あのころは良かった。

 村の田畑を荒らす魔獣を翼の冒険者が狩ってくれ、なおかつそれを村人皆で食べたのだ。幻獣たちが楽器の演奏をするのにも驚いた。

 美味しい料理、楽しい音楽、まさに天国にいるかのようなひとときだった。

 今、彼らが狩りを行い、動物の肉を得られたとしても、それは納税と神殿ヘの供物として捧げなければならない。最近、頻繁に起こる荒ぶる自然に、神の怒りを鎮めるために必要視されているのだ。

 狩りどころか普段の畑仕事すらままならない。

 その点、あの幻獣たちは凄かった。

 狩って来た魔獣は大きく強かったが、一撃で倒したのが見て取れた。首がへし折られているだけで、体の肉はどこも損傷がなかった。

 あれだけの力があれば。

 このままじっと事態を身を縮めてやり過ごすことなくいられるのだろう。自分の力で切り開いて行くことが出来るのだろう。

 それが何とも羨ましかった。




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