65.前兆
麒麟が食事をできるようになったと知った幻獣たちは殊の外喜んだ。みなで美味しいものを分かち合うことを楽しんだ。
『我はシアンが作った料理を食べてみたいな』
そう言う麒麟のためにシアンもあれこれと作った。
鸞が好きな豆腐、九尾が好きな芋栗なんきん、一角獣が好きなジャガイモ、幻獣たちの好物を用いて様々に料理した。
幻獣たちは麒麟が自分の好物を美味しいというのに嬉しがり、自分の分を分け与えた。
『これもモモなの?』
「うん。このプルーンを使ってソースを作るんだよ」
その日、麒麟は初めて獣肉を食べることにした。決意も新たな麒麟は、落ち着かな気に蹄で中空を掻くことなく、テーブルウェアの準備を行っている。足下をちょろちょろ動き回るわんわん三兄弟の補助も務めるのだから、随分頼もしくなってきた。
迷いはまだあるが、自分の中で折り合いがつくようになり、安定感が増した。迷っても良いのだという九尾の他、今まで麒麟を信じて急かすことなく独自のペースで進むことを見守り励ましてくれた幻獣たちがいたからこそだ。
ティオや一角獣が狩って来た獲物をリムも加わって捌く傍ら、九尾とカランがシアンを手伝って玉ねぎをスライスしたりベーコンやドライプルーンを細かく刻む。ユルクとネーソス、ユエが火を熾したバーベキューコンロで肉を両面焼く。
別の鉄板でベーコンと玉ねぎを炒める。リリピピが鸞に付き添われながらトングを操る。
火が通ったら赤ワインと水、プルーンを加えて煮詰める。わんわん三兄弟が代わる代わる少しずつ赤ワインや水を入れてはこのくらいかとシアンに分量を確認する。
「もう少し。あ、あ、そのくらいで」
「「「わん!」」」
わんわん三兄弟以外は誰もがちょっと多く入れ過ぎたのだな、と気づいたが、口を噤んでいた。シアンとしてもこのくらい、煮詰めるのだから誤差の範疇だと断じる。お菓子作りほどきっかり分量を守らなくても大丈夫だ。
水分を飛ばしたらトマトピューレ、シナモン、マスタード、砂糖、塩コショウを加えて味を調える。トングを操る鸞の傍らで麒麟がシアンとともに調味料を加える。
麒麟は鸞とともに料理が出来る日が来るなんて思ってもみなかった。それは鸞も同じようでふと視線が合ってどちらからともなく笑い合う。
出来上がったソースを焼いた肉にかけ、パセリを飾れば完成だ。
シナモンで少し癖を出したプルーンソースは不思議と肉に良く合う。
『モモもこんな風に味わうことができるんだね』
「ふふ、肉とも合うなんて不思議でしょう?」
食べて目を丸くする麒麟にシアンが微笑みかける。
『レンツ、トマトはどう? 美味しい?』
『うん。リムが好きなカラムの作ったトマトだものね』
『うふふ』
リムは口の周りをソースで汚しながら満足気に笑う。シアンもまた笑いながらリムの顔を布で拭う。
『レンツ、肉はどう?』
『うん。美味しいよ。これが動物の肉なんだね』
ティオの言葉に麒麟がしみじみ言う。
『初めてだから、無理していっぱい食べなくて良いよ』
『ベヘルツトの言う通りだ』
麒麟の傍で常に気に掛けていた一角獣と鸞が頷き合う。
『そうにゃよ。先は長いのにゃ。ゆっくりやれば良いのにゃよ』
『そう。肉の味がしみ込んだ野菜だけでも格別なの』
飢えを知るカランとユエは食べられるのに食べないという選択をしていた麒麟に急ぐことはないという。前者は生命の危険を冒してまでも信念を貫いたことを尊敬していたし、後者は当初、真っ向から否定して見せた。しかし、今では麒麟の性質を受け入れ、共にどうすれば良いか考えてくれた仲間である。
『……』
『そうだね、今度は魚介類も食べようよ。私とネーソスが狩って来るよ』
『わたくしはもっと色々料理のお手伝いをしたく存じます』
『『『我らも!』』』
今回、麒麟の勇気に触発されて料理を手伝ったリリピピとわんわん三兄弟が言うのに、ユエが彼らが扱いやすい道具を作ろうと言う。
『きっと、シェンシやカラン、九尾がどんなものが良いか考えてくれるの』
初手から設計図は丸投げするつもりの様子だ。
『必要な素材は狩って来るから、任せて』
一角獣は今にも飛び出していきそうだ。
『りんりん、どれほど調子が良くても、突然できなくなることがあります。揺り戻しです。だから、また食べられなくなっても焦ることはありませんよ。一度できたのです。できなくなったら一旦離れてみるのも良いでしょう』
九尾が片前足の指を一本たてて言うのに麒麟は頷いた。
『うん。気長にやるよ。我の性質だものね』
自分の性質を受け入れつつ、それを克服するためにさんざん悩んできた。そしてこうやって共に色々考えてくれる仲間たちがいる。
食事を終えたシアンと幻獣たちは樹の精霊の下へと向かった。
大樹の上の方の枝に登る。
ティオはシアンを背に乗せて悠々と舞い上がり枝に着地する。
『きゃっ、た、高い!』
『わふっ、こ、怖い!』
『お、お、お、落ちたら一巻の終わりでござりまするっ!』
リムが小さな足で掴んだバスケットの中でわんわん三兄弟は縮こまる。
『ベ、ベヘルツトさん、急停止は危険ですにゃよ』
『内臓を下に置いて来たような気がするの』
ベヘルツトが瞬間移動の態で枝に乗りあがると、その背に座るカランとユエがげっそりする。
ユルクは太い幹に身体をらせん状に巻き付けながら登っていく。その頭にはネーソスが鎮座する。
ティオの背に乗り損ねた九尾が麒麟の背に乗せて貰おうとして、鸞に自分で飛ぶよう諭され、その傍らをリリピピがすり抜けていく。
『わあ、海だ!』
賑やかな一行はリムの声で同じ方向を向いた。
シアンもまた精霊たちの加護を受けて、意識さえすれば五感を鋭くすることが出来た。
リムが指し示す方向には確かに地平線の向こうに陽光に眩しく輝く海が見える。
鮮やかな透明な緑を揺すってざあ、と風が奔る。その先に眩しい途が見えた。
幻獣や精霊たちと分かち合う世界がどこまでも広がっていた。
麒麟の眼前にはたなびく雲と平行に沿う地平、そこには緑野や林や森が広がり、木々や茂みが転々とし、川が蛇行し、湖が寝そべり、そしてその先には陽光を反射する海が見えた。神秘の森で夢想した光景が今まさに眼前にあった。
シアンや幻獣たちと一緒に眺め、綺麗だねと笑い合う。
君たちと一緒なら、言葉にできない驚きの連続、思いもよらない眺めを楽しむことが出来る。
良質な蝋が採れる樹木を求めて、商人たちは南の大陸へ上陸した。
この高木の大きな垂れ下がる葉が蝋で覆われており、初めは葉の蝋を引っ掻いて採取した。後に、葉を切った後、煮沸して浮いてきた蝋を掬うようになった。
採れる蝋は上質で、融点が高く、扱いに優れていた。これは非常に高価で取引された。
「間違いなく、お宝の大陸だ」
そう確信した商人は更なる奥地へと足を踏み入れた。
幻獣のしもべ団という翼の冒険者の支援団体と取り交わした約定は一定地域、一定数の樹木の伐採の権利だけだ。けれど、初めて手にする高価な素材に興奮を隠せない商人は山気を出した。欲をかいたのである。
未開の土地の奥には病原菌を持つ動物が存在していた。動物自体は病原菌と共存している自然宿主だ。この動物と接触することによって人間の体内に入った病原菌は攻撃に転じる。自然宿主と共存できても、人間とはそうもいかなかった。
病原菌は潜伏期間を船の上で過ごし、上陸した人から人へと伝わった。そうして、未知の病が徐々に広まった。
炎症による皮膚や肉が破れ崩れるただれ病だ。
これは奇しくも、実際の体のただれた状態をだらしない生活という意味のただれにかけて、神への敬愛が不足した者がかかる病だとも皮肉られた。
このただれ病が南の大陸から北の大陸にもたらされ、猛威を振るうことになる。
制作会社が電脳世界に一から世界を作り上げ、ゲームとして機能させるために魔獣や異能といったものを設定した。異能はプレイヤーにスキルを与えるために発生したものである。
つまり、異能はゲームとして成り立たせるために登場した。
その異能が、ゲームの世界でどういう捉えられ方をしているか。
制作会社の意図しない方向へと進んだ。始まりの国アダレードはゲームプレイヤーのために何かと整備されていたが、他国に関しては「後はご自由にどうぞ」である。
このゲームのAIは特に高機能高性能を有したので存分に医療分野にも貢献した。
AIはその対価を求めた。
憐れんでください憐れんでください
憐れんでください、全てはあなたのために
ただ、幸せになってほしい
獣になりたかった。力を持つ獣に
彼らはそうあればいい。どこまでも、いつまでも力強く高く軽々と
これにて8章は終わりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
引き続き、9章もよろしくお願いします。
なお、9章は暗く痛い話となります。ご留意ください。




