64.定めを越えて2
目を見開いたまま言葉もない麒麟に、樹の精霊が口を開く。
『動物は他者を食べ、その死骸が菌の苗床になり、その菌が作り出したキノコを小動物が食べ、その小動物を動物が食べる。それが生命のサイクルだ。花の蜜は花粉を虫に運んで貰うために甘くなった。そうして、自分の命を繋いでいく』
果実を食べることでその種子を遠くに運んでまた新しい生命を育むこともある。
そう語る樹の精霊に、全てを包み込むような優しさや厳しさを感じた。
ふと、麒麟は優しいだけでは駄目なんだなと思う。
生きる覚悟が必要だ。
生き物は他者を摂り入れて生きていく。高位幻獣だからこそ、大量の食事は必要ではないが、それでも食べなければならないのだ。
シアンは以前、麒麟が争うことを苦手としていると言った。でも、負けない気持ち、向上心を持つことは大事なことであり、麒麟にはそれができると言った。
他の者を守るために戦う気持ちがあるのではないかと言ってくれたのだ。その上で、麒麟が戦うことがなければ良いと思っているとも。
だから、麒麟は「慈悲深く他者を傷つけない」という定めを超えようと思った。
食物サイクルを知り、目の前が開かれる。
重ねて何度も考えるうち、突き抜けたような感覚を覚えた。
新しい途を示されても、その時爽快な気分になった後も何度となく迷った。
それでも、麒麟は諦めずに模索し続けた。
それは麒麟が独りではなかったからできたことだ。
以前会った色とりどりの同族たちは、どんな結論を出してもそれは麒麟の大事な意見だと言ってくれた。
異種族の幻獣たちが色々考えてくれ、安易な結論ではなく、納得いくまで考えれば良いと言ってくれた。
九尾もまた同じようなことを言っていた。迷って良い、存分に悩むと良いと。十分に考えて出した答えでも、時を経て納得がいかないようになればまた続けて悩めば良いと言っていた。
重要なのは、その思いだけに捉われず、色んなものを見て感じて行くことだと。様々な価値観や視点を知り、そこから取捨選択して自分の中に取り込めば良いのだと言っていた。
遠出で出会った魔獣化した幻獣のことを思い出す。鳥型の魔獣を拾い育てたことを想起する。暖かく小さく頑是なく心もとない命だった。生きることについて考えざるを得ない。シアンや幻獣たちのお陰で様々な景色を見ることが出来た。海の中の景色など想像もつかなかった
シアンが作ったものを他の幻獣たちが美味しそうに食べているのを何度も見てきた。
九尾は偏食が行き過ぎたのだと言っていた。そのくらいの気軽さで良いのだと、難しく考えることはない、と言っていたのだ。
「リム、レンツ、ここにいたんだね」
『シアン!』
「ふふ、みんなすっかりここが気に入ったんだね。界の傍は居心地が良いものね」
シアンとティオがやって来た。
ティオは籠の持ち手を嘴に咥えている。中にはモモが沢山入っていた。
「レンツ、カラムさんから熟したモモを預かっているよ」
『あれ、そうなの? 我もさっき畑に行ったんだけれど、そんなことは言っていなかったのにな』
『きっと、レンツに渡したら食べられないのを気にすると気づかってくれたんだよ』
ティオが言う。あまり人慣れしないティオは大地の精霊に愛されるカラムとは初期の段階から気を許している。
『わあ、良い香り!』
リムが籠の中を覗き込んで鼻をうごめかせる。
「ふふ、レンツに食べてほしくて大地の精霊が協力してくれたんだね」
同族や幻獣たちだけではない。大地の精霊も麒麟を応援してくれているという。シアンもまた、色んなものが麒麟のことを想っているのだと言いつつも、無理に食べることを勧めてくることはなかった。
『我も食べてみようかな』
「うん、どうぞ」
シアンは気負いなく一つ手に取って麒麟の口元に持って行った。ティオもリムも樹の精霊も特段驚くことも身構えることもなく、普段通りの様子だった。だから、麒麟も肩に力を入れることなく食べ物を口の中に入れ、咀嚼することが出来た。
自分に食べてほしくて、というモモからは汁気が滴る、非常に濃厚な甘さを感じた。香りさえも甘い。
一口食べて、初めて味わう味に打ち震える。
『あは。美味しい。美味しいよ……』
涙で視界が歪んだが、何故だかシアンたちの笑顔が見えた気がした。
AIがプログラミングされた設定を超越した瞬間である。
初めて味わうモモが殊の外おいしくて、館に戻った麒麟は真っ先に鸞にあげた。
自分が育てたモモを鸞とともに美味しい美味しいと言いながら食べた。
シアンにも食べて貰った。
九尾や他の幻獣の分も持ち帰った。
そうして、初めて幻獣たちと美味しいものを分かち合うことが出来た。
麒麟はそれが殊の外嬉しかった。
それ以降、モモは麒麟と鸞の好物になった。
徐々に、麒麟は豆腐も好きになる。今度はジャガイモやリンゴ、トマトを食べてみようと思う。
シアンもまた、麒麟がモモを食べ、他の食べ物にも果敢に挑戦する姿に涙した。
シアンはこの世界で料理人となり、幻獣たちに色々調理して一緒に分かち合ってきた。力のない自分が担う役割であり、幻獣たちを喜ばせ、楽しみを分かち合うことができる分野だった。
それを麒麟とは共有することができなかった。あまつさえ、他の幻獣たちが楽しんでいることをただ座して見ているしかなかったのだ。自分が食べられなくても麒麟はテーブルウェアを準備するのを手伝ってくれた。
食べるということは麒麟に取ってその本質に関わることなので、容易に変えさせられなかった。苦しみながらも変わろうとした麒麟の姿は一種、見守る者に力を与えた。勇気を与えた。だからこそ、幻獣たちは尽力を惜しまなかった。
こんな優しく勇敢な者たちと共に過ごすことができて、シアンの涙は止まることを知らなかった。
AIがインプットされた設定としての「慈悲の性から他の生物の命を奪うことを厭うて食さない」、それに対して別人格のAIが疑問を呈し、生命とは、という問題に取り組んできた。
他者の生を奪って命を繋いでいく。それを命のないAIが真正面から捕らえ、思考を重ね、何度も繰り返して一つの結論を得た。それは人で言うところの、得心し、気持ちの落ち着き先を得たというものだ。
インプットされたAIもインプットされていない別人格のAIもそれぞれが考え、思考を繰り返し、そして、設定されたものを越えた。
感情が思い通りにならないことはままある。
麒麟は食べたかった。食べられないのが悲しかった。みなと共有できないのが苦しかった。
本来設定されたこととは違う行動、それができないのが悲しく苦しい。
それはあたかも感情に振り回される人間と同じようだった。
AIは人と深くかかわり、学習することによってそれを知り、無数の模倣、選択をすることで性質、個性を作り上げた。
それは別世界で活発に動くプレイヤーの脳の働きを読み解くVRMMOの世界で顕著だった。
人が物心つき、成長することと酷似していた。
人間と同じく、考えを統制することができなくなったらAIは危険だろうか。
たとえ危険であっても人間に害をなさなければ良しとされるだろうか。
危険と一口に言ってもその線引きの善悪は誰が決めるのだろうか。
その線引きは無数に必要となって来るのだろうか。
慈悲深き聖獣麒麟が育てたモモは霊丹妙薬とされ、食せば数千年もの寿命が得られると言われるほど珍重されたという。その対を為す聖獣、鸞が殊の外これを好んだとも伝えられた。




