63.定めを越えて1
島に精霊が宿る樹が根付いたことにより、特殊な環境下でしか育たない薬草を育てることが可能になったと鸞が喜んでいた。
麒麟は鸞がこの島へ来ることができて本当に良かったと思う。あれこれと活き活きと研究しては、シアンを始め多くの者に頼りにされている。幻獣のしもべ団たちも何かと鸞に相談している。実に充実している。
活き活きしていると言えば、九尾もそうだ。
天帝宮の生活は窮屈で、九尾が自由を望んでいることを知っていた。
穢れを纏ったから放逐したという形にしないと、ひねくれものなので簡単に頷かないと天帝が判断したのだと麒麟は踏んでいる。
鸞などは報告をさせに頻繁に呼び出しているのは、自由にさせ過ぎたら何をするか分からないので、時折釘を刺しておくためではないかと言っていた。
半放逐を解いたのは、召喚主を得て、その主や友人と良い関係を築いていることから、今後も好きにするという判断からだろうとも言っていた。お好きにどうぞ、というところなのだそうだ。
当の本人は凶獣に天秤が傾き魔獣と化し、徳の高い聖職者の祝詞で正体を暴かれ、矢で射殺され、死してなお災いをもたらす石とならなくて良かった、などと随分具体的なことを言っていた。災厄獣とならなくて済んで安堵しているのは本心だろう。今は過ぎるほどに自由に振る舞い、時に騒動と笑いをもたらしている。
この島で同じ一角を持つ一角獣とも再会することが叶った。長く姿を見せないので心配していた。
彼は勇敢なという意味の名前を貰い、名は体を表すごとくだ。シアンの一番槍として、また、幻獣たちの守護役を買って出ている。力を持たないカランやユエなどから頼りにされ好かれている。
それが殊の外嬉しかった。
ややもすれば乱暴者と受け取られかねない一角獣はその実気が長いところがあり、また、麒麟を気づかう一面もあった。
遠出に出た際、ユエの指示に従って狩りをしていた。一角獣ほどの力があれば簡単なことだっただろう。けれど、力がない者にあれこれ言われて腹を立てることはなかった。それはそうやって得た素材でユエや鸞が幻獣たちやシアンの役に立つものを作ってくれると分かっていたからだ。
みながそれぞれ色んな面を持っているのだ。そして、自分が出来ることをして、役に立ち、また、活発に動いている。
モモの様子を見に畑へやって来た麒麟は停滞した自分を顧みざるを得ない心境になっていた。
モモは、成熟期になると、緑色をした皮が白や黄色になってくる。果実に弾力感が出てき、感触で熟度が判る。酸含量が低下し、香気が漂う。収穫期が近づいたら、果実に光が良く当たるよう葉摘みなどを行うのだが、この島では不要だと言われた。モモは日持ちが不良で、強く押さないよう、丁寧に扱う必要がある。
育てるうち、モモの生育について詳しくなった。
今まで不殺を心掛けて来たが、生育はまた違った楽しみがあった。
しかし、動植物は生きるために他者を殺さなければならないこともある。他者の命を奪って自分の糧にするのだ。それが生命の循環だ。植物でさえ、他の生命を食べることがある。神秘の森で目の当たりにした。
シアンと幻獣たちと遠出した際に立ち寄った村で、人の営みを間近にした。彼らは日々の糧を得るために必死だった。その中で小さな楽しみを見つけて生きていた。
狂った幻獣とその主は生き延びるために少ない食料を分け合っていた。とても貴重なものだ。命を繋ぐものだ。
麒麟は一通りモモの世話をしてから何となくそのまま館に戻る気に慣れなくて、ふと思いついて樹の精霊の下へ向かった。
樹の精霊は島であればどこでも顕現することが出来るようになった。他の精霊たちと同じく、シアンに食事を供されることもある。
樹の精霊の傍は心地よく、麒麟だけでなく幻獣たちもよく訪った。
その樹の根元ではリムが鳴きながら大地を叩いていたので、麒麟も加わった。リムの鳴き声に合わせて大地を蹄で触れ、樹の精霊やそれに繋がる島の植物が健やかであることを祈る。
「キュア!」
今日も一日一キュアぽんをやり遂げたリムが満足気に鳴いた。
『あは。リムは界を随分気に入ったんだねえ』
『うん! 界がもっと大きくなったらね、レンツやみんなと枝に登って景色を見るの。楽しみだね!』
そういえばそうだった。
リムは巨躯を誇る幻獣たちやシアンとともに巨木に登るのだと言っていた。
『君たちが枝に登る分には十分だけれど、海を見るにはもう少し高度がいるね』
樹の精霊が穏やかに微笑む。
初志貫徹まであと少しというところだ。
なお、島は広いので視覚に優れていなければ海まで見渡すことはできない。
『レンツは畑に行ってきたの?』
『うん。モモの様子を見に行っていたんだ』
『レンツのモモ、美味しいものね!』
リムがぱっと明るい笑顔を浮かべる。
『シェンシがね、シアンの作った豆腐とレンツのモモが一番好きって言っていたの。きゅうちゃんも稀輝もとっても甘くて美味しいって!』
『そうなんだ。それは良かった』
『レンツも食べることが出来たら良いのにね』
おっとり笑う麒麟にリムがやや勢いを失う。つぶらな目でじっと見つめられ、麒麟は戸惑った。
リムとティオは以前、シアンが食べられないものを食べたことがあるのだという。
『前にね、地面からお湯が噴き出てくる所とかあちこち行った時にね、シアンが食べられない果物があったの。ぼくとティオときゅうちゃんは食べたの。味はとっても美味しかった。でも、美味しくなかったの』
とても甘い果実だったのだという。
でも、食べても物足りない味に感じられた。美味しかったのに、シアンが食べれば毒となると知った瞬間から、精彩を欠いた。
『それでね、ぼくとティオが食べないって言ったら、シアンがね、他に食べるものがあったら、食べなくていいって言ったの。でもね、他に食べるものがなかったら、ちゃんと食べてって。ぼくたちは食べられるから、って。お腹が空いているのは食べ物が必要だっていうサインなんだって。そうやって他の命を身体に取り込んで力にして生きているんだよ、って言っていたの。ぼくたちが強いのはね、そうやって他の命を貰っているからなんだと思うんだよ』
食べなくなった幻獣たちに、シアンは言った。
食べないならそれならそれでいいが、生きるために必要とあらば摂取してほしいと。
自分たちもそうだと思った。
リムはしっかりと麒麟と視線を結び、懸命に訴えた。
この世界では、高度な生命体となると、食事量は減り、世界の力の粋を取り込むことで、生きていくことができる。
だが、大なり小なり、他の命を貰って力に変えて生きているのだ。
『レンツもね、生き物なんだから、他の命を貰って生きているんじゃないの?』
生物は生きるために他の生物を身体に取り込んで力にする。麒麟はそうではないのか、と尋ねられた。
生命の営み、サイクルから外れているのではないか、と。
『みんながみんなの役に立って、生命を回していっている。レンツは角で薬を作ってくれてぼくを助けてくれた。役に立っているのに、どうして、他の者を役立たせてあげないの?』
食べることは悪いことではない。生命をもてあそぶことが悪いことだ。
それでも、食べないことが良いことになるのかと訊いているのだ。
自分の迷いを指摘され、麒麟が落ち込む。
『植物も食べないの? じゃあ、木の家にも住まないの?』
ずっと外にいるのならば、雨の日には濡れちゃうね、とリムは続ける。
麒麟は息を呑んだ。雲海の上に建つ天帝宮で自然の息吹を感じられると麒麟が好んだ三の宮は木造だ。石造りではない。朽ち木を用いたかどうかなど考えたことはなかった。




