62.鸞の研鑽
鸞もまた、ユエたちの道具作りに触発された。
海底の神殿で見つけたヒトデは水の精霊が島付近に移動させてくれていた。ユルクとネーソスが水槽に入れ、鸞の研究室まで運んでくれた。
ヒトデは千切れた腕からも別の腕が出現して二匹に増える。
被験体が増えるのはありがたいことだが、いかんせん、水槽が狭くなる。
鸞はシアンとセバスチャンに相談し、別棟にもう一部屋研究室を作って貰った。
「大きな水槽も置けるね。二つの研究室を行き来するのが大変かもしれないけれど」
『いや、これほど充実した設備を整えて頂いて申し分ない』
「こちらこそ、シェンシには色々調べて貰うしね。それに、シェンシだけの研究室じゃないものね」
『そうだな。九尾やカラン、レンツも良く手伝ってくれる』
『そうなると手狭だから、ちょうど良いにゃね』
小広間は広々しており、大中小の水槽や台、棚や炉などを置いても巨躯を誇る麒麟が悠々と過ごせる。
『ぼくも入っても良い?』
『もちろんだよ、みんなの研究室だね』
リムが小首を傾げると麒麟が頷く。
『ただ、中には危険な薬品もあるから、取り扱いには注意をしてほしい』
『は、はい』
『我らはあまり入らぬことにしたします』
『折角のシェンシ様たちの研究成果を無に帰してはいけませぬゆえ』
「それもそうだけれど、君たちが怪我しないようにというのもあるからね」
鸞の注意にわんわん三兄弟が真摯に頷き、シアンが苦笑交じりに言う。
鸞はヒトデの研究と合わせて礼拝堂の地下の洞くつで見つけた書を丹念に何度も読んだ。
初めて目にする動植物が多く記載されていた。まさしく、鸞にとって神秘をひも解いてくれる書である。
例えば、海に住むとある生物について記載されていた。毎晩体から粘液を出して自分の体を覆い、臭いが外にもれなくする。この粘液を塗布することで寄生虫異類を寄せ付けなかった部族について記されていた。寄生虫が嫌がる成分を見つけることができるかもしれない。
また、違う民族はある生物を小さな虫籠に入れておけば、寄生虫異類に取り付かれることがないとしていた。その生物が狭い所に長時間囚われることでストレスを感じ、フェロモンと称する独特の体臭を発する。その臭いによって、寄生虫異類を寄せ付けなかったのではないかと推論が記されている。
『ふむ、この書は寄生虫異類の脅威を知っていて研究した者がいたということを示しているな。そして、複数の集落の者が経験則から寄生虫異類を寄せ付けない方法を知っていたということでもある』
「じゃあ、寄生虫異類はわりと認識されていたんだね」
『そうだな。古い書が残されていたということは、休眠を経てその脅威と対策が忘れられたころに目覚めてまた好き勝手し出すのやもしれん』
『厄介ですねえ』
鸞の言葉に九尾が嘆息する。正しくトカゲのしっぽ切りで危うくなれば逃れ、ほとぼりが冷めたころにまた猛威を振るう。対処が難しいことこの上ない。
『今回、シェンシの研究が上手くいって寄生虫異類を退けたら、その方法を著して残しておくと良いにゃ』
「そうだね。周知して情報共有すれば脅威の度合いも低くなるね」
先を見据えるカランにシアンも同意する。
鸞は研究を重ね、書物にあった粘液を出す者がフェロモンを出す者を食べ、また、フェロモンを出す者は粘液を出す者の排出した糞を養分にして育った植物を食べるということを突き止めた。
『これは……この循環の中に寄生虫異類を寄せ付けない何らかのからくりがあるのか?』
新しい発見をすればそれに関する疑問や謎が新しく発生する。しかし、鸞は根気よく、飽くことを知らず研究を続けた。
それは共に研究をする者が、そして気晴らしと称して外に連れ出してくれる者がいたからこそだ。また、美味しいものを食べたり必要な素材を手に入れてくれる者がいたからだ。
自分は恵まれていると思う。
それを忘れずにこの眩しい途を進み、その先を見てみたいと願う。
鸞は遠出をし、実際に見聞きした中で、病気などの症状や治療を目の当たりにすることによって、それぞれの土地に固有の医薬があり、その土地の医師が治療に当たらなければならないのではないかと考えた。
その土地で発症する病はその土地で育つ薬草がもたらす薬効が有効だ。違う土地の病気には適さない。だからこそ、その土地にある医薬を使用しなければならない。また、そうでなければ、その土地の者が治療するに困難になる。九尾が言うように本の虫になって、書物だけの中の世界を見るのではなく、実際外の世界を見てみるのは得るものが多いのだと知る。
シアンたちが遠出に連れ出してくれたことを改めて感謝する。
シアンは自身も鸞に色々教わっているのだと軽く笑う。
向こうの世界とは異なることが多いので、簡単な薬を作成するのならともかく、より薬効が高いものを作ろうと思えば勝手がわからないのだという。
動物は主要六属性の他、「精髄」を有する。
それは意思や価値観、嗜好といったその者を特徴づけるものだ。
魔力が高い魔獣が死亡した場合、心臓を精髄が変化させ、魔石と化す。魔力の高い幻獣が同じようなものを残すことがある。これを区別するために魔核と呼ぶ。
人間も精髄を残す。これは主要な六属性以外の当人特有の個性のようなものだ。生物は死ぬと、身体は朽ち果て、精髄は自分が本来有していた属性と共に融けゆき、世界の一部に加わる。風属性の者は風に、大地属性の者は大地に返ってゆく。
そして、ごく稀に精髄のみが残ることがある。
精髄が世界の一部となる前に、世に遍く魔力と相まって別存在となる者もいる。それがアンデッドである。
これは死亡時に強固な意志や価値観が精髄に影響を及ぼすのを魔法で誘導してやることで蘇らせることもできる。無論、膨大な魔力と高い操作力を有する。
植物や動物、鉱物からこの精髄を抽出することで、高い効能を得ることができるのだ。
シアンは鸞の説明を受けながら、この世界の深淵に触れる。
単にレシピ通りの手順を踏んで薬を作成するのではなく、目的を明確にすれば、その素材に合わせて処方を繊細に行うことによって、より完成度の高い薬を作ることができるだろう。
薬を作成する際、精霊たちが力を貸してくれる。熱するのも冷やすのも、精霊がいるために容易だ。これによって随分時間短縮をすることが可能になり、鸞の研究はいよいよ進んだ。




