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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第八章
421/630

61.幻獣たちの楽器

 

 生を受けて五十数年、農業にいそしんで五十年近く。毎日土と親しみ、風と太陽と雨と共にあった。

 農業はもはやカラムの人生そのものだ。

 中でもとりわけ恵まれた環境の中で作物を育てている現在は日々充実していた。害獣や経営などの煩わしい些末事を考える必要がないのも一因だが、彼の農作物を好んでくれる存在に起因するところが大きい。

『カラムー!』

 小さな幻獣が彼の農作物を好み、名を親しく呼んでくれるのだ。見た目は可愛いとはいえ、ドラゴンだ。

「おお、ちびちゃん、今日は何を持って行くかね」

『今日はトマトと茄子だって!』

 ドラゴンとその友であるグリフォンと人間とが大地の精霊に親しんでいるせいで、常に豊作になり、ちょっとばかり手を加えてやるだけでぐんぐん育つ。

「リンゴも持ってお行き」

『うん! リンゴ大好き!』

 リンゴとトマトは多めに作っている。

 植えればすぐに育ち実をつけることから、精霊たちがこぞってドラゴンを好んでいるのだと分かる。好物を常備して喜ばせたいのは精霊たちもカラムと一緒なのだ。精霊と同じ方向を向いて生きていることの僥倖を感じていた。

 リンゴを渡してやるとドラゴンのへの字口が緩む。この顔を見られるだけで農作業の疲れが吹き飛ぶというものだ。カラムの作った農作物のうちリムが初めて食べたものがトマトである。

「ほうほう。リムはトマトも好きじゃろう。今日はトマト料理か。楽しみじゃのう」

 笑顔のまま、ドラゴンが頷く。

『あ、そうだ。カラムさんたちもご一緒にどうですか、ってシアンが言ってた!』

「おお、じゃあ、ご相伴に預かるかの。シアンにスタニックたちと夕方お伺いします、と伝えてくれるかね」

『分かった!』

 自分の作った農作物をドラゴンに喜ばれる。これほど栄誉なことがあろうか。

 ばいばい、と小さい前足を振った後、大量の農作物が入った籠を軽々と(前足を振っている時など、片足一本で持っていた)持ち運びながら飛んでいく後姿をしばし見つめたあと、農作業に戻る。ノエルなどはリムとのやり取りをカラムの体の影からじっと眺めていた。

「カラムじいちゃん、リムさんにお呼ばれしたの?」

「そうじゃよ。夕食をごちそうしてくれるんじゃと」

「わあ、やった!」

 兄にも伝えて来る、と納屋の中で用事をしているスタニックの下へ駆け出す。

 カラムが引き取った時には細い手足の目ばかり大きかった兄弟は今や年頃の子供相応に肉が付いた。身長も伸び、幻獣のしもべ団に頼んで衣服を新調している。その成長の速さに驚きつつ、新しい服を用意する喜びを味わっていたが、兄弟たちは短期間で再び服を買わせることに恐縮していた。

 今までの暮らしはそう良いものではなかったのは一目でわかった。しかし、そういった子供は沢山いる。

「お前さんたちは幸運じゃったなあ。その運に見放されんよう、しっかり働かなきゃいかんよ」

 こんなに美味しい料理をこんなに沢山食べられるのは、この島に来ることが出来たからだと分かっている兄弟はカラムの言葉に神妙に頷いた。

 エディスでもシアンたちの活躍は周知されていて、子供たちはティオやリムの姿を間近で見ることが出来て喜んだ。その彼らが狩って来る獲物を貰い受け、食べることが出来るのだ。

「あんだけ嬉しそうに食べてくれりゃあ作り甲斐があるってもんだ」

 そう言いながら、畑仕事に精を出す兄弟に、そのうちシアンが言うように、近くの港町に転移陣を用いて連れて行ってやろうと思うのだった。



 樹の精霊は複数属性の精霊の助力を受けた。ある条件下では上位精霊以上の力を持つ霊木の精霊の力は更に強まった。

 リムは種を植えた当初から毎日キュアぽんしに行っていた。ティオや他の幻獣たちも入れ替わって共に行く。養分が行き渡りますように、という幻獣たちの純粋な気持ちを浴び、その心持ちを後押しする全属性の精霊たちが助力した。

 シアンがあまりに急激に力を与えすぎると樹の障りになるのでは、と心配したものの、本人が大丈夫と請け合った。

『ただ、島の外では控えた方が良いね』

 島の内部でならば、どれほど幻獣たちが植物に力を注いでも自分が良いように調節することが出来るという。

 シアンも時折一緒に樹の下へ行き、音楽を奏でた。

 幻獣たちは生産や研究、島の見回りや狩り、家令の手伝いといった各々やるべきことがある。毎日じゃなくて良い、時間が出来たら一緒に行こうとリムに言われて各々がすべきことに勤しんだ。ただ、休憩がてら手を止めた際、外に出て、リムがしていた掛け声を思い浮かべて大地の精霊や他の精霊に願った。大地も空も世界はずっと続いている。幻獣たちの気持ちは地を空を通して樹にもたらされた。

 樹の下には幻獣たちがしばしば集まって来て、思い思いにおしゃべりしたり、時に、可愛い研究会を開いた。

 樹の精霊は楽し気にその様子を眺めた。そして、彼らが毎日自分の安寧を願ってくれることへ、何かお礼をしたいと言う。

『特にない』

『美味しい野菜と果物をいっぱい作ってくれているもの!』

『そうです。その調子でセバスチャンやカラム、ジョンたちと連携して美味しいものの調節をして頂ければ十分です』

『美味しい草を食べて美味しい動物に育って、それを食べた動物がまた美味しくなる』

『ふむ、面白い循環だな。正しく、生命の循環だ』

『生命の循環……』

『あ、あの、その、我らも音楽をしたいのです』

 順繰りに口を開く幻獣のうち、わんわん三兄弟の一匹がおずおずと申し出る。

『音楽?』

 意外な希望に樹の精霊が鸚鵡返しに口にする。

『は、はい、あの、いつも殿たちの音楽を楽しく拝聴しておりまするが』

『わ、我らも楽器を演奏してみたいと、その、以前から思っておりまして』

 他の兄弟たちも言う。

『シアンたちの音楽は楽しいからね』

『……』

『ネーソスも興味があったのかにゃ』

『みんなでできたら良いの』

『あ、わたくしは歌を歌いますので』

 同じ幻獣のティオやリムが楽器の演奏をすることを羨ましく思っている者は少なくなかったようで、他の幻獣たちも乗り気だ。

『でも、君たちの体は楽器を演奏する構造をしていないね』

『ふむ、演奏するなら打楽器になるか』

 樹の精霊が眉尻をしんなり下げるのに、鸞が案を出す。

『管楽器ならどうにゃ』

『空気を吹き込めば良いだけではないよ。自在に風を操るくらいでないと』

『英知に手伝って貰おう! 英知!』

 カランの提案に難色を示す九尾に、ならばとリムが風の精霊を呼ばう。

 顕現した風の精霊は果たして、幻獣たちが楽器の演奏をしたいのだというリムの言葉にうっすらと笑みを浮かべた。

『良いよ。力を貸そう』

『……宜しいのですか?』

 加護を与えていないリムの要請を容易に受け入れた風の精霊に、樹の精霊が驚く。

『ああ。樹の精霊が幻獣たちに礼をするのなら、私もまた叔母上に歌を届けているリリピピに礼をしなくては。それに私も幻獣たちの音楽を聴いてみたい』

 期待する言葉を掛けられ、幻獣たちがわっと湧く。リリピピはといえば、思いも掛けない風の精霊の発言に戸惑う。

『リリピピがいつも遠くへ旅して歌を届けてくれるから、みんなで音楽ができるね!』

『『『ありがとうござりまする、リリピピ』』』

『そ、そんな。風の君に歌を届けるのはわたくしの喜び。お礼を頂くようなことは』

 九尾や鸞、カランはなるほど流石は英知を深める風の精霊だと各々得心がいった。魔力溢れる夢のような島を出て単身長距離を旅するのは大変だ。しかし、炎の神の眷属である小鳥に取って風の精霊を喜ばせることができる役目を担うのはこの上ない重要な出来事だ。にもかかわらず風の精霊に褒美を与えられれば恐縮しただろう。そこで、幻獣たちが楽器を奏でられるように力を貸すということを礼に代えることでリリピピの心的負担を軽くする。

 同時に、風の性質の粋を持つ風の精霊にとっても、幻獣たちの奏でる音楽を聴いてみたいというのは本心なのだろう。

『管楽器は風の働きが重要だ。奏者の思う通りに風が流れるようにしよう』

 破格の扱いである。

『でも、管楽器は穴が開いていて、それを抑えなければならないの。リズムや律動に合わせる必要があるの』

 臆病なユエが精霊に声を掛けるなど滅多にないことだ。だが、道具に関しては誰よりも詳しい。それに、幻獣たちが実際に楽器を演奏するならば越えなければいけない壁が幾つもある。そのうちの一つを気づいた自分が言うべきだと考えた。

『ああ、そうだね。では、楽器の素材として僕の一部を提供しよう。魔力を通せば君たちの意思で閉じられるように作れば良い』

 その素材を使えば魔力を通しやすく、自在に動く魔道具となると樹の精霊が言う。

『君は道具作りをすると聞いたけれど、楽器を作ったことは?』

『あるよ! リムのタンバリンを作ったの。それに、同族の中にも作ったことがある者がいる!』

 未知の素材を取り扱えるチャンスに、ユエが意気込む。

『ユエはぼくの新しいタンバリンを作ってくれたんだよ!』

 リムがマジックバッグから取り出し、前足に掴んで掲げて見せる。

 樹の精霊は二匹に微笑む。

『じゃあ、これで決まったにゃ』

『そうだな。ユエに楽器を作って貰うことになるが、吾らも手伝おう。界の素材は魔晶石との相性はどうかな』

『あの鉱物は、魔力を大量に含むからちょうど良いですね』

『我が取って来る』

 そうして、生産チームは楽器作りに勤しむことになった。

 鸞や九尾、カランの知恵を借り、空気の流動、当たる角度などを慎重に検討を重ねていくつも試作品を作った。幻獣たちの大きさに合わせた規格で作らねばならない。

 それは相当に根気を要する作業だった。

 ユエには慣れた作業だ。それに、今は独りではない。

 ユエが考えもつかないようなことを導き出してくれる者がおり、共に作業してくれる同族もいる。

『今度は楽器か』

『この木材、こんなの初めて見た!』

『ユエが持ち帰った素材も使ってみる?』

『失敗しても良いなんて! どんどん作ろう』

 同族たちは美味しく豊富な食事にやりがいのある仕事を任され、この島へ来てから活発的になった。時折、工房の外へ出ては庭を眺めているようだ。幻獣が姿を現せばさっと逃げ出すが。

 兎の姿をした職人たちは真剣なまなざしで一心に道具作りを行った。その集中力には鸞もカランも舌を巻く。

 設計図を描いて必要な素材を選定、集め、各パーツを形作っていく。リズミカルで流れるような手捌きでみるみるうちにものが出来上がっていく。立てる音も規則正しい。

 これほど精いっぱい頑張れる場所を与えてくれたシアンに感謝しながら、物づくりに励んだ。



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