59.報い
貴光教の暗部として人を害する。
それは世に清浄をもたらすためだった。
いわば、必要悪だ。
自分たちが清浄を目指していられるのは暗部のお陰であると言うのに、犬目と謗る。
黒の同志たちの憎悪は身内に向けられることがままあった。そして、同志たちの結束は固くなる。
人に蔑まれるのが嫌であればやめれば良い。それが悪いことであるのだというのならば、やらなければ良い。
言うのは簡単だ。
実際には居場所がなかったり、金銭を得るためであったり、人の評価よりももっと違う価値観で動く者が集まった。
綺麗ごとだけでは食べてはいけない。
そこには清浄という教義との矛盾があった。全ての矛盾が正されることはなく、また、その矛盾の狭間にあってこその人間である。
光の神への敬虔さが全てである貴光教ではあったが、外の世界は力こそが全てだ。
その矛盾の中、力を有し、陰で暗躍して存分に技を振るっていた黒の同志たちに衝撃が走った。
より大きな力を見せつけられたのだ。
それは手痛い反撃だった。
狩られる側の獲物だとばかり思っていた密偵集団に、精鋭ぞろいであると自負していた三番隊が壊滅に追い込まれた。
傷を癒すのもそこそこに、躍起になって自分たちを圧倒した張本人を調べた。隊をほぼ一人で粉砕した男は名をイレルミと言った。
彼奴は剣聖と呼ばれた男だった。
他国の御前試合だか騎馬槍試合だかで、猛者たちを打ちのめしたといわれている。
「そんなに難しく考えることもないだろう、剣で天辺を取るなんてさ」
緊張感のない笑顔でそう言い放ち、指示通りに動かない味方を諦め、たった一人で敵のほとんどを打ち払い、倒した。
何物にも捉われず、ただ風のごとく心の赴くままに生きているような男だという。
彼を手に入れるため、それまでの功績を己が掌中に収め誇るために、主になりたがる者は多かった。単純に力として手に入れたいという者ももちろん多くいた。
どれほどの地位や富、名誉、女を与えてやろうと言っても、そんなものは煩わしいと言わんばかりの態だった。
自分はふと思いついたことをしたい、気ままにあちこちへ行きたい。
そう言って全て断った。
彼は恐らく、一人の人間に膝を折ることをしないだろう。出自も明らかでなく、今どこでどうしているかも不明と言われていた。
そんな男が、何故、幻獣のしもべ団に。
調べれば調べるほど、軽い口調に何も考えていなさそうなへらへらした笑顔といった証言が出て来る。
「こ、こんなやつが剣聖」
「あのヒューゴ隊長を退けたのか」
「赤手袋を拝した化け物を」
黒の同志たちは愕然とした。
自分たちや隊長を下したのだから、傑物であってほしかった。そうでなければ、こんな軽々しい男に倒された自分たちの価値が下がる。
三番隊のイレルミへの憎悪はいや増した。
「知っているか? ラウノのやつ、今度白手袋を拝するそうだぞ」
「何だって? 新人で?」
「まあな、あの強さだからな」
「そうだなあ。そうすると、エイナルは残念だったな」
「しっ」
アリゼはエイナルの死亡を知り、茫然とした。
黒の同志として優秀だと聞いていたし、本人の話しぶりの中に自負が垣間見えた。
もちろん、荒事に従事するのだ。
アリゼとてエディスで短期間同じような任務に就いたことがある。その時も帰って来ない者もいた。
分かってはいるものの、やはり親しく話す者を永遠に失えば、喪失感は拭えなかった。
三番隊は表立っては非人型異類にやられたと報告されている。落ち着いてからラウノに幻獣のしもべ団とぶつかったのだと聞いた。
命のやり取りがあったとはいえ、大量の死傷者を出したことに驚く。幻獣のしもべ団はそんな団体だっただろうか。
アリゼはこの時、初めて理想への疑念を抱いた。
人は自分が良い、好ましいと思ったものに疑念を抱きにくく、また、欠点から目を逸らしがちだ。自分が良いと思ったものは良いものであって欲しい、そうあるべきだという観点に立つためだ。いわゆる目が曇るというものだ。
大勢の重軽傷者の手当てにアリゼは自ら志願した。
黒の同志として同じ任務に就いていたことから、苦しみから早く解放してやりたいと思った。それをなす術を持つ自分が少し誇らしかった。
三番隊の者たちは一様に暗い目をしていた。
アリゼは診ていないが、隊長ヒューゴは重症だという。
あの赤い手袋を拝したヒューゴですらそんな体たらくだ。落ち込むなというのが土台無理な話だろう。
治療に当たった後も時間を作っては三番隊の予後を確認し、状況に応じて薬を煎じてやった。
後に、期せずしてアリゼは大聖教司オルヴォから賞詞を賜った。
その際、何気なくヒューゴの容体を聞いた。
「四肢の骨を折られてもヒューゴはヒューゴよ」
オルヴォは面白そうに言った。
どういう意味か問うこともなく頭を下げた。重ねて訊けばアリゼがヒューゴに興味を持っていると思われかねないし、オルヴォの関心を無闇に引くのは面白くない。
後日、ラウノがふらりと姿を現して、アリゼに薬を煎じて欲しいという。
「ラウノ、貴方、酷い顔をしているわよ。食事と睡眠を摂っていて?」
アリゼにラウノがおやという表情をした。何だ、と視線で問えば何でもないと首を振る。
アリゼは貴族と付き合ううちにその言葉遣いや仕草が移って来ていた。品の良い立ち居振る舞いが、自然と身に付くようになっていた。つまりは女性らしい柔らかく上品な物言いや仕草いになってきていたのだ。
「ちゃんと摂っているよ。それより、頼まれてくれないか」
「ええ、もちろん。どんなものが要り用なの?」
ラウノは唇を噛み、俯き加減となった。
「人の潜在能力を引き出すようなものが欲しい。飲み薬でも香を吸うのでも何でも良い」
アリゼは咄嗟に返事をすることが出来なかった。
こういう時は頭ごなしに否定したり、上から目線で説教したり、ましてや甲高い声で喚いても全く意味がないどころか、逆効果だ。
「ええ、そうね、その類もあるにはあるけれど、そういったものは副作用が大きいのよ」
「望むところだ」
ラウノは視線を落としアリゼと視線を合わせないまま小さく漏らした。
アリゼがまじまじと見つめるラウノは爽やかな風情はどこへやら、落ちくぼんだ眼光をぎらぎら光らせ、唇には歪んだ笑みが浮かんでいた。頑なにアリゼと視線を合わせようとはしない。
「ラウノ、貴方……」
ラウノが自暴自棄になっていることに気づいた。
アリゼはかみ砕いて具体的にどんな症状が出ることが予想されるかを諄々と説いた。
しかし、ラウノは頑として聞き入れなかった。
「アリゼ、君の欲しい物は何だ。何でも手に入れてやる。だから、頼む」
ちらりと上げた視線に必死さが宿っている。
その様子に自分が断っても他に行くだろうことを悟り、結局、アリゼは頷いた。
初めは弱いものから調合した。ラウノはこれでは駄目だと何度も言い、徐々に強いものに手を出していった。アリゼはそんなに効果が強いものはないと答えるも、ならば他の薬師に聞くと言われてはお手上げだ。
「ここには優秀な薬師は大勢いて、犬目を忌み嫌って蔑んでいる。暗部がどうなろうと知ったこっちゃないだろうさ」
その投げやりな物言いにアリゼは驚いた。
人が変わったようなラウノに、さもありなんとも思った。
彼は親友を永遠に失ったのだ。
アリゼは仕方なく効き目が強いものを処方した。身体が拒否反応を示す毒性をも併せ持つ。
「私が最後まで付き合うわ」
「感謝する」
潔く姿勢よく頭を下げるのに、そんなところは以前のラウノのままなのだなと妙な感慨を抱いたものだ。
アリゼはそうして彼の様子を見て微調整してやるつもりでいた。
ラウノの言う通り、使い捨ての犬目には強力な薬を処方するだけしてあとは放置するだけだろう。ならば、きちんとケアして永らえてやるのが筋ではないか
永らえる?
アリゼは愕然とした。
自分はラウノに死相を見て取っていたのだ。




