55.敵同士の共闘
マウロは単身、ハルメトヤにほど近い国にやって来ていた。
情報収集のためである。
まずは、黒ローブたちがどういう方針を取るかを知りたい。
躍起になると言っても、分裂して一部の人間が暴走するのと、全体が冷静になって一丸となって向かってこられるのとでは大分違う。勿論、後者は非常に厄介だ。
立て直して全面戦争を仕掛けられれば更に難事である。
諜報隊は一旦、下げさせている。
イレルミの存在は黒ローブに非常に強く印象付けられただろう。しかし、マウロはいち団員に全てを押し付ける気はない。
「奴にも双子の変装を覚えさせるか?」
案外、良いかもしれない。
マウロはそんなことを考えながら、酒場に足を向けた。
幻獣のしもべ団は二人一組で行動させていたが、暗殺されるようになってからは任務外でも二人以上の行動を徹底させている。
そんな中、マウロはトップの特権で一人で出歩いていた。たまの職権乱用である。カークに知られればうるさく小言を言われること請け合いである。
「一人になりたい時もあるさ」
うそぶきつつ、酒場の扉を開く。
そう大きくはない街で見つけた雰囲気の良い場所だった。マナーの悪い酔客もいない。何より酒の品ぞろえが良い。酒場の店主の趣味の良さが現れている。
「お、兄さん、兄さんじゃないか!」
マウロには弟はいない。
酒場に足を踏み入れた途端、声を掛けられ、そちらを向くと、見覚えのある男がジョッキを掲げていた。
一度見たら忘れられない禿頭である。
「ハンネス、だっけか? 奇遇だな」
「全くだ。一人ならこっちで一緒に呑まないか?」
「そうだな、お言葉に甘えるか」
以前こうやって酒場で出会い、意気投合して酒を酌み交わした。
何より、二人とも酒が好きで酒に強い。
呑んでも呑まれるなが基本である。
酒は楽しく呑むのが一番だ。
マウロが注文すると、ハンネスがにやりと笑う。
「その酒を頼むとは流石は兄さん、分かっているな!」
「ああ、この店は品ぞろえが良いから次に来たら注文しようと思っていたんだ」
そこからは各自のペースで酒を楽しむ。その合間に会話が差し挟まる。次々に注文し、その都度きちんと支払うマウロたちに酒場の店主も気を良くしてお勧めの酒や料理を伝えてくれる。
この酒場の雰囲気を維持する店主に信頼を置くマウロは迷わず勧められたものを頼む。ハンネスもそうだった。マウロたちの注文から嗜好と傾向を読み取って勧めてくれた酒や料理は殊の外美味く、飲食は進んだ。
なお、時刻は昼だ。夜までまだたっぷり時間はある。
と、ハンネスの手が一瞬止まる。
マウロは舌を巻いた。随分反応が良い。
通りが何やら騒がしくなっていた。
マウロは何気ない風を装いつつ耳を澄ますと、街の外に非人型異類が出たという声が聞こえて来た。
向かいに座るハンネスは何事もなかったかのように酒を飲んでいる。
暫くすると、酒場に慌てて駆け込んできた者がおり、店主を捕まえて話し込む。
店主は難しい顔で考えに沈み、意を決して酒場の客に言った。
「悪いな、今日はこれで店じまいさせてくれ。酒代は値引きするからよ」
客は街の者が多く、気安く店主に何事かと尋ねた。
「どうも、街の近くの街道に非人型異類が出たらしい。しかし、今日は腕の立つ者が冒険者ギルドの新人研修に随行していて不在なんだ。だから、俺が出張る」
「おお、じゃあ、俺も行くわ」
「俺も」
「あー、俺、ちょっと飲みすぎたかな」
昼間から飲んだくれていた彼らは冒険者風のいでたちだ。
「一緒に行ってくれるか。正直ありがたい。お前らの酒代はギルドマスターにつけておくからよ」
店主の言葉にハンネスが目を光らせた。
「ここは警邏がいないからこういう時は冒険者や腕に自信がある者がギルドに要請されて討伐に出向くんだ。おい、俺も行く! こう見えて手練れだぞ!」
前者をマウロへ、後者を店主へ言う。
「あんた、ここの人間じゃないだろう? 言っちゃあ何だか、最近はあちこちで強力な非人型異類が出ていると聞く。うちもとうとう、というところなんだ。こんな所で首を突っ込んで命を粗末にしちゃあいけない」
「あんた、良い男だな。気に入った! 何、俺は酒代をギルドマスターに押し付けられたらそれで良いのさ!」
ハンネスがからりと笑い、それに立ち上がった男たちがつられて笑う。
「じゃあ、俺も入れてくれ」
マウロも立ち上がる。
面白いことには乗っかることにしている。
だから、今こうして翼の冒険者の支援団体のトップを張っているのだ。
それに眼前の男の実力を確かめてみたいという気持ちもあった。
「そうこなくちゃな! みなでギルドマスターを破産させてやろうぞ!」
ハンネスがにやりと笑って拳を高く突き上げた。
店主を始めとする冒険者たちも乗って、同じく拳を上げた。
根無し草の冒険者たちはどこか悲壮感がなく楽観的な価値観を有していた。長期的な視野を持たず、その場の雰囲気に流されることが多い。
「じゃあ、分かっていることを教えてくれないか。やっこさんが移動する前に片付けてしまおう」
店主に知らせに来た恐らく冒険者ギルドの職員だろう男にマウロは声を掛けた。
「む、そうだな」
ハンネスが腕組みする。
「この街から少し行ったら街道が大きく曲がるんです。そこに木立があります。この街へやって来る旅人がそこで非人型異類を見かけたとか」
細長い軟体動物の姿をしていて、怖いもの見たさに旅人が近づくと、狂ったように頭を振り、そこから飛ばされた棘のようなものが体に刺さり、痛みに大騒ぎしているのだそうだ。
「そりゃあ、自業自得だな」
「うむ。君子危うきに近寄らず」
マウロが呆れるとハンネスも頷いた。
「しかし、遠距離攻撃を持つとなると厄介だな」
「網でも投げるか?」
「食い破られるだろうさ」
冒険者たちも次々に意見を言い合う。
「この中に遠距離攻撃が出来る者はいるか?」
意見が纏まらないのでマウロが方向性を与えてみる。
「俺、弓矢を使う」
「じゃあ、あんたと俺とで奴さんを引き付け、その間に他の連中が後ろに回って一斉に切りかかるってのでどうだ?」
急ごしらえのパーティではこんなものだろう。マウロもアーウェルほどではないが弓矢を扱う。
「ほう、兄さんは射手か。その筋肉の付き方は近接戦を得意としていると思ったんだがな」
「まあな」
ハンネスの言葉にマウロは肩を竦めるだけにとどめた。
ハンネスは気持ちの良い男だったが、完全に気を許すつもりはない。向こうも同じだろう。
移動する前にと簡単に装備を整え、一行は非人型異類の下へ急いだ。
受付が教えてくれた場所から少し移動していた。
「やばいな、街へ近づいてきている」
「あいつらの目的って何だろうな?」
「そりゃあ、生きるために獲物を狩るつもりなんじゃないか?」
「なら、街から出て来るのを一匹ずつ狩って行けば良いじゃないか」
「だから、そうするつもりなんだろうよ」
「街に籠る訳にもいかんしな」
その非人型異類は細長い体に輪っか状の筋が頭から尾までいくつも並び、その上を二本の線が走っていた。頭の部分には冠状の触手が生え、無数の棘が覆っている。人が近づくと頭を狂ったように打ち振り、そこから飛ばされた飛沫や棘をまき散らす。
「ひっ」
「うえぇぇぇ」
「あれに近づくのか」
「ほら、行くぞ」
奇態な姿に冒険者たちは一様に顔をしかめたが、ハンネスが近接組を引き連れて行ったから大丈夫だろう。
「良し、こっちは向こうが所定の位置についたら始めるぞ」
「あ、ああ。何かあんたら慣れているな。冒険者稼業は長いのか?」
マウロが射手に声を掛けると気味悪気に眉をひそめていた男が感心する。
確かに、ハンネスはそうだったな、と自分のことを棚に上げて思う。ただ、ハンネスは冒険者には思えないのだ。丁度マウロのように指示を下すことをやり慣れている節があった。立案や纏めるのはそうでもない。それでいて士気を鼓舞することには長けていた。
「まあな。あんたらだって、一々あんな風に気持ち悪がっていられないだろう?」
「非人型異類とやりあうなんざ、ベテランと呼ばれてからさ。生理的なものっていうか、さあ」
マウロは矢で仕留めるつもりで射った。
冒険者の射手も中々の腕前で、接近組が飛び掛かるタイミングに合わせて放つのをやめる。
後は一斉に飛び出た冒険者たちの攻撃になす術もなく沈んだ。
しり込みしていた者たちもハンネスの迫力につられて、本来の戦闘能力を遺憾なく発揮した。
指揮官だな。
マウロはハンネスに対しての評価を下した。
しかし、どこかの国に仕えているにしては砕けでいる。
指揮官は貴族の子弟が任命されることが多く、有能な補佐官がつくことで隊は成り立つ。いわば名誉職だ。とすれば、補佐官と言いたいところだが、もしそうであるならば、補佐官に優秀な補佐官がつかねばなるまい。ハンネスには無能な指揮官を補佐する気の長さや博愛精神はなさそうだった。
大勢で切りつけられた奇妙な姿の非人型異類の死体を遠目に見やる。
数の力は大きい。
どれほどの強者でも、押し包まれれば抵抗し得ない。それが次から次へと現れればどうだ。どれほどの猛者でも人間であれば疲労し体力が尽きる。怪我をすれば動きが鈍る。
マウロたち幻獣のしもべ団はイレルミやオルティアという巨大な力を手に入れた。ロイクとアメデ、そしてゾエ村の異類たちもだ。
イレルミや異能者たちの力は強い。
だが、こうやって各個撃破に持ち込まれ、数で圧倒されれば負けてしまう。あの非人型異類のような無残な姿になる彼らを見たくはなかった。
そんな未来を避けるために、マウロは考えなければならなかった。トップとしては必要な時には切り捨てなければならないこともある。
幻獣のしもべ団の不文律第一は安全だ。
シアンは団員が傷つくのであれば簡単にしもべ団を解散させてしまうだろう。
現に、以前、南の大陸で流行り病が蔓延した際、大勢が倒れて行く姿を目の当たりにして、あんな風に幻獣のしもべ団団員が倒れることがあったら解散も考えると言っていた。
シアンはもし死ぬのなら、それは各々の団員がしたいことをした結果であってのことだと言った。自分のために死ぬなと言った。
それに対してマウロは幻獣のしもべであることが自分たちがやりたいことで、それで死ぬのもやぶさかではないと答えた。
本心からの言葉である。
しかし、だからといって、死ななくても良い者が倒れるのを指を咥えて見ている訳にはいかない。強い戦力を持つ者をどこでどう配置しどのように動かすかで趨勢を変えられるのであれば、考え抜いてより良い方法を選び取るべきだ。
「やったな!」
「ああ、意外と呆気なかった!」
「勝ち馬に乗るって感じだった」
近接組が戻って来る。上気した顔で首尾よく仕留めたことを口々に喜ぶ。
「あんたたちも、助かった。礼を言う。今日はギルドマスターの奢りだ。目いっぱいやってくれ!」
酒場の店主が街の人間ではないマウロとハンネスに礼を言う。後者の言葉にその場にいた者が沸き立つ。
「はっはっは。気分が良いな!」
「ああ。戻って呑み直しだ」
マウロとハンネスは酒場に舞い戻り、長っ尻の態を決め込んだ。
最近の非人型異類が跋扈していること、女の趣味や喧嘩のことなどを様々に話した。
二人で夜っ引いて飲み明かし、ギルドマスターを青ざめさせた。
悪童のような二人である。
「ああ、気持ちが良い。なあ、兄さん」
「そうだな。タダ酒だと思うと格別だ」
しかも、ひと仕事の後の酒である。
「カハハ。そう言えば、兄さん、聞いたことがあるか。剣聖の噂をよ」
「剣聖? 剣の聖者様ってか。そんなにすごいのか?」
「ああ、らしいぞ」
マウロも強いという認識を持っているイレルミがよもや剣聖だとは知らない。
「人格者とか格好良いとかなのか?」
聖者と言われるだけあってそういう者を指すのだろうか。
「そう言うのは聞かないが、流石に筋骨隆々なのでは?」
マウロは英雄と称される人間がのんびりしている者がいるのだということも承知していた。
「どこぞの禿親父とかは言わないよな?」
「どこぞの酒好きのおっさんとは言わないよな?」
胡乱気に見やればハンネスも似たような視線を向けてくる。
「おま、俺より年上だろうがよ!」
「酒も俺の方が強いしな!」
「はあ⁈ よし、どっちが強いか飲み比べだ!」
「カハハ」
ともあれ、二人の悪童は一つの街の冒険者ギルドのギルドマスターに恐れられるようにはなった。




