53.白銀の森12 ~兄に頭は上がりません~
炎の上位神は世界の粋である精霊の最上位存在全てと上位神全てがうち揃ったことに恐れおののいていた。
この一帯に濃い魔力が集まるのを感じる。
このままでは、魔力が集中し過ぎて、爆発や暴走が起きるかもしれない。
『炎の御方、大丈夫ですよ。風の精霊王様が各精霊王様の力を調整されるよう指示されておられます』
上位神の中で破壊の力を司る炎の神は最も人間の価値観に近い常識人だった。その苦労する姿を遠目で見て来たリリピピはそっと炎の上位神に近づいて励ました。
『何、そうか。それはありがたい』
強い魔力を得てしまえば、一層風の上位神が自由に振舞いかねない。大地も水も欲望に忠実だ。光は自身にしか興味がないが、魔神たちは最近活性化している様子だ。彼らは偏狭で自責の念にとらわれていた。それが縛めから解き放たれたのだという。それを、この中で唯一の人間がしてのけたのだ。
『これ以上あやつらが力をつけては私だけでは防ぎきれない』
額に手を当ててため息を吐く。そして、ふとリリピピを見やる。
『お前は恙なく過ごしているようで重畳だ』
『あ、ありがとうございます』
リリピピは頬を赤らめた。
その愛らしい様子に炎の上位神の疲弊する心は慰められた。
上位神は様々に眷属を持つ。
リリピピもまた、炎の上位神の眷属の末席に座していたが、互いを気づかう姿に麒麟は穏やかな笑みを浮かべた。
『天を見上げる聖獣と天を見おろす聖獣もいるというぞ』
『それ、崖の上の神殿で聞いたことがある』
『見上げる聖獣は魚とゾウの鼻を持つものだよね。天を見下す聖獣はライオンの頭に羊の角、腕だけがあって、体がないんだよね』
鸞の言葉にティオとリムが口々に言う。
『え、そうなの? 体がないのはどうして?』
不思議な姿の聖獣に麒麟が小首を傾げる。
『空腹が過ぎて自分で食べてしまったと言われているそうですよ』
九尾が言う。力こそ全ての世界の幻獣たちはシアンの影響から技能も力の一種とみなしている。力を持たない者も意思疎通ができるのであれば共存することを覚えて行った。
上位神が天を見おろす聖獣のその姿を見て、「命が命を食べる、世の中の仕組みを見事に表している」と喜んだと言われていると聞き、麒麟は絶句する。
「命が命を食べる」、これすなわち世界の理だという。
では、他者の生を奪わない麒麟は命を持っているのではないのか。世の中の仕組みから外れているのだろうか。
シアンたちにその伝承を伝えた風の聖教司はこうも言っていた。
食べられる方が力を持ち技能を磨き、防ぐこともまた道理。自分たちの命を守るために強くあらねばならぬのです、と。
抗う術を持たなければ知恵を使って立ち向かっていかなければならない。
漫然と座していては良いように害されるだけだ。ならば、強者の影に隠れることも一つの手段だ。異様な巨大百足の形をした非人型異類に守られる巨大なネズミの形をした非人型異類のように。
麒麟は自問する。
自分は生きるために抗っているだろうか。捕食されぬように力を持ち技能を磨いているだろうか。強くあろうとしているだろうか。
シアンは幻獣たちと共に上位神に恭しく接せられることに戸惑いを隠しきれなかった。
ティオは当然だ、という顔をしている。
『何を今更、闇の上位神があれほど恭しいというのに』
「あ、そっか」
九尾の言葉にシアンは得心の声を上げる。
ユルクは狩りで疲れ果て、とぐろを巻いてうつらうつらし、ネーソスがとぐろの一角に陣取ってこちらも目を閉じる。
わんわん三兄弟は神獣と対峙していた。
その銀灰色の狼の姿をした獣は現狼の王に仕えている。
元は小さい体だったが、その口で天をも貫くほど巨大になった。大きくなるにつれ力をつけていった。その過程はケルベロスの成長と共に在った。
二頭で競い合うようにして前狼の王に仕えたのだ。
今、銀灰色の神獣フェンリルは前狼の王から現狼の王に主を変え、支えている。
自分と双璧をなしていたケルベロスが子犬の姿で新しい主に甘える姿を見て、不甲斐ないと詰る。
『花帯の君は良い。花びらが舞い散るような軽やかでたおやかな方なのだからな。だが、仕える者はかの君のその特性を殺さぬよう守らねばならん。今のお前にそれができるのか』
手痛い言葉だった。
それはわんわん三兄弟こそが常々考えていたことだ。
『それはできぬ』
『物理的な守りは他の幻獣たちで足りている』
『なれど、我らは我らのやり方で、主様の柔らかい御心をお守りしている』
『『『我らは我ららしく、かの方の安寧をもたらすのだ』』』
わんわん三兄弟はケルベロスだった時と同等の力はない。
けれど、落ち込んでいても仕方がない。
島で過ごすうちに学んだのだ。
自分たちができることをする。力だけが全てではない。分かち合うことで喜びをより一層強く実感し、悲しみを乗り越えて来た。それに力を貸すことだって大切なことだし、何よりシアンがそれを重要視した。
だから、武力はなくとも、わんわん三兄弟は胸を張ってかつての双璧を見据えた。
情けないと受け取る者がいるかもしれないが、それはその者の自由だ。
わんわん三兄弟もいずれは力を取り戻したいと思ってはいるが、焦ってすぐにどうこうしようとは思わない。今の自分を受け入れて、その上でより良い変化を遂げたいと思う。
それを教えてくれたのがシアンであり、島の幻獣たちだ。
島の幻獣たちの遊びや可愛い研究会から、わんわん三兄弟も日々学んでいるのだ。後者ではたまに居眠りもするけれど。
妙な自信に裏打ちされた迫力にたじろぎ、フェンリルはそれ以上追及することはできなかった。
わんわん三兄弟とフェンリルのやり取りを見守っていたシアンは帰島してしばらく後に、手紙を書くことを勧められた。
『フェンリルに島の暮らしぶりを?』
『我らが書簡に綴るのですか?』
『あ、遊んでいることとかでも宜しいのでしょうか?』
「うん。どんな風に過ごしてどう思ったかを知らせるんだよ」
リムにも闇の精霊が心配しないように普段からよく話をすると良いと言ったことがあるのだという。
「今度ディーノさんが来た時に渡して貰えないか聞いてみよう」
転移陣で各魔神に招待状を送ったことがあるが、その眷属に渡す手紙を転移陣を使っては受け取るフェンリルがばつが悪い思いをするかもしれないと考えた。
「幻獣のしもべ団のオルティアさん、ほら、みんなで訪ねて行ってチョコレート菓子をご馳走になったお宅の方がね、ご家族と手紙のやり取りをし出して、素直に色々伝えられるようになって、随分関係性が改善したんだって聞いたんだよ」
君たちもまず自分のことを知って貰って、相手のことを知ろうとすると良いのではないか、というシアンに、わんわん三兄弟は元気よく返事し、尾を振り、顔を見合わせて笑い合った。
さて、手紙の方はと言えば、シアンとわんわん三兄弟から受け取ったディーノが狼の王の元を訪ねる。
歓迎されたものの、島のことを洗いざらい喋らされようとする。しつこく引き留められるも、相手は神である。無碍にはできない。
読み書きができるフェンリルは返事を書きたいと狼の王に願い出て快諾される。
ディーノが行き来すればそれだけ魔神は島の話を聞くことができる。フェンリルを焚き付けて、あまり目立たない良質な物を手紙に添えてディーノに託す。わんわん三兄弟だけに与えては不公平だから、と幻獣とシアンの分を用意した。
狼の王の目論見は予想しなかった成果をもたらした。
わんわんの返答の手紙に、シアンと幻獣たちで作ったという焼き菓子が入っていて、みなで食べてほしいとあった。狼の王とその眷属と共に食した。
畏れ多い気持ちを抱きつつ賞味したものの、同封されていた兄セバスチャンからの手紙に、控えめにするようにと書かれてあった。




