52.白銀の森11 ~蛮勇/実は~
戻って来たユルクはあちこち怪我をしていた。ネーソスは無傷である。
シアンは慌てて鸞に手伝って貰って軟膏を塗る。
『鮮度が落ちると味も落ちると言っていたから』
『それで慌てて狩って怪我をした、と。でも、鮮度が落ちるのは狩った後だ』
鸞の言葉に、あ、そうだった、と鎌首をたわめてしょげる。
シアンはユルクの翼の一翼が大きく裂かれているのを見て眉をしかめた。
「水明、治してくれる?」
『ええ⁈ だ、大丈夫だよ、そんな、水の精霊王の御手を煩わせるなんて』
「でも、痛くない? 早く治そう?」
水の精霊は自分のために力を尽くしたユルクを快く癒した。そして、ユルクが狩って来た獲物を使った料理を美味しいと言って食べた。
料理に舌鼓を打ち、それに合う酒を味わう水の精霊に、しきりに水の上位神が話しかける。
一角獣はユルクを馬鹿にしたから嫌いだとそっぽを向く。シアンを馬鹿にしたことは言わないでくれと言われたので黙っておいた。
正解である。
言えば森が水没する。
『ああ、じゃあ私も嫌いだな。私のためにこんなに健気に頑張ってくれる子をけなすなんて』
『ユルクはね、天狐のお酒に合うつまみを狩ろうと頑張ったんだよね!』
リムの言葉に鎌首をたわめてユルクは自分の力だけではないと言う。
『ネーソスも手伝ってくれました』
ね、と顔を見合わせて頷き合うユルクとネーソスに水の精霊が莞爾となる。
強くなった息子にユルクの母が涙ぐむ。
ユルクに取り成してくれと水の上位神が喚び出したのだ。
『どちら様?』
『私の母だよ』
美しい白蛇に黒い蝙蝠の翼が二対ついている。
母がレヴィアタンの娘なのだという。
『父はのんびりしているから、おじいちゃんとは相性が悪いんだ』
『ユルクはお父さんに似たんだね』
九尾が言う。
『う、うん』
『……』
『え、そう? ネーソス、私がおじいちゃんに似ていると思う? えへへ』
ユルクがまんざらでもなさそうに口を緩める。
『まあ、そうだにゃ。あの雪遊びのスピード狂っぷりは』
凍った湖や雪山、滝の逆さ登りといった冬の遊びを思い出したカランが遠い目をした。
『もうこうなったら、光の上位神も喚んでしまおうぜ!』
『止せ! それこそ、全上位神が勢ぞろいすることになる!』
『でも、既に全精霊王が顕現しているんだぞ!』
『だからよ』
自由奔放な風の上位神を止めているのは炎の上位神だ。彼女もまた風の上位神に喚び出された一柱だ。
出るとこは出て引っ込むところは引っ込む美女で長い巻き毛の赤毛だ。武芸に秀でているそうで、硬い口調の男勝りな風情がある。
真面目な性質が裏目に出て風の上位神に翻弄されっぱなしである。
炎の精霊はあれほどシアンを忌み嫌っていたのにも関わらず、掌を返した。そして、楽しそうに話すのは「シアンの料理の火加減」だ。火の番をさせるなど、と複雑な感情を抱いた。それが怒りに繋がらないのは、精霊本人が嬉しそうだからだ。
炎の上位神の眷属を勝手にシアンに与え、その小鳥は名と役目を与えられた。風の君のために歌を運ぶ、炎の眷属としても未だかつてない誉れである。ぜひその歌声を聞いてみたいものだ。
神秘の森に顕現した彼女は居並ぶ精霊たちに呆気にとられた後、荒ぶる炎の精霊に振り回され、シアンを巻き込んだ火山の一件を謝罪した。
人の価値観に近く、炎の精霊といい、風の上位神といい、尻ぬぐいに奔走させられている様子だ。是非とも頑張って欲しい所である。
こうして様々な神々を知れば闇の精霊に傾倒するという特質を持つものの、魔神たちも上位神の中で真面目な方なのだなと思う。
それがシアンとリムが絡むとおかしくなるのだ。
『きゅっきゅっきゅ、シアンちゃんは幻獣たちを可愛くさせ、神々を変にさせるのですね!言うなれば、変神!』
『お前は、勇気があるにゃ!』
蛮勇である。
さて、風の上位神は炎の上位神を振り切って光の上位神を喚んでしまった。
木漏れ日がより重なって集まり、人型を取る。白い肌に金糸の長い髪、繊細な美貌は性別がはっきりしない中性的な美しさを持つ。
光の上位神は無関心な眼差しで周囲を一瞥した。
シアンや幻獣に対しても恭しくなく、跪かない。むしろシアンとしてはそちらの方がありがたい。
『何故私を喚び出したのだ?』
風の上位神にちらりと視線をやる。
『面白いものが見られるからさ』
腰に両手を当て、にやりと笑って見せる。
『私以外に面白いものも美しいものもあるまい』
光の上位神は一片の気負いなく、淡々と言ってのける。
『はっは、相変わらずのナルシストだな! 本当に自分しか興味がないんだな。だがな、本当に面白いんだって!』
『そこの光の属性の九尾の狐のことか?』
みなの視線が九尾に集中する。
『この流れで判明するのもアレですが。そうです! きゅちゃんは光属性です! この輝かしき可愛らしさも当然!』
フォーエバーポーズを取る。
『あ、いや、何だか納得するにゃね』
『うん、すんなり収まるというか』
カランとユエが腕組みしつつ二度三度頷く。
『きゅうちゃんは光の精霊王とよく一緒に甘いものを食べているものねえ』
『光の属性の者って甘いものが好きなの?』
『えっ、私も好きだけれど』
『……』
麒麟が微笑むと一角獣が首を傾げ、ユルクが驚き、ネーソスがそんな訳はないと首を振る。
『流石は聖獣であらせられる九尾様!』
『常に明るく賑やかで!』
『凶獣でもあらせられます!』
『沈んだ気持ちの時に明るく照らしてくださる方ですものね』
わんわん三兄弟とリリピピが賞賛する。一部そうでないものも混じっていたが。
『ナルシストってなあに?』
『自分が好きで自分のことが一番だと思っていることだな』
『……ああ』
小首を傾げるリムに鸞が説明し、ティオがため息交じりに得心の声を上げる。
『ぼくはねえ、シアンが一番! あとねえ、ティオと稀輝と深遠と……』
それだけいればもはや一番ではなかろう。この世界で大切なものが沢山あるというのにシアンとティオは顔を見合わせて笑い合う。
この世界がリムに取って良いものだというのが嬉しい。その世界を分かち合うことが出来て喜ばしい。
『俺も俺と銀のと深遠、シアン、リムが一番だ』
光の精霊は金の方が顕現していた。銀の方は甘いものを楽しんだ後、闇の精霊の姉と一緒では居心地が悪いとばかりに引っ込んでいた。
光の精霊が自分も好きだという発言に、加護を貰ったドラゴンは喜んで飛びつき、その肩に乗る。
光の上位神ははっと息を飲む。
光の精霊が他者に触れさせて許容するなどあり得ないという認識を持っている。
原理的に闇以外は何者も光を捉えることができない。光速に達することはできないのだ。
『光はね暖かくて良い匂いがするの!』
『匂い? するか?』
『うん! あのね、光が当たった葉っぱとか、大地とか、空気も皆みんな、良い匂いがするんだよ!』
光に臭いはない。だが、光に照らされたものが発する香りがリムは好きなのだと満面の笑顔で言われる。
『そうか』
知らず、光の精霊の唇の端が持ち上がる。
『雨が降った後の空気は光に照らされてキラキラしているの!』
自分の言ったフレーズが気に入り、きらきら、きらきらと繰り返す。
『光は色んな色がぶつかって弾け合っているようだね。ちりちりふわふわ、とっても綺麗だよ!』
光の精霊にとっては目の前の小さな白いドラゴンこそが、身に纏う白と黒以外の様々な色彩に彩られた可愛く美しく、眩い存在だ。
その存在が精いっぱい光が大好きだと伝えてくる。
『ああ、綺麗だろう。美しいお前が纏うのに相応しい』
手放しの称賛だ。
光の精霊の体をちょろちょろ動き回るリムに、光の上位神は目がこぼれ落ちそうなほど驚く。
『な? 面白いだろう?』
風の上位神がにやにや笑う。
『もしや、あれは光の精霊王の御子様で坐すか?』
幻獣の一部が吹き出した。
風の上位神も腹を抱えてげらげら笑う。
『な、なんでだ?』
笑いながら息も絶え絶え尋ねる。
『かの君にあんなことができる者はいない』
美しい顔に真剣な表情が浮かぶ。
『シアンちゃんもできますよねえ』
「え? 僕? やらないよ」
九尾がおかしなことを言うのには慣れているシアンは言下に否定する。
『シアンも稀輝の肩に乗りたい?』
「ううん、僕はリムみたいに小さくないから、乗ったらおかしいよ」
『えっ、ぼく、大きくなったら稀輝に乗れないの?』
リムが驚愕の表情を浮かべる。
『うん? 乗れるだろう?』
「えっ?」
シアンは大きくなったらというのは成長したら、という意味ではなく、実際に大きな体に変化したら、という意味だと受け取ったが、違うのだろうか。
『そっか! 良かった!』
リムは光の精霊と微笑み合う。
その仲睦まじい様子に、それ以上聞くことはできなかった。




