51.白銀の森10 ~注目されていました/恐ろしや~
『お前、猫又になりたいんだって? ならせてやろうか?』
カランは風の上位神に軽く言われて目を眇めた。
『そんなに警戒すんなって。俺はただ、シアンに迷惑を掛けたみたいだから、点数稼ぎをしようと思っただけだ』
随分内情をあからさまにしたものだ。
鸞は遠巻きに風の上位神を眺めていたが、彼がカランに近寄って話しかけたのを見てそちらへ向かった。
『有難いお言葉ですが、お断りしますにゃ』
『どうしてだ? それほどなりたかった訳ではないのか?』
『なりたいにゃよ。でも、そんな風にして他者の力で軽々しくなるものではないですにゃよ。どうにかして猫又にはなりたいにゃ。でも、手段を間違えれば、きっととんでもない化け物になってしまうにゃよ』
あの幽霊城で見た幻獣のように。
そんなことになってしまえば、シアンや幻獣たちはきっと悲しむだろう。
それでは意味はないのだ。
『そのままではなれんぞ』
『それならそれで良いにゃ。俺は一生を掛けて猫又になるために頑張るのにゃ』
常に懸命で健気なわんわん三兄弟のように、苦しくても逃げずに真正面から自分の本性と向き合う麒麟のように、容易に答えを求めずにゆっくりやっていくという。
『ほう、肝が据わったな』
鸞が感心する。
カランが上位神にちょっかいをかけられたら助けようと思ってやってきたのだが、無用の心配だったと知る。
ならば、と風の上位神はカランや鸞に加護を渡そうとしたが断られた。
自由の神はそれならばそれで良し、その意気で事を成し遂げて見せよと大らかに笑った。
風の上位神は軽佻浮薄だが、断られても怒ることのない狭量とはほど遠い神ではあった。
シアンは風の上位神の騒動ですっかり怯えた一部幻獣の気持ちを落ち着け、腹もたせを出してやる。
「もう少しでユルクとネーソスが帰って来るから、そうしたらみんなでご飯を食べようね」
『ユルク、大丈夫かな?』
『大丈夫だよ、我とよく特訓していたもの。ユルクは強いよ』
不安に駆られたユエは、事も無気に言う一角獣の言葉に安心する。
『ネーソス殿は心配しなくても良いのでしょうか?』
『ネーソス様は四霊の一角!』
『狩りになれば普段のおっとりした様子は一変しまする!』
『いざとなれば大きくなって踏みつぶせば万事解決にござりまする!』
リリピピが小首を傾げ、わんわん三兄弟が誉めそやす。
『ネーソスは強いものねえ』
麒麟は自分が害されたと思うや否や急変したのを目の当たりにしている。
ティオは先ほどから視線を周囲にめぐらせて喉を鳴らす。普段の機嫌の良さそうなどこか甘える音ではなく、苛立つ唸り声だった。
「ティオ、どうかした?」
シアンが首筋を撫でると頬を寄せてくる。
『うん、何だかさっきからずっとこちらを見ている視線を感じる。とっても不愉快』
「え、何だろうね? ね、英知、分かる?」
『ああ。大地の上位神だな。ティオを観察している』
「……」
シアンは咄嗟に何と言って良いか分からなかった。
今日は上位神ばかりと出会う日なのだろうか。
なお、通常、人がこれほど上位の神に出会えばその威に打たれて平常ではいられない。光の精霊と闇の精霊の加護を持つことから精神の安定が保たれているからこそ、普通に振舞うことができるのだった。そして、加護を持たないまでもシアンとリムと親しむ存在として、精霊たちの助力を得ている幻獣たちもまた同じだった。
「ええと、その、なんでまたティオを観察しているんだろうね? あ、ベヘルツトみたいに欲しいと言われるとか」
『聞いてみると良い』
精霊たちと共に酒を楽しんでいた大地の精霊がいつの間にか傍に立っていて、ティオを撫でる。
今度はティオは心地よさ気に喉を鳴らす。
「聞いてみるってどうやって?」
『大地の上位神』
『御前に』
何度目かで自分の迂闊さを呪った。
何故、こうなると予測しないのだ、と頭を抱えたくなる。
大地の精霊はシアンの質問に同属性の上位神を喚ぶことで答えに代えた。
シアンとてももう少し順を追って事情を話してから動いて欲しいと思わないでもない。やはり精霊や神という存在は人との価値観を異にするのだろう。シアンは知らぬことだったが、人との考え方と乖離する存在ではあるも、シアンに関与することによって大分人間の様式に近づいていた。九尾などはだからシアンはすごいと思うのだ。精霊や神に影響を与え自然と変化させられる人間なのだから。
顕現し、大地の精霊とティオの前で額づくのは中肉中背の学者のような線の細い男性だった。上げた顔は穏やかで優しそうな美男だ。
大地の精霊から譲り受けた大地の太鼓がティオによって鳴らされた時、それと知った大地の神は密やかにその者を探し、観察した。余計な手出しはせずにずっと見続けた。
大地の精霊から余計な手出しをさせないように広く知らしめよと言われてからは近づくことができなくなり悲しかった。自分もまたその命に従わなければならなかったからだ。
だから、眷属に翼の冒険者の噂を集めさせた。
『しかし、眷属に情報を集めさせているだけでは我慢できなくなったのです。我が目で見ていたい。そう思うと居ても立っても居られない。いえ、近くにいたいとか話しかけたいとかそんな大それたことを望んてはいません。ただ、物陰で見守ることができたら。いえ、むしろそちらの方が。それだけが幸いなのです』
『何と、ストーカーだった!』
九尾が茶化すが、実は内心、シアンも同じような感想を抱いていた。
『遠くから感知するだけなら手出しにはならないと思い至り、より一層気づかれないように細心の注意を払っておりました。ただ、ティオ様ご一行が島へ拠点を持たれたころからそれも叶わなくなりました』
「ええと、それはどうしてまた」
『強力な守護者がおり、観察することすらできなくなりました』
『セバスチャン、恐ろしや……』
『セバスチャンの守護は完璧』
九尾が震え上がり、ティオが満足気に頷いた。
シアンが想像するよりよほどセバスチャンは様々なものからシアンたちを守ってくれていたのだ。
更に言えば、存在すらあやふやな精霊を除けば最上位存在とされる最上位神、前身がそれだったセバスチャンである。現上位神をも恐れさせる彼を家令とし、報酬は音楽だというシアンである。傍から見ればどこをどう取ってもおかしい。しかし、内部にいる人間はなかなかおかしさに気づけないものだ。
大地の上位神はセバスチャンに阻まれて以降、再び眷属に情報を集めさせ、その活躍を耳にすることだけを楽しみにしているのだという。
「あ、そうだ。あの、実は二度ほど大地の下位神を倒してしまったのです。申し訳ございません」
『いいえ、あれらは高度知能を持つ存在ではありません。ましてや、私の眷属ではないので、お気になさらず。それに、ティオ様を贄と混同するなど、言語道断。万死に値します。しかもティオ様から一発貰えるなんて!』
気安く言ってくれたものの、本当にシアンたちの動向に詳しいのだなということとその発言内容に微妙な気分になる。
なお、ユエが同族に会いに行った際に出会った大地の下位神がグリフォンのことを聞いて青ざめたのは、大地の上位神を差し置いてその仲間と接触してしまったためである。
大地の精霊とティオと仲の良いシアンたちを、大地の上位神は崇めているのだった。
『荘厳かつ高邁なティオ様を時に可愛くあらせてしまうシアン様! 何物をも寄せ付けぬ孤高なティオ様を優しい兄にあらせてしまうリム様! 何と素晴らしい御方々! 見どころ満載! グッジョブ!』
シアンは大地の上位神に対しても複雑な気持ちにならざるを得なかった。
ティオは大地の上位神にストーカー行為を禁止した。
縋りつかんばかりの最上位の神に対し、同属性であるにも関わらずすげない態度だ。
大地の上位神はそれでもシアンに取り成しを懇願しなかった。
非常に懸命、もとい賢明である。
それはティオの逆鱗であるのだから。




