48.白銀の森7 ~抱き合わせ商法~
水の上位神は水の精霊の前に膝をつき、首を垂れる。
水の至高の存在は神々の中でのことだった。
下位精霊の加護を持つ上位神はかつていた。下位精霊の加護を持つエンシェントドラゴンは伝説の存在と称された。その加護を持つレヴィアタンが自身を誇るのは当然のことだ。
中位精霊は上位神よりも上位存在である。
水の上位神が水の精霊に恭しくなるのも当然の仕儀であった。
『こ、このことは御父上様にはご内密に』
水の上位神、水の精霊王の父親を愛しているらしい。
『あら、どうかしら。お父様はシアンのことを殊の外気に入られておられるのですもの』
『水明のお酒!』
水の属性の上位存在のやり取りに出て来た水の精霊の父のことから、リムが思い出して声を上げる。
「リム、水明のお酒って何?」
『あのね、梟の王にね、美味しいワインを貰ったんだよ! 水明はお酒が好きだから、あげるの! 梟の王のお酒は美味しいって深遠も言っていたから』
リムがぴっと片前足を掲げる。
『まあ、それはお父様が喜ばれますわ』
美しく貴やかな顔を綻ばせた水の精霊は、父親の方を喚んでくれと言い置くと、姿を消した。水の上位神を跪かせてその懇願をはぐらかしたまま去ってしまった。
水の上位神は戸惑う。
その上位神を放置してシアンとリムの会話が続く。
「駄目だよ、リム。梟の王はリムにくれたんだよ」
『でも、梟の王から貰った服は深遠にあげたもの!』
リムのへの字口が引き締まる。
「それはね、深遠だからだよ。魔族の方々は全てにおいて深遠が優先されるんだ。僕よりも深遠に着て貰えた方が嬉しいかなって思ったから、譲っても良いですか、って聞いたんだよ」
『じゃあ、梟の王に水明に譲っても良いか訊く!』
「うーん、どうかな。魔神の方々は深遠が最優先なのは確実なことだけど、水明とリムだったらリムを優先したいのではないかな」
小首を傾げるシアンの言葉に水の上位神は息を呑んだ。
話の流れから水明というのが水の精霊を指すことは分かる。その水の精霊よりもドラゴンとはいえ小さい幻獣を取るというのだ。喚ばれることを期している水の精霊が怒り出しやしないかと恐々とする。
しかし、そんな大それたことを言ってのけた者たちは引き続き話を推し進める。
『でも、水明はお酒が好きだもの。梟の王のお酒は深遠も美味しいって言っていたから、水明にも飲ませてあげたいの! 悪いことするのじゃないよ。良いことだもの』
シアンとてリムの言いたいことは分かる。
リムがそうしたいのだと言えば、梟の王は簡単に受け入れてしまうかもしれない。それでは折角の厚意を無にしてしまうような気がしてシアンは躊躇する。
「うん、リムはそれが良いことだと思ったんだよね。水明が喜ぶんじゃないかなと考えた」
シアンはリムと目を合わせながら彼の意志を汲み取ろうと微笑む。リムはよく他者に何かしてあげようと思う。それはとても大切なことだけれど、時にそれがそぐわない場面も出る。善意が常に通用するとは限らないのだ。
「でもね、自分が厚意であげたものを勝手に他の人に渡されたら、気を悪くすることだってあるんだよ。そしてそう思うことはその人の自由だしそんな風に思わないでっていうことはしない方がいいと僕は思う。良いことだって押し付けるのはいけないことなんだよ。せっかくの気持ちを無駄にしちゃうと悲しいよ。その気持ちを汲み取ってくれないともっと悲しくなっちゃうよ」
どう言えば、ニュアンスを読み取ってくれるだろうと頭を捻る。
「リムだって僕に果物を取ってきてくれたのに、一口も食べずに勝手に他の人にあげちゃったら、ちょっとがっかりするでしょう?」
しないかな?と例えが的確かどうか今一つ自信がなくて首を傾げる。
『やだ! シアンのためのを他のにあげちゃダメ!』
的確だったようでてき面だ。
シアンが言うことは立場や権力に関係なく、対等に裏打ちされる誠意だ。それを実践するのは難しい。けれど、加護を得ていない精霊にさえ愛され、その意志を尊重されるリムならば、出来るのではないかとも思う。
二重基準に陥らず、他者に誠実であるというのは難しい。誰だって自分が間違っていると思いたくない。そして、自分がすることにはどうしても見方が甘くなる。自分がすることでも他人がしては許せない、といったことはごまんとある。
『シアン、梟の王はリムが好きなようにしてくれた方が嬉しいんじゃないかな』
ティオの言葉にそれもそうかと思いなおす。
「うん、そうだね。リムは感謝していない訳でも、厚意を無にしようとしている訳でもないものね。今度、梟の王に訊いてみようか」
『うん! 梟の王!』
リムは早速梟の王を呼ばわった。
「え⁈ 今すぐ? リ、リム、ちょっと待って!」
慌てるシアンを余所に、すぐさま顕現した梟の王は跪き、中空に後ろ脚立ちするリムを熱心に見上げている。
召喚してくれたことの喜びを噛みしめる梟の王は、もじもじと両前足の指を合わせるリムから事情を聞き、相好を崩した。
『おお、何とお優しき黒白の獣の君と花帯の君よ!』
「僕もですか?」
神に跪かれて手放しで賞賛されるのは何とも据わりが悪い。
『はい。献上したものであれば、既に黒白の獣の君の所有物。いかにされようとも良いものを、贈った者の気持ちを鑑みて下さるとは』
その通りなのだが、何とも大仰な表現で、そんなに大それたことをしたのではないという気持ちが拭えない。
『それでは、御二方のお優しいお気持ちに甘えさせていただきまして、もう一本ワインを献上する栄誉を頂きたく存じます』
「そんな、また頂く訳には」
梟の王が早速どこからともなく取り出した酒瓶にシアンは慌てる。現実世界でもワインの値段は天井知らずだ。梟の王のワインは美味しいと闇の精霊も言っていた。
『シアンちゃん、精霊王に献上することができるのはこの上ない誉れ。それは属性が違えども変わりありません。リムがレヴィアタンのところでカラムが作った美味しいワインだと言って勧めた際、水の精霊王は喜ばれていました。おそらく、今回もまた彼の御方のために手に入れたと言えば、喜んで味わってくれるでしょう』
九尾の仲裁にそれもそうかと頷く。
シアンもリムが今度は梟の王のワインを水の精霊に飲ませてやりたいと思ったのだということに気づいていた。
リムもきゅっとへの字口に力を入れて頷いている。
「ふふ、そうだよね。深遠もカラムさんのワインを飲んだ後、梟の王のワインも楽しんでいたものね。お酒が好きな水明にもどちらも味わわせてあげたかったんだよね」
『そうなの!』
シアンが自分の意を汲み取ってくれ、リムはぱっと顔を輝かす。
「ええと、では、厚かましいお願いですが、ワインを頂いてもよろしいでしょうか?」
シアンが梟の王に向き直ると、そこにはいつの間にか魔神が十柱勢ぞろいしていた。梟の王の後ろにこちらも跪いている。
「っ⁈」
シアンは息を飲んで立ち竦む。
『もちろんでございます。こちらを!』
梟の王は何事もない風情でどこからともなくワインを取り出す。
「あ、あの、どうして魔神のみなさんが?」
『きっとリムに喚び出されたのが羨ましかったんでしょうねえ』
九尾の言葉は正しかったようだ。
梟の王がリムから喚び出されたのを感知し、居ても立っても居られずはせ参じたと口々に言う。
『魔神一柱呼び出せば残り九柱ももれなくついて来る! 何てお買い得!』
抱き合わせ販売の間違いではないのか。
これは闇の精霊にもう一度、無暗に関わりを持たないように言って貰う方が良いのか、もしくはリムに一柱だけに伝わるよう、他の者が感知できないように喚ぶよう、能力を上げて貰うかするしかないのだろうか。
「ええと、まあ、僕が慣れれば一番早い、かな?」
結局、自分がある程度受容すれば良いかと思うシアンだった。
その間にも、リムはワインを飲むのか、つまみは必要かなどと魔神たちに声を掛けられている。
『後はねえ、りんごのおばあちゃんが作ってくれたりんごのお酒!』
『それ、僕も飲みたい。甘い?』
光の精霊も顕現する。
『うん! そして、ちょっとすっぱくて爽やか!』
『リム、そろそろ水明の御父君の方を呼んであげてよ。きっと待っているよ』
水の精霊に飲ませてやるのだと散々言っているにもかかわらず、中々声が掛からないことに一角獣が業を煮やし、蹄で地を掻く。
『うん! 水明!』
『ははは、ありがとう、リム、ベヘルツト』
ようやく声が掛かり、顕現した水の精霊はリムと一角獣に礼を言う。
加護を与えていない存在の呼びかけに嬉々として顕現する。
朗らかに笑う水の精霊の姿に、水の上位神が驚愕する。頬を上気させ、目を潤ませながら穴が開くほど見つめている。
なお、シアンと言えばワインを巡った騒動からすっかり水の上位神の存在を忘れていた。
『それでは、わたくしが先に献上したワインはどうされるのですか? 黒白の獣の君が花帯の君とご一緒に召しあがりますか?』
『深遠のお姉さんに上げようと思っていたんだけれど、じゃあ、シアンと飲む!』
梟の王の言葉にはっと息を飲んだリムが言う。リムはすっかりシアンが楽しめば良いという気持ちになっていたが、リムの発言を聞いた魔神たちはそうもいかない。
闇の精霊にやるのではなく花帯の君に、どちらも敬愛する彼らは揺れに揺れた。
その様子に九尾などは衝撃を受けた。シアン自身に闇の精霊に届くほどの敬慕が寄せられているのだ。もはや、闇の精霊の加護があるだけでなく、シアン自身が認められていると見た。
「じゃあ、僕も深遠のお姉さんと一緒にリムのご相伴に預かろうかな」
シアンは魔神が闇の精霊にやれないのかと消沈するのに慌てて言う。一本追加して貰ったのに、それ以上くれそうだ。一緒に飲むのなら解決する。
『ついでに言わせてください。天狐たちがお酒のお礼にと稲作の際の降雨に力を貸して頂けたことに感謝を述べていました。それでまた美味しい酒ができたと言付かっています』
便乗した九尾が酒が入った樽を水の精霊に差し出す。
「天狐たちのお酒、美味しいものね」
料理にも用いるのだというと、今度それを食べさせてほしいと水の精霊が言う。
「ねえ、きゅうちゃん、水明。よかったら天狐さんたちのお酒を深遠のお姉さんにも飲ませてあげても良い?」
珍しいものが好きだという闇の精霊の姉のことを想起してシアンが尋ねる。
『もちろん』
『水の精霊王がおっしゃるならば。天狐たちにとってもこの上ない誉れでしょう。この酒は水の質に出来栄えが左右されるそうなので、闇の精霊王にもお気に召してもらえると思いますよ』
暗に水の精霊のお陰だと言う九尾はこうして闇の精霊を気づかい、また、シアンとリム、もしくは魔神たちとの事柄を様々に調整する。それを目の当たりにする精霊や魔神たちは九尾がシアンたち、そして自分たちにとっても有益な存在なのだという認識を持つに至る。そのため、多少のふざけた言動は容認されていた。
『シアン、浜辺のバーベキューの時、天狐のお酒は雄大の君も美味しいって言っていたよ』
ティオが指摘する。大地の精霊にも飲ませてやってくれというのだ。
「あ、そうだったね。二人とも、良いかな?」
『ああ、楽しい酒になりそうだね』
『天狐たちからはたっぷり預かっていますから。量は十分ですよ』
『では、わたくしからも』
シアンが気づかったのに、結局梟の王から追加で酒瓶を貰うことになった。
その後、梟の王の管轄のブドウ畑は雨量と日射不足に悩まされることなく、豊かな大地の恵みを得ることができたという。これもリムやシアンが水の精霊や大地の精霊にアピールしてくれたおかげ、とワインづくりに一層励んだ。
一連の出来事を見ていた虎の王が取り組み始めたリンゴ酒の作成により力を入れ安定供給を目指した。
『じゃあ、私がつまみを狩って来る』
酒は十分な量があると見てユルクが言う。
水明の酒のつまみに、エルフが言っていた沼の主を獲って来るという。エルフの集落で周辺の動植物のことを聞いた際に聞き及んでいた事柄だ。
『沼で暴れまわっていると言っていたから他の種が根絶やしにされそうだし、ちょうど良いよ』
心配したシアンはネーソスに付いて行って貰うことにした。




